第5話
時間は少しさかのぼり、海老津が女の子投げの遠投を披露していた頃。修練場の奥には大きな人垣ができていた。
「ほな、この右肩のタグをお互いに取り合う、言うたら1対1の鬼ごっこっちゅうことやな。ほんで、あんたら人垣がリング代わりか。よし、分かった。ええで」
パルクールを嗜むという香椎の敏捷性をみるためと、ラスパ団長は修練メニューの一つを提案した。簡単に競技内容を説明されたあと、団長に指名されて進み出た兵士は、やや小柄ながらいかにもすばしっこそうだ。値踏みするような視線を投げかけながら口を開く。
「その白衣は脱がなくていいのか?動きにくかったと、負けたあとから難癖をつけられたらたまらんからな」
「俺の世界の物語じゃ、強い錬金術師はみんなマントを着とるもんなんや。せやからこのままでいかしてもらうで」
香椎は兵士の挑発をかわして言い放つ。
(これで「白衣の錬金術師」の誕生やな)
「どちらも準備はいいな?では、はじめ!」
ラスパ団長は2人の準備ができたことを確かめ、号令をかける。と同時に兵士は低い姿勢で香椎に迫り、腕を広げて足を刈りに来る。
香椎は左手を前に出し、近づく兵士の頭をカチ上げようと構える。兵士のくせっ毛の髪が香椎の手に触れようとした瞬間、兵士は大きく左足を踏み出し、斜めにずれた軸のまま反時計回りにバックハンドブローを繰り出す。
香椎は身体を右に倒しながら裏拳を避け、フォロースルーで旋回する兵士の背中に合わせて飛び込むが、流れた体重を踏ん張り切れずに背中同士がぶつかり、お互いに距離を取った。
(
「ちゅーか団長はん、この人めっちゃ殴りかかってきてはりますけど、こんなんしてええの?僕らの世界の鬼ごっこで手ェだしたら、先生からしばき回されんで?」
兵士と向き直ったところで、やや抗議の色を込めて香椎が声をあげる。
「うーん、ちょっと説明不足だったな。本来格闘も含めた敏捷と反射の訓練なんだが。今回は香椎殿の言う”鬼ごっこ”に従って、格闘は控えめでいこうか」
ラスパ団長は苦笑しながら香椎の抗議を認めた。
「オッケー、控えめな。ちゅうわけで、改めてよろしくなっ!」
香椎はニヤリとすると、お返しとばかりに左足で上段回し蹴りを放つ。驚いてガードした兵士の右肩にそのまま体重を預けて身体を捻る。1回転して着地した勢いそのままでバックハンドブローを繰り出し右肩のタグを狙う。
これを読んでいた兵士は飛んでくる裏拳をしゃがんで
そこからはお互い攻守を入れ替え、アクロバティックな動きでせめぎあう。一進一退の攻防を繰り返し、人垣からの歓声が大きくなるなか、兵士がやや強引に袖を取りにいくと、その拳が脇腹に入り、香椎が一瞬苦し気な表情を浮かべる。兵士は不敵な笑みを浮かべて、その隙を逃さず右肩のタグに手を伸ばす。
「そこや!」
兵士が踏み出した左足の地面がうっすら白くなり、踏ん張りが利かなくなった兵士はあえなく尻もちをつく。それを見て背中に回り込んだ香椎が相手のタグを奪う。
「勝負あり!」
団長の声に大歓声が沸き起こる。香椎は兵士に右手を差し出すと、兵士はその手を取り起き上がる。さらに歓声が高まり、2人は照れたような笑顔を浮かべた。
「…やるな、メガネの錬金術師…」
古賀君がつぶやくと、周りの人たちも
「メガネの錬金術師だ!」
「ほう、あれがメガネの錬金術師か」
「異世界の兵士はメガネの錬金術師殿だったのか」
と声が広がる。
「しまいにゃ怒るで、古賀君。みんな待って!メガネちゃうねん。いや、メガネはかけてんねんけど。違うねん。白衣! ハ・ク・イの錬金術師!ほらリピートアフターミー!」
あわてる香椎の様子にどっと笑いが起こる。ひとしきり笑いが収まったところでラスパ団長が香椎と兵士、2人のもとに歩み寄り健闘をねぎらう。
「香椎殿、ふれこみ通りうちのエース斥候にも劣らぬいい動きだったな。あの様子ならすぐに街区から出て外の魔獣とも立ち回れるだろう。ところで最後、彼の足が滑ったのは偶然かな?」
眼光を強めながらラスパ団長が香椎に問う。
「あー、あれな。運動能力がほぼ互角やってんで、
香椎は言いながら靴の先で赤土の地面にN2+O2→2NO(181KJ)と書いてみせる。
「いや、こちらも最後の攻防には思わず身体強化を使っていたからおあいこだな。いい勝負だったぜ。次は負けないけどな」
兵士はそう言って笑ってみせると、人垣に下がっていった。緊張が解け、場が緩んだところで団長が古賀君を見ながら声をかける。
「よし、では次は古賀殿に魔導杖を試してもらおう。おーいアル、準備はできているか?」
ラスパ団長が振り返って確かめると、布袋に包まれた棒のようなものを小脇に抱えたアルが堀のほうから手を振り返す。
団長に率いられ、人垣ごとぞろぞろと堀の手前に積まれた
弓矢や魔法など、飛び道具のための射撃場のようだ。30mほど先、堀の手前に立てられた的には焦げた跡や何度も弓が刺さった穴が開いている。堀の向こうの外壁にもいくつか焦げ跡がみられるのは、狙いの悪い奴がいたのだろう。
「
アルが布袋の口をほどき、一本の杖を取り出す。長さは1mにわずかに満たない、くすんだアッシュグレーのボディにはいくつかコブがあり、上端の大きなコブのくぼみには小さな琥珀のような薄茶の宝石がはめ込まれている。100人が見れば100人ともこれは魔法の杖だというだろう。そういう形をしている。
「こちらの上端の
アルは目を閉じて蓄魔石に左手親指をかざす。薄っすらと蓄魔石が光を放つと指を離し、五段積みの
「撃ちます」
起動魔石に右手人差し指を添えると、杖先に光が灯り小石のような小さな塊が浮かびあがる。はっきりと
「これでも射撃は騎士団で上位の腕前なんですよ」
ちょっと得意げに振り返ったアルが、慎重な手つきで古賀君に杖を渡す。古賀君は首の座っていない赤ん坊を抱き受けるように恐々と杖を受け取ると、
「…うん、講習で触らせてもらったトラップ銃と雰囲気がよく似てる。魔力を込めるのもできそうな気がする」
何かしらの手応えを感じたようで、アルの仕草をまねて目を閉じて蓄魔石に左手親指を添えると蓄魔石にはっきりと光が灯る。
足を肩幅に開き、右足を半歩下げて膝を軽く曲げる。やや前傾姿勢を取るとポジションセットしたようで、短く「いきます」と告げる。
起動魔石に右手人差し指で触れると、杖先に銀色の三角錐が光とともに浮かび上がる。
一瞬光が強くなり、一同が目をすがめた瞬間、轟音と共に的が弾け飛んだ。
「…少し右だった」
残心を解き、やや不満げにもらしながら照準と的のあったあたりを交互に見比べる古賀君に、我に返った兵士たちが口々に賞賛の言葉をかけながら駆け寄る。
「こりゃあ、たまげたな。それにしてもすごい威力だ。練習用の低威力杖のはずなのに、これは一体…」
団長は古賀君から杖を受け取ると、杖におかしな点がないか裏返したり魔石をこすったり確かめる。
「…魔法は想像力」
「おー、今日初めて魔法使うたヤツがえらい語るやん?そうや、自分、忍者のジョブも試してみたらええやん。さっきの鬼ごっこ、誰かとやってみたらええんとちゃう?」
「…うん、僕団長さんとやってみたい。ラスパ団長、お願いできますか?」
突然の指名に団長は驚くが、先ほどの魔導杖のこと、過去の勇者パーティにも顕現したという古賀君のジョブ”忍者”への興味もあり、承諾することにした。
「うおお、異世界の勇者と団長のタグ取りだ!俺は勇者に今夜の夕食を賭けるぞ!」
「バッカ野郎!俺たちの団長を信じないでどうするんだ!俺は団長になた豆のスープを賭けるぜ」
「それ、お前の嫌いなメニューじゃねえか」
大盛り上がりの外野である。
ふたたび観衆が人垣をかたちづくり、その中心に団長と古賀君が進み出る。
「お二人とも、準備はよろしいですね?」
アルがたずね、二人が頷くのを確認すると、前に出した右手をスッと上に上げ号令をかける。
「はじめっ!」
古賀君はおもむろに両手を前に突き出し、両手の人差し指を立て、胸の前で左手の人差し指に右手を重ねる。
「ニンっ!」
掛け声とともに、その存在感がおぼろげになり、観衆がどよめく。
団長も驚きに目を大きく見開いた。
古賀君はトコトコと団長に歩み寄ると、タグに手を伸ばす。
団長はその手を払い、反対の手で古賀君のタグを取る。
「…あれ、取られた。なんでだろう」
「アホか自分!サシで戦ってる最中に存在感消したかて、透明なったんとちゃうねんから見えてるやろ!」
そういうことだった。
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