第13話 合流

 怒りで顔を歪めた賊軍の騎士の形相は、絵本で読んだ龍種のような嚇怒だった。

 アルウィンは息を吸い込みながら颯爽と馬から飛び降り、そして軽く腰を落として身構える。


 ───あいつが持っている長柄の戦斧は馬上前提の武器だ。槍とは違って重いし、小回りが利かない。筋力は馬鹿げているけど……いける。


「俺の名はレフェリラウス。そこのガキ!テメェを殺す男だ。その名を覚えて死ぬといい!」


 既に駆け出していたアルウィンはその名乗りに応えようか迷ったが、一瞬の躊躇いの後にそれを排除する。


 ───名乗っている時間なんてない。道草を食ってしまっているんだ。早く戻らないと。


 アルウィンの瞳はカッと開かれ、エメラルドグリーンの光が煌めいた。

 互いに縮地を発動させ、レフェリラウスの身体も風のように加速する。


「死ねェェェェッ!!」


 レフェリラウスはアルウィンの逃げ場を塞ごうと水平に薙ぎ払う。

 びゅんと大きな低い音が、強風を発生させながら周囲に響いていた。

 けれども。

 レフェリラウスの魔力の流れを見ていたアルウィンは綺麗な起動を描きながら前方に回転しつつ跳び、それを綺麗に回避していたのだった。


「ちょこまかと小賢しいッ!」


「今度も隙を突ける!」


 前方向へ跳んでいたアルウィンは身体を空中で捻り、軽快なステップで薙ぎ払いを回避。

 そして右足だけで着地すると、それを支点に遠心力を使って左前へ跳んだ。

 レフェリラウスに接近した途端、右に構えた剣で身体を捻りながら一閃。

 シュネル流の〝辻風〟だ。


 しかし。

 その一振りは、敵の肩口に浅い傷を付けるだけに留まっていた。

 けれども。

 肩を守る防具は思いの外薄いのか、アルウィンの柔を意識した剣によってバターのように容易く断ち斬られている。

 身体に走った痛みに、渋い顔をするレフェリラウス。

 だが、彼の瞳に映る怒りの色は焦ることなく、寧ろ豪炎のように燃え盛っていたのだった。


「チッ、ハエのように素早いガキだな。

 臆したと思ったら血相変えて飛び込んできやがって」


 途端。

 レフェリラウスが後ろに構えた戦斧が、勢いよくアルウィンの眼前に飛び出していた。

 彼の圧倒的な三角筋が持つ筋力に由来するのだろう。

 レフェリラウスは、空中で前転をしながら己が武器を振り下ろしていたのだった。

 アルウィンに振り抜かれる、レフェリラウスのトリッキーな一撃。今度は左上からの振り下ろしだ。

 空気がその重さにビュッと低く震える。

 けれども。


 ───見え見えだよ。


 魔力感知でレフェリラウスの魔力の流れを見ていたアルウィンにその軌道は容易に予測できたもの。


 ───今度こそ仕留めなきゃ。合流が遅れる。


 アルウィンは縮地で1フィート前方へ踏み出して、またもや相手の間合いの内側に侵入した。

 そして、身をかがめながら跳んでいるレフェリラウスの股下を潜り抜ける。

 次いで、足にありったけの魔力を込め、瞬時に地を蹴り上げてバックステップ。

 彼はレフェリラウスと同じ方向へ跳んでいた。


 魔力を込めれば込めるほど、バネに負荷をかけることと同じように跳ぶ距離や速さの値は大きくなる。

 アルウィンがレフェリラウスの背面を捉えたのは、バックステップの後、1秒にすら満たない時間だった。


「シュネル流、〝凪風なぎかぜ〟」


 空中で身体を捻り、アルウィンはボソリと呟いていた。

 その途端。

 音もなくレフェリラウスの首から吹き上がる、赤い噴水。

 レフェリラウスは、突如迫ったアルウィンの動きを認識すら出来ていなかったのだ。

 レフェリラウスの視界は、前転跳びハンドスプリングでも行った時のような、ぐわんと縦に一回転する景色が広がっていた。


 返り血は、アルウィンの頬や腕にべとりと重苦しく付着していた。

 地面に転がっていたのは、未だに目の焦点が定まっている首だ。

 自分が斬られたことを、胴体と首が分離してから漸く気が付いたのだろう。

 何かをアルウィンに伝えようと動く唇。

 けれども、肺と物理的に繋がっていないためにその口にもう空気が流れることは無い。


 転がった首を見たその時。

 アルウィンの中にあったのは、自分は人を殺したのだという、重く伸し掛る重圧があった。

 これから王国騎士団を目指す彼にとっても、シュネル流を極めるにも、人を殺めるという行為は呪いのように彼に着いて回るものである。


 ───冷静になれ。オレはこの後も人を殺すんだ。


 息をふうっと時間をかけて吐き、目の前のレフェリラウスの亡骸を見た。

 気分は、先程よりも悪くはならなかった。

 寧ろ、より思考は冷静になれたような気もする。


 彼がその時考えたのはもう1つあった。

 それは、早く仲間に合流しないとという責任感だった。

 アルウィンは仲間のいる方向へ目を向ける。

 中央に向かう冒険者の数は減り、このままでは隠れ蓑が上手くいかない。

 どこかで城の見張りに見つかってしまえば、こちらの作戦は筒抜けとなってしまうのだ。

 視界に写ったのは、レフェリラウスが落馬した時に外れた彼の兜。

 ならば。


 ───レフェリラウスの装備を借りて合流しよう。


 彼はすぐさま頭のサイズが合わない兜をがぽっと被った。激しく動けば落ちるかもしれないが、乗馬程度では落ちないだろう。

 鎧はサイズが合わなかったので、レフェリラウスのマントを身体に巻き付け、残りはマントの余ったところに包み込んでいた。

 遠目で見れば、アルウィンの姿はレフェリラウスと遜色がないレベルにまで偽装できている……はずだ。


 すぐさま、アルウィンは馬にひょいと乗り、蹄が大地を蹴りあげる。

 馬は敵騎馬を討ち取ったことの高揚感に浸っているのか、足取りはかなり軽い。

 アルウィンとレフェリラウスの先頭でロスした時間は2分弱だが、それを1分程は返せそうなスピードで駆け抜けているのだ。


 ───急がないと。この作戦はオレにかかっているのに。


 アルウィンは更に馬を加速させた。




 ………………

 …………

 ……




 アルウィンが仲間のところに到着したのはレフェリラウスとの戦闘のおおよそ2分後であった。

 タイムロスは30秒程にまで短縮されたものの、困ったトラブルを引き起こしてしまっていた。


 それは、今から1分程前のこと。

 アルウィンの到着を待つ5人は、それぞれ物陰に潜伏しながら待っていたのだが……テオドールの視界に入った馬に乗る人物は、大きな兜とマントの人物だった。


 ───俺たち、敵に見つかったんだ……


 マントにべっとりと付着していた血潮。

 それはレフェリラウスのもので、中にいるのはアルウィンなのだが、テオドールの脳裏に過ぎったのは最悪の事態である。


 ───くそっ、遅れていたアルウィンが討たれたのか!


 アルウィンは幼いが、それでもオトゥリアの影を追っているために過去最高レベルに上達速度の早い剣士の1人に数えられている優秀な剣士なのだ。

 圧倒的だったオトゥリアに比べてしまうとアルウィンの実力は劣ってしまうが、互いに高めあっていたために、非凡という言葉で表すには物足りないほどの剣術を有している。


 ───アルウィンが殺られたってことは……俺だって苦戦……若しくは死ぬかもしれない敵だって事だろ……


 テオドールが紛れ込んでいる茂みから落ちる、一筋の湿った光。

 しかし。

 そのテオドールの冷や汗と張り詰めた緊張は、一瞬のうちに崩壊したのだった。


「あら、アルウィン。なかなか格好のいい兜とマントね」


 茂みから出てきたルクサンドラがマントの人物に声をかける。


 ───あ、アルウィン!?


 そのマントの男のことをアルウィンと呼んだルクサンドラを見て、口をあんぐりと開けるしか無かったテオドール。

 魔力感知を発動させると、確かに。

 身体にある魔力回路は、シュネル流のもので間違いない。そして鎧の中の肉体も鎧にピッタリと合う大きさではなく小さかった。


 ───良かった、アルウィンだ。


「よぉ、アルウィン。なかなか来ないから心配したぜ。この装備はとりあえず置いておくとして、よく戻ってきてくれたね」


 レリウスはアルウィンの肩に手をかけると、優しく抱き締めていた。


「よせよ、レリウス兄」


 アルウィンはやや照れくさそうな声で左手でレリウスを突き飛ばし、オーバーサイズだった甲冑を脱ぎ捨てる。

 レリウスはアルウィンよりも6歳上の剣士で、アルウィンとオトゥリアの兄代わりだった人物だ。

 ルクサンドラ、レリウス、アルウィン、そしてオトゥリア。その4人とあともう1人の誰かと遊んだ記憶は皆の中に残っている。


「敵に見つかったんだ。一騎だけだけど、討ち取ってこっちまで来た。これが討ち取った男の装備」


 アルウィンは何かに使えると思い、レフェリラウスの甲冑を体に巻き付けたマントに包み込んでいたのである。

 そのレフェリラウスの体躯は、テオドールとほぼ同じだった。

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