Natsuya 2.turning point-2
彼女の寝顔を見つめる。無防備な寝顔。
こんな寝顔、絶対俺以外のやつが見るなんて許せない。
いままでの彼女には抱かなかった感情が、あとからあとからあふれてきて俺を戸惑わせる。
あなたはいったい、俺の心からあとどれだけの未知の感情を引き出せば気がすむんだろう。
あなたが他の男のものになってしまったら、俺は……、俺の心はどうなってしまうんだろう。
そんなことを考えながら彼女の寝顔を見ていたら、唇が少しだけ動いた。
「ナ……」
え?
「……ツ」
ええっ?
俺の名前を呼んだ?
ちっ、違うよな、だってナとツの間に微妙に間が開いたもんな。
例えば、『ナかまを、まツ』、とか、『ナしを切るこツ』とか、夢んなかで思ってるのかも。
俺の夢を見てくれてるんだったら、どんなに嬉しいか。
バック転しながらテニスコート何周でもまわれるくらいだ。
唇の端にひっかかっている髪を指でかきよせて耳にかける。
「う―、ん……」
くすぐったかったのか菜々子さんが大きく寝返りをうち、枕から転げ落ち、ついでに布団からも転げ落ちた。
「んー……痛っ……」
頭をおさえながらのろのろと起き上がる菜々子さん。
絶対に朝まで起きないと思ったのに。
やべえ。
ひとつの布団にねっころがっていた。
俺もいそいで起き上がる。
「あ……れ?」
寝ぼけまなこでまわりを見渡して、何もないのを確認すると、菜々子さんの表情がハテナマークでいっぱいになっている。
そりゃそうだ。
宴会場にいたはずなのに。
「や、菜々子さん。落ちついれ? これりは、わりと浅い訳があっれ…」
「あれーナツー? ここどこよ?」
菜々子さんの喋り方がいつもの二倍くらいかかる。
「旅館のらかろ、どっかろ部屋……」
「なんで、二人―? なんで布団ひとつしか敷いてないのー?」
うおー!!。 絶対絶命。
だけどここは酔っていても誤解されないように、きちんと説明しなければならないところだ。
「菜々子さん、宴会場で酔って寝ちゃったんらよ。んで、ライバル風間が、菜々子さんを運ぼうろしらから……、俺が運ぶっていっらら、喧嘩んらって、高宮さんが、酒で決めろって」
「………」
「焼酎一気して、俺勝って。菜々子さん運んれきらんらけろ、部屋わかんないし、もう歩けなくっれ、二階の一番階段に近い部屋に連れれきら」
「……ふうん」
「ほんろらよ」
「疑ってないよー。前に一回そういう一気、見たことあるもん。それにナツは酔ってるからって、無理に女の子、どうこうしようなんて人じゃない、ない、ない、……でしょ」
俺は酔った頭でちょっとした感動を味わっていた。菜々子さんは俺を信用してくれている。
「そっか。よかっら」
菜々子さんがそこで、俺をじーっと見た。
「ナツー、ずいぶん飲んだんだね? そんな、ロレツの回ってないナツ、初めて見た」
「だっれ、焼酎二杯も一気……」
「えええーっ。あれからー?」
「うん。あなたのこと、誰にも触られたくなかっら」
「………」
菜々子さんはちょっとうつむいた。俺の気持ちが重いんだろうか。
きっとまだ、高志先輩が好きなんだから。
「ナツ、あのね、勘違いだと、思う」
「なりが?」
「わたしを好きだっていう君の気持ち」
「は? 勘違いもなにも、本人の俺が好きらって言ってんのり」
「ナツはさ、いままで振られたことなくて、突然わたしに、振られるっていう特異な体験をしたもんだから、だからー……それにちょっとこだわってるだけだよ。ただの勘違い」
「ばかっっ。そんなわけねえよ!」
酔いもさめるような言葉だった。
「いままでの彼女でその…抱いてないの、わたしだけなんでしょ? そんで、その女から別れを切り出されたもんだから、ちょっと意地になってるだけだってば。抱いちゃえば、興味なんてうせるよ。わたし、別にスタイルよくないし、胸だってAカップだし」
「Aカップなんてそんなのわかってるよ。そういう問題じゃない。俺の気持ちが、いままでとはぜんぜん違うんだよ」
「じゃ、ためしてみてよ」
「は?」
菜々子さんは突然立ち上がって、座敷の奥の床の間に段違いで飾ってあった木刀を二本、手にとった。
彼女が相当に酔っているのは一目瞭然だった。
あっちにふらふらこっちにふらふらしながら、その木刀で二箇所あった出入り口の襖につっかえ棒をして、外から人が入ってこられないようにした。
俺のところにもどろうとして、よろめいて一度派手に転んだ。
「菜々子さん」
俺もよろけながら彼女のところまで行って、抱き起こす。
「抱いてみればわかる。抱いてさっさと振っちゃってよ。もうやだよ。こういうの」
そうわめくと、俺に抱きつこうとする。
「もうやだってどういう意味?」
俺は菜々子さんを受け止めながら聞く。
意味がわかんねえ。
「勘違いでふりまわされるの。早く抱いてよ! 最初っからそういうつもりだったんでしょ?」
「最初と今じゃ俺の気持ちも状況もぜんぜん違う」
畳にぺたんと座ると、菜々子さんは手の甲で目をぐりぐりこすりながら泣き出した。
「高志のときだってそうだった。わたしを好きだなんて結局、思い込みで、高志はちゃんと好きな子を見つけちゃったもん。わたし知ってた。高志がホントは、わたしを妹としてしか見てなかったの」
血の気がひく。
「……あいつ、菜々子さんのこと、抱くだけ抱いて捨てたのか?」
「違うよ。ちゃんとつき合ってた。だけど、たぶん、抱いても高志のなかではなんの感情もわかなかったんじゃないの? それで、わたしのことは女として見てなかったって気づいたんだよ。百合とはちゃんと続いてるもん」
過去のこととはいえ、あいつが菜々子さんを抱いた。
その事実に嫉妬でめまいがしそうだった。
「抱けばきっとナツの気持ちは収まるよ。あーいままでと同じだったんだってわかるよ。そんでいつか素敵な人とホントの恋愛をするんだよ。ね? そうしてよ。そうして早くわたしをナツから開放してよ!!」
ワーワーわめくようにまくし立て、大量にあふれる涙を両手で交互にぬぐうと菜々子さんは着ていたTシャツを脱ごうとする。
「やめろっ」
俺はそれを阻止しようとめくれあがったTシャツのすそを持って下にぐいぐいひっぱる。
「今なら、二人とも酔ってました、ですむから!」
なおも脱ごうとする菜々子さん。
「菜々子っ」
俺は彼女のほっぺたを平手打ちした。
服を脱ごうとする彼女をとめるためだったから、頬から五センチくらいのとこからピタンと弱く打った。
打ったというより置いた?
もちろん女に手をあげたことなんてないし、今、酔っているから、ちゃんと力の加減ができたかどうかはわからない。
でも、ようやく彼女は動きを止め、頬を押さえて俺に視線を合わせる。
真っ赤になった目からまた大量に涙がこぼれた。
「勝手に物事を解釈すんなよ。俺の気持ちはどうなんだよ。好きなんだよ。あなたのことがどうにもなんないほど好きなんだよ。俺に抱かれながらほかの男のこと考えてるなんて、俺にとっちゃ拷問だよ!!」
「……ほかの……男?」
「すっ裸んなったって抱かねえからな! あなたを抱くのは、あなたが心から俺に抱かれたいと思ったときだけだ」
「……」
「両想いんなって、つき合って、そんで、ずっとずっと一緒にいるって…約束…」
やべえ、俺、泣きそうだ。
なんで彼女のことになると、こんなにすぐに涙がこみ上げてくるんだろう。
「………」
「菜々子の自己中っ。お前だけが苦しんでるとか思うなよ!!」
これ以上彼女の前にいたら、もっとみっともない自分をさらすだけだと思った。
酔いもさめた俺はずかずか襖のほうに歩いていって、つっかい棒にしてあった木刀を足で乱暴に払った。
襖を開け、外に出ると後ろ手にビシャっとそれをしめた。
ばかにすんな。
俺が、勘違いしてるだけだと?
抱いたら気持ちが収まるだと?
ここまであなたに囚われているのに、どこからそんな発想が出てくるんだ。
俺は三階の男子雑魚寝部屋に向かうまで、怒りにまかせてそのへんの壁を蹴りまくっていたらしい。
「ナツか? うるせーぞ!!」
三年の先輩が寝っころがりながら襖をあけて俺に注意した。
「すいませんっ!!」
俺はその先輩の開けた襖の部屋に入っていって、うようよ転がる男の隙間に自分の身体を割り込ませて横になった。
怒りで目が冴えてうまく寝られない。
でも、時間がたつにしたがって、二階の大部屋においてきた菜々子さんのことが気になりはじめた。
泣いていた。
目を真っ赤にして、子供みたいに泣きじゃくっていた。
いつもの静かな泣き方じゃなくて、わーわーぎゃーぎゃー、泣きじゃくっていた。
菜々子さんが泣いている時は近くにいてやりたいなんて思っていたくせに、自分が辛くなると俺は逃げ出してしまった。
結局、明け方までもんもんと彼女のことを考え続け、五時くらいには、気になって気になってどうしようもなくなり、布団をそっとぬけだす。
二階の大広間に向かう。
襖をそっとあけると、その部屋はすでにもぬけの殻で、菜々子さんがはずした木刀は、もとのとおり、きちんと床の間に段違いに飾ってある。
布団ももう敷いていなかった。
女子部屋に帰ったのか……。
俺もげんきんなもんで安心すると急激に眠気が襲ってきた。
もどって寝よ。
俺はまた、男ばっかりのげんなりするような光景の中に入っていった。
次に目がさめたら、十一時だった。
雑魚寝部屋はあらかたかたづけられていて、何人かまだ男の先輩が転がったり、ぼーっとしたりしているだけだった。
一年はいない。
やべえ。
また仕事、すっぽかしたか?
そう思って目の前で荷物の整理をしていた安藤さんに声をかけた。
「安藤さん、俺、寝過ごしたみたいで。みんなどこっすかね?」
「おおナツ。昨日は大変だったな。今日は午前中、自主練で、午後から帰るよ。一年はネット張ったりで、全員でてったけど。お前、焼酎飲んでぶっ倒れそうだったし、帰りのドライバーだから、寝かせとけって、高宮さんが昨日言ってたんだよ」
「そうだったんすか……」
自主練か……。俺も出たかったな、早く上手くなりたい。
しかしみんなテニスが好きだなー。
うようよいた死体みたいな男たちは、もう畑の畦の間にあるテニスコートでバシバシ球、打ってるのか。
昨日あれだけ飲んで撃沈したやつらがいっぱいいたのに、さすが体育会系サークルだ。
そういえば相原が、酔ったふりをしてさっさと部屋にひきあげないと、一年のうちは辛いとか、助言してくれていたな。
当然だな。
俺も何年体育会系をやっているんだか。
……菜々子さんしか見えていなかった。
昨日は。
……いや、いつもか。
昨日はあんなに酔ってわめいていたけど、菜々子さんも自主練にでているのかな。
千夏先輩が言っていた言葉に今ならリアルにうなずける。
『菜々子はテニスする時とお酒、飲んだときだけ自分に正直になるんだよねー』
確かにテニスをしている時の菜々子さんも、昨日の酒に酔った菜々子さんも、いつもとは別人だ。
自分に正直?
昨日の菜々子さんが自分に正直?
あんなに泣きじゃくるほど高志先輩が今でも好き?
高志先輩の話してたよな……。
高志の時もって。
ダメだ。菜々子さんが他の男の話をしていた事を思い出すだけで、胸がキリで刺されたように痛んで悲鳴をあげる。
その話以外の事を思い出せ。
激しく酔っていたせいでいまひとつ思い出せない。
菜々子さんが抱いてくれって迫ってきた事だけが、ものすごいインパクトとして残っている。
なんで、あんな事態になったんだっけ?
◇
「ナツ、もうテニスやってた連中帰ってくるぞ。昼飯食ったら、宿出るから、お前も荷物、整理しとけ」
「はい」
俺は荷物を整理して、階下の食堂に降りていった。
宿の従業員によってもうあらかた飯の支度は整い、長いテーブルに乗っている。
カレーとサラダだ。
俺はせめてネット張りにでなかった罪滅ぼしに、五十人ぶんの冷たいお茶をやかんからコップについでまわった。
汗臭いテニスウエアの連中がどやどやと食堂に入ってくる。
その中には、菜々子さんもいた。
俺と目が合うと、さっとそらした。
さすがにあれだけ大胆な行動にでておいて、いつものポーカーフェイスはできないらしい。
メシを食って、みんなの荷物整理が終わると、オレンジ一同旅館の前に集合した。
帰りの
俺の名前が呼ばれ、俺の車に乗って帰るヤツの名前が呼ばれる。
ヤロー三人に、女の子が三人だ。
近所の奴らが基本、同じ車に乗るわけだけれど、俺の車に乗る女の子の中に、菜々子さんはいなかった。
見送ってくれる旅館の人たちに、五十人で深々と頭を下げる。
「ありがとうございました」
オレンジはサークルだけど、締めるところは体育会系なみに締め、緩めるところはとことん緩める。
なんだか俺にとって、肌にあうというか、妙に居心地がよく、慣れ親しんだ雰囲気を持っている。
俺は六人をそれぞれの自宅まで送り届け、家路についた。
マンションのオートロックを解除し、部屋の鍵を開けて入ると荷物を置いて、すぐソファに寝転がった。
視界の先、サイドテーブルの上に忘れていったスマホが乗っていたから確認した。
ラインが数十件に着信四件だった。
着信は全部男友達だ。
飲みの誘いかなんかだろう。
ラインを開き、新しく届いている名前に目をみはった。
――佐倉菜々子――
やっとブロックを解除してもらえた菜々子さんだ。
え?
何?
『酔っ払ってわけのわからない行動をとって、ごめんなさい。どうかしてました。忘れてください』
無理だろ。
なんて返信したらいいのかを考えた。
むちゃくちゃ熟考した。
菜々子さんを叩いたことを謝りたいけど、それを謝ったら、俺があの日のことをわりと覚えていると、言っているようなもんじゃないか。
あんまり覚えていないフリをしたほうがいいよな。
『俺も相当酔っ払っていたので、ほとんど覚えてません。俺の行動にもおかしな点があったらごめんなさい』
そう返信した。
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