第24話 ゼトロス

「〝三段峡さんだんきょう〟ッ!!」


 雪原に響くのはオトゥリアの声だった。


 彼女の真上から振り下ろされる一撃目。

 それは、ゴオオオッと重苦しく大気を割く音を発していた。

 彼女の剣は避けようと軽く足を動かした白仙狼フェンリルの強靭な胸の筋肉に、吸い込まれるように一直線に振り抜かれていく。


 そして。

 びちっと音を立てて刃が入ると───その瞬間に胸部を粉砕するかのように断ち斬っていたのだった。


「……なっ!?」


 白仙狼フェンリルからしたら、オトゥリアの行動は全くもって不意打ちであった。


 〝辻風〟を放った途端、怯んだ隙を畳み掛けるように追撃したオトゥリア。

 ギリギリのところで回避しようとしたものの、大胸筋を大きく斬られていた白仙狼フェンリル


 オトゥリアの狙った場所は肋骨部分であり、白い巨体が回避に動いたために狙いは少し逸れていた。

 しかし、忘れてはいけないのが〝三段峡〟は3撃の連続技だということだ。


 雪を氷塊となるまで固く踏み潰したオトゥリアは、体重を一気に肩にかけ、右手で切りかえした剣に左手を静かに添えていた。

 そしてそのまま。

 少し出っ張った腹部に迫ると───横一文字に薙ぎ払う。

 視界を遮られてもなお、周囲の魔力の流れを認識しながら、一撃目の縦振りのエネルギーを一切殺すことなく、二撃目を放ってのけたのだ。


 人間で言えば、腹直筋のど真ん中の所へとである。


「はああああああっ!!!」


 ザクッと鳴った快い音。

 見事深めに抉った鈴蘭の剣からは、饐えた臭いが僅かながら漂っていた。

 オトゥリアの二撃目はどうやら、白仙狼フェンリルの胃まで到達していたらしい。

 血に混じった黄土色の液体が宙に舞う。


 白仙狼フェンリルの絶叫は止まらない。

 一撃を回避し損ねたが故に、反応出来ぬ間に二撃目を受けてしまい、更に第三撃目を振り抜かんとするオトゥリアの凄まじい気配。


 白仙狼フェンリルは動けなかった。

 オトゥリアの視覚を奪った途端のにも関わらず、優位な立場が瓦解したことによる恐れ。

 シュネル流を扱う剣士は魔力感知を魔術師並に出来るという事実を知らなかったことで、主導権を奪われたのだ。

 更に、失態だったことは剣士相手に優位を確信して接近戦を持ち込んでしまったことだった。


 気がついた頃には身体は硬直し、オトゥリアの三撃目を待つばかりだった。

 逆袈裟から放たれた血を纏う紅銀の光。そして、返り血ひとつ付いていない純白なオトゥリアの姿。


 ───白い死神だ。


 白仙狼フェンリルは死を意識した。


 ───我が一番強いと思っていた。しかし……それは違ったのだな。


 オトゥリアが三撃目に入るよりも少し前に、荒れ狂う吹雪は止んでいた。

 白仙狼フェンリルが吹雪を起こす魔力の供給を切ったのだ。

 既に、白仙狼フェンリルの中には戦意というものが存在していなかった。


 自身の強さを否定するかのような、圧倒的なオトゥリアの力。

 瞼を凍結されて視界を奪われたのにもかかわらず、魔力探知を発動させて身体に傷を与えた彼女の凄まじい適応力。


 そんなオトゥリアに、白仙狼フェンリルは恐怖してしまったのだ。


 〝三段峡〟の三撃目。

 オトゥリアは剣を左腰の位置から右耳の方へ、袈裟に大きく振りかぶっていた。

 そして、そのまま。

 魔力を帯びて輝く刀身が、白仙狼フェンリルの左脚の腱の部分にずぶりと深く入ったのである。


「うおおおおおおおっ!!」


 オトゥリアは身体全体にも魔力を込め、剣の重みをさらに上げていく。

 その重い一振りは筋繊維をずぶずぶと断ち、さらには関節すらもまるで紙切れを相手にしているのかのように斬り裂いていた。


「……んなああああああああッ!!!」


 関節を斬り裂かれた白仙狼フェンリルは残った三脚でどうにか立とうとしているところだった。

 しかし、それは遥かに困難なこと。プルプルと脚を震わせながら、頭はゆっくりと高さを落としていく。

 そしてそのまま。

 自身の血が池のようになっている雪の上へと、倒れていったのだった。




 空からは陽が差し込んで、辺りの雪や氷塊を次々と溶かしていく。


「ふぅ……なんとか、私の勝ちってことに出来た」


 オトゥリアは眼の近辺に魔力を集中させ、内と外から瞼の氷を溶かしていた。

 彼女の白いスカートは、暖かな風と踊るかのようにふわふわと揺れる。

 けれど、彼女の表情は陽光の温かさの中でもある種の冷たさに似たものを放っていた。


 ───機転をきかせた不意打ちでしか倒せなかった。魔力器官が異常発達した遷辿種にあそこまで苦戦させられて……私もアルウィンもこの先無事にいられるのかな。


 彼女は青ざめた唇をきゅっと結び、白い巨体を眺めていた。

 不安が、彼女の心を締め付けるように渦巻く。

 そんな中で。


 ───そう言えば……アルウィンは?


 ふと思い出したかのように、心の中でそう呟く。

 その瞬間の。

 彼女の背後をぽんと触れた影があった。


「悪い。しくじった……」


 振り返ると。

 アルウィンがそこにいた。


「……アルウィン!!!」


 彼女はアルウィンに抱きつこうとするも。

 彼の左腿の布繊維が裂け、そこからどばどばと血が流れているのが彼女の目に映る。


「アルウィン……怪我……してるの!?」


 ハッと目を見開き、アルウィンを心から心配するオトゥリアがそこにはいた。


「……カッコ悪いよな」


 頑張ると言ったのにも関わらず、大したことが出来なかったアルウィンは自責の念に駆られていた。


 けれどオトゥリアは「そんな事ない!」と言いながらがさごそと携帯式収納袋スペースポケットを漁り、回復薬ポーションを彼に渡す。


「ほらっ!!アルウィン!早く飲んでよ!」


 オトゥリアの表情は、全くもってアルウィンを非難するものではなかった。

 寧ろ、いつでも彼に寄り添いたいという意思がハッキリと表されていた。


 彼はそんなオトゥリアの表情に、心臓をドクンと震わせる。

 そして。

 渡された回復薬ポーションをグビっと飲み……「ありがとう」と小さく呟くのだった。



 アルウィンの左足を貫いた氷塊は既に取り除かれていた。

 血液に凍てついた血液や筋組織も、オトゥリアが接近戦を仕掛けていた最中に彼が魔力を流して神経を温めていた。

 お陰で彼は、足が痛むなかでも彼女のもとまで戻ってこれたのだ。

 あとは、欠損した身体が回復薬ポーションで自然治癒するのを促進するだけでよかった。


 彼は身体を休めるため、少し離れた所にあった岩に背中を預けてオトゥリアと白仙狼フェンリルを眺めていた。


「……はぁ」


 嘆息し、オトゥリアを見つめる瞳は僅かに揺れている。


 ───オレは何も出来なかった。オトゥリアの強さがあったからこそ上手くいっただけだ。まだまだオレはあいつに届きそうもない。


 彼が感じたのは、オトゥリアと自身との天と地ほどある才能の差である。


 シュネル流の奥義を学び、最年少記録だと周りの人々から持て囃されていた。

 けれども、今回の戦いで彼は何も出来なかった。


 ただただ、彼の心の内に宿るのは悔しさであった。


 ───それなのに、オトゥリア。オレはお前に必要とされたことに嬉しかったんだ。未熟で弱いオレを……


 アルウィンの手がオトゥリアへと伸びるが───当然届くことなくその手は空を掴む。


 ───でも。オレはオトゥリアに追いつかなきゃいけないんだ。足手まといになんかなりたくはない。


 奥歯をギリっと噛み締める。

 彼の背中を押すかのように、確かな感触を岩は与えてくれていた。







「早く殺せ……」


 白仙狼フェンリルは残った魔力でどうにか言葉を発していた。

 このままだと出血が甚だしいために必ず死ぬ。

 ならば、一思いに苦しむことなく殺してくれという願いだった。


 けれども。


「殺さないし、あなたを死なせないよ」


 瞳の氷が溶かしたオトゥリアはそう言うと、しゃがんで白仙狼フェンリルの頭部に手を当てた。


「なん……だと?」


 オトゥリアは携帯式魔法復路マジックポケットから使役テイムのスクロールと回復薬ポーションを取りだしながら口を開く。


「うん。私たちと一緒に冒険しようよ。この迷宮の最奥にまで行きたいんだけど、手を貸してくれないかな?」


 その表情は、咲き誇る花畑のように明るい笑顔だった。


「それはどういう……ことなんだ?」


「私たちは……この迷宮の最奥を目指している。それでね?あなたみたいな強力な味方が居てくれたら嬉しいなって思ったから」


「我と……?」


「うん。あなたと……アルウィンとで。この迷宮を攻略したいんだ」


 オトゥリアの真っ直ぐな瞳と、白仙狼フェンリルの瞳がじっと重なった。

 すると、白仙狼フェンリルの瞳が僅かに緩んだのだった。


「そうか……ふっ、中々面白いことを言うではないか」


 白仙狼フェンリルは続けた。


「悪くない。我も、まだ訪れたことのない下層へ行ってみたいと思っていたところだ」


「じゃあ……一緒に冒険してくれるんだね?」


「任せよ。我の背を貴様らに貸してやろう」


「……ありがとう!」


 オトゥリアは白仙狼フェンリルの頭の下にスクロールを挟むと、その紙切れに向かってゆっくりと魔力を流していく。


「まさか……この術式は」


「うん。使役テイムの魔法だよ」


 オトゥリアがそう言った途端に、意図を察した白仙狼フェンリルの表情が和らいだ。

 すっと目を閉じて安らかな表情を浮かべる。


 その瞬間に、オトゥリアは更に魔力を強く流し込んだ。

 そして彼女は最後に白仙狼フェンリル の口から回復薬ポーションを飲ませて傷を癒させる。



 オトゥリアが深く抉っていた箇所。

 彼女が魔力を流し込むことで回復薬ポーションの効き目を増幅させた結果、一時間程度で傷口を塞ぐことに成功していた。


 傷口が癒えたとき、ううっと小さな声で呻きながら白仙狼フェンリルはゆっくりとオトゥリアを見た。


「我は……快癒したのか。なんということだ」


「うん。使役テイムの魔法をかけたから、もう私には逆らえないよ」


 オトゥリアはそう、淡々と告げる。


「解っておる。逆らうなどという愚かな事を我は思ったりせん。我に勝った者よ、主となるあなたが見る世界を共に見てみたいと思っている」


「私たちはこれからこの迷宮を攻略してみせる。だから力を貸して」


「あぁ。我に任せよ」


「私の名前はオトゥリア。仲間にするなら……あなたにも名前が必要だよね」


「わ、我に名付けをしてくれるのか!?」


 魔獣や魔物に名を付けるということは、それを自らの眷属とすることと同義である。

 魔獣使いテイマーらは、使役テイムの後に必ず名付けを行い、新たな眷属との間に〝絆〟を構築するのだ。


「もちろん。私の仲間になったんだから名前は必須だよ。そうだな……あなたの名前は……」


 乾いた風が静かに駆け抜ける。


「……ゼトロス。あなたの名前はゼトロス」


「主よ、良い名前だ。感謝する」


 新たにゼトロスという名を貰った白仙狼フェンリルは、高らかに遠吠えをしてからオトゥリアと回復したアルウィンを背に乗せた。


 目線の高さは馬よりも少し高いくらいの位置だった。

 三人乗りをしても問題なさそうな広い背中に揺れると心地よい風が頬をくすぐっていた。

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