第23話 黒煙

 夕刻。

 人一倍剣を振ってきたアルウィンは帰路についていた。早く寝て、疲れきった身体を癒したい。

 剣聖オルブルにも話を振ってみたが、彼は何か知っていそうな顔をしたものの、アルウィンに一切を伝えることはなく初心に戻ってシュネル流の理念である〝朧霞おぼろがすみ〟の形を完全にするように命じるだけだった。


「今日の夕飯は何かな……?

 ビーフパイとかだったら嬉しいな。

 あっ、そういえば……ラルフが今日帰って来るから……豪華なメニューになるんだろうなぁ…」


 鶏と香草ハーブの蒸し焼きの匂いがアルウィンの鼻腔を刺激する。

 どこかの家の夕飯はそれらしい。

 この丘を超えたら家が視界に入ってくるという場所で、小石を蹴りながらアルウィンは丘を登っていく。


 だが、しかし。

 丘の上に到達したとき眼下に見えたのは、自分の家の場所から立ち昇る黒煙であった。


「えっ……!?」


 アルウィンは動揺しながら駆け出した。

 と同時に、脚に魔力を込める。

 魔力が尽きてぶっ倒れてもいい。


 ───早く家に戻らないと……もしかしたらみんなが!


 家が近付いてくるにつれ、徐々に家の周りがはっきりと見えてくるようになった。

 遠くに見えるのは、川から家まで1列になって、近所の人々が水の入った桶を運んでいるような姿。

 段々と漂ってくる鼻を刺すような煙の匂いに包まれ、アルウィンは必死に足を動かした。

 走って来るアルウィンに気がついた野次馬が何か声をあげるが、アルウィンの耳には一切届かない。


 鼻を包みたくなるような臭気。

 ただの火燃ひもしをした時の匂いとは明らかに違う。

 この臭気は、動物の皮を燃やす時に発するものに近いとアルウィンはすぐに気が付いていた。


 ───そうだとすれば……父さん、母さんは……!


 アルウィンは、頭の中に浮かんだ最悪のシナリオを否定したかった。


 ───助かっててくれ、父さんも母さんも野次馬の中に居てくれ。頼むよ!


 アルウィンは必死にそう願っていた。


 母のペトラは風、水、炎、氷属性の中級魔法が使える。魔法の練度は相当高いため、能力で言えば、上位冒険者にもなれるレベルなのだ。

 水を使った魔法は今まで何回か見せてもらっている。

 中級水魔法の〝瀑布ウォーターフォール〟さえあれば、あの程度の火事なんて一瞬で消せるのだ。


 ───母さんの魔法さえあれば、こんな火くらい簡単に消せるはずなのに、なんで火が消えないんだよ!


 アルウィンが走ったあとの道にいくつか小さな雫が落ちて染みていく。

 その雫は火の粉に焦がされ、じゅうっと音を立てていた。


 ゴオオッと音を立て、焔が天に昇った。


「父さん……!母さん!」


 ようやく家に辿り着いたアルウィンは、野次馬を押しのけて無理やり前へ進んだ。

 彼の名を誰かが読んでいる気がするが、その声は父アレクシオスや母ペトラのものとは異なっているので無視をする。


 彼は野次馬や消火作業をする人々をざっと見たが、その中に彼の両親を見つけることは終ぞ出来なかった。

 心臓は早鐘を打っている。

 シュネル流の鍛錬中も、帰り道も、長い間身体強化を発動していたせいで魔力もほぼ失せていた状態だ。

 いつ倒れてもおかしくは無さそうなアルウィンであったが、両親の危機という状況に、驚異的な精神力で燃え盛る炎の前に立っていた。


「おい……!母さん!!父さん!!」


 ゴオオオオッという轟音と共に柱が倒れ、まるで炙ったチーズが溶けるかのように屋根が崩れ落ちた。

 この距離ならば誰でもはっきりと解る。

 この異臭は、人間が焼けたときのものである、と。


 しかし、野次馬の誰もがそのことを口にしない。

 野次馬の皆がアレクシオスとペトラを好いていたために、察しはつくものの、現実と向き合えなかったのだ。


 アルウィンの顔は涙と鼻水、唾液でぐしゃぐしゃだった。


「なんで……ッ!母さん!魔法使えよ……!

 使える癖にッ…!なんで……ッ!なんで!」


 嗚咽する彼を、人々はただ見ることしか出来なかった。

 放たれる熱気は痛みを伴いながら、彼の身を蜂のように突き刺している。


 ───こんなに辛いなら…オレも……父さんや母さんと一緒に焼かれたい。


 彼はフラフラになりながらも、未だ勢いを緩めることが無い炎に一歩踏み入れた。

 靴底が炙られてジュッと音を立てる。


 ───誰かが叫んでいるけど…そんな事よりも。


 アルウィンはただ、前を見ていた。

 紅い壁、触れた途端に身体を焦がす壁だ。


 ───足の裏が暖かいなぁ…


 アルウィンはもう一歩、燃え盛る光のなかに進む。

 彼の顔から滴る液体が炎の渦に落ちて焦がされ、更にジュジュッと音を立てる。


 その瞬間、小さな影が動いた。


「アルウィン様っ!何をなさってるんですか!」


 小さいが筋肉質の腕が、飛び込もうとしたアルウィンの二の腕を後ろからぐいっと掴んだのだ。


「ッ!?」


「痛みは我慢してくださいね…ッ!」


「っあ……!やめろ!」


 小さな腕の主は、凄まじい力で後方へとアルウィンを投げ飛ばすのだった。

 アルウィンは地面に叩きつけられて、まるで潰されたカエルのようにぐえっと呻き声をあげる。


「アルウィン様!なぜ飛び込んだのですか!」


「……!!

 ラルフ……なんの真似だ…!」


 ラルフと呼ばれた小さい影がアルウィンを叱責する。

 4フィート程の体躯と尖った耳。

 炎に照らされて、緑色の皮膚が顕になる。

 その特徴から解るように、ラルフはゴブリン族の男であった。

 ラルフはアルウィンに駆け寄り、優しく抱き寄せてアルウィンの涙でぐしゃぐしゃになった顔を心配と愛おしさの入り交じった目線で眺めている。


「アルウィン様。あなたにはまだ何十年もあるのです……旦那様と奥様を亡くし、お辛いのは私も同じです」


「じゃあ……なんでオレを助けたんだよ…!」


「あなたは…いえ、あなた方は私を『家族』だと仰ってくださいましたよね。覚えていますか…?」


「ううっ……そう…だったね」


 ラルフは続ける。


「ご両親が亡くなられても……『家族』はここにもいます。私はあなたが産まれる前から、ここの『家族』の一員なのです。

 ご両親は……アルウィン様に生きて欲しいと思っておられる筈ですよ」


「…………!!」


 ラルフは優しくアルウィンの手を握った。

 その手の温もりに、アルウィンの目頭はさらに熱を帯びる。


 ───そうだ。生きないと。


 アルウィンは、息を深く吸い込んでいた。

 ラルフは、シワだらけの腕でアルウィンを支えている。

 その瞳には、燃える我が家が映っていた。







 近隣の方の消火活動もあってか、だんだんと火の勢いは弱まっていった。

 最後まで残っていた家の柱が、ゴォォォォォという音と共に、溶けたバターのように崩れ落ちてアルウィンの頭を目掛けて倒れ込んでくる。


「……!」


 感情がいっぱいいっぱいで、魔力もすっかり空のアルウィンはその柱に気がついたものの、身体が動かないために避けられそうにない。

 柱が崩れ、傾いて倒れるまでの時の流れがスローモーションのようにとても長く感じられた。


 ───待ってよ、死にたくない!ラルフに生きろって言われたのに!


 引き攣ったアルウィン。


 ───そうだ。本当は、死にたくないのだ。


 野次馬の絶叫が、アルウィンとラルフの耳を劈く。

 そんな時。

 不意に、空気が凍りついた。

 そして、シュパッと風を切るような軽い音がアルウィンの鼓膜に響くのだった。


 ───えっ。


 アルウィンが目を開ける。

 すると、真二つに切り落とされた黒炭の柱と、佇む大きな背中が見えた。


「アルウィン。お前が死んだら、二度とオトゥリアに会えなくなるだろう?

 それでもいいのか?あいつはきっと泣くぞ」


 辺りが一瞬でピンと張り詰めて静まり返るほど、声の主は緊張感を放っている。

 声の主は足音ひとつ無くアルウィンのもとへ歩んでいった。


「…………師範」


 アルウィンは気配から相手が誰であるか察すると、まだ力のあまり入らない身体をどうにか持ち上げて声に応えた。

 ラルフは起き上がったアルウィンからそっと離れる。


「アルウィン。

 貴様の剣を振る目的は何だったのか、もう一度問いたい」


 オルブルは背中でアルウィンに問うた。

 その声は、なぜだか震えていた。

 威厳があるいつもの師範の声と、なぜか感情が込み上げていそうな今の師範の声のギャップに、遥か高みの存在であったオルブルがこの夜だけは身近な存在に思えた。


「ッそれは……オトゥリアに再会するため…です!」


 その言葉を聞いて、満足そうにオルブルは振り返る。


「ならば……せいぜい身の研鑽に励むことだ。明日も早いぞ。

 縮地で帰ってもバテないように扱いてやる」


 オルブルのその目は大粒の涙を抱え、川のような一筋の流れを頬に形作っていた。

 オルブルにも、アルウィンの両親2人が大切な存在だったのだ。


 しかし、そんな様子は背後の炎の明るさに掻き消され、アルウィンには見えていない。

 アルウィンは腕で涙を擦りとると、去っていく師に「……はい!」とだけ返すのだった。


「オトゥリア様に、絶対に再会してくださいね。

 私のご主人様は絶対に大きくなる男なんですから」


「ラルフ……もし君が女だったら、オレはこの時点で惚れちゃったかもな。君が男でよかったよ」


「今日からあなたは『坊ちゃん』ではなく『ご主人様』ですからね。辛い時は私が第二の親となりましょう。

 ですので……絶対に栄光の瞬間を掴んでください」


 アルウィンはラルフを思い切り抱きしめた。



 2時間後には火が完全に消火された。

 アルウィンはその瞬間を、ラルフと共に遠くで見ていた。


 アルウィンの両親は遺体となって発見された。

 しかし……遺体は両親の2体だけではなかったようである。

 どうやら、母の腹にいた新たな生命も豪炎は奪ったようだったのだ。


 しかし、アルウィンが、実は下のきょうだいが生まれる筈だったことを知るのは何年も後になってのこと。


 アルウィンは、焼けた家の跡地に新たに簡素な小屋を建て、そこでラルフと暮らすことにした。

 王都に行くための資金も、貯金と称して埋めていた30ルピナスを除いて残りは全て炎の渦に呑まれ、家財もほぼ全てが使い物にならなくなっていた。


 人々は、アルウィンの母ペトラがなぜ魔法で炎を消せなかったのか全くもって解らなかった。

 最初は他殺が疑われたが、ペトラとアレクシオスの2人及び胎児に外傷はなかったし、魔力の痕跡は炎にかき消されていたため発見できず終い。

 そのため、他に魔法を操れる人物がすぐに疑われてしまった。


 村のなかで魔法を操れる人は村に沢山いたが、怪しい人物などは誰も目撃されておらず、アレクシオスとペトラの2人と関係が悪い人は誰一人としていなかったために困難を極めた。


 最初は村人たちはみな躍起になって犯人探しをしたが、一週間程度で彼らの熱は冷め、次第に誰も話題にしなくなったのであった。



_____________________


お疲れ様です!井熊蒼斗です。


19時台投稿にチャレンジしようとしてみたものの、思ったほど伸びませんでした。

ですので、元に戻して明日からは今まで通り8:10から毎朝投稿致します!


急に予定を変更し、申し訳ございませんでした。

これからも、「戦火は金色の追憶と白銀の剣のうちに」をよろしくお願いいたします!

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