第8話

けたたましい起床ラッパの音が外の廊下に鳴り響く。兵舎の朝は早い。

寝ぼけまなこをこすりながら廊下に出ると、すでに兵士たちは身支度や朝食に出た後のようで、廊下にボケっとつっ立ているのは俺たち3人だけだ。


「軍隊ってすごいねんな。俺こんなとこよう居いひんわ」

「ああ、毎日これだと参ってしまうな。落ち着いたら街のほうに家を借りるか宿を取るかしよう」

「…そうだね、朝はもう少し寝ていたいよ」


自堕落とまではいわないが、大学生のダレた生活に親しんだ俺たちには、軍隊の生活は刺激が過ぎる。ノロノロと朝の準備を済ませ、新品の匂いがする訓練服に着替えて食堂へ向かった。


「…そういえば、寝る前に『ステータスオープン』を試してみたけど、何も起こらなかったよ」

残念そうに古賀君が教えてくれる。

「せやねん、俺もいろいろ試してんけどな。残念やわぁ」

さすが二人はラノベエリートだ。眠気に負けてこんなお約束を逃すとは、業界の風上にもおけない。自分自身の不甲斐なさに心がモヤモヤする。


「ステータスオープン!」

「なんで今やねん!」


遅ればせながら定番の回収を試みたが、香椎の厳しいツッコミを受けた。

7割がたテーブルの埋まった食堂で、冷たいハーブティ、スパイシーなひき肉の詰まったもっちりとした揚げパン、ゆで卵とリンゴの朝食を取る。パンのもちもちとした食感を楽しんでいると、潮が引くように人が去り、食堂には俺たちだけが取り残されていた。やっぱり俺たちに軍隊は向いていない。


訓練に向かう人並みに逆らって部屋に戻り、手早く準備を済ませた俺たちは、昨日の予定通り魔法局へ向かう。昨日はアルに連れられて顔パスだったが、今日はきちんと受付で入門許可証を得る。魔法局までの行き方はまだ覚えていないので、迎えをよこすようお願いした。自慢じゃないが、俺は一度で道順を覚えたりするタイプではないのだ。


ややあって、局長自ら受付まで迎えに来てくれた。何度か角を曲がり、例の薄暗い廊下を通り過ぎて魔法局に到着すると、昨日よりも少し大きめの会議室に通される。


「昨日の今日ですみません。それぞれのジョブやスキルのことで、質問や相談があっておじゃましました」


いっそう濃くなった目の下のクマが気の毒で、思わず謝ってしまう。もしかして昨日もあまり寝ていないのではないだろうか。


「いやいや、こちらこそ昨日は検証が途中になってしまって申し訳なかった。では、検証の続きを行ないながら、皆さんのジョブやスキルについてもお伺いしましょう」


そう言いながらいそいそと靴を脱ごうとする局長を止め、昨晩浴場で試した検証をかいつまんで説明する。再びの実演を楽しみにしていた局長はやや残念そうだった。


「お話を聞く限り、爪切りのスキルがかなり魔力効率が良いか、海老津殿の魔力量が多いかのどちらかですな。そのように乱発できるスキルはこれまで前例がないように思います。影響範囲や起きる事象から考えるに、前者の可能性が高いですね」


今度はこちらが残念だ。『なんだあの莫大な魔力量は!空間が歪んで見えるぞ』と敵から言われたかったよ。


俺のスキル検証はあらかた終わったので、今度は忍者について話を聞く。先代の忍者は土遁の術や水蜘蛛、変わり身など俺たちにお馴染みの術を使ったことが知られている。


「そういえば自分、あの『ニン!』ってかけ声はなんやねん。安直すぎるやろ」


香椎が団長戦での、捻りのないかけ声を思い出してツッコミを入れる。


「…本当は九字を切ろうと思ってたんだけど、団長を前にしたらすごく怖くてそれどころじゃなかったのと、緊張して九字をど忘れしてしまって…」


「自分で団長を指名しといて怖いってなんやねん。ほんで九字って『仁・義・礼・智・忠・信・孝・悌』やろ?あれ、一文字足らんわ」


「そりゃ八犬伝だ。でも九字を切ってる間だって隙になるし、発動が早いならそれに越したことはないんじゃないか」


「おっしゃる通りですな。先代の忍者は発動条件で『忍法、〇〇の術!』と叫ぶ必要があったそうで、術の種類によっては敵に予見されて躱されることもあったようです」


先代の忍者さんは、昔のお約束が通じる古き良き時代のご出身だったようだ。詳しいことは城の書架に記録が残っているようだが、現代忍者(っていうのか?)の古賀君の方ができることも多いだろう。いつか機会があったらのぞいてみるくらいでいいんじゃないだろうか、という結論になった。


「ほんで、俺の錬金術のスキルやねんけど、こちらさんには錬金術師はたくさんんの?」


「上級職ですので、数が多いということはありませんが、王城にも研究所がございますし、市井に開業するもの、魔獣の跋扈ばっこする極地で探索をするものもおります。ジョブそのものよりも個人の技量がものをいう職人のようなものですな」


「せやねんな。ほんで、ものは相談やねんけど、お城の錬金術師さんたちを紹介してもらえへんか?昨日はたまたまスキルが発動できたけど、どんなことができるか知りたい思うてんねや」


前のめりに香椎がお願いすると、局長は快く引き受けてくれた。その辺にいた局員に何か言伝を頼むと、しばらくしてパリッと糊のきいたシャツにグレーのロングスカートを履きこなす、秘書然とした妙齢の女性が俺たちを迎えに来てくれる。


魔法局を出ると来た道を戻り、2階に上ってガラス張りの明るい廊下に薬草と思われる草が干してある。秘書さんは手際よく干し草を回収し、ドアを開けるとにこやかに

「こちらが錬金術局になります」

と迎えてくれた。


扉の向こうでは、鍋をかき回しながら意見を述べたり、難しそうな顔をしてメモを取ったり、研究にいそしむ白衣の人々が忙しく働いている。


「あー、なんか今日は暑いな。昨日より暑うなってんちゃうか?もう夏が近いんかな」

香椎がそっと白衣を脱いで、後ろ手に丸める。


「…白衣の錬金術師、返上」

言ってやるな、古賀君。


俺たちはしばらく入り口に立って様子を見たあと、応接室へ通される。傷一つなく灯りを反射する深みのある赤いマホガニーの一枚板のテーブルに、ビロードの張られた猫足のソファ、毛足の深いなめらかなカーペットと、趣味よくまとめられている。明らかに金回りがよい雰囲気だ。着席を勧められ、向かいに秘書さんが座る。

「さて、改めまして。私が錬金術局長のパローネです」


「途中からそんな気がしてたわ。みんな通りすがりにちょっと目礼してはるし、絶対偉い人やんって。よう見たら身なりもパリッとしてはるわ」


全然気が付かなかった。わざわざ迎えに来てくれた優しい秘書さんだと、たった今まで思っていた。ちらっと古賀君を見ると、目を伏せて同じく気づかなかったと言っている。


「あら、異世界の錬金術師さんにはイタズラが通じなくて残念だわ。錬金術師のお仕事について知りたいって話だったわね。こっちの世界では傷薬、魔力回復、毒消し、気付けやそれぞれの病状に合わせた薬の調合、それから高位の錬金術師になると特殊金属の錬成をしたり、ポーションなんかも作ったりするわ。異世界の方ではどうなのかしら?」


「んー、俺らの世界では魔法や錬金術とは違うことわりでできててな。そやさかい錬金術って学問はあれへんねんけど、昨日スキルの使い方が分かって、まあこんな感じやな」


そう言うと香椎は空中に指文字を走らせる。

ポンっと小気味良い音を立てて、指先に小さな火を灯し、軽く振って火を消す。

今度は指先に丸い水滴を作ると、中心から白く凍りついていく。

両手の人差し指を近づけると、パリパリと青白い電気が走る。


「け、賢者様!」

椅子から跳ね上がるように立ち上がり、カーペットにひれ伏すパローネさんがいた。

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