第23話 氷獄世界

 彼らを嗤う、白仙狼フェンリルの表情。

 馬鹿にされた彼らは次こそは……と剣を強く握る。


 しかし。

 彼らが次の攻撃を放つ時には白仙狼フェンリルは既に大きく距離を取っていたのだ。



「はあああああっ!!〝桂花けいか〟ッ!」

「〝翔兎しょうと〟ッ!!」


「当たらぬ!」


 彼らの力み声と空を斬る重い音だけが辺りに響いていた。


 剣は、一向に届かない。

 何度彼らが距離を詰め、剣を振るっても全て回避をされてしまうのだ。

 その上、距離を取られるという鼬ごっこ。


 距離が開けば開くほど、縮地後の斬撃を回避しやすくなる。

 それを狙って、白仙狼フェンリルは距離を取り続けていたのである。


「どうやって攻撃を届かせるか……考えなくちゃな」


 アルウィンから声がかかる。

 オトゥリアは剣を構えて前傾姿勢を取ったまま立ち止まっていた。


 ───避けられてばっかり……どう攻めればいいんだろう。


 オトゥリアが頭を動かしている間に、好機とばかりに白仙狼フェンリルは動き出していた。


「ほう、中々に肝の据わった目をしておるな。だが汝らの死に場所はここだ!〝氷獄世界ヘルブリザード〟ッ!!」


 魔力は、一瞬にして白仙狼フェンリルから放たれていった。

 氷属性の特級魔法に類する、〝氷獄世界ヘルブリザード〟である。


 途端、彼らの視界は真っ白に染まる。

 吹き荒れる猛吹雪に、目を開けては居られない。


「アルウィン!!!避けてッ!!!」


 オトゥリアの絶叫が、彼の耳に届くか届かないかのうちに。


 ───マズい。範囲魔法だ……オレは防げないから回避に徹しないとッ!!


 アルウィンは一瞬にして左右の足に魔力を纏わせると───地を強く蹴り、縮地を発動させたのだった。


 途端に彼は魔法の炸裂する範囲内から脱して、目の前の白仙狼フェンリルを睨みつける。


 が。


 白仙狼フェンリルは、凍てつく範囲攻撃をするだけに留まらなかったのだ。


 アルウィンの目の前で、更なる魔力が練り上げられていく。

 それは魔法陣の形となり、白仙狼フェンリルの頭上に浮かんでいた。


 ───何か……来るッ!!!


 その魔法陣は、輝きを強めながら幾多もの鋭利な氷塊を生み出していた。

 矢尻のように尖った先端が、陽光を反射してキラキラと輝く。

 氷属性魔法の〝氷結散弾アイシクルショット〟だ。


「男よ……ここで死ぬのだ」


 そう白仙狼フェンリルがアルウィンに言い放った途端。

 彼目掛けて飛ぶのは、5つの氷塊だった。


 ───まずいッ!!


 魔力感知で氷塊の起動を確認したアルウィンは、どうにか魔力を纏わせた足で縮地を発動させて回避しようとした。

 地を強く蹴り、右足で勢いよく踏み切って。

 飛んでくる地点から、数ヤード先で彼はふぅと息を吐く。


 が。


「縮地など……幾度となく見切ってきたわ!」


 白仙狼フェンリルが形成していた氷塊は、5つだけではなかったのである。


 彼が縮地を解除した途端、その地点に吸い寄せられるかのように飛んできた氷塊は合わせて12だった。


 ───まずい。回避しなきゃッ!!


 彼は、再度足に魔力を纏おうとする。

 けれども、それは間に合わなかった。

 どうにか、魔力を不完全に纏った足で地を蹴ったものの───先程よりは遠くまで移動出来なかったのだ。


 氷塊が1つ。

 キラリと輝きながら、彼の左足に吸い込まれるように飛んでいき……


 彼の左腿を、ぶすりと鋭く突き刺したのである。


「…………あっ……があっ!!」


 縮地を解除した途端、彼の左足に走るのは強烈な痛みだった。

 それだけではない。

 突き刺さった氷塊は冷気を発し、血液を凍らせようとする勢いで浸透していく。


 左足は、もう既に動かなかった。

 そのまま彼は前のめりに倒れ、立つことすらままならない。


 ───やられた……オトゥリア……すまない……


 彼は、呆気なく戦闘不能にされてしまったと悔しそうな表情を浮かべながらオトゥリアのいる方向へ視線を向けていたのだった。





 〝氷獄世界ヘルブリザード〟の中で、オトゥリアは剣だけでなく、身体全体に魔力を纏わせながらもどう打開しようかと思案をしていた。


 身体に魔力を纏うとで身体に当たる雪を溶かそうとするも、それは焼け石に水だった。

 溶けた雪の冷気は、衣服に染み込んで彼女から熱を奪い、蝕んでいくのだ。


 このまま先程のような戦闘の展開となれば、万に1つも彼女が勝利できる見込みはない。


 ───外にはアルウィンが居るはずなのに。一向に私を取り巻く魔法が解除されていない。

 アルウィンも……苦戦してるんだろうな。


 オトゥリアはアルウィンが既に撃破されていることを知らない。


 彼女の中で未だに音を響かせる心臓のドラム。

 息を吸い込んだら凍ってしまいそうで、だけれどもまだ動いてくれる肺。

 彼女の中を巡る赤い血はまだまだ熱かった。


 途端、彼女が思いついたのは妙案だった。


 ───アルウィンはどうなったか解らないけど……私も出来ることをしよう。陽動だ。

 視界を遮られて動けない無防備な姿を晒せば、自ずと白仙狼フェンリルは近付いて直接攻撃をしてくるかもしれない。


 目を瞑り、意識の深くまでを魔力に委ねたオトゥリア。


 周囲は魔力で作られた猛吹雪だ。

 そのせいで魔力感知は大いに乱されてしまうのだが、そんな中でも彼女はしっかりと白仙狼フェンリルの姿を認識していた。

 そして、戦闘不能になりつつも諦めていないアルウィンの強力な魔力も感じ取っていた。


 ───アルウィンは……やられてるけどまだ大丈夫っぽいね。いける。準備は整った。あとは待つだけだ。


 オトゥリアが魔力感知能力に長けている剣士だとは、さしもの白仙狼フェンリルも思わない。


 オトゥリアのその技術というのは間違いなくシュネル流を学んだことによるものだ。

 彼女の魔力感知はシュネル流を貫いたアルウィンには劣っていたものの、それでも、普通のシュネル流剣士よりも遥かな精密さを有していることに変わりなかった。


「動かぬのなら!我が引導を渡してくれよう!」


 そのような事など知っている訳も無い白仙狼フェンリルは、もうオトゥリアがまともに戦えないと思って駆けてくる。


 ───よし!来た!


 オトゥリアの睫毛に付着した雪が凍りついた。

 眼球ですら凍ってしまいそうなほどのこの吹雪。


 ───止むまでの間、目は使い物にならない。

 ならば眼球など、今はくれてやる。


 オトゥリアは、どんどんと近付いてくる巨大な魔力の塊が大顎を開けた瞬間をはっきりと感じとっていた。

 もう、距離は20ヤードを切っている。


 ───まだ……


 彼女はゆっくりと、抜刀の体制へ移行する。 

 前脚が雪の積もった大地を蹴る、ズボッという音。

 残りは15ヤードほどだろうか。


 ───まだ……


 オトゥリアと白仙狼フェンリルの間は残り10ヤード。もう、目と鼻の先である。


 ───よし…………!!今!!


 オトゥリアは1秒に満たない時間で腰を低く落とすと、即座に縮地を発動させて突っ込んでいた。


 しゅるっという小さな音の後に、銀の光が三日月状に煌めいた。


 オトゥリアは放ったのだ。

 アルウィンの最も得意とするシュネル流の〝辻風つじかせ〟を。


 白仙狼フェンリルの顎は空を噛み、飛び散った血飛沫が雪を赤く染める。


 オトゥリアが、遂にまともな一太刀を浴びせたのだ。


 が、しかし。


 ───ああっ!浅い!


 オトゥリアの手に残る感触は浅かった。

 抉れたのは深さ5インチ程度。それも、斬撃を入れる事が出来た場所は白仙狼フェンリルの右脇腹であった。

 それほどまでにこの白仙狼フェンリルの毛皮は厚く、肉質も硬いということである。


「ダメだ。もっと……魔力を視ないと!」


 構え直しながらオトゥリアはそう言葉を吐いていた。


 付けた傷はまだ浅く、使役テイムはまだまだ行えない。


 ───なら。

 反応出来ないような速さで攻撃を浴びせれば、致命傷を与えられるはずだ。


 オトゥリアがこの考えに至ったのは、彼女が一太刀浴びせてから直ぐのことである。

 そこからの彼女の動きは、まるで鬼神そのものであった。


 薄い雪に覆われた地をぎゅっと踏み軸にし。

 もう片方の足で地を蹴って。

 身体を捻りながら剣を魔力で包み込む。

 そのようにして即座にターンを決めた彼女は、すぐさま縮地を用いて白仙狼フェンリルの懐へと迫っていた。

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