第三話 地球

 日夜、完璧に家事育児の全てを熟す専業主婦アカネ。毎夕食後の片付けだけはゴロウが率先してやってくれる事も在り、夕食を拵えた其の直後には、大抵気が抜けてしまう。息子のイチロウは帰宅後のゴロウが面倒を見てくれるし、一緒に風呂に浸かっては漢同士、浴槽内で一日の反省会をするのも日課。余りにも白熱してしまい、浴槽の中で二人揃ってノボせてしまった事もシバシバ。アカネにとって、毎晩の夕食の支度が一日を締める集大成と云っても良い。

 (フぅ..もう直ぐ今日もお終い..)

 脱いだ専業主婦製の鎧を寝室の衣裳棚に収めるアカネ、家着から寝巻きへと着替える。この瞬間、顔の表情が母親から一人の女に変わる。息子のイチロウは自身の部屋で就寝、アカネとゴロウは一緒に大きなキングサイズベッドに寝る。ゴロウはアカネの左隣に横たわっては、何やらソワソワして居る。其れ迄は横になって居たアカネが「ムクっ」と起きて「ア、あのォ..もうソロソロ取材の方は勘弁して頂けません?..」

 如何やら此処からは二人だけの時間の様だ、作者は此処で御暇するとしよう..と、マァ此処まではゴロウが未だ生きて居た時の話、今は状況が一変。下記の描写が現在のアカネの心情を克明に綴って居る忘備録。

 

 アカネが完全に無防備だった昨晩。何時もの平日の夜、台所の食卓上には夕食が並び、居間でテレヴィを鑑賞して居たアカネ。自分の真横に座るイチロウと戯れてはゴロウの帰宅を待って居た。夕食の前にゴロウと一緒に風呂に入るのが日課のイチロウは、既に全裸の状態。頭にタオルを巻いて、右手には湯上がりで飲む、キンキンに冷えた『フルゥツ牛乳』の瓶。

「只今ァ!」

 玄関を「カラカラ」と開けてゴロウが帰宅。

「ウワワぁぁんッ、お父さぁぁんッ!」

 透かさず背広姿のゴロウに向けて駆け出すイチロウ、抱き付いてはゴロウと一緒に浴室に直行..の筈だった。昨晩も。

 突如アカネを襲って始まった長い夜。病院からタクシィに乗ってヤット今帰って来た。居間に直行したアカネ。三人掛けソファアに腰を落として、深い溜め息の後に泣き声を吐く。

「フぅぅ..本当に疲れた..」

 人間って面倒臭い。ゴロウかも知れない事を聞いて現場に駆け付けて、其処で警察から「チクチク」根掘り葉掘り尋問。病院の待合室で「ダラダラ」目一杯待たされた後、霊安室でゴロウに「ネチネチ」執拗に泣かされた。そして帰って来たのが地球の日付けが変わった今。タクシィで病院から家に向かって居る時には全く無関心だったが、タクシィの車窓から眺めて居た地球は若干明るさを帯びつつ在った。無人且つ無言でアカネを冷たく迎え入れる家。防犯の為に家の全てのカァテンは閉じ切って、照明も全室に点けてから外出したアカネ。家や照明器具は“物”で感情は無い。

 (私も一層の事、モノになりたい..)

 居間の天井の蛍光灯が照らす人工的な光を全身に浴びて、未だ現実逃避に生きるアカネは思った。蛍光灯の嘘臭い光は、例の待合室ので充分。本物の太陽光をアカネの肌は求めて居る。光合成したいアカネの肌。病は気から。

 居間の天井の照明を消した後、アカネは窓サッシ戸のカァテンを全開に開いた。居間の窓サッシ戸は、簡易的な金属製の縁側を挟んで庭と直結。家は道路に面して居て、其の窓サッシ戸越しに地球人達の日々の生活が垣間見れる。今コノ時間は早朝と云う事も在って、人生余命間近の糞ジジイ糞ババア。残された唯一の特技が『早寝早起き』の彼等。威風堂々、大名行列の如くゾロゾロと群れを成しては、窓ガラス戸越しのアカネの視界の中を、右から左、左から右へと次々に不気味に出現しては、儚くも消えて行く(不吉なモノ見ちゃった..)。

 “生”を共有したい為にオモテの世界に助け求めたのに、只でさえ気分が滅入って居るアカネに追い討ちを掛けるかの如く、半分“生”半分“死”の中途半端な人生を生きる老人達を目撃してしまった。

 (何時?..今?)

 カァテンを開けたお陰で、居間の世界に自然光がキリリと差し込んで来る。太陽光を直視してしまったアカネの両眼に鋭い閃光が走り、アカネの頭にヒリヒリとした眩暈が駆けた。思わず無意識で左手を額に翳すがトキ既に遅し。意識がキンキンする。すっかり時間の事など吹き飛んでしまった。これ程迄の夜更かしをしたのは確か高校生の時以来。あの時の夜更かしには愉しい想ヒ出しか無い。お菓子を摘みながら女友達とコソコソ長電話したり..布団に潜り、深夜のラヂオ放送を聴きながら少女漫画を読んだり..。久し振りの朝帰りの感想は、疎外感と悲壮感と絶望感。寝不足と心労が絡まり合って、アカネの神経は未だ「ビンビン」の興奮状態。アカネの深層世界も「キンキン」に冴えて居る。

 初め、アカネはタクシィで自分の実家に直行しようと思ったが気が変わった。家の食卓に放置した儘だった夕飯の事が気になったのだ。ソファアからヨロヨロ立ち上がり居間から出たアカネ。順番に家中に灯る照明を消灯、そして各部屋のカァテンを開ける。最後に台所にやって来たアカネ。先ずは台所の照明を消した後、食卓に腰を下ろした。左頬を左掌の上に乗せて、食卓に肘を突いたアカネ。重力の関係で彼女の頭も自然と左側に傾く。平衡感覚を失ったアカネの視界に、手付かずの状態の昨夜の料理達が斜めの世界、哀しげに並ぶ。アカネに精魂込めて作られたのにも関わらず、手を付けて貰えなかった料理達。料理が故に人間の細かい事情など全く知らない彼等、実は不貞腐れて居た。料理とは喰われて初めてソノ魂は成仏出来る(やんなくちゃ..けど、チト面倒臭い..)。自分の目の前に在る料理を片付ける為にワザワザ帰って来たのだ。だが椅子に一度座ったら億劫になってしまった。左肘を突いたまま暫く放心するアカネ。台所の壁時計が鳴らす「チッチッチッ..」の効果音がイチイチ鬱陶しいアカネ。

「フぅぅ..やろ。」

 漸く立ち上がったアカネ。時間を掛けながらユックリした所作、然し淡々とコツコツと食卓の上を片付けて行く。この後始末は本来ならばゴロウの仕事だが、もうゴロウは此の地球には居ない。自分課せられた新しい家事だ。生前のゴロウが夕食を終えた後、食器を片すのと同時進行で、アカネには一日最後の使命且つ〆の仕事が在った。其れは翌日のゴロウの弁当を夕食の残り物で拵える事。ただ詰めるだけでは無く、ちゃんとゴロウの栄養価の事も考えて弁当を作る。とは云え、一家には食べ盛りの漢が二人。“肉、魚、野菜”料理の数々を均衡良く食卓に並べたは云いが、ヤハリ漢衆一番人気は“肉”。魚と野菜料理だけが余って、肉料理のみ完売の夜もシバシバ。そんな翌る日のゴロウの弁当のオカズは“野菜”のみ(ちゃんと考えて食べないから、こうなるのよ)。アカネの嫌がらせ。無意識と云う『意識』に身を任せて片付けをして居たアカネ。台所にゴロウの弁当箱が無い事に気が付いた。ゴロウは食べた後の弁当箱を、必ず会社の給湯室で洗った状態で家へ持ち帰って居た。毎日弁当を用意してくれるアカネへの感謝の御返し。だが稀に弁当箱を給湯室に置き忘れて帰宅した事もシバシバ。其の為に常備して在る予備の弁当箱を食器棚から取り出した。弁当箱の蓋を開き、先ずはガス釜の中の白米を三分の一キッチリ、空気を加えて弁当箱の中に優しく盛り付ける。そして余白の三分の二の弁当箱の世界を睨み、(具材の組み合わせを如何しようか..?)だが次の瞬間、アカネの思考回路が止まる(そうだった..ゴロウが私のお弁当を食べる事はもう無いんだ..)。だとしたら、昨日ゴロウが持って行った筈の弁当箱は何処に在るんだろう?また会社に忘れて来たのか?

「ア。そうだ..」

 病院から帰る前に受付けの職員から手渡された、ゴロウが殺害時に所持して居た遺留品が収められた大きなビニィル袋。それを貰って帰って来た事を思い出した。

 (あれ、一体何処に置いたっけ..?ア..そうだ、無意識に玄関の靴棚の上に置いた筈..)

 ソファアから立ち上がって玄関口に向かったアカネ、(在った..)大きなビニィル袋を靴棚に見た。其の大きな袋を居間のテェブルに置いたアカネ。袋の口の部分は上質な粘着テェプで厳重に塞がれていて、アカネの手の力では中々簡単に封を開ける事が出来ない。(切っちゃえ)ソファアから立ち上がって、何処からか裁断バサミを持って来たアカネ。(ウッ!..)袋の封を開けたアカネを先ず襲ったのは、未だ新鮮で生臭い血の臭い。ゴロウ発アカネ着。幾らゴロウの体液だとしても吐き気がする。袋の前で思わず嗚咽したアカネ。堪らず座卓の上に在る『ネピア』から、チリ紙を二枚引き抜いて、光速の速さで強引に両方の鼻穴に詰めるアカネ。試合再開。袋の中には、全体が真紅の赤で染まった本来ならば純白だった筈のワイシャツ。

「ココだ..こんな小さな穴が、あんな大きな身体のゴロウを殺したんだ..」

 直径五センチメートル程の直線の穴が、幾つもワイシャツの腰辺りに開いて居て、血で特に赤く染まって居るのも其れ等周辺。余程の出血が在った事が素人のアカネでも分かる。袋の中には血塗れのワイシャツの他に、背広の上下(上着の腰辺りにも刺した穴)、ネクタイ、革ベルト、革靴、靴下、財布、携帯電話..。ゴロウの大体の私物はアカネが選択して居た事も在って、遺品の全て其々に想ヒ出が詰まって居る。失意に暮れるアカネを「これでもか」と煽り捲る遺品達。上質な牛革で作られた本革手提げ鞄が、袋の底から出て来た。結婚前の二人がデェト中、偶然入った店でゴロウが思わず一目惚れした物だ。其の頃の二人にはチト値段は張って居たがナンノソノ、そこは恋する乙女ことアカネ、奮発して其の場でゴロウに買ってあげた逸品。其れが主人を失い、購入者のアカネの元へと舞い戻って来た。再び泣きたい気分に襲われるアカネ。だが今は弁当箱の行方が第一優先、「グっ」と堪えるアカネ。

「在った..」

 手提げ鞄を開けたアカネ、沢山の書類が詰まったソノ底に弁当箱を見付けた。アカネは弁当箱を手提げ鞄から取り出した後、蓋を開けてみた。アカネが思って居た通り、几帳面のゴロウ宜しく弁当箱は綺麗に洗浄済み。アカネが一緒に取り出した箸箱の中の箸も以下同文。だが、せめて昨日だけは弁当箱と箸は洗って欲しく無かったアカネ。何よりも箸。直接ゴロウの口と交わった箸。ゴロウの体液がこびり付いて居た筈の其の箸を「レロレロ..」舐め廻す事によって、生身のゴロウを最後にもぅ一度感じる事が出来たのに..。

 (アレは例えば、私が愛情込めて作った御弁当の白米。御飯の上に振り掛けた『三島食品ふりかけ ユカリ』。

「アカネさぁ、今日の『ユカリ』本当に旨かったよ!」ゴロウが帰宅早々、私に言ったっけ..。

「..ゴロウ?ユカリって..誰?私の名前..知ってる。よね?..」ウッカリ浮気と勘違いして、怒り狂った私はゴロウを執拗に問い詰めた。だけど真相は私が御飯に振り掛けた『三島食品ふりかけ ユカリ』の事だった..。今思うとチト恥ずかしくも在り、懐かしくも在る愉しい想ヒ出..)

 只の空っぽの弁当箱なのに、沢山の過去の思い出がアカネの脳裏には蘇って来る。左手に弁当箱の蓋、そして右手に弁当箱の本体を掴んだまま、ソファアに座って静止画のアカネ。小一時間は確実に妄想に耽けて居た。集中力が切れたのか?妄想の呪縛が解けて、フト居間の壁掛け時計を見た。地球は早朝の〇八時過ぎ。実家に預けて居るイチロウの事、ゴロウの葬式の事、夫婦名義の色々な書類変更等、数え出したらキリが無いし、考えたくも無い。もう頭が爆発寸前のアカネ(少しでも仮眠しなくちゃ..)。だがイマ座っている居間のソファアから立ち上がって、わざわざ寝室に向かうのがチト億劫。それから無音の世界の中では寝たく無い。弁当箱に蓋を被せてテェブルに置いた。そして同じく座卓に在ったリモコンでテレヴィジョンを点けた。この時間帯の民放放送と云えば、下品且つ下世話な報道番組が殆ど。透かさずアカネはNHK教育テレビにチャンネルを変えた。会社に出社したゴロウを見送った後、何時も息子がイチロウする視聴者や演者達の全て、誰も傷付く必要性が無い道徳を問うチャンネル。今放送されて居るのは、この時間帯の人気番組『ハタラクオヂサン。』。これは三人の良い歳をしたオヂサンが、時や場所が違えども、其々が自力で『宇宙』を目指すと云う内容。アカネは座って居た体勢からソファアに横たわって、この番組を傍観視。肉体と神経、両方の疲労が溜まって内容が全くアタマに入って来ない。だがソレで良いのだ。数分程で精神がようやっと落ち着いて来たのか、チト両瞼が重く感じて来たアカネ。

(瞼を開くって、実は物凄くチカラを必要とするんだァ..知らなかったわ、私..駄目、私..もォ限界..寝なくちゃ..眠ィ)

 深い眠りに堕ちた。

 


 ———病院から朝方早朝に帰宅したアカネ。手付かずの昨晩の夕食の片付けを済ました後、居間のソファアに腰を下ろし、其の儘ソファアの上で寝落ち。再び目を覚ましたのは午後十三時過ぎ。

 (やっちゃった..こんな時間まで寝てた。)

 昨晩の病院での泣き疲れのせいか、酷く頭痛を感じ、両眼も手で執拗に擦った後の様なヒリヒリとした鈍い痛みが在った。勿論疲労で体全体がダルい。だが此処でジッとはして居られない。今日の夕方十七時に、ゴロウを病院まで引き取りに行かなければならない約束を、事前に病院側と交わして居た。新しい生命よりも死人を量産する速度が速い地球の現実。霊安室のベッドは常に奪い合いの実情。

 起きてから暫くの間、寝て居た体勢の視界に入り込んで居た天井。其の一点を寝惚け眼で眺めては、ソファアから全く動こうとしなかったアカネが漸く身体を起こして、実家に電話を掛けた。預けて居たイチロウの事も在るが、何よりも母親の肉声が聞きたかった。「プル..」一回目の呼び出し音の出出しで母親は直ぐに電話に出た。娘の事が心配で、寝ずに電話の前で待機して居た母親。電話をアカネに掛けて様子を伺う事も出来たが、肉体的にも精神的にも現場で追い詰められて居るで在ろう、今の娘の邪魔はしたく無いと云う母心。

「..如何だい、少しは落ち着いたかい?アカネ。」

「エッ?お母さん..どうして私って分かったの?」

「分かるわよォ、だってアカネのお母さんだもん!..ところで貴女の方は大丈夫なの?」

「ウゥゥん..分かんない。今自分は大丈夫なのか、そうで無いのかも今は全然分からない..。如何したら良ぃい?お母さん?..」

「大丈夫。大丈夫よアカネ、お母さん達が一緒に居るからね。」

「うん..有難うお母さん。どぉ?イチロウは如何?元気にしてる?私が急に居なくなって心配してない?」

「イッちゃんだったら大丈夫。お父さんが今も一緒に表に連れてって此処には居ないわ。何とか誤魔化してるから、こっちの方は全然気にしなくても大丈夫。」

「お母さん?あのね、ゴロウのお葬式..そっちでやっても良い?」

「ゴロウさんのお葬式の事はね、私の方からアカネに言おうと思ってたんだけどさ..この家で全部済ませた方が良いって、お母さんは思うのよ。」

 アカネは自分の考えを全て見透かして居た母親に感謝。そしてコノ今住んで居る家も、自分の実家の近くに敢えて購入を決めてくれたゴロウにも感謝。義理の両親との些細な関係でも嫌がる若夫婦も多いのに、ゴロウは何時もアカネの幸せを最優先に考えて来てくれた。

 (ゴロウが居ない今、頼りに出来るのは私の両親だけだ..)

 電話を切ったアカネは脱衣所に向かった。顔面は涙で塩っぱくてネトネト、全身は冷や汗含めてベタベタして居たアカネ。全てを脱いだアカネは風呂場に入り、水圧チトきつめの熱湯シャワーを暫く全身に浴びて、精神的な疲れでチト働かない深層世界を無理矢理起こす。

 (病院には夕方の十七時..夕方の十七時..)

 本日の第一優先課題を、深層世界の中で呪文を唱える様に輪唱を繰り返すアカネ。これは小さい頃からの癖で、決めた事は必ずソノ当日に完結させたい彼女の性質。自身の深層世界に呟いては自身を徹底的に洗脳させると云う仕組み。過去の実績で云えばチト時間は掛かったが(私は絶対にゴロウと結婚する..ゴロウは必ず私の事を好きになる..私達は一緒になる運命なのだ..)、この戦法で見事ゴロウも落としたと云う、アカネの大蛇の執念且つ病的な思い込み。バスタオルを身体に巻いて脱衣所から出て来たアカネは、其のママ又居間に戻り、座卓の上に置いて在るゴロウの遺品が入って居た大きなビニィル袋。ソノ袋の横に無造作に並べてあった小雑誌を捲る。この小雑誌は今朝、支払いを済ました病院の受付けで貰った物だ。

『ザ 葬式マガジン 春季〜夏期号』

 様々な葬儀業者の概要が細かく記載されて居て、更にお得なクゥポン券なども掲載。正に遺族必見の葬式情報誌。一体何処から葬式に手を付けて良いのか分からない遺族の為の導き書。

 (葬儀屋さんが一杯載ってる..私には全然分かんないや。)

 アカネは直感で、一番最初に目に付いた電話番号に電話を掛けてみた。

「ハイもしもし!当社に面倒を見られた御遺体は必ず天界に昇天!迅速且つ木目細かいサァビスが自慢の『サトウ葬儀店』でぇすッ!」

 アカネの二回目の呼び鈴で出た電話先の男。扱う商材が“死体”の葬儀屋と云う訳で、もっと厳かな電話の対応を予想して居たアカネ。思わず面喰らってしまい、暫しの無音世界が受話器を握る二人の間に流れる。先ずアカネが一通りの内容を電話の男に伝えると、ソコから男は意図的に少しの間を置いて、(この度は誠に御愁傷様です..って言われるんだわ、きっと..)アカネは先読みして居た。

「アァお客さん、ビックリしました?ハハっ、驚きますよねぇ..葬儀屋が魚屋みたく威勢が良かったら!この度は誠に御愁傷様です..ナンテ期待してましたぁ?私は決して安易な想いで、御遺族の方に御悔やみの言葉など言いませんよ。第一、お互いの人間関係も未だ出来上がっても無いし、更にコレから暫くの間は、廻りから同じ台詞を何度も何度も聞かされるのですから..地獄ですよ。私なら嫌ですね、ですから言いませんよ。そして今日は如何云った御相談でしょうか?」

 この男には商売っ気が在るのか?見事に肩透かしを喰らったアカネ、だが確かに一理在る。意外性から始まった二人の会話、何時の間にかアカネは男の話を聞いて居た。“葬式”と云う商品を電話越しで売り込む事を初めは予測して居たが、今度は優しく穏やかな口調で葬式の一連の流れを説明した。男の発する一語一語に魔法が掛けられたみたく、アカネの深層世界に『絵本おそうしき』の物語がヤンワリと染み込んで来る。其の『絵本おそうしき』の中にアカネが登場、其処で自分がゴロウの葬儀を凛と執り仕切る“絵”が自然と頭に浮かんで来た。其れと同時に幼心に帰って居るアカネ、静かで穏やかな口調の男の声がソノまま自分の父親のモノと化けて、枕元で寝落ち寸前のアカネに『絵本おそうしき』を優しく読み聞かせる。

「如何ですか..アカネさん?」

 この男の一言に「ハっ!」と我に返ったアカネ。出来れば寝落ちしたかった..とは流石に告白出来ない、「早く次のペェジ..あ、イエ、大体の内容は分かりました!私としては、今回の夫の葬儀の全てを『サトウ葬儀店』さんにお任せしたいと考えて居ます。」この台詞の誤魔化しが精一杯のアカネ。此の後に始まったのが『サトウ葬儀店』の具体的な商品案内。サトウ曰く、葬式は飲食業界。予算が在る遺族の葬儀業者が仕切る葬式パッケェジは“高級レストラン”。流石にテェブルクロスの席に座って居るだけで葬式が終わる事は無いが、最小限の労力で最大限の満足感が得られる“贅沢なコォス料理”。葬儀に集まった参列者に、“格の違い”や“身分の違い”を徹底的に思い知らせたい遺族向け。逆に予算が無い葬式パッケェジは“大衆定食屋”。お冷も料理の小皿も全て自分がカウンタァから運んで来る自己完結型。この商品、見方によると“貧困”や“貧乏”な遺族を連想させるかも知れない..イヤイヤそれは前時代的な発想で「今を生きる人間(自分)の為に使いたい!」と云う思考を持った遺族用の人気商品だとサトウは云う。「時代が変れば、人間の思想や価値観も同じく変化するもんですよ..」そして何故か『サトウ葬儀店』は、“中間”一般的の商品パッケェジは扱って無いと云う。男曰く「“一般的”と云う言葉が嫌い。」だの事。追記として男は「拘り屋さんには“カスタマイズ御葬式”を是非お薦め。料金要相談。」との事。是非一度、『サトウ葬儀店』まで御一報アレ。 

『絵本おそうしき』の朗読に力を注ぐのでは無く、自社の“商品”を如何に高く売り付けるか?に情熱を注入するのが本来の商いの姿なのでは?思わず肩透かしを喰らったアカネ。

 (この男の人って..情熱的?..其れとも無感情なの..?全然分かんない不思議な人..けど面白い人。決して悪い大人のオヂサン何かじゃ無い..)

 三〇分間程、男と電話で会話をしたアカネ、其の頃には直感と好奇心で『サトウ葬儀屋』に決めて居た。病院との待ち合わせ時間も確かに迫って居たのも在るが、電話越しに「ビンビン」伝わって来る男の謎めいた人間性をアカネは気に入った。そして生前のゴロウみたく、無駄な無意味な社交辞令を一切言わない事もチト好感度大。「今日の夕方十七時キッカリに、主人(ゴロウちゃん)を病院に引き取りに行かなければなりません..」この様な急を要するアカネの問い合わせに対しても、男は全く焦る事無く対応してくれた。

「では、自宅までお迎えに上がりますよ.. .」

「アっ!あのッ?スミマセンっ、電話を切る前にッィ!..貴方の名前を私が伺って居ないが故に、未だ描写が“男”扱い何ですけど..御名前って、何ですか?」

「アっ、とォ!スミマセンっ!如何やら私、『絵本おそうしき』を真剣に語り過ぎてたみたいですな!改めてアカネさん、サトウ。私はサトウです。」

 そして電話の最後で、改めてサトウは彼女の家まで迎えに来る旨を伝えたが、其れをアカネは丁重に断った。ソレならばと、サトウは病院にゴロウを引き取りに行く際の車種の情報、アカネとの夕方の待ち合わせの時間を説明した。

「車は目立たない漆黒色のセダン。待ち合わせは病院前のバス停で十六時五十九分。病院との約束の時間は十七時〇〇分でしょ?残りの一分は病院迄の移動時間に充てて、事前打ち合わせ一切無しのブッツケ本番で向かいましょう!」

 そうやって会話は終わった。

 (サトウさん..って云うんだ..)病院でお世話になった医師と看護師も『サトウ』だった..これは何かの縁だろう、アカネは思った。だが今はソノ相手が“葬儀屋のサトウ”だろうが、“世界一のサトウ”が運転しようが、世界中のサトウ含め、赤の他人と一緒に狭い車内の特殊な空間を共有したく無い。そして今の自分には他人を思いやる余裕は全く無い。些細な事で車内のサトウの気分を害してしまい、ソレが自分の深層世界に跳ね返って来て、自身が“落ちる”事も避けたい。最強の消去法コト“一匹牝狼”。乗り換えがチト面倒だが、市営バスで病院に独りで向かった方が気が楽。実家の父親に車を出して貰う事も出来るが、肉親とも今は会いたく無い。今は本当に独りで居たいアカネ。

 サトウとの黒電話を終わらせたアカネ、ふと気付くと裸でバスタオルを巻いたまま。

 (時間が無いから急いで用意しないと!..)

 内股気味の小走りで居間から寝室に駆けたアカネは、洋服箪笥を豪快に開けて、直感を頼りにして何点かの洋服をハンガァと一緒に取り出した。どんなに焦って居ても洋服の組み合わせは絶対大事と云う女心が「チラリ。」からの「キラリ。」

 (フぅぅ..こんなに気持ちが乗らない着替え何て生まれて初めて..)

 ツイさっき寝室の壁時計の時間を確認しておきながら、今また時間を見てしまった。

 (早く..早く、私)そう呟きながら、徐々に着替えの速度を上げて行くアカネ。何度も何度も着替えをしては姿鏡に立ち、自身の全身像を凝視。色の組み合わせにはチト煩いアカネ、芸術家肌。寝室の壁掛け時計の針の動く音が「チッチッチッ..」アカネの耳の中にイチイチ響いて来る。時間に急かされてる感じで不快のアカネ。

 (アァ、もおウルサイっ!時間のクセに人間を時間で追わないでッ!?..知ってるから!今の私は出遅れてる。急げ、急げ..)

 アカネは化粧はしない主義、だが最後に化粧鏡の前に座って髪型を整えた。化粧台から立ち上げる前、頭に唐草模様の手拭いで“泥棒被り”のアカネ、

 (出来た..行こう)内股の小走りで玄関先に向かうかに見えて、再度寝室に逆戻りのアカネ。カァテンを閉めた。其れから全室を廻り、同じくカァテンを閉めた。外の世界は明るく、然し今夜は此処には戻って来ない予定。居間と玄関先の電気を点けてからオモテに出た。時間は午後十五時二十二分。家から市営バスが通る大通りまで、徒歩で大体十五分。其処のバス停から駅前までが大体二〇分。駅前の大きなロォタリイで『総合病院 純愛』のバスに乗り換えたから、大体二〇分で現地着。“必須”と云う表現では無く、“大体”と云う曖昧さが今のアカネには必須。何処かに逃げ道を確保しないとアカネの深層世界が参ってしまう(間に合うわね..)。

 家の前の公道に出た瞬間、先ずアカネは辺りを警戒して、門の辺りで左右を指差し確認。

 (大丈夫?近所の人間が廻りに居ない?昨日の今日だからキット近所の人達は私の事を陰で噂をしてるに違いないモン..)

 この為の“泥棒被り”、チト疲労困憊且つチト被害妄想が満載のアカネ(良かった..誰も居ない。行くなら今だわッ!)。

 アカネは自分の家から逸早く離れる為、内股気味の小走りで一気に曲がり角まで駆けた。其処まで行ったら人通りも多くなって、自分を知らない人間の確率も格段に増える。其処から大通りまでは、廻りの通行人に余裕を演出する為にワザとユックリ歩いたアカネ。“泥棒被り”の手拭いを外す事を『第三話』が終わる迄「ずぅぅぅ」っと忘れて居た事は御愛嬌。コノ異様な装いのアカネを訝しげに見詰める通行人達。ソノ肝心の彼等の視線には全く気付いて居ないアカネ。為て遣ったり感で感無量のアカネ。そんな“泥棒被り”のアカネが佇む大通りのバス停には彼女しか居なかった。

 

 このバス停の直ぐ真横に商店街の入り口が在る。ゴロウの哲学が色濃く残る店が点在する聖地。ゴロウは生前から地元の商売を応援する事に執拗に拘った。これはゴロウの母親から継承された遺伝子で、母親は常日頃から家計は裕福では無いものの、買い物をする時は大型スゥパアには決して行かず、多少割高では在ったが個人商店との付き合いを生涯に亘り貫いた。

「ゴロウ。密な触れ合いが人間社会には一番大事なの、お金なんてのは二の次三の次で構わないのさ。一杯お金が在っても、人間死んだらお終いだろ?」

 常にゴロウに説法して居た母親。だが彼女の人生の最後は、その“金”に抹殺されてアッサリ終えた。夫が残した借金を返済する為に過度な労働を強いられた事が主な原因。だがゴロウは金の事など恨んでは居ない。金が悪い訳じゃ無い、母親は自身に与えられた運命に従ったまでだ。其れ迄のアカネは、大手スゥパアマァケットで買い物を済ませたい派だった。だがゴロウは執拗にも個人商店での買い物に拘った。勿論二人は揉めた。

「安く買える商品を、如何してワザワザ個人商店で購入する必要性が在るの?私には理解出来ない。」

「アカネ。あの人達は俺達の生活を支えてくれるんだから、俺達はソノ御返しをしないと不公平ジャン?アカネが将来に個人の料理教室を持った時さ、仕入れは全部安いスゥパアマァケットで済ませてさ、自分は個人の生徒達から其れなりの授業料貰うのって、何かオカシクない?個人で商売するんだったら個人の商売を応援しなくちゃ駄目だよ!」

 このゴロウの台詞を全く理解出来なかった当時のアカネだったが、地元の商店街で実際に買い物をして行く内、何となく分かった様が気がした。客対店の真剣且つ人情味溢れる値切り合い、客対客の特売品の奪い合い且つ密な触れ合いコト日々を必死に生きる人間模様..確かにコノ様な経験は、大型店舗などでは決して味わう事が出来ない。ゴロウの第一発見者のタカハシが営む『タカハシ酒店』のアルミ看板を見たアカネ。此処の『タカハシ酒店』のタカハシとゴロウは仲が良かった。『タカハシ酒店』に纏わるゴロウ絡みの想い出を、深層世界から振り返る描写をアカネが披露しようか..其のトキ丁度、駅前行きの市営バスがやって来た。

 (ア。来た..)

 無駄な描写を描く暇など、今のアカネには無い。瞬時に気持ちを切り替えて、駅前行きの市営バスに乗車したアカネ。勿論この車内でも、無意識に顔見知りの乗客が乗って居ないか?獲物を探す殺し屋の様な鋭い視線で、ネチネチと執拗に二個の尖った両眼が追っては見渡す(居ないわね..)。

 だが逆に乗客の全ては“泥棒巻き”姿のアカネを凝視。この点に関してアカネは一切気にしない。彼女が一番気にして居る事は、ゴロウの件で自分が興味本位に見られる事。一度このバスに乗ってしまえば余程の事が無い限り、流石に駅前に着くまでの間の区間、車内で「バッタリ」知人と顔を合わせる事は先ず無いだろう。他の乗客達とは距離を置いて、バス後方部の空いて居た窓側席に座った。駅前に着く迄は他の乗客との交流を避ける為、只ひたすらに車窓越しの風景を傍観するフリのアカネ。何箇所かのバス停での停車をした市営バスが駅前に着いた。バスから下車したアカネは、駅前ロォタリィ受付の係員に『総合病院 純愛』行きの路線バス乗り場の番号を聞いた。

「アっ、もう直ぐ発車しますから、今だったら未だ間に合いますよッ。」

 何やらバスは停車中で、数分後に出発すると云う。丁寧に係員に御礼を告げた後、アカネは内股気味の小走りで目的のバス乗り場に駆けた。御目当てのバス乗り場に着いて、勢い其のママ停車して居たバスの乗車口の階段を一段、二段、そして三段(フぅぅ..何とか乗れた..)。乗車券を車内出入り口の機械から抜き取ってから、アカネは漸く頭を上げた。

 (ウワっ酷い!何コレっ?!怖、い..)

 車内は満席に近い状態で、立って居る乗客もチラホラ。そして乗客は老人で完全統一。若年層の客はアカネだけ。魂を吸い取られそうで流石に奥まで行く勇気が無く、取り敢えずバスの先頭部で立つ事を余儀無くされたアカネ。総合病院までの短い道のり(アカネには永遠に感じられた)の間、幾つか停車するバス停からは、更に新たな老人の刺客達が乗り込んで来ては、一言も発する事無くアカネの身体を強引に押しては彼女の居場所を奪う。何時の間にかアカネは後方部へと追いやられてしまった。満員状態と化したソノ車内は、若輩者のアカネにとって正に生き地獄。老人特有の死臭と腐敗臭で完全支配。だがアカネ、ここでチト嬉しい誤算。

 (良かったぁ“泥棒巻き”してて..。顔に縛った布のコブの部分を鼻に「ヨイショっと..」ズラして、この悪臭を完全遮断!..だけどコノ人達って、私が言ったら失礼かも知れないけど、“人”としてスッカリ機能してないわよね..?そんなにも長生きってしたいのかしら?..私にはソレは無いわ。)

 市営バスが走っている間、アカネは天井部に走る金属棒に掴まっては両眼を瞑り、完全現実逃避の姿勢を貫いた。(早く着いて欲しい..)この一心のみで現場に直立不動するアカネ。ここで大きな誤算に気が付いたアカネ、シマッタ!耳栓するのを忘れてた。

「あんさァ..二日前にサトウさんとこのお爺さん、亡くなったらしいんだわ..」

 ツイうっかりアカネが聞いてしまったコノ一乗客の呟きは、ホンの一例にしか過ぎない。ギュウギュウに老人が詰まった車内、ツイ心が油断してしまったアカネの両耳の奥深くまで、遠慮無しに不法侵入して来ては強制的に聞かされる『死』の落語。お題は『死』。死り合い同士の会話でハナシが弾む老人達。逃げ場の無いアカネは気が滅入るが、逃げる事も耳を塞ぐ事も許されない。片手で片方の耳は防げるが、もう片方の腕は天井の金属棒を掴んで居る。腕時計をする習慣の無いアカネだが、今ホド時間の経過を欲した事は未だ嘗てナイ(着いて..早く..)。

「次はァ『総合病院 純愛』ィィ..『総合病院 純愛』ィィ..。お忘れ物の無い様お降り下さいィィ..」

 無機質だが非常に落ち着いて居て、一種の漢の色気を感じさせる男性の声が録音された車内放送を聞いたアカネ。「ホっ」と肩を撫で下ろす(私、肩が絶対に凝ったわ..落ち着いたら整骨院に行こう。後、もしかしたら彼等に生気を吸い取られて、私の顔に小皺が出来てたりして..)。

 本気で其の様に思ってしまい、無意識の内に両手で顔面を弄ってしまったアカネ(..如何やら大丈夫だったみたい..)。

 市営バスが『総合病院 純愛』のバス停に到着するや否や、其れ迄は静かに席に座って居た悪霊達..イヤ老人達が「ゾロゾロうじゃうじゃドロドロ..」降車口に向けて、スロォモゥシオンの動きで次々と下車をし始めた。後ろの通路に老人達から挟まれる様にして乗って居たアカネは、この彼等の体の流れに身を任せては「クルクル」細長い通路を器用に廻転しながら、然程の労力も費やさず事無く、比較的簡単に市営バスの降車口から下車出来た。

 (フぅぅ..生き返ったあァ)

 ようやっと清々しい地上に降り立ったアカネ、思わず天に向かって両腕を伸ばす。生に対する感謝の気持ちと生存確認の為。彼女の視界の中に、明らかに人が良さそうな人相をした男が見えた。きっと『サトウ葬儀店』のサトウに違い無い。サトウはサトウとて、アカネから事前に伝えられて居た到着時間に合わせ、総合病院のバス停前で事前に待機。客を待たす訳にはイケナイ。「どろどろウジャウジャぞろぞろ..」湧いて出た蛆虫..イヤ老人達がバスから次々と下車して来る。ソレに混じって、一人の若い女性を発見したサトウ。アカネに違い無い。その若い女性も確信が在ったのか、サトウの元に内股気味で近付いて来る。サトウは左手首にして居る腕時計を見た。

「初めましてアカネさん、サトウと申します。イヤぁ然し凄いなぁ..キッカリ十六時五十九分ですよ、今。」

 

 総合病院のバス停から裏口玄関まで徒歩で約一分。其処で軽く自己紹介を済ませた二人は、共に裏口玄関に向かって歩き始める。今日の打ち合わせは先程の電話で確認済み。正式な書類を通しての契約は、無事にゴロウを実家を搬入してからとなって居る。

 (嗚呼..そうだ、此処から私は今朝出て来たんだった..)

 意図的に地味に造られた裏口玄関。主な利用者は、病院関係者と死体とソノ遺族。豪華で煌びやかな正面玄関は、通院患者とソノ御見舞い客専用。この地味な裏口玄関は、元人間コト死体とソノ遺族専用。口(正面玄関)にする物が“生きた患者”と云う食物で、肛門(裏口玄関)から排出する大便が“魂の抜けた死体”。何気無い生活習慣や一般常識の中に、実は『死生観』が被る事を人間は知らない。

「さぁアカネさん、中に入りましょう。」

 裏口玄関に着いた二人は、サトウが玄関の戸を引いてアカネを先ず中に入れた。受付の女性に名前と用件を伝えたアカネは、椅子に座って待つ様に指示をされて、二人は座って次の展開を待つ。そこから数分程で白衣を着た男性職員が現れて、アカネに何枚かの書類に署名を求めた。其の全てに署名とハンコを押した後、ゴロウの遺体は正式にアカネの所有物になった。男性職員に案内されて、二人は霊安室に向かう(昨晩か早朝?私は看護婦のサトウさんに連れられて、病院の中を行ったり来たりタライ回しにされて、やっとコノ霊安室に辿り着いた記憶が在るのに..。今はエレベェタァに乗って、地下一階に降りたらモォ着いちゃった。変な話..)。

 霊安室のゴロウは大きなダンボォル箱の中に梱包済みで、既に出荷待ちの状態。

「アカネさん、最近の霊安室のベッドは可動式なんですよ。ホラ、でしょ?コノまま押して裏口玄関まで行けますから。」

 サトウはダンボォル箱のゴロウに両手を合わせた後、軽くベッドを押してアカネに見せた。

「では早速、御主人様の御遺体を搬出させて頂きます。そして其の後は、スミマセンが一緒に我々と車で同行して貰います。私達が“商品”としての御遺体を如何に丁寧に扱うか?アカネさんの肉眼での御確認が必要ですから。後になってから「傷が付いてた!搬入に問題が在ったのでは?」等の苦情を言われても困りますので..」

 異存は無いし、サトウの言い分も充分に理解出来る。業者が運んで来た新品のテレビが破損して居たら、アカネも確かに苦情を云うだろう。サトウと一緒に同行して来た助手は、アカネが見詰める中、慣れた手付きで何処も打つける事無く、段ボォル箱のゴロウを器用に車の後方部に滑り込ます。其の後、丁寧なサトウの運転で無事にアカネの実家に到着。そこからも休む事無く、彼等は間髪入れず、事前に指定されたアカネの両親が普段使って居ない座敷部屋に、ダンボォル箱のゴロウを丁寧に揺らす事ナク搬入。実は『意識』が抜け切った死体とは、生前の体重よりも更にチト重い。地球の重力に逆らって生きる事を放棄したのが大きな原因。共に長袖の白いシャツを着用、一見して中肉中背のサトウと其の助手。実は両腕の筋肉の発達振りが半端では無い。音を立てずにダンボォル箱を畳の上に下ろした後、業務用カッタァでダンボォル箱を解体。発泡スチロォルで完全梱包されて居たゴロウをダンボォル箱から取り出して、アカネの母親が敷いて在った布団に丁寧に寝かせる。死後硬直のせいで肉体が硬いゴロウの肉体を保護する為に、病院側が被せた発泡スチロォルこと大小のパズルの数々。そのパズル達を失敗を冒す事無く、確実に抜いて行く山師のサトウと其の助手。彼等の背中が感じる六個の眼光鋭い眼(アカネ+母親+父親=三人)がチト熱し!其のせいでお互いの上半身は汗塗れ。失敗は出来ないサトウと其の助手(フゥ..外れたぜェ ×二)。同時に呟いたサトウと其の助手。全ての発泡スチロォルを取り除き、顕となったゴロウの全身に敷き布団を優しく掛けた。そのアト共に正座をして、両手を合わせ改めてゴロウに祈る。サトウ達の真後ろに正座をして、仕事振りを見て居たアカネ達。無駄な動きが一切無い所作、サトウ達はお互い無言で淡々と座敷部屋と云う舞台を舞う。美しさのみがタダ脳裏に焼き付く彼等の舞に対し、思わず息をするのも忘れ、口をダラシなく開けて鑑賞して居たアカネ達。ゴロウが搬入された緊急病院のドックでの経験もそうだが、(本物の『芸術』って、日常生活の中に集約されてるんじゃ..?)ふとアカネは思ってしまった。(ア..一瞬だけどゴロウの事を忘れられた)更に時間差で思ってしまったアカネ。真の芸術は奥深し、そして人間の深層世界も同じく奥深し。

「ア..あの..今日は本当に有難う御座います。サトウさん達の動きに思わず見惚れてました..」

 我に帰ったアカネは深々と彼等に頭を下げた。隣りに居たアカネの両親も、娘がアタマを下げたのを見て反射的に頭を下げた。アカネと同様の心境だったに違い無いのは確か。 

「今回は本当に御愁傷様です..」

 サトウと助手も、アカネ達に向けて深々と御辞儀をした。決して金の為に商いをして居ないサトウの心底からのお悔やみ御辞儀返し。このサトウの心の籠った金言とソノ態度が、其れ迄は座敷部屋の空間の中、断絶状態だった客側のアカネと業者側のサトウ。其々の哀しみの『意識』を見事に繋ぎ合わせた。この瞬間の隙間をサトウは見逃さない(コレを逃したら次は何時になるか分からん!)。此処には仕事でやって来て居るサトウ、商売の話を持ち込む時期を虎視眈々と待って居た。

「あのォ..そして本日は如何されましょう?又、日を改めて私が御伺いするか?其れとも皆様が宜しければ、今この場でゴロウさんの葬儀の件を御相談出来ますが..?」

 今日の昼過ぎにアカネとサトウが電話で打ち合わせした点は、あくまでも病院から家にゴロウを搬入する迄の話。これから先の事(葬儀=金)をサトウはアカネ達に聞いたのだ。『死』を扱う繊細な職種が故に、砕けた感じで商談を持ち込む事は鬼門。空気を読み取る能力も必要とされる葬儀業界、鈍感な人間には決して務まらない聖職。流石は経験豊富なサトウ、廻りの雰囲気が全く変化する事無く、スンナリとアカネ達に伝わった様だ。

「今、此処でお願いします。」

 アカネは即答。アカネとて、何れはやらなければいけない事。後廻しにするよりかは、今皆で話し合った方が、後から気が楽になる。誰にも文句は言わせない。

「お父さん、お母さん。良いわよね?」

「エエ、私達はアカネが良いのなら構わないわよ。」

 返事を聞いたサトウ達は、アカネ達に一礼をした後、ゴロウを乗せて来た黒塗りの社用車に置いて在るパンフレットと契約書を取りに、共に表の玄関から出て行った。だが戻って来たのはサトウだけで、助手とは此処で現地解散。社員思いのサトウ。実はコノ社員、嘗てのサトウの客だった過去が在る。最愛の祖母を亡くして『サトウ葬儀店』に葬儀を依頼、その時のサトウの仕事振りに感銘を受けて『サトウ葬儀店』に転職した経歴を持つ。只今新婚ホヤホヤで苗字もサトウ。家でサトウの帰りを待って居るで在ろう奥さんの事を想い、社長のサトウは助手のサトウを帰した。因みに助手サトウの奥方の旧姓もサトウ。馴染み深い名字をイヤイヤ変える事無く済んだ好例。オモテから一人戻って来たサトウをアカネの母親が客間に通しては、既にオモテの世界は暗くなって居る中、煌々と灯った客間にてゴロウの葬儀の事を協議し始める。

「サトウさん。今日は急な御願いにも関わらず、本当に有難う御座います。これからも又御世話になりますが宜しく御願いします。ですが..こんな時間まで仕事とは大変ですわなァ..」

 アカネと母親は台所でお茶を淹れて居て、客間に佇むのは座卓を挟みサトウ、其の彼と向かい合って正座する家長の父親の男衆。家長の方針で客間にソファアは無い。

「..実は私で三代目何ですわ、この家業。ですから身体に染み付いて居るって云うか..何なんでしょうねぇ、好きなんですわ、この仕事。子供の頃は“死体でメシ食ってる奴だ。”とか、“線香臭え。”とか、色々と冷やかされた事も在ったんですが、家族は誇りを持って仕事してた訳ですから、全然気にしませんわな。人間と人間との別れの最後を繋げる尊い仕事です..。私は逆に毎回、幸せをお客様から頂いてる気がするんですわ。」

 年齢は分からないが、五〇は軽く過ぎて居るだろうか?サトウの穏やかな表情を見たアカネの父親、ふと煙草を吸いたくなった。

「サトウさん..ちょっと煙草を吸わせて下さい。もしも貴方も吸う人で在れば勝手にやって下さいな..」

 漢が二人、無言で客間に佇んではアカネの父親が煙草に火を点けた。それを確認したサトウも、胸ポケットから一本の煙草を抜き出し、アカネの父親が透かさず火を点けてやった。

「あぁ如何もスミマセン..」

 アカネが唯一の子供だった父親は、決して男子を欲して居た訳では無いが、若いながらも苦労を肥やしに素晴らしい人格を兼ね備え居たゴロウを、アカネが紹介してくれた時にはトテモ喜び、そして実の息子の様に接しては愛した。ゴロウが家にやって来ると、トコトン一緒に酒を呑んでは夜を明かした。二人揃って必ず泥酔してしまい、アカネと母親揃って冗談で離婚を迫られた事もシバシバ。幼少期からのゴロウには父親が居らず、アカネの両親には息子は居なかった。正にカップル誕生の瞬間。アカネの母親に比べると、口数が断然に少ないアカネの父親。サトウ達が家に搬入した大きなダンボール箱。そして其の中から取り出されたゴロウを見た瞬間、父親は何とも云えない悲壮感に駆られた。相手が誰で在ろうと、前途ある若者の死を知らされるのは同じ人間として辛く、そして哀しい。涙を流すのは簡単な事だが私は泣かない。涙は伝染する。妻とアカネに伝染させたく無い。無言で煙草を呑む父親の切ない心情が、同じく一緒に煙草を呑んで居たサトウに伝染。実はサトウにも一人娘が居て、最近になり待望の初孫が産まれたばかり。アカネの父親の気持ちが分からない筈が無い。ゴロウの死亡原因を知って居たサトウ、目の前で無心を装って煙草を燻らすアカネの父親の心情が痛いホド分かる。アカネと母親は、コノ漢達の異様な空気に包まれた客間に足を踏み入れる事が出来ず、二人が煙草を吸い終わる迄の間、客間の外で取り敢えず待機。

「お茶ですがドウゾ..」

 頃合いを見計らって客間に入って来たアカネの母親がサトウに茶を差し出し、其の後でアカネが入って来た。サトウは四人が揃って囲む座卓の上に、オモテから持って来た革鞄からパンフレット、そして契約書を取り出した。時間は既に二〇時を過ぎては居て緊張感は在るが、皆には疲労感は全く見られない。緊張の糸が切れるのは全てが終わった後だろう。自社製パンフレットの一枚目を先ず開いたサトウ、ここから彼本来の仕事が始まる。手振り素振りを使って簡潔且つ丁寧、アカネ達が理解し易い様に商品説明を続けるサトウ。そして決して無駄な商品の押し売りもしないサトウ。常にアカネ達の心情に寄り添っての営業姿勢。組み合わせによっては葬儀の流れが軽く数千は超える位、一歩間違えば迷宮入りの葬式パッケージ。其れを凝縮した“たった一個葬式”に収める為、ジックリ時間を掛けては密に詰めて行く。最終的に商談が済んだのは二十三時が過ぎた辺り。アカネが署名と印鑑を押した契約書を持ったサトウ、社用車は社員のサトウに預けて其のまま家に帰した。良い仕事をした後はソコら辺の“赤提灯”で一杯やっつけてから帰るサトウ。玄関先で深々と皆に頭を下げて暗闇に消えて行った。 

 

 (この場にイチロウが居なくて助かった..)

 アカネは思った。今日の午後十五時キッカリにイチロウに差し出したオヤツは、父親が人生で初めて作ったアップルパイ。アップルパイにはチト強烈な睡眠薬を混入しておいた。効果的面、イチロウは離れの部屋で未だイビキをかいては熟睡中。邪魔する対象が居ない事で、時間は掛かったが納得の行く葬式を組む事が出来た。サトウが去った後で三人は改めて座敷部屋に向かい、ゴロウが眠る布団の前に鎮座した。

「こんなに人間って簡単に逝っちゃうもん何だねぇ..」

 漸く身内だけになれた解放感からか、スッカリ生気を失い、項垂れた母親が愚痴る。

「お母さん達が居て、私って助かったかも..。コレがもしかして私とイチロウしか居なかったら、イチロウを殺して私も死んでたかも知れない..」

 このアカネの生々しい告白に対して、(もしも娘の立場が自分だったら..)そう置き換えて考えてみると、彼等は何も言い返さなかった。自分でも自信を持てない、責任も負えない様な慰めの言葉を軽々しく語るのは大罪だ。一番左端の父親が隣の妻の肩を「ポンっ」優しく叩いた。と同時にアカネの隣りに座って居た母親が、無言で優しくアカネの頭を撫でては彼女の頭を自身の胸元に寄せる。母親の胸を借りて泣いた経験は一度も無かったアカネ。幼い頃の記憶が蘇る母親の甘い体臭。堰を切った様に彼女の胸元で泣き崩れるアカネ。母親の身体が痙攣して居るのを、その時アカネは泣きながらも感じた。二人が号泣するソノ様を側から見詰める父親に唯一出来る事、哀しいかな只「グっ」と堪えて感情を押し殺すだけ。

 やけに光を感じたくなって、ゴロウが寝かされて居る前で立ち上がった父親。そして胸ポケットから煙草を一本抜いて火を点けた。立った事により、自身の頭部が天井の和風ペンダントライトに近くなって、確かに視界は眩しくなった。如何して急に光を求めたのか?自分でも分からない。だが何故だか父親は、ゴロウの為に自身の『意識』を“天界”に向けて置き、彼の魂を然るべき場所へと誘導した方が良いと思った。父親にとっての『意識』とは“心臓”、ココロ(心)の事を指す。こんな俗世界(地球)には留まらず、早く成仏して天界(宇宙)に戻って欲しい..そして又新たな生命(輪廻転生)を授かっては、来世を幸せに豊かに生きて欲しい..。深く吸い込んだ煙草の煙を「ふゥゥゥ..」有りっ丈の哀しみの感情を煙草に込めて部屋の天井に向けて吐き出す。「ゆらりフワリ..」空中を彷徨う煙達は、天井の和風ペンダントライトの辺りまで、厭らしく絡み合っては舞い上がり、蛍光灯の灯りに飲み込まれては儚くても、だが余韻を長く残しながら消えて行く。娘婿のゴロウの死は余りにも唐突過ぎて、今生の別れの時間を共に味わう隙も無く散って行った。

 (こんな煙草の煙みたいに、人生も上手い事去って行ってくれないもんかな..)

 両眼が涙で潤む父親が虚ろに空中を眺めながら呟く。

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