Nanako 2.end mark
使い込まれたラケットと、新品のテニスウエアとテニスシューズに身を固め、連休明けの次の土曜日、ナツはオレンジの練習にやって来た。
「うおっ。ナツ、どーしたのこのラケット。バボラのアエロプロドライブ? 使い込んでんじゃん」
枝川君がナツの持ち物チェックに走っている。彼は、ラケットにかぎらずグッズオタクだ。
「ババラ?」
当のナツはわけわかりません、みたいなマヌケな返事をしてる。
「バボラ! わかんないで買ってんのかよ?」
「弟のだもん。これしかかしてくんなかった。これだけ三本持ってんだって」
そこで、部長の高宮さんが気がついた。
「弟……ってもしかして一之瀬光? お前、一之瀬光の兄ちゃんなのか?」
「そうです」
「おーそうかそうか」
いきなり肩なんか組んじゃって親しげな態度をとる高宮さんを、ナツは思いっきりうさんくさげに見返して、さりげなく距離をとろうとしている。
なんだかナツらしくて笑ってしまう。
「嬉しそうだねー、菜々子ちゃん」
「千夏!」
「また目が草食動物」
「うるっさい!!」
関係ない!
関係ない!!
関係ないんだ!!!
関係なかったはずなのに、どうしてこんなことに………。
柔軟、腹筋、ストレッチ、ストローク、ボレー、スマッシュ。
試合形式の練習。
特別ナツと接触することなく、無事に一日を終えようとしていた。
見ていないつもりがなんとなく目がいってしまうと、ナツはなんとかみんなの練習についていっている。
基礎体力は全く問題がないし、ちゃんと習ったことはないらしいけど、小学生までは弟とテニスを時々やっていたみたいだから、体に感覚が染み付いているのかもしれない。
でもそれとは別に、瞬発力や反応のよさには目をみはるものがある。
「今日は、一之瀬も来てくれたことだし、ミックスダブルスやるかー」
最後に、高宮さんがそういわなければ、とりあえずは平和な一日だったのにー。
なぜか、くじ引きでわたしとナツが組むことになった。
相手は一年生ペアで、オレンジの中ではそう強いほうではない。
でも、案の定、試合経験のまったくないナツと、わたしのペアは完全に押されている。
わたしのサーブで1ゲームとっただけ。
まず、ナツはサーブがちっとも入らない。
瞬発力や反応はよくても、相手が次にどう動くか、予測というものがまるでできない。
前衛のセンター寄りに立っているナツは、さっきから何本もストレートを抜かれている。
クロスならどうにかわたしがカバーすることもできるけど、素人じゃない子のストレートはさすがにきつい。
「タイム」
そんなことホントはできないけど、ここは許してもらおう。
わたしはナツを呼んだ。
「ごめん。菜々子さん」
「いいよいいよ。これから挽回していこう。ちょっとフォーメーションを変えよう。ナツは、もっとセンターラインぎりぎりに寄って」
わたしは地面に指でコートの図を書いて、ナツに説明を始めた。
「そんなことしたら、もっとストレート抜かれるじゃないっすか」
「わたしもリターンしたら、センターラインぎりぎりに寄るから。打ってる子から、後衛のわたしが見えないように立つ」
「うん」
「ナツは相手の子が打つ前にどっちにとぶか決めて、飛ぶほうの足のかかとを動かして」
「……?」
「いくらナツに瞬発力があっても、打ってから反応してたんじゃボレーは遅いんだよ。ある程度の予測が必要なの。ナツは追いついてもラケット面がぜんぜん合ってない」
「はい……」
「わたしはナツがとんだほうとは逆に動く。相手はナツがいるから、ナツの正面には返せないでしょ? 返すエリアが狭くなるから、わたしはそこを拾う」
「わかりました」
「絶対とるよ。この試合」
「はい」
「大丈夫。ナツのフットワークは完璧だから」
片手で、がんばれ、を表すように拳を握ってから、わたしは後ろにもどって行った。
オーストラリアンフォーメーションの変形。
ナツの瞬発力にかけて乗り切るしかない。
それから、試合の流れは確実に変わった。
ナツは、かかとを動かしたほうのボレーは、フォアでもバックでもどんなに難しくても、くらいついて絶対に落とさなかった。
逆サイドを何本も落としているけど、あらかじめそっちに移動しているわたしが、それは拾える。
わたしたちは、じりじりと追い上げていった。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
ナツがボールとは逆にとんで、サイドラインぎりぎりにはずんだボールを、わたしは夢中で追いかた。
右足首がいきなり、くきっと傾く感覚に、ああまたあれだと思った次の瞬間、わたしの体は横倒しになり、いきおいで何度か回転して止まった。
背中が痛い。背中にネットの支柱がぶつかったんだ。
「菜々子さん!!」
前のほうでナツが叫んでいるのを聞きながら、わたしの体をすぐ側で抱えおこす腕を感じる。
「菜々子」
審判席から飛び降りた高志だ。
「試合は中止だな」
そう言うとわたしを抱きかかえて、医務室のほうに歩き出した。
わたしは右足首の捻挫がくせになっている。
それはもう高校時代からで、高志は見なくても、だいたいわかっているのだ。
高志の肩越しに心配そうに、辛そうな目で、わたしを見つめるナツがいた。
ナンデ、ソンナニ セツナイメデミルノ?
ワタシノコトナンテ、スキジャナイクセニ。
高志は受付窓口で医務室の鍵をもらうと、わたしを下ろして鍵をあけた。
ここに、看護師さんとか、誰かが常駐しているわけではなく、怪我をしたら、自分たちで手当てをすることになっている。
高志は医務室のドアをきっちりしめないで、半開きにした。
わたしへの配慮なのか。百合への配慮なのか。
わたしは靴下を脱いだ。
背中の痛みはすぐに治まって、そんなに強く打ち付けたんじゃないってわかる。
「高志、いいよ。あとはわたしがやれるから」
「もう慣れてるもんな。でもまぁ、これは自分じゃやりにくいだろ」
高志は穏やかに笑った。
それから戸棚から湿布やら包帯やらを出してきた。
ベッドに座ったわたしの右足に湿布を貼り付け、包帯をていねいに巻いてくれた。
「ありがとう」
椅子に座った高志はちょっとわたしをいたずらっぽく見上げて笑った。
「今日、来たね。菜々子のモトカレ」
「え? 知ってたの? 別れてること」
「じゃなかったら、俺が菜々子、運んでこないよ。ここまで」
そりゃそうかもしれない。
「でもあいつ、未練たらたらで、菜々子を追ってオレンジに出ることにしたんだな」
未練たらたらとか、ぜんぜんナツに似合わない。
そんなんじゃない。
「違うよ。高志。ナツ……一之瀬くんはね、すごくモテて振られたことがないの! でも、なりゆき上、なんていうか、わたしが振っちゃった、みたいなカタチになって、だからプライドの問題なんじゃないかな。振られるとかたぶん、許せないんだよ。だからわたしに今だけ執着してるのかも」
「そうかな」
「そうだよ! あっさりしてる性格なんだよナ……一之瀬くんは。だから、わたしなんてすぐ忘れると思う。テニスがおもしろければ、スポーツ好きだからオレンジに残るかもだけど、ボクシングもやってるし、たまにラグビーの後輩指導とか行くし。忙しいし!!」
「ムキんなるんだな。菜々子。あいつのことになると」
「え?」
「今日の菜々子、ぎくしゃくしてて、肩にずっと力入れてる。疲れただろ? 今だけ肩の力抜けよ」
そう言って、高志はわたしの肩をやわらかくなでた。
慣れ親しんだぬくもり。
肉親の優しさに一番近いかもしれない。
ああ、なんで恋こがれていたはずの高志に触られているのに、肉親だとか思うんだろう。
ふいに、健司くんの言葉が思い浮かぶ。
もうあなたの中でとっくにカタがついてるんじゃないの?
「高志」
「ん?」
「わたし、もう大丈夫だよ」
「うん。見てればわかるよ」
「見てたの?」
「そりゃそうさ。大事な大事な妹だからね」
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