第86話
教会で大導師を追い詰めた俺たちは、神の力を操る教導庁のヘンケル庁官らと戦い、退けることができたが、倒した大導師が最期に魔王を召喚すると言い残した。
崩れた神像の前に黒い霧が立ち込め、やがて像を結び、一つの影にかたちをとる。おかしいな。あのシルエット、確かに見覚えがある。
「ビットーリオ!どうしたんだ?なんでビットーリオがここに?俺たちを助けにきたんだよな?魔王ってお前、なんの冗談だよ。何か言ってくれよ」
「俺にも分からないが、急にここに呼ばれたんだ。だけど言っていただろう、俺は魔王だと」
ビットーリオが静かに語りはじめる。
「もうはるか昔の話だが、俺は初代勇者のひとりだったんだ。本名は
トライシオーナへの信仰心が集まるほどに、俺の破壊衝動が高まり、何度か魔王として顕現しては討伐された。そのたびに愛したものへ抑えきれない破壊衝動が生まれるようになり、俺はすべてのものを遠ざけたのさ。今代の俺は、入れこまない程度に迫害された種族を保護したりして、トライシオーナに対抗していたんだが、お前たちが来てからというもの、毎日が楽しくてな。ついうっかりみんなのことが大好きになってしまったんだなあ。
お前たちと過ごした日々は、刺激的でとても楽しかった。俺はいずれまた復活することになるが、みんなが生きている間にまみえることはないだろう。衝動を抑えることができなくなってきているから、手加減したりはできないが、海老津、毎日あれだけ鍛錬を続けたお前なら、きっと俺を倒せるさ。さあ、魔王を倒して世界に平和をもたらしてくれ」
「嫌だよビットーリオ!お前を倒す以外のハッピーエンドはないのかよ」
「海老津、残念だが俺にはもう目の前の相手を倒すか倒されるかしかないんだ。さあ、剣をかまえろ。これが本番だ。今までお前が積み上げた鍛錬の成果を見せてくれ」
ビットーリオが剣をかまえる。香椎とアンナには、巻き込まれないよう少し後ろに下がってもらう。いつもの鍛錬と同じかまえだが、そこには確かな殺気が宿っている。訓練の時と同じように、ビットーリオが先にしかける。剣の軌道は普段とまったく同じだが、衝動に支配されているせいか、そこには普段の工夫や意図がまったくない。数合打ち合って俺の刀がビットーリオの胸を浅くとらえ、シャツがはらりと切れた。間合いを取り直す。
「いつものビットーリオの方がずっと強いじゃないかよ。これが最後だというのなら、なんでもっと打ってこないんだよ。俺にわざと倒されようとしてるのか?」
「衝動のせいで前に出たがってしまうのもあるが、そうじゃない。お前が強くなったんだよ、海老津。もうとっくに俺の腕前なんて、今代の勇者に抜かれてしまっていたのさ。ああ、もう話をすることさえ辛くなってきた…」
シャツの合間から胸元に現れた魔法陣が金色に光るのが見えると同時に、ビットーリオの角がひねりを加えながら伸びた。どこからか細くたなびく黒いモヤが、ビットーリオに向かって伸びている。
魔獣のような咆哮をあげ、ビットーリオが上段から剣を振り下ろす。上段、上段、フェイントのあと中段の払い。いつもの訓練で見せる動きそのままだ。
「それなら次は引いてからの突きだったな!」
誘い出されたように踏みだしているが、突きを躱すための余裕を残していた俺は、ビットーリオの突きとすれ違うように逆袈裟に刀を振りぬく。ビットーリオを通り抜けたことが信じられないほどに抵抗なく、刃が空中に煌めいた。
勝負がついたことを察した香椎とアンナが駆け寄ってくる。アンナはディーノさんの杖を掲げ、長い祝詞を唱えてビットーリオに癒しの祝福を与えるが、回復の
「アンナ、ありがとう。俺の呪いは祝福の効果を打ち消してしまうんだ。今代の魔王はここまでだ。また、どこかで会えるといいな」
「またビットーリオが魔王として復活するなんて嫌だよ。そんな因果、俺が断ち切ってやる!俺の爪切りに切れないものなんてないんだよ」
俺は黒いモヤに向かって爪切りを発動する。実体がないかに見えたモヤだったが、パチンッと小気味よい音をたてて、爪切りの刃が嚙み合わさった。何かを断ち切った、確かな手ごたえを感じた。
「…驚いたな。本当に破壊神の呪いを絶ち切ったのか?胸に渦巻く衝動が消えたよ。ああ、最高の気分だ!俺を呪いから救っただけじゃなく、魔王という手駒を失ったことで、トライシオーナ神の企みさえ潰してしまったんだよ。海老津、お前はこの世界を永劫の呪いから救った本当の勇者だ」
ビットーリオは笑って目を瞑ると、足先から砂のようにサラサラと姿が消えていく。
「破壊神の呪いから解放されたんだろ?ダメだよ。行くなよ!」
「はっはっは。俺の魂は、呪いで無理やりつなぎ止められていただけだったからな。その縁から解放された今、俺もこの世の理の中に戻るだけさ。海老津、なにも心配することはない。アンナもありがとう。癒しの祝福がこんなに暖かいものだったと、最期に思い出せたよ」
なおもアンナはビットーリオに癒しの祝福を与えるが、もはや効果がないことは誰の目にも明らかだった。俺はビットーリオの手を握り締める。やがてその手も消え、すべてが消え去った。
「みんなに何て言えばいいんだよ…。魔王ビットーリオを倒した俺が勇者だって?世界の平和の中にお前だけがいないなんてさ」
頬をつたって流れた涙が、俺の拳に落ちた。
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