第29話 愚推

 男の遺体、その腹を穿った禍々しい魔力。

 破壊不可能なはずの壁を破壊した、圧倒的な力。

 それは恐らく、壁の攻撃吸収量を超える力で男を亡き者にしたということだ。


 ───微力だが微かに残る禍々しい魔力に、段々と脳が侵食されていくような感覚がする。

 まさか、オレが知覚出来ないほどに魔力操作で隠蔽ができる人物がこの迷宮に紛れ込んでいるのか?


 暗殺者には、限りなく気配を消してターゲットの懐に入る技量が求められる。そのため、魔力を制御して感知に引っ掛かったり、残穢が残らないように立ち回る必要があるのだ。


 アルウィンの魔力感知はオルブルに鍛え上げられた相当なものである。

 がしかし。


 一人を暗殺するために何億ルピナスもかかるような上級貴族、王族が用いる暗殺者は凄腕だ。

 そんな人物が彼の知覚に引っかからないほどの隠蔽が出来る者がいてもおかしくはないのである。


 ───そんな凄腕の暗殺者が狙うのは……政治的に邪魔な存在で、戦闘能力も相応の人物なはず。となると。


 途端、冷や汗が頬を伝い、ぴちょりと遺跡の床に小さな染みを作ったのだった。


 ───オトゥリア……だよな!?


 彼の頬は蒼白に染まっていた。

 震えが止まらなかった。


 ───オトゥリアだって……絶対に狙われる。第一王子のフォルモーントってヤツからしたら、オトゥリアは邪魔な存在だから確実に消したいと思っているのかもしれないし。


 考えれば、考えるほど止まらなかった。

 彼の胸中は、焦燥と恐怖が入り混じった混乱で荒れ狂っていた。

 大切な幼馴染であるオトゥリアが暗殺者の標的になっているかもしれないという最悪な考えが、頭から離れないのだ。


 太陽のようなオトゥリアの無邪気な笑顔が脳裏に浮かぶ度に。彼女がその笑顔を失う未来を想像してしまい、彼の喉はひりつく。


 ───暗殺者が来たら、オレがオトゥリアを護るんだ。オトゥリアは心配だけど……朝までにここは抜けないといけないな。狭い場所ほど狙われやすいから。


 彼は、フンと鼻息を鳴らして魔力感知にかける魔力のリソースを最大にしたのだった。


 魔力消費は半端ない上に、殆どの敵は魔力の隠蔽をしないので感知が浅くても補足できるため、ここまで濃くすることは無駄が多い。

 しかし、相手は相手。

 隠蔽が上手い手練の暗殺者の可能性が高いのだ。


 ───これである程度は感知出来るようになれば十分。暗殺者がオレの感知に引っかかることを祈るしかない。


 彼はオトゥリアを起こさぬようにゆっくりとゼトロスの背によじ登り、そっと足を下ろした。

 するとすぐに、段々と視界が前へ進んでいく感覚を覚える。風が彼の頬を優しく叩いていたのだ。


 もう直ぐに、ゼトロスが次層へ続く階段を飛ばしながら駆け下っていたのである。


「アルウィン。今後からは気を引き締めないとだな」


 アルウィンと同じことを考えているのか、はたまた彼の考えを読み取ったのか。

 ゼトロスもそっとアルウィンに声をかける。


「そうだな。今後、どんな敵が現れるかは解らない。それは魔獣か、はたまた人間かもしれない。立場もあるし、最優先で護るべきはオトゥリアだ」


「アルウィン。貴様もなかなか鋭い目を持つ者。主とは行かずともそこそこの立場はあるのであろう?」


「考えたこともなかったな」


 ───立場、か。

 冒険者ならば、上級冒険者だが……オレのシュネル流の席次は5番手。300人程度しかいないマイナーな剣術の5番手だ。それでも、他流派の剣士とは互角に渡ってきている自負がある。ヴィーゼル流なら、レオンさんとは互角、いや最近はオレの方が勝ってる数が多いな。


 彼は、考えながらも魔力感知を怠らなかった。


 ───それに。オレはズィーア村の村長の甥でもある。村長の家系が潰れたら、役目はオレに回ってくる。そう考えると……立場は確かにオレにもあるかもしれないなり


 所々、周囲を照らす松明。

 羽虫が愚かにも紅蓮の衣に身を焦がし、ジジジッと音を立てる。


 ───それに比べると、オトゥリアはやっぱり凄い。

 まず第一に、エヴィゲゥルド王国の王女ミルヒシュトラーセの傍付き騎士だ。今回の件はオトゥリアを狙ったものかは解らない。けど、第一王子や第二王子のゴタゴタに揉まれて政治的に命を狙われるほどにあいつの存在はデカい。


 王都で有名な暗殺者は数名いるが、今回の相手は恐らく王家御用達の暗殺者なのだ。


 シュネル流の剣は、暗殺者が学ぶ剣術の元となったものだと言われている。

 しかし実際のところ、彼は暗殺者の剣に触れたことがなかった。


 ───シュネル流が暗殺者の剣術の原点ということだから似ている点はあるはず。同士で稽古をし続けたオレにだって勝ち筋はある……はずだ。守らなきゃ。


 彼は、酷く心配そうにオトゥリアを見詰めていた。





 ………………

 …………

 ……





 一時間と少し後。

 遺跡エリアの最終層、49層の最後の部屋にて。


 そこは松明の光がない、紛うことなき暗闇だった。


 ───あと少しで、今まで通り次層への道を塞ぐ魔物が出てくるはず。


 静寂。

 聴こえるのは、彼らの心臓の音だけであった。


 ───恐らく、来る魔物は遺跡兵ゴーレム系統だろうな。ちゃちゃっと終わらせたいんだけど。


 アルウィンはゼトロスからゆっくりと降り、白鉄の剣をじゃらっと引き抜いた。


 ゼトロスは壁際にゆっくりと腰を下ろす。

 背ですやすや眠るオトゥリアを乗せたままでは、戦闘中にオトゥリアを落としてしまう可能性がある。

 オトゥリアは安全なところで寝かせ、その間に1人と1匹がかりで倒すつもりなのだ。


「アルウィン。我の方はもう問題ないぞ」


「よし。じゃあ行くか」


 アルウィンがカツカツと部屋の真ん中の台座に近付くと、響いてくるのはゴゴゴゴッという地鳴りだった。


「!?」


 彼が距離を置こうと後ろへ退避すると、周囲から台座に集結していく強い魔力。

 そしてその魔力は空間を引き裂き、14,5フィートほどの縦の亀裂を台座の上に作り上げる。

 その亀裂は紫色に妖しく光り、周囲を仄かに照らしていた。


「アルウィン!来るぞ!」


 ゼトロスの声。

 途端。

 亀裂の中から飛び出てきたのは、アルウィンの背丈ほどある大剣だった。


 そして、バリバリッ!!という音。

 次元を引き裂いた大剣が、アルウィンに迫ったのだ。


「!?」


 それは、オトゥリアがやっていたような大上段からの大振りに似た軌道だった。


 ───もう回避は無理だ。受け流さないと!


「〝瀧水りょうすい〟ッ!!」


 攻めの一手に対するアルウィンの判断は、受け流した上でカウンターを狙う技の〝瀧水りょうすい〟だった。


 カウンターを狙っていたわけではない。

 はなから、カウンターは不可能だと彼は直感で悟っていたのだ。

 ただただ、一撃を逸らすためにいちばん早く放てそうな技が〝瀧水りょうすい〟だっただけなのである。


 上からの圧倒的な重さと、アルウィンの刹那の光が鈍い音を立てていた。


「ぐっあっ!!」


 身体を捻り、どうにか受け流したアルウィン。

 本来はここでカウンターを放つのが〝瀧水りょうすい〟だが、吹き飛ばされていたアルウィンにそれは不可能だった。


 まだ全身が見えない、剣の主の姿。

 それが、徐々に顕になる。

 馬の頭、握る手、腕、頭部、そして全身といった順で裂け目から飛び出したのだ。


 それは甲冑を纏った騎士の姿だった。


 全身鎧の巨大な騎士。

 それが、アルウィンの抱いた第一印象であった。

 無論、それが遺跡兵ゴーレムなのは言うまでもない。


 しかし、それはあまりにも大きく、シュネル流の剣が通りにくそうな相手であった。


「オトゥリアがいれば……なんて甘ったれたこと、言ってられねぇよな」


 アルウィンを護ろうと前に出たのはゼトロスの頼もしい魔力だった。

 裂け目はいつの間にか消え、部屋は暗闇に戻っていた。

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