第4話

リーマさんからの名前呼びに完全にのぼせてしまった古賀君に、果実水を飲ませたり襟元を緩めて扇いだりしていると、ようやく再起動したのだった。


「…あれは天然の殺し屋だよ…」

免疫のない古賀君にとって、まさしく出会いがしらの事故だった。


俺たち三人とも、この手の話題はラノベでは履修済みだけれど、鈍感系主人公はいつだって想われてばかり。


実践経験のない俺と香椎にはどう手伝えばいいのか、まったく見当もつかないが、古賀君の初恋が成就するよう応援したいと本心から思った。


気を取り直して俺たちは、先に部屋を出た騎士3人を追いかけて修練場へと向かうことにする。2階にある軍議室の窓から見えていた、城郭に向けて広がったむき出しの赤土の一角が修練場だと教わっている。


サッカーグラウンドを二回り広げたような、堀と外壁に囲まれた長方形の空き地では、兵士たちがめいめい陣形の確認をしたり組み手で競ったりしている。


すでに何人かはラスパ団長が連れてきた珍しい風貌の客人に気づき、こちらを興味深そうに眺めていると


「皆、すまないがここから向こうをしばらく空けてくれないか。」


ラスパ団長の通る声に応えるように、きびきびと若い兵士が移動する。周りにいた文官や侍女、あるいは通りがかりの出入りの商人といった風貌の人たちも、いったい何がはじまるのかと物見高く集まり、俺たちはすっかり注目の的だ。


ジョブ、体力ともに未知数の俺は、まず基礎体力測定をおこなうことになった。

50m走9秒を皮切りに、いずれの種目も日本の女子高生平均を下回る程度の記録をマークする。観客も俺の一挙一動に転げまわって大笑いしながら応援してくれる。


久しぶりの運動に心地よい疲労感を覚えながら外壁を背に座り込む。アルが持ってきてくれた少しゴワつく布で汗を拭い、ぬるい果実水を受け取り喉を潤してひと心地ついた。座ったついでに左足小指の爪切りがまだだったことを思い出し、靴と靴下を放り投げて爪切りを取り出す。


手早く爪の角を落とし先端を整えて、いつも通りの仕上がりに満足した瞬間、爪切りのジョブがスッと身になじむ不思議な感覚に包まれる。レベルアップの音もスキル獲得のアナウンスもないけれど、何かができそうな妙な確信がある。


ふと頭の中に右足親指のまだ切っていない白い部分を思い浮かべると、「パチン、パチン、パチン」と爪を切る音が頭に響く。続いて少し巻き爪気味の人差し指を思い浮かべると、やはり同じく「パチン、パチッ」と頭の中に聞こえてくる。


まさか!

靴紐をほどく手ももどかしく靴と靴下を脱ぎ捨てると、思い描いたとおりの仕上がりの親指と人差し指がそこにあった。切った爪は靴下に残っている。これが一体なんの役に立つのかはまだ分からないけど、爪切りというジョブのもたらす効果なのは間違いない。


「アル、なんかジョブのスキルが発現したみたいだ。ラスパ団長に報告しないと」

脱いだばかりの靴下と靴を履き直す。慌てたせいで靴下を裏表に履いてしまったが、気にしてる場合じゃない。


靴下の中に残っていた、切った爪の残りが歩くたびに足裏に刺さる。やっぱり靴下を履きなおそう。アルにお願いして、ラスパ団長を呼んできてもらう間に足元を整えた。


「海老津殿、スキルが発動したというのは本当かい?」

人ごみをかき分けて早足でラスパ団長が現れた。しまった、効果を見てもらうには靴下を脱いで見せないといけないんだわ。わずか2、3分の間に何度も脱いだり履いたり。靴下のゴムが伸びてしまわないか心配だ。


「つまり、足の爪を切りたいとイメージしたら、爪が切れた。そういうことだね?」

なんとも要領を得ない俺の説明と、つるりときれいに仕上がった足の爪を見ながらラスパ団長が端的にまとめてくれた。言われてみればそういうことだ。


「再現はできそうかな?おっと、残りの爪で試すなら、続きはバストーニ局長と試してもらった方がいいな。アル、魔法局に海老津殿を案内してきてくれ」


なるほど、確かに検証は大事だ。すでにジョブ発動のために右足中指の爪を見つめていた俺はあわてて集中を解く。


アルに率いられて修練場を横切り、レンガ造りの兵舎群を抜けると、城の裏手の建物に案内される。どうやら実務を担う各省庁の事務所棟のようなものらしく、入り口には他国や地方から来たような民族衣装風のいで立ちの人もちらほら受付に並んでいる。俺のジャージ姿に一瞬視線を取られるものの、さほど興味を惹かれることもないようだ。そういえばケモ耳や、エルフ、ドワーフといったファンタジーの住人達は見かけない。いずれどこかで会えるといいな。


アルの案内により顔パスで建物内に入る。俺は作り笑いで会釈しながらついていく。いくつかのオフィスエリアを通り抜け、陽の当たらない薄暗い廊下を進んだ先に目的の魔法局があった。もしかして召喚以外じゃ閑職の扱いなのか?と失礼なことを想像する。


開け放たれたドアの奥にいくつか並ぶ机には、どれも乱雑に書類や紙束が山積みされていて、俺たちの召喚に向けて激務が続いていたことを物語る。山となった書類に触れないよう注意しながら、ひときわこんもりと本や資料が積み上げられたデスクに進むと、目的の人物である局長が書類と格闘している。


「局長、スキルが発動して爪が切れました」

苦労人バストーニに俺が声をかけると、あまりにシンプルな報告に、お前は何を言っているんだ?という風に首を傾げるが、ピンときたようでおもむろに目を見開き立ち上がる。


「海老津殿、早速考証しましょう!あちらの会議室が空いているか。ふむ、君、ワシらはしばらく会議室におるので、人が来たらそう伝えてくれ。特急の要件がなければ取りつがないように頼む」


手早く部下に指示を出しながら、俺を会議室へとせき立てる。


案内された会議室は、外からも見えるように大きなガラス張りとなっている。6畳程度のこじんまりとした部屋に長椅子が2脚とテーブル、向こう側の壁には大きな紙が貼ってあり、書き付けができるようになっている。


「それでは、早速拝見できますかな?」

俺は長椅子に腰かけ、今日だけで何度脱ぎ着したか分からない靴下を脱ぐ。同じ靴下を何度も脱いだり履いたりするのって嫌だよな。自分の汗とはいえ、ちょっとしっとりしてるし。


「はい、いきます!」

俺の足に覆いかぶさらんばかりに近づいて凝視する局長に若干引きながらも、右足薬指の爪に視線を集中する。パチンと音が響き、爪の切れ端が小さな放物線を描いて地面に落ちた。


「ふむ、爪を切り取った刃物は見えなかったが、切れ端が残り、弾き出されたということは物理的な切断が起きているということだな。切り取られた側の断面はかなり鋭利、しかし指側の爪はきれいに面が取れていて引っかかりもない。爪切りとしては理想的だな」


さらに薬指の残り仕上げと小指の爪で実演したあと、局長は考証結果を呟きながら紙に書き出していく。


「次は、自分以外の爪も切れるのか試してみましょうかの。ワシの手は魔法制御のため切ったばかりなので、足指でお願いしましょう」

局長は言いながら、磨き上げられたツヤのある深緑の編み上げブーツの紐を解き、脚を引き抜いた。


「エボォッ!」

俺はさっき飲んだばかりの果実水を盛大に撒き散らした。


「だ、大丈夫か海老津殿!申し訳ない、召喚準備が忙しくてここ3日ほど風呂も浴びられず、魔力を節約するため浄化の魔法も控えておったのでな…」

残りの検証は後日となった。

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