第5話 素顔

第5話 素顔 一.

 八月に入り、夏休みが始まった。


 午前中は宿題を進め、昼食を食べたら家を出る。

 日傘を差したいけれど、道中で同級生に会ったらいけない。

 せめてもの抵抗と、日焼け止めをしっかりと塗り込んでいる。

 途中のスーパーでお菓子や飲み物を買って、いつものルートで砂浜へ。

 

 すると、汽水域に足をひたしたナシャルがいる。


  彼女はわたしがあげた麦わら帽子をかぶり、まっしろなシャツと、ひざまでのパンツ姿で、いつもじっとしている。

 夏の日差しを浴びているのに、ちっとも暑そうじゃない。

 わたしに気づくと、うれしそうに水から足を出して、近寄ってくる。


「こんにちは、ナシャル」


 こんにちは、ゆき。

 

 ボードに字を書かなくても、彼女の口の動きで、なにを伝えたいのかがわかるようになってきた。


「今日も暑いから、休み休み、探そうね」


 うん。ありがとう。


 海は、濃い青で揺れている。

 見えるものだけでなく、ただよう空気や風すらも、太陽がすべて炒っている。

 波音に混ざって、砂浜の焼かれるじりじりという音が聞こえるようだった。

 

 右から左へくまなく歩いて、わたしたちは骨を探す。陸地側にある東屋で涼をとって、おしゃべりをして、また探す。


 それは、これまでと変わらない日常だ。


「はい」


 東屋のテーブルをはさんで、向かいあって座る。

 凍らせてきたポカリのペットボトルを渡すと、彼女はそれを額にあてて、心地よさそうに顔をしかめた。


「ナシャル、具合は悪くない? 熱中症とか、大丈夫?」


 へいきだよ。

 ゆきは?


「大丈夫。からだ、頑丈なの」


 わたしが胸をたたいてみせると、彼女は笑った。


 ただ、そうして彼女と笑いあいながらも、胸にちくりとする罪悪感がある。


 その事実を知って、一週間が経つ。

 なのにわたしは、まだ、この砂浜が埋め立てられることを、彼女に言い出せずにいた。

 

 彼女は骨のために、おそらく一日中、砂浜にいる。

 だからきっと、あの看板は見ていない。彼女はまだ、この砂浜がなくなってしまうことを知らないのだ。

 

 この砂浜がなくなったら、彼女はどうするのだろう。


「ナシャル――」


 おりにふれ、伝えようとする。

 けれどいつも、すんでのところで、どうしてものどが凍る。

 そして、ちがう話題へと逃げてしまう。

 

 彼女の傷つく顔を、見たくなかった。

 

 うち明けられないまま、骨を探して、夏が進む。


              ◇


 わたしは骨を探す一方で、筒見さんと約束していた、セーターづくりにもはげんでいた。


「慎太郎」のわたしが手芸をしているだなんて知れたら、みんなギョッとするだろう。

 でも、わたしには、お守りづくりという実績がある。


 お守りをつくっているうちに、手芸の魅力を知って、新しいものに挑戦したくなった……これなら筋道が通っていて、「慎太郎」がそうしても不自然ではない。

 この大義名分を活かさない手はないだろう。

 だからわたしは、勇気と自信をもって、手編みのセーターに挑戦することにした。


「これ一色だけ。どうかな」


「うん。きれいな色。いいと思うよ」


 手芸屋さんでミルク色の毛糸を取って見せると、筒見さんはうなずいた。


 編み込みの入ったセーター……できあがったものを着て、にっこりと笑う彼の姿を想像すると、わくわくする。


そう。

わたしは、完成品を、誕生日のサプライズプレゼントとして、生駒くんに贈ろうと考えていたのだ。


「じゃあわたしは、このグレーの毛糸を買おうっと」


「なにつくるの?」


「手袋。じゃあ、わたしのお家で進めよっか」


「迷惑じゃない?」


「全然。母も、森下くんに、またいつでもおいで、って言ってたよ」


「なんだか、申し訳ないなあ」


 お言葉に甘えて、わたしは筒見さんのお家で作業を進めた。

 そうして彼女に技術の手ほどきを受けながら、少しずつ、セーターを形にしていった。


「夏休みが明けたら、進路調査があるよね」


 あるとき、かぎ針で毛糸を編みながら、筒見さんが言った。


「森下くんは、大学進学?」


「どうだろう」


 わたしは、棒針を動かす手を止めずに答える。


「……まだ、わかんないや」


「そうなんだ。森下くん、頭いいから、いい大学に行くんだと思ってた」


「筒見さんは、どうするの?」


 ごまかすためにわたしが問うと、彼女は恥ずかしそうに、少しだけうつむいた。


「……私、なりたいものがあって」


「なに?」


「……笑わない?」


「笑うわけないよ」


 彼女は「そうだよね」と、どこかうれしそうにつぶやいて、


「あのね。……私、デザイナーになりたくて」


 彼女の手が止まる。


「洋服をデザインするの。それで、できれば……できればだけど、ブランドとか、立ち上げて……」


 ちらり、と、彼女は上目遣いでわたしを見る。

 わたしがほほ笑んでうなずくと、彼女はにこりと笑い、話を続けた。


「そのために、もっともっと技術を磨きたくて。だから私、東京の専門学校に行こうかな、って、思ってて」


「東京……」


「うん。森下くんの、ふるさとだね」


 彼女が東京を「ふるさと」と呼ぶことに、わたしはとても大きな違和感を覚えた。


 あの、ビルと人がひしめきあう街が、ふるさと……。


 ふるさとという言葉は、どこか自然を思わせるにおいがする。

 だから、東京という、まるで対極にある言葉とは、少しも調和していなかった。


「もし、試験に受かって、上京することになったら。東京のこと、いろいろ教えてほしいな」


「……うん。もちろん」


「ほんと?」


 彼女は顔を上げ、ぱあっと笑う。


              ◇


 うわさをすれば影が差す。


 その日のナシャルとの骨探しを終え、お家に帰って、おばあちゃんと夕食をとっているときだった。


 居間にある電話が鳴って、おばあちゃんが「はいはい」と席を立った。

 受話器をとって、「あら、洋子」と言う。

 母からの電話のようだ。

 

 わたしは少しだけ聞き耳を立てつつ、テレビを見ながら、お漬物をかじった。


「えっ、孝臣さんが!」


 おばあちゃんが、急に大きな声を出す。


 わたしは反射的に、おばあちゃんを見た。


「それで、大丈夫やとね? ……うん、そうね。……うん。あ、慎くんね、うん、代わるわね」


 おばあちゃんは耳から受話器を話し、わたしに差しだして、


「慎くん、お母さんからよ。お父さんが倒れたっと」


「えっ」


 わたしは急いで席を立ち、おばあちゃんから受話器を受け取った。


『あっ、慎太郎?』


 母の声。


『あのね。今日、お父さんが倒れたのよ。今、病院にいて』


「大丈夫なの?」


『うん。過労だって。そう、命に別状はないのよ』


 それを聞いて、はあっ、と息がもれる。


 そのことに、自分でおどろく。

 父など、どうでもいいはずだ。


『慎太郎、東京においで。お父さんに会ってあげて』


「……」


『ちょうど夏休みでしょ? 慎太郎が来てくれたら、お父さん、きっとよろこぶわ』


 帰りたくない、というのが本音だった。

 けれど、それをそのまま伝えられるほど、器用に自分を出せない。


 だからわたしは、ひたすら、無言でいた。


『……ごめんね、こんなときばかり。お母さんも、もっとそっちに行ければいいんだけど。どうしても、仕事がいそがしくて……』


 母が、沈んだ声で言う。


『……お父さん、一週間は入院してるから。慎太郎の気持ちが決まったら、教えてね。すぐにチケットを手配するわ』


 わたしは「わかった」と言い、受話器を置いた。

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