第22話 苗字

 彼の本名は、アルウィン=ユスティニア。ズィーア村の村長むらおさは彼の伯父にあたる人物だった。


 エヴィゲゥルド王国、およびその他の国であっても、都市部に住む人や騎士階級、または豪商の家系を除いた庶民で家名を持つ者は極めて少ないという特徴がある。


 別に苗字を使うことを法令やら何やらで制限されているといったことは一切ない。

 社会が閉鎖された数百人単位の村であるために、わざわざ姓で識別しなくても相手がどこの誰であるかがハッキリとわかったため、そもそも苗字を名乗る必要がなかったのである。


 しかし、ズィーア村は少々それとは違っていた。

 ズィーア村の人口は300人程度の僻地の村であるのにも関わらず、4割近くの住民は苗字を持っているという異例の村だったのだ。


 アルウィンは、ギルドに登録して村から出るまで自分の村が異例であるという事実を知らなかった。

 いざ冒険者ギルドに入ってみると、九分九厘、他の冒険者に名前がなかった。あるのは〝閃光〟の何某、〝紅聖〟の誰々……など、優秀な冒険者にのみつけられた2つ名ぐらいなのである。

 何故、自分たちに苗字があるのか。

 アルウィンは気になって仕方がなかった。







「ねぇ、父さん。オレたちには、『ユスティニア』っていう苗字があるじゃん?」


 もう時期で小麦の収穫の季節が始まるというある日。

 不意に、アルウィンは父アレクシオスに問うていた。


「……あるな。それがどうしたんだ?」


「オトゥリアの家には苗字ないけどさ、斜向かいのお家はクセナキスって苗字だし、祭礼の広場のところにはメルクーリのおじさん、おばさんがいるじゃん?」


「うん。いるな」


「あと、いつも剣を教えてくれるベルラント爺とかもゲクランって苗字があるし……

 うちの村、苗字ある人がそこそこいるけど、隣町には全然いないんだよ!?なんで??」


 好奇心旺盛なアルウィンは、首を傾げる。

 相対する父アレクシオスは困ったような表情ですこし悩んだ後に「私もあんまり知らないんだが……まぁ少しは話してやろうか」と言ってアルウィンを膝の上に招き入れた。


「アルウィン。まずベルラント爺はな、ゴブリン族だ。ゴブリン族と人間は文化的に少し違うから、あんまり私達のそれとは関係がない。

 で、本題なんだが……ユスティニア家はな、まぁ……隣の国の家系なんだよ」


 と真面目な面持ちで続けたアレクシオス。

 アルウィンは父の厚みのある胸に寄りかかり、安心しきった表情で目を細める。


「ヴァルク王国、その国について何度も教えているだろう?」


 察しのいいアルウィンは、その質問だけで気がついたようだった。

 ヴァルク王国。それは、ズィーア村の東端にある険しい山脈を越えた先の平原地帯を支配する国だ。

 大陸南部唯一の人間族による龍神信仰国で、龍神信仰という点ではズィーア村とも一致している。


 鉄の海と呼ばれる内海を全て囲う国であり、北では龍人族の領域、東では小国地帯、南は土人族ドワーフの領域、アレジーナ共和国、南西をエヴィゲゥルド王国、そして西部の大部分を魔物の森と接している国である。

 首都はソフィアポリスという名前で、その都市は鉄の海と南側諸国の多くが面している橄欖オリーブの海とを繋ぐ商船貿易で栄えていると、アルウィンは教わっていた。


「うん……。えっと、てことは……そのヴァルク王国がオレたちの家系の出身地なんだね」


 父アレクシオスの瞳には、アルウィンへの深い愛情と切実な思いが混じり合っているように見えた。薄く開いた口は僅かに動くけれども、言葉は出て来なかった。

 やがてぎこちなく閉ざされる唇にアルウィンは「どうしたの?」と問うものの、玉の汗を浮かべたアレクシオスの表情は固い。

 けれども、息子に応えなければという想い故に、震えるような吐息は声帯を鳴らしていた。


「お前の言う通り、ヴァルク王国の家系……ってことになるけれどな……

 だけどごめんな、アルウィン。私は先祖については……詳しく知らないんだ」


「えっ…そうなの?」


 無邪気な視線に、アレクシオスの胸はちくりと痛む。


「父さんのおじいちゃん、アルウィンにとってはひいおじいちゃんになるんだが、嘗て、政争……つまり、政治の権力をめぐる争いがあったんだ。

 その政争に負けて、臣下の者を数名引き連れて……60年ほど前にシュネル流の剣聖を頼りにこの村に逃げ込んだらしい……

 ということは祖父から聞いたんだけれどな。

 多分、うちは貴族かなんかの家系だと思うぞ。

 だけど……祖父があまり話したくなかったみたいで詳しくは教わっていないんだ」


 アレクシオスはすまなそうに子へ眼差しを向ける。

 しかし、その目線はぶれていて、時折どこか遠くを見つめているようにも見えた。

 アレクシオスの手が一瞬だけ震えたのを、息子であるアルウィンは気付かない。


「お父さんでもあんまり知らないんだね。じゃあ村長さんはどうなのかな?もっと知ってる?」


「兄貴もあんまり知らないはずだ。

 祖父は……私の父にもずっと黙っていたようだからな」


 そうだったんだねとアルウィンが頷く。

 アルウィンには、父アレクシオスの含みのある表情が見えていない。


「ってことは、うちのご先祖さまは貴族で、臣下の者を連れてきたって事は、ほかの苗字がある人たちはご先祖さまと一緒に来た人たちなんだね」


「そういうことになるだろうが……悲しいかな、私の祖父がここに来た頃を知る人物はもう居ないんだ。もうだいたい60年も前だからな」


 ため息混じりでそう伝える父に、アルウィンは「そう……なんだね」と相槌を打つことしかできなかった。

 アルウィンは、苗字の理由を詳しく知れず、誰も知らないということで探求の欲求が満たされなかったために内心不満であった。

 父も村長も知らないとなると、不満をぶつけても意味が無いことは用意に解る。


 ───いや、もしかしたら。

 シュネル流の剣聖を頼ってご先祖さまがやって来たのなら、師範は何か知っているかもしれない。


 そう考えたアルウィンは、早く道場に行きたいという衝動に駆られていた。


「アルウィン。おまえの質問に対しては、確り答えられなかったがこれで大丈夫か?」


「うん。ありがとう父さん。よくわかったよ」


 そう言った途端に、アルウィンはパンを口に押し込み、コーンスープを流して飲み込んだ。

 あまり聞いていなかったのだろう。生返事であることはアレクシオスにも解っていた。

 けれどもアレクシオスは、眉間に皺を寄せて口を開く。


「おいこらっ、アルウィン。食べ方が汚いぞ」


 彼はそう叱責するが、アルウィンは気にもとめない。


「そんなのどーでもいいだろ!一番乗りしたいんだ!」


 爆速で平らげた皿を台所へ運ぶと、アルウィンは光のような速さで道場へと駆け出していった。

 そんな息子を見て、母ペトラと同時に溜め息をつくアレクシオス。


「あーあ、またか……」


 アレクシオスは頭を悩ませて、徐々に小さくなっていく息子を見送った。

 ドアを閉めると、アレクシオスは静かに息を吐き出した。

 彼の顔に浮かぶ表情はどこか緊張感を帯びていたが、その瞬間はすぐに消え、いつもの冷静な姿に戻ったのであった。




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お疲れ様です!作者の井熊蒼斗です!

初陣、終了しました!

これよりしばらくは戦のない、色々なキャラクターとの出会いと別れがメインのシーンが続きます!

お楽しみに!


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