光る音

@whitesugar

第1話





――眩しい――




 まぶたの裏を貫通し、いっそ暴力的なまでの光が襲う。

 突っ伏した机の上から体を起こす。目の前のパソコンの画面は既に暗くなっていた。

 適当なボタンを押し、画面を立ち上げる。そこには昨日作業した最後の画面が開かれた。

 縦軸に音階が示されたそこには、左から順にいくつかのマーキングがされている。

 右向きの三角を押し、今の出来栄えを確かめる。

一つの音は、次の音へと繋がり、一連のメロディを作りだし、空気を震わせ、鼓膜に伝わり、サビに向かう最後で、そして――パタリと止まった。



 それは、時間にして5秒間の出来事だった。



 階下では年代ものの洗濯機が唸る音が聞こえる。パタパタと、母と思われる人の忙しない足音も聞こえてくる。

 俺はドアを開け、足元に目を向ける。そこにはお盆に乗せられた二つのおにぎりと、コップ一杯の水が置いてあった。

 部屋の中にそれを持っていき、何も言わず口におにぎりを詰め込む。パソコンの画面を見ると、既に13時を回っていた。

 おにぎりは、少し冷めていた。



 時の止まったカレンダーに目を向ける。

 2021年、11月。


 これを聞くのも、もう何度目だろうか。もう一度右向きの三角形をクリックし、メロディを確かめる。いつも通り、何一つ変わらない音を奏で、そしていつもと同じ所でパッタリと途絶える。

 仕事を辞めてから3年。この部屋に引き籠もってから、いつも同じ所で止まっていた。


 作業していた画面を閉じ、動画サイトのマイページを開く。そこに表示された再生回数は86回。昨日から一回増えただけだ。

 画面の前の現実から目をそむけ、部屋を見渡す。もう使われていないギターと電子ドラムが静かに部屋の隅で佇んでいた。

 5年くらい前まではいつもこのギターを背負い、放課後の部室で弦を弾いていた。時には、弟に自慢するように弾いていた。仲間と共に鳴らしたギターは、曲と言うには余りに幼稚で、不格好で、でも瑞々しさだけがそこにはあった。

 バイトでお金を貯め、出来もしないドラムを買った時はとにかく闇雲に叩いた。リズムとかテクニックとか、それよりもただただ叩き続けた。

 今はもう、ギターもドラムも、ピアノやボーカルでさえこのパソコンの中にいる。苦戦してやっと掻き鳴らすコードも、人間には無茶なリズムも、パソコンの中の彼らは精確に演奏してくれた。憎たらしい程精確に、演奏してくれるのだ。



「ただいま」



 パソコンの画面とにらめっこしていると、弟の声が聞こえてきた。

 もう少ししたら、父も帰ってくるだろう。そしたら、俺を除いた家族の団らんが始まる。

 父が帰ってくるより先に、階段を上がってくる人の足音が聞こえてきた。足音の主人は俺の部屋の前で歩くのを止めて、カチャリと音を鳴らし、また去っていた。最初は降りてこいだの、色々言っていたが、今では一言も無く、ただ夕飯をおいていくだけだ。

 最低限のスペースだけ開け、またお盆ごと部屋に入れる。今日の主菜は焼き魚だった。



「なあ、兄さん」

 隣の、自分の部屋に行く前に、弟が扉越しに語りかけてきた。今日はいつもより夕飯を食べ終えるのが遅い気がする。

 毎回返事すらしない俺に対し、この弟だけはいつも話かけてくる。返事をしない俺に対して、弟が語りかけてくるこの時間が、何故か俺には酷く苦痛だった。

「兄さん、俺、大学行くことにしたよ。希望の大学はちょっと難しいかもしれないけど、まあやるだけやってみるさ」

 素晴らしい事で。

 高卒で就職し、一年も経たず辞めて引き籠もった俺とは大違いだ。

「だからってわけじゃないけど……ギター弾いてくれないかな。打ち込みじゃない、兄さんの弾いたギター」

 ギター。

 俺は部屋の隅にある、ギターに目をやった。もう何年も手にしていない、それなのについ目を向けてしまうギター。もう、ただの飾りとなってしまったギター。

「……駄目……かな……」

 多分、きっと弟の為じゃない。でも俺は、ついギターを手にとってしまった。

 ストラップを肩にかけ、構える。無造作にピックを上から振り下ろすと、緩んだ弦の不協和音が鳴り響いた。

 もう一度、ピックを振り下ろす。もう一度、もう一度、何度も、何度も振り下ろす。

 左手で、馬鹿みたい練習したあのコードを抑える。

 流行りの曲でも、いや曲ですらない何かを、ずっと、弦に打ち続ける。

 ビリビリと部屋の空気を震わせ、俺の肌にまで伝わる。

 もっと、もっと……


「兄さん、部屋入っていい? 俺、高校入ってからドラム練習してたんだよ。兄さんと一緒に、曲やる為に」


 俺はギターを弾く手を一度止め、ガチャリとドアを開ける。


「適当なドラムやってみろ、ぶっ飛ばすからな」


 その夜は、最高の音楽をした。

 その夜は、曲でもなんでもない、なんだか分からない、ただの音の塊をただぶつけ合った。

 その夜は、3年の月日をぶち壊すのに、十分すぎた。






――眩しい――




 まぶたの裏を貫通し、いっそ暴力的なまでの光が襲う。

 突っ伏した机の上から体を起こす。目の前のパソコンの画面は既に暗くなっていた。

 適当なボタンを押し、画面を立ち上げる。そこには新譜が一音だけ、増えていた。



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