第4話 ポカリスエット
第4話 ポカリスエット 一.
七月中旬の土曜日。
午前十時から、野球部の第三回戦が行われた。
わたしはこの試合を、筒見さんに誘われて、球場で観戦することになった。
「自分の目で選手たちを見た方が、着想を得られると思うから」
彼女が言うのは、お守りのデザインのことである。
クラスメイトから集めた予算をあずかり、本格的に製作を始めようとしたとき、わたしたちはこのように話し合った。
「せっかくの手作りなのだから、神社でもらえるようなものをつくっても味気ない」
そこから色々と議論を重ねた結果、選手ひとりひとりの姿をデフォルメしたお守りをつくることになったのだ。
「私、野球の試合を生で見るの、初めて」
「ぼくも」
片辺菜から、電車で一時間強の町にある球場。
その一塁側のスタンドに、わたしたちは座った。
満員にはほど遠いけれど、わたしたちのほかにも観客がいる。
「なんだか、こっちまで緊張するね」
「うん」
審判が「集合」と言って、選手たちがグラウンドの中央へと駆ける。
みんな同じユニフォームを着ていても、彼がどれなのかは、一目でわかる。
壁に貼り出して販売される遠足の写真でも、そう。
みんなが映っている写真の中で、彼がどこにいるのか、わたしはすぐに見つけることができる。
試合が始まり、彼がマウンドに立った。
長い手足を振って、投球する。
キャッチャーミットにボールが収まる音が、スタンドまで届く。
どきどきする。
もし、たくさん打たれたら。
こてんぱんにされてしまったら。
彼のせいで、試合に負けてしまったら。
そう思うと、祈らずにはいられない。
神様。勝てなくてもいいんです。
どうか、彼に責任のないようにしてください。……
……試合は、二時間半ほどで終了した。
でも、ゲームセットの声が響くまで、わたしの体感では、三十分くらいだった。
九対一。
片辺菜高校は、三回戦も大勝した。
生駒くんは一点も取られずに六回までを投げきり、打っては三打点をあげていた。
「うちって、ほんとに強いんだね……!」
興奮に頬を赤くして、筒見さんがこぶしを握る。
「私、感動しちゃった。お守りづくりのモチベ、あがっちゃう!」
「うん。ぼくもだよ」
相手高とのあいさつを終えた選手たちが一列に並び、わたしたちのいるスタンドに向かって、帽子をとって頭を下げた。
ふっ、と、彼と目があう。
わたしたちが来ていることに気づいた彼は、ヒマワリの花が開くような顔をして、こちらへ手を振った。
ゴムボールのように、こころが跳ねる。
うれしくて、うれしくて、たまらなかった。
小さく手を振り返すと、彼は笑顔のまま、大きくうなずいた。
来てよかった。
そう思った。
そのときまで。
「それじゃあ、帰ろっか」
筒見さんに言われて席を立つとき、ベンチの前で、彼が女子としゃべっているのが見えた。
選手と同じ帽子をかぶった、ポニーテールの、制服姿の女子。
野球部の、マネージャーだ。
彼はハイタッチを要求して、彼女に手のひらを示した。
ただ、手をあげているその位置が高い。
彼女は彼に応えようとするが、彼よりも身長が低く、その手に届かない。
彼はあえて、彼女の届かないところに手をあげていた。
ぴょん、ぴょん、と、彼の手に自分の手を重ねようとして、彼女が跳ねる。
彼はそれを、いじわるに避ける。
数度、それをくりかえしてから、彼はかがんだ。
彼女と目線を合わせて、やっとハイタッチをし、楽しそうに笑いあった。
「どうしたの? 森下くん」
固まっているわたしの顔を、筒見さんがのぞきこむ。
「あ、ううん。なんでも」
わたしは、彼から目を背けた。
「行こ」
わかっている。
彼がわたしに向けた笑顔は、男ともだちに向ける笑顔だったということ。
「来てくれたのか」と言っていたあの目は、友情に感謝している目だったこと。
わかっている。わかっていた。
それなのに、いちいち、こういうことで、ひとりで勝手に傷ついて。
ばかみたいだ。わかっている。
それでも、どうしたって、想像してしまう。
彼とハイタッチをしたのが、わたしだったら。
男子と女子として、彼と笑いあえたら。
◇
球場を出、片辺菜に帰ってきたのは、午後二時を回る頃だった。
駅を出ると、ロータリーの中心にあるクスノキから、鳴き慣れていない蝉の声が聞こえた。たどたどしい夏がそこにあった。
「デザインの案、スケッチしなきゃ」
「ありがとう、誘ってくれて。色々、見えてきたよ」
「森下くん、まだ時間ある?」
「うん。あるよ」
「これから、会議しない?」
「いいよ」
じゃあ、どこかの喫茶店に行こうか?
と、東京の学生なら続けるだろう。
しかし、この町には、そんなふうに気軽に入れる喫茶店もなければ、落ち着いて話ができるようなお店もない。
「どうしよう。学校に行く?」
「でも、私服だし」
「そっか」
わたしたちは考えた。
ややあって、筒見さんがポツリと言う。
「あの。もし、森下くんがいやじゃなかったら、うちでやらない……?」
「いいの?」
「うん」
「いやじゃないよ。ありがたいよ」
筒見さんはうれしそうに笑い、わたしを自宅へと案内した。
彼女の家は、商店街の裏手にあった。
(もちろん今日も、ほとんどのお店がシャッターを降ろしていた)
「ただいま」
「おかえり」
筒見さんに応える声がして、廊下の先の部屋から、彼女のおかあさんが出てきた。
おかあさんは、彼女のうしろにいるわたしをみて、「まっ」と、手のひらを口にあてた。
「クラスメイトの、森下くん。ほら、話したでしょ?」
「ああ、一緒にお守りをつくることになった」
「そう。これからそのことで、ちょっと打ち合わせするの」
彼女は早口に言って、「おかあさんは、なにもしなくていいから」と、少し強めの口調で付け足した。
「そこが、私の部屋。お茶を淹れてくるから、先に入っててね」
ぱたぱたと、彼女が廊下を駆けていく。
わたしは、彼女の部屋に入った。
きれいで、落ち着いた部屋だった。
壁紙や家具の色調が、白と薄桃色でそろえられていて、棚や机にはぬいぐるみやマスコットが並んでいる。
まさに、想像する『女子の部屋』。
わたしもこんな部屋に住めたら、と思いながら、床置きの小さな丸テーブルの前に正座する。
あんまりじろじろ観察するのも失礼なので、ひざにおいた手の甲をジッと見つめて、彼女を待った。
「おまたせ」
やがて、コップを載せたおぼんを持った彼女がやって来た。
つめたいルイボスティでのどをうるおして、わたしたちはお守りのデザインについて話した。
「手のひらに乗る、小さめのサイズがいいよね。それこそ、神社のお守りくらいの」
「うん。あと、ユニフォームの番号以外にも、その選手の特徴を出したいな」
「顔を似せるのね」
「どうかな?」
「いいと思う。私、たくさん写真を撮ったから、資料はばっちり」
彼女はスマホを出し、画面をスワイプして見せた。
すっ、すっ、と、数枚の画像が切り替わる。
生駒くんが笑顔でこぶしを上げている一枚があった。
これは、四回に、彼が連続三振をとったときの画像だ。
「あとで、森下くんにもまとめて送るね」
「えっ、ほんと!」
「えっ? う、うん」
思わず大きな声が出て、彼女を驚かせてしまった。
わたしはすぐに謝り、恥ずかしくてうつむいた。
「そうだ。森下くんのアカウントって……」
「あっ、そうだね」
わたしは自分のスマホを出して、彼女とアカウントを交換した。
生まれて初めて、連絡先に、母以外の女性の名前が追加される。
『筒見立夏』
「立夏って、いい名前だよね」
「ありがとう。私も、気に入ってるの」
筒見さんは、ほんのりと頬を染めて、
「慎太郎も、いい名前だと思うよ」
わたしは、仮面をほほ笑みの表情に切り替えて、「ありがとう」と答えた。
それから三十分ほどかけて、デザインの大まかなスケッチをした。
その設計図をもとにして、ひとまず、レギュラー九人分のお守りの完成を目指す。
慣れている彼女が六人分、わたしは三人分を担当することになった。
「あの……。生駒くんのは、ぼくがつくっていい?」
「え? うん、いいけど、どうして?」
「あ、えっと。彼には、いつもお世話になってるから」
「そっか。ふたり、仲いいもんね」
パッ、と、うれしくなって、
「そう見える?」
「うん、見えるよ」
「そっかあ」
わたしは、にやける顔を見られないよう、視線をさまよわせた。
そのとき、クローゼットの取っ手にかけられている、セーターが目についた。
春、手芸屋で会ったときに彼女が着ていた、白い薄手のセーターだ。
「あのセーター、筒見さんがつくったんだよね」
「うん」
「改めて見ても、すごいや。丈も、編み込みも、完璧で」
「ありがとう」
彼女はほほ笑んだ。
「森下くんも、ちょっとは手芸に興味あるんだよね」
「え? ああ、うん。ちょっとは」
「よかったら、セーターのつくりかた、教えようか?」
「ほんと?」
「うん。お守りをつくり終えたら、セーターをつくろうよ。初めてだと、たぶん半年くらいかかるから、今から取りかかれば、ちょうど冬ごろに出来上がると思うよ」
彼女は楽しそうに本棚から手芸の本をいくつか抜いて、机に置いた。
「どんなのつくる?」
わたしはパラパラと本をめくって、「これはむずかしい?」「これはどう?」と、気になる図案をどんどん指さした。
それに合わせて、彼女もたくさんしゃべる。
たのしかった。
わたしが笑うと、彼女も笑った。
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