第21話 白仙狼

 白仙狼フェンリルはただじっと、オトゥリアとアルウィンの到着を待っていた。

 ゆっくりと起き上がる流麗な所作。それは、まさに王者の風格そのものであった。


 白い雪のような毛皮に、透き通った瑠璃色の爪。

 膨らみのある尻尾。

 ちょこんと生えている両耳の、毛の薄い部分はロードクロサイトのような色だ。

 神々しいその姿は、〝美〟というものを意識せずにはいられないほどの圧倒的な存在感を放っている。


 あの戦狂狼フレンジーウルフなどのオオカミ系統の種類が、歴戦の末に限界を突破した姿とされ、幾つもの群れを束ねる〝山間の王〟の異名もある。

 そんな存在だ。


 白仙狼フェンリルの体躯は、戦狂狼フレンジーウルフよりも一回り小ぶり……なはずなのだが、距離が遠いために何故か大きくも見える。


 しかし、機動力や持久力、戦闘能力など全ての能力が戦狂狼フレンジーウルフよりも遥かに上昇しており、上級冒険者でも対処が難しい。

 数人がかりで討伐することが一般的な魔獣だ。


 蒼白に揺らめくそれぞれの瞳に、アルウィンとオトゥリアの顔が反射する。


「ふぅっ………」


 鈴蘭の剣をじゃらんと引き抜いたオトゥリアは目視で間合いを計っていた。

 山間の覇者である白仙狼フェンリルであればほぼほぼ効果がないのだ。


 白仙狼フェンリルは、余程トラウマを植え付けられていない限り、人間に対して恐れの感情を抱かないためである。


 このような特徴を持つ生命が臆するものは、龍神、光明神、暗黒神……といった神々のみだ。


 オトゥリアは人間だ。天才的な剣の腕があっても、自然相手にはただの一人の人間でしかないのである。



 ───使役テイムを発動させるためには、体力を3割程度まで削る必要があるんだよなぁ……


 彼女は、ゆっくりと剣を構えていた。

 隣ではアルウィンも同様に臨戦態勢となっている。


 ───今回対峙している白仙狼フェンリルは、過去に討伐したそれよりも溢れ出る魔力の流れが大きいように感じる。


 かつて討伐したものというのは、王女ミルヒシュトラーセと東部の山間にある避暑地シュティレブルクへ向かう時の旅路だったはずだ。

 その時は、ここまで強大な魔力ではなかった。


 ───やっぱり、地脈の影響なのかな……それか、歴戦の個体?


 オトゥリアは一瞬、敵の強さの理由を探ろうとしたが、すぐに頭を冷やして正面を向いた。


 ───余計なことを考えたらだめ。取り敢えず、ある程度ダメージを与えないとね。


 剣を正面に構えたオトゥリアは腰を低く落とす。

 右足をずりっと後ろへ擦り、いつでも縮地で駆け出せる状況だ。

 アルウィンも彼女に合わせて、駆け出せるように構え直している。


 対する白仙狼フェンリルは尾を優雅に揺らし、まるで「どこからでもかかって来なよ、人間」とでも言いたげな表情を浮かべるのだった。


 ぎゅっと握った剣に、さらに握力を込めるオトゥリア。

 アルウィンはちらと彼女に目配せをする。


 それだけで、2人の連携は十分だった。


 彼女はそのままゆっくりと魔力を刀身に纏わせ、はぁぁぁっと腹に息を吸い込んでいく。


 同時に。

 アルウィンは縮地を発動させると───目にも止まらぬ速さで駆け抜けていくのだった。


「やってみせる。殿下のために、この迷宮攻略を終わらせる第一歩を!」


 オトゥリアは大きく目を開き、そして叫んでいた。


「奥義〝割天かってん〟ッ!!!」


 真上から振り下ろされた、力強い一撃が空を切った。

 圧倒的な破壊の力は空間をゴォォォォッと音を発しながら切り裂いていき、20ヤードほど先にいる白仙狼フェンリルの喉元へと飛んでいく。

 アルウィンは、その巨体の背後に回っていた。


 ウォォォォォォォン!!


 白い巨体は、吠えたかと思うと───流石は山の覇者だろうか。

 破壊力のあるオトゥリアの斬撃を、サイドステップで紙一重の所で躱しきると優雅に着地しようと前足をつけていたのである。


 その瞬間、タイミングを見計らっていたアルウィンは斬り込んでいた。


「シュネル流〝辻風〟!!」


 アルウィンから放たれた半月型の剣の軌道が、真っ直ぐに白仙狼フェンリルへと伸びていく。


 危機を感じたのか、白い巨体は即座に回避へと動いていた。

 そして、彼の剣が空を斬った途端に、鋭い後脚の爪で彼を牽制する。

 そんな中で。


「よし……!!今っ!!

 ヴィーゼル流ッ!!〝天吹あまぶき〟!!」


 横一文字に薙いだ鈴蘭の剣が、透明の魔力を陽光に反射させてきらりと光る。

 そして、オトゥリアの腕が華麗に弧を描き、輝く剣を3度振るったのだった。


 その3つの斬撃は、先程の〝割天〟よりも早いスピードで空間を引き裂き、アルウィンの剣を避けて着地したばかりの白仙狼フェンリルの前足に3発すべて炸裂する。


 ───よし!一応、成功かな。


 オトゥリアは心の中で静かにガッツポーズをとる。

 がしかし。

 白仙狼フェンリルは痛がる素振りを見せず、煩わしそうに斬撃が当たった箇所を眺めていたのだった。


 ───効いてなかった……!?


 熱い毛皮に斬撃は見事に防がれ、軽い切り傷程度にしかダメージを負わせられなかったのだ。

 傷口に構うことなく、今度はこっちだと言わんばかりに白仙狼フェンリルは吠えた。


 〝天吹〟は〝割天〟の基になった技である。

 それは、ヴィーゼル流の技の中で、〝魔力によって斬撃を飛ばす〟ための特殊な剣技のひとつ。

 その斬撃はあまり威力が高くなく、ただただスピードが早いだけというだけに過ぎない。


 しかし、剣士たちの戦闘においては〝天吹〟で相手への先手としての起点作りや、防がれる前に斬れるという利点が多くある。


 早いだけの技なので、人間相手でも骨までは断てず、魔力で守られているのならばカミソリに斬られた程度の威力にしかならない。

 しかし、防がねばそこそこの傷を負う上に、血管の浅い部分や目を狙われた場合は致命傷になり得る侮れない技だ。


 オトゥリアの〝天吹〟の威力は、彼女の血の滲むような研鑽があったために冰黒狼ダイアウルフならば一撃で首を刎ねることが出来るほど凄まじい練度となっている。


 その技を切り傷程度のダメージで受けた白仙狼フェンリルに、すっと息を深く吸い込んだオトゥリアは魔力を研ぎ澄ませた。


 ───この白仙狼フェンリル、前に私が討伐した個体よりも強力だ…!


 白仙狼フェンリルの毛皮は厚く、魔力を用いた攻撃への防御力が長けている。

 並の魔力攻撃は毛皮の魔素霧散効果によって威力を下げられてしまう上に、斬撃も弱められてしまうのだ。


 ルォォォォォォォォォォンと、2人の鼓膜に響く王者の声。

 オトゥリアの目線の先にいる白仙狼フェンリルの足下からは、蒼白い魔法陣が輝きを放っている。

 そしてその魔力の流れに合わせて白い毛が靡いていた。

 眩い光の先には、次々と形成される白い粒。

 そしてそれは段々と大きくなり、先端が尖った形に変化していた。


 氷の上級魔法、〝氷結散弾アイシクルショット〟だろうか。

 中級魔法の〝氷結弾アイシクルバレット〟を複数同時展開する技で、極度の集中力が求められる範囲殲滅型の技。

 この技は飛竜の翼膜を貫き、地に堕とすときに便利なため、氷魔術師ならば覚えておきたい技のひとつだ。


 息を深く吸い込んだオトゥリア。

 そしてその直後。

 手前側の氷塊の数個が突如、揺れた。


「くっ!!」


 オトゥリアは左前方に跳ねていた。勢いよく大地を蹴ったのだ。

 自分の居た位置を横目で見ると、すぐ後方に2のつ穴が穿たれている。


 ───何これ!こんな白仙狼フェンリル、初めてだよ……どうやら、最初に足を狙ってきてるよね。相当頭が切れる子みたいだなぁ……


 前方に着地したオトゥリアは、すぐさま右前方へと足を速める。回避で大きく回り込みながら斬り込みに行くつもりなのだろう。


 1秒にも満たぬ前にオトゥリアがいた場所で地を穿つ氷の弾丸。

 それは、一つづつ放たれてオトゥリアの足を狙っていく。

 〝氷結散弾アイシクルショット〟で作り上げた大量の氷塊を一度に全て打ち尽くすのではなく、1つづつ連射しているのだ。

 言うなれば、〝氷結連弾アイシクルマシンガン〟であろうか。

 1秒に3発ほど、どれも全てオトゥリアの足を撃ち抜こうと放たれたものである。


「はあっ……つああっ!!」


 オトゥリアは大きく右に進路をとり、弾丸を全て避けながら近付いていた。

 対する白仙狼フェンリルは、オトゥリアに距離を取られまいと後退しながら氷塊を放っている。


 防ごうと思えば、彼女は防ぐことが出来る腕前を持っている。

 魔力攻撃を斬り裂くヴィーゼル流の剣技も、跳ね返すトル=トゥーガ流の技も習得しているのだから。


 しかし、今回その防御技を使うのはあまり得策ではない。白仙狼フェンリルは撃ちながらアルウィンの斬撃を防ぐために後方へ移動している。





「はあああっ!!」


 アルウィンは、オトゥリアを狙って魔法を放つ白仙狼フェンリルに、矢継ぎ早に剣を放っていく。


 けれども。

 彼の剣は全てが見切られて、避けられていた。

 彼が縮地を使って迫る頃には、僅かに白仙狼フェンリルの位置が変化している。


 白仙狼フェンリルは、軽快なステップでアルウィンとオトゥリアの両方から上手いこと距離を取りながら、彼女へ魔法を撃ち続けていたのだ。

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