第五話 ゴロウ+アカネ=再会

 ゴロウの遺体がアカネの実家にやって来てからの展開は実に早かった。『サトウ葬儀店』の手慣れた仕事振りのお陰で、アカネ達は慌てる事ナク無事にゴロウの葬式を終えた。葬式のシミッタレタ場面などに、貴重な原稿用紙のマス目を極力割きたく無いと云う作者の思惑がキラリ。実はアレからと云うもの、アカネは自宅には戻って居ない。戻る踏ん切りが付かない事と、息子のイチロウがアカネの父親が作った睡眠薬入りアップルパイを一人で全て完食してからと云うモノ、アレから全く眼を覚さずに「グゥグゥ..」ぐっすりお昼寝中。

「イチロウの事はゴロウの葬式が終わるまで様子を見よう。血色も良いし、大丈夫だよイチロウは。」

 離れの部屋の布団の中で、未だスヤスヤ眠るイチロウの表情を見詰めながら、普段は穏やかな父親が見せるコノ全く根拠の無い自信に、アカネと母親はタダただ圧倒、従うしか無かった。だが無邪気な小悪魔イチロウが眠り続けて居た事で、邪魔が入らずゴロウの葬儀が速やかに済んだ件には感謝。たったイマ喪服姿で火葬場から実家に戻って来たアカネ達。アカネの胸元にはゴロウの遺骨が入って居る骨壺。焼却炉にて燃え切ったゴロウの置き土産。其れ等の骨が未だ熱を帯びては、胸元に抱くアカネの肌がゴロウの体温を骨壺越しに感じる気がする。気のせいだ。玄関を上がったアカネはゴロウを胸に抱いたまま、離れで寝て居る筈のイチロウの様子を見に行った。

 (取り敢えずの事は全て済んだ。もしも明日の朝までに目を覚まさなかったら、病院に連れて行こう..)

「ウゥゥン..お母さん?僕ゥぅ一杯寝ちゃったみたい。今起きたの」

 枕に頭を置き、ちょうど目が醒めて、天井を見詰めて居たイチロウの両眼と、様子を窺いに部屋にやって来たアカネ。彼女はイチロウの頭上から、彼の顔面を見下ろした瞬間、両名の両眼の焦点が合った。クリクリしたイチロウの〇い両眼は確かに開眼しては、アカネが胸元に抱える骨壺に先ずは眼をやった。恐らくは腹が空いて居るのだろう。

「ア、お母さァあん..それ、ケェキィぃ..?僕ずっと寝てたからオ腹が空いたよォお!」

「オっ、お父さァあんっッ!お母さァあんっッ、起きたあァ!イチロウが起きたあァッ!」

 暫く寝て居た事で、自身を取り囲むオ家最新事情には全く疎いイチロウ、若人が故に回復力が早い。スッカリ目が覚めては布団から飛び起きたイチロウ、アカネが抱くゴロウの骨壺目掛け、思いっ切り飛び跳ねた。

「キャアっ!駄目っ、ダメよっイチロウっ!これはケーキ何かじゃ無いのッ!」

 無意識でコノ台詞を吐いたアカネだったが、自身の深層世界では(コノ骨壺の事と今回のゴロウの件..一体イチロウに如何やって説明しよう..?)呟いた。長年の感でコンナ展開になるだろう..予測しては鷹を括って居たアカネの父親(ヨシヨシ..あいつ、チャンと起きたか..)、

「おおォいイチロォ!早く服に着替えろォ、今からお寿司食べに行くぞォ。寝坊助は連れてかないぞおッ!」

 居間からイチロウを呼び、烈しく叫んだ父親の鶴の一声で、其れ迄はケェキの骨壷を狙う山賊の様に、アカネの身の廻りをピョンピョン飛び跳ねて居たイチロウ、透かさず自身の部屋に駆けて、着替えをシに戻った。父親のシを息子はどの解釈して消化するのか?作者も全くシらない。

 アカネは其処から寝室に向かい、ゴロウの骨壺を自身の枕の隣に優しく置いた。其の場所とは、生前のゴロウの定位置。今晩だけは一緒に寝たいアカネ。自身の体も式布団の上に置いたアカネ、枕の左側にゴロウの骨壷。両眼を瞑って両手を合わせては祈ったアカネ。どの位の時間が経って居たのかは知らないアカネ。体を乗せた式布団の上が穏やかに揺れた衝撃を感じて、その震源地の方を振り向くとイチロウが居た。何時の間にかイチロウはアカネの右隣りに座って居ては、母親の真似をしては両眼を瞑り、両掌を合わせて拝む真似をして居たのだった。事情を全く知らないで在ろうコノ息子の行動に、「っプッ!」

 思わず吹き出してしまったアカネ。

 (この子の為にも私、一杯強くなんなくッちゃ!)

 と思うと同時に、自身の半分の分身で在る存在のイチロウに対する愛おしさが、限界値を超えて変換、無性に殺したくなったアカネ。愛情が憎悪に転換した瞬間。両腕で隣の息子を思いっ切り羽交い締め、全身の力を振り絞って抱き締めた。

 (お母さん..苦しいよォ..後、チトお線香臭い..)

 

 

 ———アレからも偶には様子を見に帰って居た自宅。葬式の一連の流れも分からずに、只サトウの指示に従った甲斐在って、問題が発生する事無く、ゴロウの初七日も無事に終わり、地球に取り残されたアカネに漸く時間が出来た。これから始まる人生の再出発に向けて意気揚々、ゴロウの骨壺と共に完全帰宅した二人。実はイチロウ、未だに骨壺の正体を“苺ショォトケェキ”だと思い込み、アカネの眼を盗んでは蓋を開封しようと試みる事シバシバ。無事にゴロウの骨が納骨される日まで、其の都度アカネに「ギャフンっ!」と叱られた愉しく忙しい日常生活の日々も在った事実を、此処に忘備録として記載しておく。

 今日は午前中から父親の車で送って貰い、一緒に付いて来た母親と共に、皆で家の大掃除を始めた。アカネが先ず取り掛かったのはゴロウの遺品の整理。如何しようも無い物は処分して、衣服類や日用品等の全ては、近所の何でも取り扱う中古品販売店に寄付をした(物質に気持ちを依存させて溜め込むのは私の遣り方じゃ無いし、物だって本当に必要な人に使ってくれたら幸せじゃない?——アカネ談)。続いては仏壇と仏間の件。アカネは自宅に戻って来る前、実は既に実家で仏壇の見積もりを、数社の業者と話し合って居た。各業者とも、値段はピンキリとの事だが、アカネにはチト疑念が其の時から在った。

 (葬式の件は確かに急でヤムを得えなかったとしても、仏壇に関しては別問題だわ。一度でも購入したら最後じゃないッ?!私が死ぬ迄ズット面倒を見なくちゃいけないし..第一、仏壇ってそんなに大事な物なのかしら?一部屋を仏間に使うって発想自体もチト非合理的な気もするわ..あのゴロウも、そんな無駄は絶対に望んで無い筈。それにピンキリの仏壇って一体何?..本心を云うと私は要らない。両方とも)

 有り難い事にアカネのコノ砕けた提案に対して、柔軟な思想を持つ彼女の両親は何の苦言も云う事は無かった。更に勢い付いたアカネは息子のイチロウに対し、紙粘土で仏壇らしき物を造る様に御願いした。その際には、一般的な“仏壇”の写真など見せず、自身が想う“仏壇”を創造力を駆使して造って欲しい..ソレが唯一の条件。出来上がった“自称仏壇”を、二人で一緒に黒い絵の具で塗って、ゴロウの骨壺を一緒に御供えした。イチロウお手製の仏壇の居場所はアカネの寝室。洋服箪笥の一番上(ゴロウ、喜んでくれるかしら?)。この“自称仏壇”にはゴロウの遺影は無い。遺影写真の意味が実は成人した現在でも分からないアカネ。食堂にて並ぶ、何時拵えたか不明?な現物品のディスプレイと、実際に注文をしたソノ同じ料理は実は同じでは無い。何故ならば、作られた時間の時差が生じて居るから。骨壷の中の焼かれたゴロウの時間と、全く同時期に撮影をしたゴロウの顔面写真とを一緒に添えなければ意味が無い。だから置かない。敢えてゴロウの遺影写真を仏壇に置く事も拒否した前衛的未亡人のアカネ(ゴロウは死んでからも生きてるから要らないし。——アカネ談)。その点に関しても両親は理解を示してくれた。感謝。

 アカネの両親は、家に何日か暫く滞在した後に帰った。その間に幾つかの人生の“陽”の転機がアカネに訪れた。生前のゴロウ、実は自身に多額な生命保険を掛けて居た事が判明。両親と一緒に自宅の片付けをして居たアカネの元に、生命保険会社の人間が現れた。初めアカネは新規の仏壇業者だと思い、其の男を素っ気無い対応で帰そうとした。だが違った。そこでアカネは、かなりの額の生命保険を今回の件で受け取る事を知らされた。然もソノ額とは、軽く今の家の住宅ロォンを完済出来る額。

「アカネ。ここはゴロウさんの気持ちを快く頂いて、其のお金で先ずは此の家のロォンを完済しちゃいな。」

 翌る日、早速この母親の鶴の一声で、皆で銀行に出向いたアカネ一同、其の場で住宅ロォンを完済。ゴロウの死と云うものが、アカネの人生の“負”の分岐点には間違い無いが、その“負”を力技、強引に“陽”に捻じ曲げたゴロウの不屈な家族愛。そして人生の先輩且つ達人、アカネの母親の的確な人生の啓示。怪し気な株の投資を勧めたり、意味深な新興宗教への献金を迫ったりはしない。アカネはチト気が強く、自身が決めた事は廻りが静止しても必ず遂行する女性だ。今回の住宅ロォンに付いても、もしもアノ時、母親が側に居なかったら、家のロォンを一括完済する度胸は持たなかったし、将来も持つ事無く、毎月支払う選択種を選び続けて居た事だろう。イヤ、事だ。自身では全く気付いては居ないのだが、確実に人生が良い方向に転換して行るアカネの未来。

 ゴロウの命と引き換えに自宅が完全にアカネの所有物となった。この一軒家は四LDKの広い平家建てで、家の正面には緑が青々と生えて、一本の逞しい大木が天に聳えて立つ広大な庭も在る。どの位“広大”か?フゥゥん..表札を掲げる家の門から、玄関先に辿り着く迄に徒歩で約八分程..と描写すれば宜しいか?ゴロウ一家が住むにしては、チト規模が巨大なコノ家に決めた理由が一つだけ在った。四LDKのゴロウ家の造りは『チロルチョコ』を正方形型に四個並べた感じで、其々の部屋の広さも全てが均等に三〇畳ピッタンコ、更に全室が板の間仕様。その内の二部屋は正面の庭に面して居て、家の裏側に残りの二部屋。玄関口から中央を走るブットイ渡り廊下の一番向こう側、右手には食堂(台所混み。同じく三〇畳)が在って、反対側に脱衣所と浴室(坪数は読者皆さんの御想像にお任せします)。家の借金を完済しても尚、現金が手元に残ったアカネ。今度は建築業者を雇い、庭に向く二部屋の壁を取り壊して、一個の大きな長方形型の大部屋(六〇畳ナリ)へと大改造。この発案はゴロウ、生前のゴロウが此の家に決めた理由も、アカネの料理教室を始める為だ(アカネの夢を逸早く現実のモノにしてあげたかったんですよ!——ゴロウ談)。ゴロウの年齢と比べたら決して安価とは云えない額の借金を組んでコノ家を購入。夢を叶えるのに辛抱する必要などは在るか?否や。ゴロウには無い。即決断、即実行、経験は後から付いて来るもの。

 



 第五.一話 アカネ時代とゴロウ時代の融合。「そして新時代が始まった..」

 

 ———私とゴロウは結婚を決めた後、私はスッパリと自分の会社を辞めた。新しい職場は“家”だ。じぁあ私は専業主婦に落ち着くのか、アカネ?否や。私は落ち着かない。転職先の仕事は“専業主婦”が理由では無く、“料理教室の経営”と云う自身の夢を叶える為の決断。

 同じ会社だけど、違う部署で勤務して居た私とゴロウ。業界内では広く名の知れた会社で規模も大きかった。私達は本社ビルで共に働いて居た。何の会社?ウウン知らない。私は知らない、如何でも良い様な情報を此処でワザワザ描写する必要って在る?

 巨大ビルの中で其々働く私達、そんな全く接点が無い私達を結び付けたのは御弁当。私の作った御弁当。お昼休み、決してオモテでは外食しなかった堅実派のゴロウ。常に自分で握った大きなオニギリを持参しては、社員食堂で済ませてた光景がチト印象的だった私。如何してか?と云うと、オニギリの大きさがチト尋常では無かったから。ゴロウのアタマ位在る大きさの一個のオニギリ、それを一人で彼は毎日モクモクと食べて居たの。異彩を常に放ってたわ。私もゴロウと同じく、毎日手作り御弁当を持参して社員食堂で一人食べてた。一人が好きな私。私も異彩を放ってたみたい。私は毎日、一〇段重ねの重箱を持ち込んでは華奢で細身ながらも完食してたから。日々社員食堂に居るゴロウは、同じく毎日社員食堂に居る私の御菜が充実した重箱の内容に先ずはチト興味津々。そんな私も毎日、見た目が悪くて無骨な形のオニギリしか食べないゴロウの存在がチト気になりつつ在った。ゴロウの私の始まりは御弁当で、私のゴロウの始まりは私のゴロウだった。ゴロウのお握りの内訳は“シヲ”。毎日しお。一個の塩オニギリだけ持参しては、廻りの人間が食べてる様々な料理の匂い、ソレを頼りに社員食堂内を彷徨いながら「クン?..クンクン?クンクンクン?」大きな身体を猫背気味に曲げて、各座卓を巡ってはソノ匂いで塩お握りを貪るゴロウ。その姿が余りにも滑稽且つ憐れに感じた私は、在るヒ心臓が「バっクンバっクン」する中、意を決してゴロウに大接近。そう、恋心なんか最初は無かった、只ゴロウを憐れに思っただけ。自作の御弁当をゴロウに差し出した瞬間から、私達の関係は始まった..

 

 社員食堂から発展した二人の関係は、ゴロウの反骨精神に火を点けた。其の日もアカネは残業に追われては帰りがチト遅かった。其の日だけでは無くホボ毎日毎晩遅かった。一緒の席で昼食を摂る様になった初々しい二人、先ずはゴロウからアカネを夕食に誘った。下心などは一切無く、“借り”を作るのが嫌いな性格からやって来る只の御返しの解釈だったゴロウ。アカネは毎回断ったが本心では行きたかった彼女。其の頃には既にゴロウに恋して居たアカネ。

「あ..アカネさん?もしかして勘違いしてると思うけど、別に僕はチミの事をデェトに誘ってる訳じゃ無い。僕の御弁当に対しての正当な対価を返したいだけ何だけど..駄目かな?」

 中々折れてくれないアカネに業を煮やしたゴロウは或る日、会社の就業規則の十七時ピッタリに自身の仕事を終わらせて、直談判の意味も込めてアカネの部署に向かった。給料制の契約なのに残業を好んでやりたい人間など此の世に存在するのか?否や。居ない、アカネを除いて。アカネの部署の階に着いたゴロウ、一フロアァ丸ごと在る巨大なアカネの職場。端のエレベェタァ踊り場、エレベェタァから降りたゴロウの視線に映る、縦横に並ぶ金属製の机がゴロウがザッと見て、軽く<一〇〇〇〇〇〇〇〇脚は在りそうだ(ゴロウの目算で在り、実際には三〇〇〇〇〇〇〇九七脚。そして“軽く”の“く”と、記号の“<”の類似に関しては御愛嬌)。

 (十七時〇九分..)腕時計の時間を確認したゴロウ。広い部署の部屋に一〇〇〇〇〇〇〇〇脚以上の金属製の机、既に社員達は帰宅して誰も居ない。

 (チっ..アカネさん、もう帰ったか..)だったら此処には用は無い、俺もトットと帰ろう..エレベェタァに乗り込もうと思った其の時、「カタカタカタカタ..」何処からか?誰かがコンピュゥタァのキィボォオドを打つ反響音が聞こえて来た。ゴロウが其の音のする方向に頭を向けて見ると、今ゴロウの居る踊り場の対極に位置する空間の一番左端の机?がチト怪しい。そして何故だか其の机だけがヒトキワ黄金の様に輝いて見えたゴロウ。

 (分からん..だが俺は何故だかアソコの机に行かなければ一生後悔する気がする..)

「カッ..コ..、カッ、ッコ..、カッコ..カッコ、カッコカッコカッコカッコカッ」

 誰も居ない広大な職場砂漠の床を、初めは戸惑い気味に叩くゴロウの革靴の音が、徐々に確信的なモノになって行く。誰も居ない空間内で「カッコカッコカッコカッコ」が鳴り響き、例の「カタカタカタカタ..」がピタリ止んだ。それでもゴロウの「カッコカッコカッコカッコ」は「カタカタカタカタ..」の震源地を目指して突き進む。「カタカタカタカタ..」は止まったママ何も進展は無い。新たな効果音の「カッコカッコカッコカッコ」に動揺して居るのか?力強い「カッコカッコカッコカッコ」の擬音に怯えて居るのか?

「カッコカッコカッコカッコ」の効果音が何万回くらい更新されただろうか?ソレ位このアカネの部署は広い(何てバカでかい部署何だ..歩き過ぎてチョット喉が渇いた..)。数時間ホド歩いただろうか、ゴロウ。ここで一度、腕時計の現時刻を確認。革靴両足の親指がチト痛い、恐らくは血豆の悪戯。今の時間は二十三時時〇九分、在れから〇〇(丸々)六時間も歩いて居た計算になるゴロウ。今まで自分が歩いて来た道を振り返るゴロウだが、見渡す限りの机の世界と天井と床..だけだ。方角を思わず失いそうになるのだが、幸いにも「カタカタカタカタ..」の擬音の描写は再開しており、道に迷う事は無いがアトは体力次第のゴロウ。目指す黄金の机までの距離感がイマイチ掴めないゴロウ、チト危険な兆候。只ひたすらゴロウは「カタカタカタカタ..」が鳴る震源地に意識を集中して歩く。室内天井の蛍光灯の熱波がゴロウの喉を「チリチリ..」と芳ばしく炙る。喉が渇いて仕方が無いし、腹も随分と減って居た。これ迄に擦れ違った机の上には私物と思し召し、飲みかけのジュゥスの瓶や缶を見掛けて居たゴロウ。『仕事が出来る人間の机上は常に砂漠、なんも無い』が持論のゴロウ。だらし無く、書類や私物が散乱する机の同僚とは絶対に仲良くならなかったゴロウ(..クゥゥゥ..汚ねぇ机..)。だが煩悩が勝り、信念に反して思わず机上の飲みかけの水分を奪い取りそうになったゴロウ(..クゥゥゥ..臭そぉ..)。電車の吊り革に触れる事など一切御法度のゴロウの事、他人が口を付いた物に対し、更に口を付けると云う行為は生理的に絶対受け付けないゴロウ(..クゥゥゥ..飲みてぇ..)。最後には理念が優ったゴロウ(ここで他人様のモノを盗んじまったら、あの世のお袋にブン殴られちまう..)。強奪行為をせずに脚を進めるゴロウ。脚は決して止めないゴロウ。止めたら即お終い。生きる事を断念した其の先に在るのは、死。死が待って居るのをコレ迄の悲惨な経験上から熟知して居るゴロウ。“死”と云う至極の快楽はフト訪れる。

「あ..アハ、俺って働いて無ェのに過労死で死んじまうんだな、会社で..ダセエ.. .」

 ゴロウは既に意識朦朧の状態。志し半ばにて、名の無い机と机の間、両膝から激しく床に堕ちては体の全身をモロに打ち付けた。其の衝撃の痛みよりも、衝撃音の方が自身の『意識』に響いたゴロウ。僅かに残った余力で、首に巻いて居たネクタイを使い、一層のコト頸を絞めて自殺しちまった方が漢が上がるってモンよ..アハ..駄目だ、マトモな判断が全く出来ねぇ..視界の幅も段々と狭まって行くのが俺でも分かる(俺ェ..此処でトォトオ死ぬんだ..情け無ねぇったら無えぜ..)。

 何時もの無限大の視界から一〇センチメェトル四方の視界へと、そこから更に一〇から七、七から四、四から二、二から..イ.チ.. .

 

 フト目が覚めたゴロウ。此処は何処だ..?

「っアッ、..嗚呼..良かったあ目を覚ましてくれてえェ..分かります?私の事?」

 ア..カネ?..アカネ、さん?

「ハイっ!私ですっゴロウさんッ!」

 〇から一、一から二、二から四センチメェトルへと少しずつ視界が開けて来たゴロウの一番に見えたのがアカネ。そのアカネの背後に見えるのが天井の明かり。

「ゴロウさんズッと気を失ってたんですよ!私ソレを見付けて如何にかしないとッって!」

 あ、嗚呼スミマセン..何だが心配と迷惑掛けちゃって..。僕ぅアカネさんを今夜御飯に誘おうと思ってコノ階にやって来たんですが、如何やら遭難してしまったみたいで..

「..?」のアカネ。其れはそうだ、こんな小さな部署で遭難しただ何て全く意味が分からない。

「ゴロウさん?お水マダ必要ですか?今度は一人で飲めますか?」

 ッあっハイっ!頂きます。とゴロウは云うと、アカネは私物の水筒に口を付けて、中の水を口内に含んでは透かさずゴロウの半開きの口にクチビルを付けた。

「!..」のゴロウ。其れはそうだ、そして此の後から漸く自身の台詞に「  」を付けれるだけの余裕が出来た。

「ア..アぁぁぁとぉぉお..もしかしたらズッと僕が記憶が戻る迄、こうやってアカネさんが介抱してくれてたんですか?」

「エェ勿論!だって此処には私しか居ないでしょ?」

 ゴロウを上から見下ろすアカネの背後に輝く蛍光灯の光が、ゴロウには後光の様に感じられて、其の瞬間アカネに恋をしてしまった。

「フぅぅう..生き返ったあ..アカネさん、本当に如何も有難う御座います、今夜の僕ゥ如何やら、ミイラ取りがミイラになった感じですね..」

「キャハッ!いいえェ気にしない気にしない!」

「ヨシ!そろそろ起き上がらないと!」

 其れ迄は床で横になって居たと思い込んでたゴロウだが、実は彼が目を覚ますまでの間、アカネの膝枕の上で卒倒した事になる。この事実を知らされて、俄然自分の気持ちがアカネに吸い込まれて行くのが分かるゴロウ。恋は突然やって来る。

「アカネさん..もう誰も居ないし、今僕が時間を調べたらスッカリ深夜ですよ?なのに一体此処で何をしてるんですか?」

 アカネの机の隣の椅子に腰を下ろしたゴロウが見た光景がコレだ。山積みの書類が殆どの面積を占めて居るアカネの机の席、確かに此処を目指して歩いて居たのだ。

「アハっ仕事です!残業です!」

 立ち上がったゴロウに合わせて自身も立ち上がり、自分の席に座り直したアカネ。ゴロウに笑顔を見せるが悲壮感など全く見せない鉄の女、アカネ。芯と思い込みは鋼鉄の様に強固、他人を疑う事を知らず要領がチト悪いアカネ。そんなアカネに同僚達は仕事を強引に押し付けては定時に退社。それで彼女は毎晩残業をして居る訳だ。給料制、時給制ではナイ。定時に上がった方が断然お得感が在る。

 (好きじゃ無えなァこの感じ..)

 この日からゴロウは毎晩、自分の仕事を定時で終わらせた後、アカネの所にやって来て彼女の仕事を率先して手伝った。一週間もしない内にアカネの机に溜まって居た書類の山は全て消えた。この事実は知った同僚達や上司からは更に新しい仕事を振られる事に。其れ等もゴロウは一晩で仕上げた。アカネに出来る事は何も無かったが、其の代わりに残業用の手作り弁当を作っては、毎晩ゴロウと一緒に机で食べた。このヒトトキがアカネにとっての一日最後の御褒美、私が拵えた御弁当を美味しそうに頬張るゴロウの表情を見て居ると、私、死にたい位に幸せ。

 このゴロウのお陰でアカネの部署の業績が急激に伸びたが、其れにヨシとしないのが廻りの同僚達。陰で悪口を吐いたり、アカネの椅子に沢山の剣山を置いたり、更に余計な仕事をアカネに振っては自分の評価に変えたりと拙僧が無い。

 (やっぱ好きじゃ無えなァ..)

 正に歪んだ人間社会の縮図を側から見て居たゴロウ。だが当のアカネ本人は「ケロっ」として居て、そこがマタ歯痒いゴロウ。この頃には社外でも相瀬を重ねて居た二人、

「こんな会社なんて辞めちまえ!結婚しよう、アカネ。君がやりたい事を俺と一緒に頑張ろお!」

 決めたら必ず即、実行実現させるのがゴロウの哲学。思い込んだら方向選ばず、確実に手に入れるのがアカネの法則。全てはアカネの計算通り。

 

 

 ———乾いたばかりのペンキの匂いが好きだ。何か新しい事が始まる気がする。真新しい木材が放つ芳ばしい香りで包まれた、未だ何も物が無い広くて大きな真っ白な空間。庭から縁側、縁側から部屋に直結する大きな窓ガラスから、御天道様の光が室内を照らしては更に希望を煽る。板の間にはニスが新たに塗られて、太陽光の接触を拒みヒカリを跳ね返す。この光輝く空間が、後々のアカネの職場コト料理教室に化ける。これがコノ家を決めた一つだけの理由。この理由はゴロウの理由。常にゴロウはアカネの幸福を最優先に考えた。ゴロウは此の世界から消えて居なくなったが、其の代わり皮肉にもアカネの夢は見事に叶った。

 部屋の入り口姿勢良く佇むアカネ、無音の室内、ゴロウの魂が宿る聖域、両手を合わせてはゴロウに祈る。




 第五.二話 「ホラ、もう其処までケモノが近付いてんよ!」

  

 両手で数えて「ヒィ、ふぅ、ミィ..」程の細やかなトキは過ぎ、すっかりと平穏な日常生活を取り戻したアカネ家。息子のイチロウも日に日に成長しては、来年の春、幼稚園の入園を控える未来の社会人。アカネの料理教室も色々と試行錯誤を繰り返し、何とか軌道に乗っては活き活き、とても充実した日々を送って居た。

 アカネの料理教室はチト愉快痛快で、人間だけの料理を指南するだけでは無く、現代社会、今や自身の子供と並んで家族の一員として大出世、身分が昇格した“家畜”。それは狼で在ったり、ネウネウで在ったり、雷鳥で在ったり、ユニコォオンで在ったり、蜚蠊で在ったり..と種類は様々。ソンナ愛する家畜の為の美味しい料理もアカネは御提供。更に料理教室には餓鬼は勿論の事、家畜同伴も大歓迎。家には彼等が駆け捲るには充分な広い庭が在るし、生徒達が熱心に料理をアカネから学んで居る間、家畜達が伸び伸びと庭で駆けては「ゴロンゴロン」からの、料理教室内にも勝手に入室も可能。犬達は料理教室内を自由に走り廻っては、猫達が調理台の上を堂々と優雅に闊歩、馬は食材の人参を咥えては庭に大脱走、大蛇がアカネの全身に巻き付いては優しく甘締めナドナド、非常に牧歌的で平和重視な料理教室が評判を呼び、初めの頃はゴロウの遺産を取り崩して居たが、気が付くと料理教室の運営だけで生活費が賄える程に。一見さん一切お断り(取り敢えず試したい..と云う一言が持つ、漠然な曖昧さと、冷やかしが嫌いなアカネ)。コネの入会も不可能(コネで生きて居る人間自体が嫌いなアカネ)。アカネ本人による完全面接制(嫌なら来るな。こちとら人生を賭けてヤッテんのさ。——アカネ談)の超人気教室。

 

「ねェお母さん?僕、犬が欲しい」

 木曜日の朝、朝御飯を摂って居た時、イチロウが唐突に呟いた。このイチロウの一言で、スッカリとアカネの記憶の彼方に在った約束事が舞い戻って来た。失念のアカネ。アカネとイチロウには確かに約束が在った。それは今年のイチロウの誕生日に、一匹の犬を保健所から引き取ろうと云うモノ。実はコノ約束は、生前のゴロウも交えての事だったのだが、肝心のゴロウが亡くなってしまい、見事に計画は頓挫。計画はイチロウを残して、アカネの記憶の彼方に置き去りにされてしまって居た(そうだった..毎日忙しくてスッカリ忘れてた、私って最低の母親だ.. ..ウン、“たった”一匹の犬を飼って、イチロウの人生がモット輝いてくれたら良いじゃない?)。

 息子のイチロウは、アカネの父親の作った睡眠薬入りアップルパイで猛烈に意識を失い、眼を覚ました其の直後からゴロウの事を一切口にしなくなった。ソレは寧ろ、ゴロウと呼ばれる人間自体がコノ世界には元々存在して居なかった風にも彼女には捉えられた。イチロウは幼いなりに自身の人生から、嘗ては重要登場人物の一人で在った父親の消去法を試行錯誤してるのだろうか..?だが辛い毎日なのには変わりは無い。

「ウン良しッ、良いわイチロオっ!早速アサッテの土曜日、オジジにお願いして車を出して貰お!」

 兎に角、毎日ヒビの生活を上手く廻す事に意識を集中して生きる社会人且つ新人未亡人のアカネ。その一本気な性格が災いしてウッカリ愛息子の今年の生誕日も失念して居た事も思い出したアカネ。失念に次ぐ失念。(こんな大人失格の木曜日はモゥ絶対に迎えない)気合いを入れ直したアカネ。深層世界の中でチト大反省中のアカネ。約束は約束、決して反故にはしない。大人とは子供にとって、決して嘘吐きな存在で在ってはならない。社会人女性且つ新人未亡人代表のアカネ、この急なイチロウの御願いにスンナリ乗った。誕生日は未だ未だ先のハナシ、だが一度決心したアカネの行動は早い。一つの生命(イノチ)を救うのに態々待つ必要が果たして在るか?否や。アカネには無い。早速実家に電話を掛けたアカネ、今週末に父親が車を出してくれる事になった。人間達が旨い物を食べて居るコノ瞬間にも世界中の保健所の犬や猫を代表とする獣達は確実に安楽死させられて居る揺るぎ無い事実。安楽死とは一体どんな死だ?安らかに楽に死ねると云う解釈か?人間ドモ?否や。そもそも死ぬ理由が無い動物を安楽死させる事は虐殺にしか過ぎない。もう一度描くがソノ中の一匹を保護するのに態々イチロウの誕生日の描写の回を待つ必要は在るのか?否や。作者には無い。行け、イチロウとアカネ。時間が無い。

 

 土曜日の早朝、この日は早くからアカネの両親がやって来て、皆で朝食を一緒に摂った。

「おいイチロウ?お前は今日どんな犬が欲しいんだ?別に今日ワザワザ保健所なんかで犬を貰わなくても、近所のペット屋さんで可愛い血統書付きのを買っても良いんだぞ?オジジは其れ位のお金は持ってるからァ」

 食卓のアカネの父親がイチロウに聞いた。その父親の台詞を聞いたイチロウは明らかに怪訝そうな表情を見せた。

「ウぅん。僕、犬は飼いたいけど犬は買いたく無いよ。貰う」

 そうかそうか..父親は納得して頸を縦に振った。このイチロウの自己主張を目の当たりにしたアカネは、息子の事をとても誇らしく思えた。何処かで聞いた台詞。保護犬を引き取る云う案はゴロウ発案。誰もが幼き頃には思った事が在る筈。在る日、イチロウが犬を飼いたいと唐突に言って来た。断る理由など無い。「ちゃんと面倒見るんだぞ?」即決で合意したゴロウ。庭付きの家に決めたのも、行く行くは動物を保護して面倒を見たかったのも在る。少年時代の暮らしは貧しさ故に悲惨を極め、母親と共に飢えた野良犬の様な生活を送って来たゴロウ。

「イチロウ、お父さんなァ子供の頃はとても貧乏でな、だけど沢山の人達に助けられて生きて来たんだ。犬を飼おう!だけど犬は買わない。保健所から貰おう、良いな?貰ったら兄弟が出来たみたいに一生懸命面倒を見て、一杯いっぱいイッパイ可愛がる事、これが条件。どうだイチロウ?お父さんと約束出来るか?一個の“イッパイ”だけじゃ無くて、三個の“一杯いっぱいイッパイ”だぞ?」

 近所の公園で集まる子供達から仕入れた風の噂で、『肉親とは実子の犬や猫を飼う御願い事を光速の速さで却下する血も涙もナイ生物。然しソンナ肉親も幼き頃は全く同じ御願いを肉親にしては光速の速さで却下されたと云う何とも奇妙な因果応報製螺旋階段の極み也』と吹聴されて居たイチロウ、まさか即決で了承してくれるとは思ってもみなかった。

 (僕のお父さん、宇宙一格好イイっ!)

 満面の笑みで「ウウウンンっっ!」固く握り締めた右腕を天に掲げ、頸を縦に何度も何度も烈しく振った(ヘッドバンキングとも描写は可能)イチロウ。頸の振り過ぎで、其の後暫くの間チト頭痛と頸痛がしたイチロウ(大丈夫だイチロウ。お前は未だ若い、一晩寝たら直ぐ治るさ。——作者談)。だが、イチロウの誕生日に保健所に行く事に決めた其の矢先、ゴロウは斬殺。だから今日と云う日は、アカネ家にとって大事な聖なる仕切り直しの記念日でも在る。

 アカネは事前に地元の保健所に電話を入れて、営業時間は確認済み。朝食を終えた一同は、勢い余るイチロウを先ずは助手席に乗せてから、後部席にアカネとアカネの母親がイヤイヤ乗車。

「よぉし、皆んな乗ったなァ?じゃあ行くか?」

 アカネの父親がハンドルを握る車は、保健所が開く時間に合わせて家を出発した。アカネの父親の車の乗り心地が非常に良き。それは後部座席に座ると良く実感出来る。マズ違法改造したエンジンの爆音。「ブウぅン、ブウウぅぅぅンっ!ボフっボフッ!」後部座席が激しく振動しては至極快感。オウトマティック車とは、運転手から考える“意思”を奪って勝手に暴走、道行く人間や獣を簡単を轢き殺す殺傷能力を帯びた小さな要塞。悪魔の狂気の凶器。走り屋とはマニュアル車のみをチト病的に愛す習性を持つ。故にアカネの母親の夫の父親がシフトを変える度、車の速度が急激に変化。その余波で豪快に揺さ振れては居た堪れない状況に陥いる後部座席。体内にて揺れる胃がチト気持ち悪し。乗車する人間は確実に嘔吐を催すと云う、何とも人情味溢れる父親の愛娘のアカネが愛する父親ならではの運転捌き。今ではスッカリ物腰は非常に柔らくなったが、嘗ては暴走族の総長を張って居た過去を持つアカネの母親の夫の娘の父親。怒らせたらチト危険な初老の優しい糞老人。アカネも母親も敢えてオ互い車の免許を取らない理由は此のアカネの父親。もしもアカネ達が運転免許証を取得して自身で車を運転しだしたら此のアカネの母親の夫は確実に拗ねる事を熟知する二人の女史。更に父親と母親の娘で在るアカネの其の実の父親の運転技術がチト未満な事も重々承知の彼女達。だが敢えてソノ点は追求しない母親と其の娘。とても複雑な人間関係の描写と些細な家族の思い遣り。オモテナシの心。そして読み辛さが此処に在り。

 



 第五.三話 「ホラ、もう其処までニンゲンが近付いてんよ!」

 

 (————..嗚呼..ン?此処、は何処だ..?俺、未だ宇宙に居んのか?にしてはチト獣臭いな..地球で嗅いだ懐かしい獣臭がする)

 眼を覚ましたゴロウ。「パチパチ」瞬きを何度か繰り返したゴロウ。二個の眼球が顔面に嵌って居て、「クンクン」鼻は一つで鼻穴は二個。「    」耳を澄ますと其れは左右に一個ずつ。「フワぁぁん..良く寝た(良く失神したの誤植)」口は大きな一個で展開。如何やらミユキの云う通り、俺はマタ地球人に生まれ変わったみたいだ、だがチト様子が可笑しい..横たわって居るのは確かだが、目線が限り無く地面に近くて、目の前を靴を履いた人間が歩く脚が見える(俺の国は土足厳禁だぜ..?[#「?」は縦中横]もしかして俺、外国人に生まれ変わったのか?)。更にゴロウが可笑しく感じた事が、自分が檻の中に居ると云う事だ(俺は外国人で、尚且つ刑務所に入れられてる極悪人..なのか?チト敷居が高いぜよミユキさん..)。ハッ、まさかソンナ筈は無い、俺は未だ失神世界の中だ..ゴロウは右手で右眼を擦った。

(ン..?)毛深い右腕をゴロウの左眼は見た。剛毛と比喩する中途半端なモノでは無くて本格的な毛深さ。本格派。体毛の色は茶色で完全統一(アアそうか..ヤッパ俺は欧米人のゴロウに生まれ変わったんだな。..ン?ちょっと待てよ..俺がイマ深層世界の中で呟いてる言葉は外来語なんかじゃ無い..昔の俺が喋ってた言語だ..)。

 時間が過ぎて行き、徐々にゴロウの『意識』は確実に覚醒して行く。此処は確かに宇宙何かじゃ無くて大陸の何処か。チト首元に違和感を覚えたゴロウ、其の毛深い右腕の掌で触れてみた。首輪、をして居たゴロウ。初めはネクタイだと思ってたが、この感触は革だ。革製のネクタイだ。

「あのぉ、スミマセン..」

 唯一ゴロウの視界に入っては消える人間の脚に向けて、優しく呼び掛けてみた。無視された。完全無視のタチの悪い無視。初めは穏やかな御願いを訴えて居たゴロウだったが、無視。完全に無視。最低でも一人の人間が其処に居る。ゴロウの二個の眼球世界の中を振り子の様に行ったり来たり、忙しく揺れる二本脚。動き易さを追求して居るのか?黒い運動パンツ(トレパンとも想像は可)を履いて居る二本脚。靴はチト汚れが目立つ白い運動靴。この人間は機能性を重視した環境下に置かれて居るのが分かる..などの勝手な妄想をしては気持ちを抑えて居たゴロウだが、ここまで圧倒的に無視をされると流石にチト苛々して来た。

「アノぉっ?!チョットすみませえェん!」

 大人げ無い事を承知で叫んでみたゴロウ。

「アっ、もおォ今日は一体如何したのかしら?ペロ、何時もはコンナに吠えないのに..ミソノさあァんッ!?ちょっとゴメエエェンっ!ペロ、ちょっとだけで良いから様子見てくれるうゥッ?!何か訴えるみたいなのォ、私ねえ今ちょっと手が離せないのよ!ペロにオヤツでもあげて落ち着かせてやってくれないかしらァッ?!」

「ハアぁああい了解っ!」

 ゴロウの推測では、最低でも二人の人間が此処の空間に存在して居る。二人とも女性。その内の一人の名前はミソノ。ミソノがモウ一人の女性に声を掛けた。名前は未だ分からない。ここで俺がチト疑問に思った事が二点在る。一つ目が先ずオレの名前はゴロウでは無くて“ペロ”だと云う事。次にコノ成熟した成人男性の俺に向かって「オヤツでもあげといて落ち着かせて」..小馬鹿にされてんの..俺?“オヤツ”、“でも”、“あげといて”、そして“落ち着かせて”..この四つの言葉の全てが俺の人間性を完全否定してるじゃ無いか..。理解に努めようと試みるが其れが出来ないゴロウ。この時点で感情が、既に怒りの沸点を軽々と超えて居たゴロウ。吼える。

「バウっ!ウゥフ!?ウォウワン?ゥゥウゥフ、バウ?!ウォォォンっワンっ?グゥゥゥ、ワン?ウォフウォフ(ちょっとスミマセン!さっきから何度も呼んでるのに無視ですよね!?僕の事もしかして馬鹿にしてます?僕が一体貴女達に何か不適切な行動や発言をしましたっけ?!イイエ、してませんよね?だったら一体何故、僕に対して此の様な不遜な態度を取るのですか?非常に不愉快なのですが)。」

「はあァいペロぉ、如何したのお今日は?良い子だからキミは、泣かないの!可愛いねえ良し良し!ペロはとっても賢いからお姉さんトッテモ大好き!今オヤツあげるから待って!」

 其れ迄は人間の二本脚しか拝む事が出来なかったゴロウ。二人の内の一人、ミソノだろう、彼女の両脚が檻に寄って来ては急にしゃがみ込んだ。だがソレでもゴロウには彼女の顔を確認する事が出来ず、見えた部位は精精が彼女の二つの膝小僧。そこからミソノの左手らしき腕が、ゴロウが居る檻の鍵を「ソぉぉ..」っと音を立てずに解錠。ゴロウが表に逃げる事が出来ない程に檻を開いて、右手を檻の中に差し入れた。ミソノの掌の上には幾つかのオヤツが乗って居て、ゴロウの目の前で暫くの間静止の状態。「さっさと喰え。」と云う挑発行為。ゴロウは此のミソノの行為に対し、瞬時に憤慨を覚えた(俺を誰だと思ってるんだ?馬鹿にすんな、俺は人間で在って決して獣なんかじゃ無いぜ?)。

 だが気が付くとゴロウは、檻の中で自然と正座(お座り)の体勢を取った後、「ペロペロ!」勢い良くミソノの掌のオヤツを貪っては、完食した其の後にも執拗に舐め廻してしまう有り様。

「キャハッ!くすぐったあいっペロったらあ!ふふ..ホント良い子ね、ペロは」

 ゴロウが散々に舐め廻した涎でベトベトのミソノの右掌が、優しくゴロウの頭を何度も撫でる。何故だかゴロウは其の瞬間、今迄の人生では味わった事の無い様な安堵感を感じてしまった。こんな快感はアカネとの性行為でも体験した事は無かった。イヤ..違う部類の快感、思わず涎が口内から出てしまった程。兎に角イマ此の瞬間は、目の前のミソノに生命を愛撫されて居る様な安心感(アァ..この一時が永遠に続いてくれたら良いのに..)、赤子のゴロウ。菩薩の掌から発せられる愛の熱波が心地良いゴロウ、そこから急に個体を檻の中で「ゴロンごろん..」するゴロン、いやゴロウ。ミソノに忠誠を誓う“腹見せ”の技も特別に披露(もう如何にでもしてくれミソノさん..俺のイノチ(生命)は貴女と共に在る)。

「アハっ可愛いッ!キャハッ見て見てぇフサエさん?!ペロったら涎イッパイ垂らしてるうッ!」

 檻は其の後ミソノによって再び施錠されてしまい、ゴロウは表の世界に出る事は出来なかった。ミソノに介抱されたせいか?何故だか気持ちが落ち着いたゴロウは、其れから両腕を地面に置き、大きな頭を其の両腕に乗せた後、夢に落ちた。

 ペロを意識し出してからのゴロウが迎えた沢山の朝と夜。読者の皆さんにはツイ今し方、ゴロウが宇宙からの転生を終えた..この様に勝手解釈されて居られると、作者も勝手に解釈。否や。チト獣ペロの道は長く悲惨なモノだった。ペロを代表とする獣世界には、人間が残された人生の距離として計算する“一日二十四時間”の解釈など無い。獣達が時間が流れて居るのを把握出来るキッカケは“飯”。殆どの時間を檻の中で過ごし、職員達に連れられて行われる散歩(飯の時間の次に至極の一時)と、敷地内で束のマ開放される娑婆の世界(散歩の時間に匹敵する極楽の一時)の時間も、確かに“時間”の一種では在るが、飯に敵う時間のヒトトキは無い。この飯をこの保健所でペロは幾度も口にして来た。初めの頃は未だゴロウの自覚は在ったが、此の儘ゴロウを檻の中、首輪をされて全く自由が効かなくなって居る状態で、「俺はゴロウ、人間ダ!」これを自負し続ける事に、一体何の意味が在る?限られた環境下で幸せに生きる唯一の道、自己洗脳。自己に新たな人格(ゴロウの場合は犬格)を植え付ける事によって精神的負担が半減、そして思い込む事により新しい環境の中でも幸せ(ゴロウの場合は散歩を含めた適度な運動。そして矢張り、メシ)を見付けられ、その幸せを軸に一生懸命生きて行けると云うモノ。何時の間にか、ゴロウはゴロウでは無くなってペロだと認識し始め出して居た。

 獣は基本的に寝る。人間と違い、勉学や勤勉、娯楽三昧等の社会性を持たない彼等は、寝る。か、喰う。か、駆ける三昧の日常。おやおや..今のペロは「グゥ..ピイィ..グウ..ピィィ..」就寝三昧のご様子。施設内は人口光で日中は照らされて居て、人間社会の時間に合わせて夜中は消灯となるが、獣達には夜は長く寝る暗いヒトトキ位にしか捉えて居ない。巨大施設の中の暗い夜が明けて、明るい人口光の朝が天井から照らし、今日もマタ新しい一日が始まると云う人間の解釈は〇。人間時間で云う所の午前〇二時キッカリの丑三つ時、ペロ(最早ペロ)はメス(女)の声を聞いた。

「ゴロウさん?貴方はペロでは無くゴロウさんです、どうか忘れないで..」

 今日も施設内に蛍光灯製の人口光が照らす、清々しい朝がやって来た。緊急病院と同じく、原則的にコノ施設も二十四時間体制で運営して居る。必ず一名は建物内に常時待機、獣達の安全を監視。昨夜から今朝に掛けての宿直はミソノ。今日は昼の十二時までの勤務。この施設の一般開放の時間帯は、平日の朝十二時時から夕方の十七時、週末の土日が朝一〇時から午後の十六時まで。営業時間前の施設内はチト忙しい。獣達の世話に加えて、掃除をしたり、実務や雑務を熟したり..したり顔で出来る程甘くは無い職種だ。大きな施設、玄関出入り口の脇に事務所が在って、此処で何時もアサ一〇時前ギリギリに職員会議が開かれる。此処で働く職員の数は全部で八名。当施設の責任者はフサエ、昨夜からの宿直はミソノ、それ以外の職員はサトウ。全員が女性。アサ職員達が続々やって来ると、中の獣達は吠え出しては、其れ迄は静かだった施設内が光速の速さで喧しくなる。愛情を求めて吼え捲る彼等。

「お早う御座います、皆さ..」「お早う御座います!」

 フサエの第一声に対して、職員達の光速の速さで応答。フサエの挨拶に被せて、勢い良く挨拶返しをした彼女達。フサエの語尾が切れた「さ..」に対して、職員達の「す!」。実はこの描写には別の意味も含まれて居る。陰と陽。フサエの「..」の陰、そして職員達の「!」が陽。

「今日は皆さんにお知らせが在ります。此処に長年居てくれたペロ..明日、獣医さんが此処にやって来て安楽死の処分に決定しました」

 この知らせを聞いた全職員達からは悲鳴が出た、が誰も泣く様な事はしなかった。もう直ぐ営業が始まる、一体誰が、涙目で両眼が浮腫んで居る職員達から動物を引き取りたいと思う?そして敢えて此処ではペロの処分理由も描かない。読者の皆さん自身で調べて欲しい。廻りから教えられる情報よりも自身で体験する経験の方がチト重みが違う。

「..じゃぁ皆さん良いですか?今から玄関を開きます、今日も私達ミナ元気に、今日も沢山の人に私達の子供達を保護して頂ける様に頑張りましょう!」

 フサエが音頭を取った一〇時、保健所の玄関が開かれた。玄関先には、既に一〇人程が列を組んでは並んで居た。其の中には読者の皆さんにも馴染みの在る四つの顔もチラホラ。この日は週末の土曜日と在って平日よりも出足は早い。営業開始早々、市場価値がマダ高めで、更に若い犬猫が優先的に次々と競り落とされて行く(支払うのは手数料のみ)。保健所も所詮はペット屋と名称は違えども、訪れる人間の目的意識は何ら変わらない。彼等が求める獲物は血統書付きの家畜。若ければ若いだけ良い。血統書付きでも老犬は番外、雑種犬?ハッ!笑わすな、そんなモン全く話にもナラナイ。一般論

「イチロウ、お母さんとズット一緒に居なくても良いから、貴方は自分で欲しい犬をジックリ探しなさい。」

 玄関先の列に並びながら、アカネと手を繋いで居たイチロウ。玄関が開いた其の時、アカネが手を離した其の時「急いで走っちゃ駄目よ、危ないから」イチロウの頭を優しく撫でた。「ウンっ!」ネジが外れたかの様に、イチロウは其の時アカネの元から放たれ(待てないモンっ!)建物の中へと消えて行った。大人とは子供と違いモット視野が広い(筈)、落ち着いて両親と共に中に入ったアカネ、其処で眼が合った女性職員と挨拶を交わす。丁寧な御辞儀付きの「お早う御座います。」「お早う御座います。」

 ついさっき、ペロの悲報を聞いたばかりだが絶対に顔には出さないミソノからの此れまた丁寧な御辞儀で応酬するミソノ。

「今日はどう云った子をお探しですか?」

「ハイ、あのォ..此処に居る犬の中で一番将来が見えなくて、そして一番安楽死に近い犬って..一体どの子ですか?御免なさい、答えるのがチト難しいかと思うんですけど参考迄に知っておきたくて..」

 こんな素っ頓狂な質問を受けたのは、此処で勤務し出してから初めての経験のミソノ。

 (何故にコノ女性は私に安楽死される動物の事を聞いてるんだろう..?そんな事聞いて如何するんだろ?)

 ふとした発言で簡単に人は傷付く。アカネに不快な思いをさせぬ様、少しの間を設けてはアタマの中で言葉を選択、そして名回答を模索するミソノ。本来ならば此の様な発言はしてはならないのだが、ついウッカリ内部告発をしてしまったミソノ。

「..アソコの檻に入れられてる犬が云いたくは在りませんが..死期がもしかしたら、近いかも知れません」

 此処の犬舎の檻の総数は大小含め一〇〇〇個<、其れ等が沢山並ぶ中の一個の檻をミソノは指差した。

「見せて頂けません?」

 アカネは尋ねた。

 

 イチロウは相変わらず、この一〇〇〇個<の檻の前を行ったり来たり忙しい。午前中の一〇時キッカリに保健所に入ってはアカネと一緒に居た母親が自分の腕時計の時間を確認すると、既に十一時四十八分を過ぎた辺り。生い先短し老人も一応は生身の人間、一丁前に腹は減る。アカネに時間の事を云おうか?母親が思った時、

「イチロウぉ!貴方は居た?見付けたのォ!?」

 自分達から遠く離れた檻の辺りに居たイチロウを叫んだアカネ。

「ウンっ!お母さんッ?お母さんはァッ!?」

 小走りで彼女に歩み寄って来ては股間部に抱き付いた後、顔を上げてアカネを見詰めた。幼子の特権。

「うんッ!お母さんも決めた。じゃぁ、イチ、ニィ、サンっで言い合いっこしよっか?そしてモシモお母さん達が違う犬を選んだらソノ時は二匹共飼いましょ!可哀想だもんね。良い?イチロウ、行くわよ?..イぃチ..ニぃ..の。サンっ!」

 アカネの人差し指とイチロウの人差し指は、同じ檻をハッキリと指差した。

「この犬ゥ、お母さあァんッ!」

「!」

 イチロウが右手人差し指で指した檻とは目の前の檻、アカネが指を指した檻と一緒。

「ホントぉっイチロォっ?!本当なのッ!?」

 驚きで思わず声が裏返ったアカネ、ツイツイ興奮して今の様な“らしく無い”台詞を吐いてしまった。

「ウンっ!」

 二人が見詰める檻の中の犬は、見た目は成犬で中型のオス(らしい)。毛の色は全体的に茶色で耳は垂れて居る。両眼は左右かなり離れて居てヒラメ顔、良ぉく見ると眼球もガチャ目(不同視)の個性派。そして耳同様に眼も垂れ眼。前向きな云い方をすると「愛嬌が在る。」人間社会では喩えられるが、恐らくコノ犬を見てソノ台詞を吐く人間など皆無だろう。単刀直入、身体は兎も角として、非常に醜い形相なのだ。職員のミソノ曰く、「犬種は全く不明で、勿論“保護犬”と云う体で確かな年齢も分かりません。私達が思うに、推定年齢は大体五歳から八歳位の間?と見て居ます。私はコノ子を早く処分したくて綺麗事を言う気は全く在りません。この子は様々な犬種の見た目の駄目な部位が混じり合った様な雑種犬です。ですが褒められる点は、様々な犬種の中身の良い部分が混じり合った様な雑種犬何です!」

 (駄目だ..平静を装って居ても、この子の明日の事を思うとツイ感情的になってしまう..どうせコノ子は貰われ無いに決まってる..)

「..本当はこんな事言っちゃ駄目何ですけど..ハイ、この子が近々殺処分になる予定です。この子、実は此処の保健所で四年間位居りまして..私達も亡くなる迄お世話をしたいのは山々何ですが、色々と都合が在って..」

「イチロウ?この子ね?この子が良いのね?」「ウンっ!この犬が良いッ!」「分かったイチロウ、そうしましょ」

「ミソノさん?と云う訳でコノ子を今日は頂いて帰りますから、宜しくお願いします。」

「!..」からの腰が抜けてしまったミソノ、思わず床に後頭部から落ちて倒れてしまった。

「ミソノさんッ!大丈夫?!大丈夫!?」其の場に居たアカネが声を上げて蹲みこむ。

「ダ、大丈夫です..只少しビックリしちゃって..」地面で何度か深呼吸を繰り返したミソノは、アカネの左手に誘導されて立ち上がった。「バクバク..」動悸を重ねる心臓がチト痛いミソノ。大失態を“客”で在るアカネ達に見せてしまった社会人失格のミソノ。そんな事など今は如何だって良い「ア、有り難う御座いますッ!」未だ眩暈がする中、勢い良くアカネに向かって頭を下げた。其処からは実務的な手続きを事務所にて済ませ、一通りの説明をミソノから受けたアカネ、勿論イチロウは上の空、一緒に居るペロに顔面を「ペロペロ」の恩恵を受けて居る。最後に手数料を支払って無事終了。この瞬間からペロは公式にアカネ達の家族となった。

 これ迄は保健所の首輪をして居たペロ、事務所内にて長年付けられて居た首輪を外され、簡易的では在るが、ミソノから貰った首輪、そして首輪にリィド紐を新たに装着。ペロのリィド紐をイチロウが優しく車まで誘導。そしてミソノも態々アカネ達の車の所まで一緒に同行してくれた。

「アカネさん、イチロウ君。今日は本当に有り難う御座います。」

 イチロウとペロは父親の隣りの助手席に乗り、案の定アカネと母親は曰く付きの後部座席。チト二人は腹を空かせて居て、荒い父親の運転で乗り物酔いをする事必死。皆が車に乗り込んでドアを閉めた。助手席のイチロウはペロを貰えた事が嬉しくて、頻りとペロの頭を撫でて居る。ペロは尻尾を振り捲り「ペロンチョペロンチョ」イチロウの顔面を愛撫中。後部座席のアカネは窓ガラスを開けて、ドア越しに立つミソノに別れを意味する御辞儀。車内から頭を下げた。

「ミソノさん、今日は色々と有り難う御座いました。」

「アカネさん!それは私の台詞です!本当に本当に有り難う御座います!その子はトッテモ優しい子ですから沢山愛してやって下さいねッ!ペロは其れ以上に愛を返してくれますからッ。じゃあね、ペロ..キャハッ、もお駄目、お姉さん又泣いちゃいそおだもん..本当に良かったね!幸せにね。」

 全員を吞み込んだ車は出発、保健所の駐車場を出る直前に車内のバックミラァ越しに見たアカネ。未だ建物には戻らずソノ鏡の中の世界に映り込むミソノ。嬉しさと幸せと哀しさの度合いがアカネにも充分に伝わって来る程の別れの仕草。アカネ達の車に向けて思いっ切り両手を振り廻してはペロの新しい門出を見送るミソノが其処に居た。精々が安物の鏡だ、美しい人間の心までは曝け出す事など出来ない。ミソノは泣いて居た。号泣しながら最後に自分の気持ちをアカネ達に伝えたくて、全身を使って感情表現を示した。施設の廻りに居た通行人達はミナ彼女の事を笑っては通り過ぎる。何時の世になっても人間は進化しない。進化を諦めて現状を生きるのも手だ。嫌だ、私はそんな生き方は嫌いだ。だから今日コノ子を選んだ。イチロウの為に、私の為に、そしてゴロウの為に、ゴロウの信念を引き継ぐ為に..

 

 

「っお父さんッ!?停めてェ!車チョット停めてえッ?!駄目吐きそう!お母さんと私、吐きそおッ!」

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