Nanako 1.family
新幹線に乗る前に、お父さんに電話した。
わたしの足は一週間くらいは、走ることができない。
ナツに言われたこともあって、わたしは実家に帰ることにした。
「これから新幹線乗るから。そっちの駅につくのは、五時くらいになるかな」
いつものようにお父さんは答える。
「菜々子、ロータリーで待ってなさい。車で迎えに行くから」
そこでわたしはいつもと違う答えをする。
「本当? 嬉しい!! 待ってるね!」
一瞬の沈黙のあと、お父さんの嬉しそうな声が返ってきた。
「あったかくして待ってるんだぞ」
「やだなお父さん、今、夏だよ」
いつもはバスで行くよ、いや迎えに行くよ、と押し問答が続く。
ホントだねナツ。
愛されることは、もしかしたら意外に簡単だったのかもしれない。
新幹線の中で、スマホで画面を開いてみても、視線は文字の上をすべるだけ。
気づくと考えているのははナツのことばかりだ。
どうしてあの公園で、ナツが離れようとしたときに、わたしは背中なんか抱いてしまったんだろう。
不安だった。
離れてほしくなかった。
あんまりナツの腕の中が心地よくて、こんがらがった心の糸がほどけていくようで、このぬくもりを失いたくないと……願ってしまった。
自分から手放したものなのに。
もうわたしのものじゃないのに。
ううん、はじめから、一瞬だってわたしのものだったことなんかないのだ。
ナツが別れたくないと言った。
別れたあとにオレンジに入ってきた。
勘違いしちゃだめだよ菜々子。
たんにナツは初めて振られたわたしにこだわっているだけだ。
男の人って体の関係をもつと急に興味がさめるっていうじゃない。
本当の恋なら、そこからでも続く。
でもただの気まぐれや遊びなら、そこでおわりだ。ナツの今までの恋愛は、全部がそんな短い工程を通って破局に至っている。
高志のときもそうだった。
数えるほどしか高志に抱かれていない。
気まぐれや遊びではなかったにしろ、高志はそこで本当の気持ちに気づいてしまったんだろうな。
最初から、高志に恋愛感情が薄いかほぼないだろう事は、なんとなくわかっていた。
妹としてみていたわたしを、女として見ようと努力して、抱いて、ようやく気がついた。
ナツも、今はそんなことに気づいてはいないんだろうけど、きっとわたしを抱いたら、そこで興味はおわりになる。
いままでの十数人の女の子に、わたしが
ナツは、真夏の太陽のような男の子だと思う。
強烈な紫外線みたいに洋服も皮膚も突き抜けて、わたしの心の真ん中に強引に入ってくるのはやめてほしい。
高志に振られてから一年がたち、前向きになろうと決めたのに、今はまた、もう本気になって傷つくのはまっぴらだ、というのが本音だ。
ちゃんと大人な別れ方ができて、ナツがオレンジに出てくるようになってからも、大人な態度で接することができていたのにな……。
引き返せる。
まだ大丈夫。あの公園で、いままで誰も言ってくれなかったことをナツが言ってくれた。
「あなたは愛されてる」
だから嬉しかった。
すごくすごく嬉しかった。
ただそれだけのことだ。
感謝はしてるけど、単なる事故だったんだよあれは。
それに……もしかしたらわたしは、もうすぐ……。
◇
ロータリーを降りると車にはお母さんも乗っていた。
一家総出の出迎え。
ナツの家みたいだ。
「めし食って帰ろう。菜々子、なにがいい?」
いままでみたいに、なんでもいい、なんて答えない。
「あのね、青龍軒の中華。あそこの餃子最高だもん。それから明日はねー、お母さんのコロッケが食べたい!!」
「菜々子……」
お母さんがびっくりしたみたいに振り返り、それから目じりに細かいシワをよせて、なんとも幸せそうな顔をした。
「お母さんのコロッケ食べたい。明日、一緒に買い物行っていい?」
「もちろんよ。菜々子が帰ってくるって連絡があってから、パートは一週間休んだのよ」
わたしたちは中華を食べた。
ほとんどわたしの好きなメニューを頼まなかった今までと違って、あれが食べたい、これが食べたい、と主張してみた。
そのたびに二人が幸せそうな顔をするから、そのうちそれが面白くなった。
中学や高校で、Aのならんだ成績表を見せたときよりよっぽど嬉しそうな表情に、わたしのほうが笑いがこぼれてしまう。
わたしはナツに教えられたように、いい子でいる努力をやめた。
ナツの方が子供としては先輩なんだ、と両親を見ていて納得できる。
お父さん、お母さん、わたし、いまさらだけど……甘えていいですか?
◇
たまに中学や高校の友達と約束して会ったけど、基本的に家ですごした。
洋裁が趣味のお母さんはわたしが昔、読んでいた雑誌を買っていた。
「菜々子に服をつくりたいの。でもどういうのがいいかわからなくて」
と雑誌を見せてきた。
「えっとねー、こういうのがいい」
ガーリーなチュールのスカートを指差した。
「まぁ、なあに? この薄い素材は」
お母さんは素材を確かめるためか、雑誌に顔を近づけた。
「チュール、で売ってるかなぁ」
「チュール? こんな薄い生地で透けないの?」
「うん。たぶん型紙とかも売ってるんじゃないかな。裏地も貼って何枚か重ねたりするんだよ。たぶん大きい生地屋さんならいろんな色が売ってると思う。明日、一緒に行こうよ」
「まあ、いまの若い子は聞いてみないと何がなんだかわかりゃしないわね」
お母さんは優しく笑った。
次の日、わたしとお母さんは街中まで出た。
大きな手芸屋さんでチュールを買って、甘味屋さんで二人であんみつを食べ、家路についた。
お母さんは質問のしぜめだった。
学校はどうなの?
テニスのサークルはどうなの?
高志くんは元気?
高志と別れたことは、お母さんにはまだ言えていなかった。
家に帰り、雑誌を見ながら型紙を作ってから、すぐ裁断に入ったお母さんに、わたしは横から口を挟んだ。
「お母さん、わたし高志と別れたんだ」
「うん」
「驚かないの?」
お母さんは顔を上げてちょっと複雑そうな表情をした。
「そんな気がしてた。何年あなたの母親やってると思ってるの?」
お母さん……。
なんだか胸に甘酸っぱいものがこみ上げてきて、わたしは座って裁断しているお母さんの背中からおんぶするように手を前にまわした。
「お母さん、大好き……」
こんなことがすんなりできちゃう自分に、心底びっくりする。家族に対して気持ちが前向きになるだけで、こんなに変わるんだ。
お母さんはあわてもせず、裁断バサミで手際よく布を裂きながら言った。
「お母さんは愛してるわよ。一生菜々子の味方よ」
わたしはお母さんの首にまで手をまわした。
「わたしが中学でも高校でも、十番以内にも入ってない子でも、お母さんは愛してくれた?」
「そんなくだらない質問に答えなきゃならないの? 苦しいわよ菜々子」
それでもわたしはせがんだ。
「ねえねえ」
「ビリだって愛してたわよー。でももしそうだったら、どうにか成績あげさせようと必死になってたんでしょうね。愛情で言うなら今の菜々子となにもかわらないけどね」
「なんだお母さん、菜々子、ずいぶん楽しそうじゃないか」
そこにお父さんがきた。
わたしはナツを思う。
ナツがこんなに簡単なことに気づかせてくれた。
「写メ送りたい人がいるの」
わたしはスマホをとってきてまたお母さんに張り付く。
そこにお父さんも入って、三人でべったりくっついた。
でも、自撮りにそこまで慣れていないわたしの写真は、特に撮ったわたしの顔が少ししか写っていない残念な出来になった。
メイクをしていないから、なんならわたしは写らなくてもいいくらいで、家族が仲良くなった事がわかればいいのだ。
「部屋行きまーす。ご飯の用意になったら呼んでね。手伝うから」
なんだか別の家族みたいだ。
ナツと別れたのに、ラインのブロックを解くことに抵抗があり、スマホの上で指が止まる。
でもやっぱり、こんなに大きな事に気づかせてくれた感謝は伝えたい。
それ以上の意味はない、と自分に言い聞かせながら結局わたしはラインのブロックを解除する。
深い意味はない。深い意味はない。と呪文のように唱えながら、ありがとう、と打ち込んで、送信した。
それからさっき三人で撮った写真を続けて送信する。
ありがとう。
本当にナツの言ったとおりだったよ。
しばらくしてナツから返信がきた。
「もっと写真送って」
なにそれ、どういう意味?
わたしは都会にはない高い空だとか、部屋から見えるトネリコの青葉だとか、いろいろ綺麗な写真を送ってあげた。
もう一度ナツから返信がきた。
「それは天然ってやつ? それともいやがらせ?」
意味わかんない。
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