第20話 遺跡と山城跡

 第20層は、今までの洞窟エリアとは変わって雲ひとつない青空が広がっていた。


「時間はまだ巻いている訳だし、とりあえずキャンプ地まではゆっくり行こうね」


 ───屈託のないオトゥリアの笑顔が眩しいな。本物の空ではない擬似的な空の明るさに照らされたためなんだろう。


 アルウィンはゆっくりと頷き、目の前に広がる平原を眺めていた。


「そういえば……洞窟から変わって、20層は明るいよな。太陽が出ているわけじゃないのに」


「そうだね。この擬似的な空は地脈の影響ってことで片付けられてるんだけど……ここから29層までは遺跡と平原のエリアらしいよ」


「ほらっ!」と言ってオトゥリアが指差す方向には、苔むした柱が横たわっていた。

 そしてその奥に聳え立って見えるのが、山城跡と呼ばれる名所である。

 石垣や石塔の残骸が未だに侵入者を拒むように強固に張り巡らされており、その山の天辺を根城としているのが今回のお目当てである白仙狼フェンリルだ。


「あの山を支配しているのが白仙狼フェンリルみたいだよ!」


「じゃあ、あそこの天辺まで登らないといけないのか……」


 高所に恐怖心を抱いてしまうアルウィンは、オオイヌノフグリのような色の血管を浮かび上がらせてはぁと溜め息をつく。


「いわゆる山の守り神ってヤツだもんな……」


 とブツブツ呟いたアルウィンに、やれやれとオトゥリアは肩を竦めていた。


「そんなに高い所が怖いんなら、私ひとりで白仙狼フェンリル調伏テイムしてくるよ。

 アルウィンは休んでていいから」


 悪戯っぽく上がった片方の口角が見え隠れしている。

 楽しそうな彼女の視線がわざと下を見やり、そして気が付けばアルウィンを見返していた。


 ───オトゥリア……!!オレを揶揄おうとしているんだな。


 彼女の表情からそう推察した彼は、負けじと得意そうな表情になる。


「でもそしたら……オトゥリアが危ないだろ」


 お前が心配だと言いだけな視線をオトゥリアに向け、高所に臆しているという事実を隠そうとしたのだ。

 けれども。

 そんなアルウィンの心配を、彼女は呆気なく振り払うのだった。


「あのね、アルウィン。私は訓練中に白仙狼フェンリルをソロで討伐したことがあるんだ。

 だからあんまり難しく考えなくても大丈夫だよ」


 ドクンと、彼の心臓が震える。

 瞬間、彼の額には玉の汗が吹き出るのだった。


 ───オレを……必要としてないのか?


 ずっと追い求めてきたオトゥリアに、必要とされてないと言われたような気がした彼は表情を更に暗くするのだった。


「そうなのか……」


 それしか言えなかった。


「だから、アルウィン。今は私に任せてゆっくり休んでいいからね」


 彼は、何も言い返せなかった。


 ───結局、オレはオトゥリアに並べていない。それどころか、力不足だと思われているんだ。


 そう思ってしまうと、彼は自己嫌悪に陥っていくのだった。


 ───オトゥリアがオレを迷宮攻略に誘ったのも……オレを戦力として必要としていた訳じゃなくって、ただの心の支えとして欲しかっただけなんじゃないか?


 息はどんどんと荒くなっていった。

 そんな彼の状況に気が付いたのか、オトゥリアは振り返る。


「ねぇ。アルウィン……どうしたの?」


 彼を見つめるその表情は、まるで泣く直前かのように崩れてしまっていた。


「ねぇ……私、心配なんだよ。アルウィンのことが……」


 彼が拒絶されたように感じた、オトゥリアの言葉の意図。

 その正体とは。


「アルウィンが……高所恐怖症をずっと抱えているのに……無理させちゃいけないって思っちゃって」


 その言葉は、彼女の本心を如実に表していた。

 彼女は、心からアルウィンを慮ってたのだ。

 だからこそ、彼の苦手なことで無理させたくないと思い至ったのだ。


 けれども。


「それは……建前なんだろ」


 彼女へ向けられたアルウィンの目は燻んでいた。


「本音は……オレの実力が不足しているんだって、釣り合わないって……だからこそオレを危険から遠ざけたいって……思ってるんだろ」


 ゆっくりと告げられたアルウィンの言葉。

 それを聞いたオトゥリアはハッと息を呑んで、固まってしまっていた。


 ───無理させちゃいけないって言った私の発言が、アルウィンには辛い言葉として聞こえてたんだ。私は……ただ、アルウィンが苦手な高所だから、やらなくてもいいって言おうとしただけなのに。


 彼女は、ゆっくりと視線をアルウィンに合わせた。

 そして、徐々に彼の身体に近付いていきながら、手を大きく広げる。


「……ごめん!!」


 そう言いながら、オトゥリアはアルウィンを強く抱き締めていた。


「アルウィンは……全然力不足なんかじゃないよ……!!私が一番大好きな人。そんなアルウィンが……強くなってくれたのがずっと嬉しかったの!」


「……オトゥリア」


 オトゥリアに抱き締められると、何故か。

 次第にアルウィンの自己嫌悪は和らいで、心が暖かくなっていくのだった。


「オレ……力不足じゃ……ないんだよな?」


「うん……!!それに……何があっても、私はアルウィンの味方でいたいから」


 彼女は、至近距離でアルウィンに顔を向ける。

 彼の瞳に映った鏡写しの自身は、エメラルドグリーンに輝いていた。


「オレ……オトゥリアと一緒だからこそ、苦手なことも頑張りたいと思ってるんだ。だから……着いて行っても……いいか?」


 ゆっくりと、彼は言葉を紡いでいく。

 そんな彼に───オトゥリアはすぐさま口を開いた。


「うん……!!!!!」


 屈託のない笑顔は、アルウィンの心を溶かすには効果抜群だった。

 







 並んで歩いている間に、いつの間にか景色は変化していく。


 下から巻き上がる風に、オトゥリアは身を縮こめた。

 2人のいる場所は崖上になっており、眼下には元々谷地だったものが懇切丁寧に拓かれたように見える土地があった。


 区画が整理された、碁盤の目のような人工物。

 10棟ほど無機質で白い建物が並んでいる。


 ───オトゥリアからはキャンプ地と言われていたけど……どう見てもなにかの施設だ。

 まだログハウスとかだったらキャンプ施設と言われて納得が出来る。

 けど……この建物群は、自然と調和するようなキャンプ地とは明らかに違う。


「ここが騎士団のキャンプ地……なのか?」


 不審がったアルウィンは、オトゥリアにそう問うていた。


「そうだよ。キャンプって言っても、見ての通りこんな感じのがっしりした施設で、テントとかゲルを使うような簡易的なものじゃないんだけどね」


「キャンプじゃなくて、何かの拠点施設だろ。騎士団の訓練施設の方が適正じゃないか?」


「まぁ……実を言うとそうだね。

 今はオフシーズンだけど、ここ近辺の騎士団や公爵領の兵士とかが演習をしているらしいよ」


「ほら……やっぱりそうじゃん」


 アルウィンの呆れたような声。

 乾いた風が、2人の間を駆け抜ける。




 目的地である山城跡は、このキャンプ地の反対側だ。



「倒したことがあるのなら大丈夫かもだけど、無理に怪我はしたくないよな」


「そうだね。あの時私はどうだったんだっけな……でも、白仙狼フェンリルは魔法を使ってくるからちょっと厄介だよ」


「魔法を使ってくるのか……オレは避けに徹しないとだな」


 そう話し合うアルウィンとオトゥリアの進む方向は、山城跡への最短ルートである。

 木々の合間を縫うように進んでいった彼らは、魔力を少しばかり用いながら数分で山林を抜け、石垣の真下付近まで駆け上がっていた。


 あとはこの張り巡らされた石垣を抜けていくだけであるが、白仙狼フェンリルの領域に足を踏み入れたことを忘れてはならない。

 道中のどこで冰黒狼ダイアウルフ戦狂狼フレンジーウルフに襲撃を受けてもおかしくない場所にいるのだ。


 実力者であっても、待ち伏せされて不意を突かれればあっさりと死ぬことも有り得る。

 戦狂狼フレンジーウルフが身に纏う魔力を隠しながら出現することもあるのだ。

 用心に用心を重ねること。それに越したことはない。


 アルウィンとオトゥリアは鍛え抜かれた魔力感知を用いて、石垣の崩れた部分や低い部分にいるであろう魔獣の姿を確認しながら着実に前進していく。


 しかし。

 彼らの進路は狡猾な戦狂狼フレンジーウルフには容易に想像出来るものだった。


 慎重に進んでいく彼らの前方で、僅かに揺らめく魔力が感じられた。

 次いで、息遣いが微かに鼓膜を震わせる。


 途端に警戒の色を強めて、じゃりんと言う音と共に剣を抜いたアルウィンとオトゥリア。


 ───どのくらいいるのかな。気配的に5体かな。1体は間違いなくリーダーの戦狂狼フレンジーウルフだね。


「アルウィン。私が一瞬で終わらせるよ」


 彼女はアルウィンに目配せをし、剣を握る手に力を込めていた。

 そして、ゆっくりと剣へ魔力を注入し、殺気を込めた目をカッと見開く。


 と同時に、身体に纏った魔力を前方へ向けて衝撃波のように放出するのだった。


 ぐわんと、前方の森は震えていた。

 茂みは恐怖するかのように激しく蠢き、木々からはバサバサと慌てたように鳥が飛んでいく。


 威圧。


 それは、オトゥリアの持つ技能アーツのひとつだった。

 強烈な殺気を魔力によって増幅させ、敵の脳内に格の違いを強制的に刻み込んで戦意を喪失させる技である。


 シュネル流は魔力感知を得意とし、自身の剣技を予測されることを防ぐために殺気を徹底的に排除する。

 が、オトゥリアらエヴィゲゥルド騎士の開発した新流派はヴィーゼル流やトル=トゥーガ流を受け継ぎ、殺気を上手く用いるという特徴を持っていたのだ。


 キャイン!と茂みから声が響く。

 それは、戦狂狼フレンジーウルフの声によく似ていた。

 狡猾な性格の群れの長であるはずが、明らかにオトゥリアの威圧に臆した弱々しい声だった。


 オトゥリアには、夥しい程の戦闘経験がある。

 その経験で培われた殺気のコントロールは計り知れなかった。


 ───凄いな……オトゥリアは。

 技術を徹底的に身につけているんだ。


 彼女の解き放った殺気の凄さを横で見ていたアルウィンは、追いかけるべき背中が遠い存在だったのだと改めて実感していた。

 けれども。


 ───オレだって……殺気は扱わないけど……オトゥリアみたいな実力は身につけたい。負けたくない。


 彼の心中に渦巻くのは、烈火のような負けず嫌いの思いだった。



 彼女の威圧の効果があったのだろうか。

 山城跡をゆっくりと進んでいく彼らを、どのオオカミたちも襲わなかった。

 玉座で待つ白仙狼フェンリルのもとに着いたのは一時間もしないうちだった。

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