Nanako  1.balance of mind


「俺みたいな女にだらしないスポーツバカの気持ちなんてどうでもいい?」


ああいうセリフをああいう切なそうな表情で口にする。


あんなの完全なレッドカードだよ、一発退場してほしい。


いままで無関心だったオレンジに突然飛び込んできて、わたしが平静な気持ちでいると、ナツは本気で思っているんだろうか。


つき合っている頃、わたしにむけていたあの胸にじわじわ染み込むような笑顔を、みんなにむける。


キラキラした表情。

人当たりのいい性格。


178センチの長身に無駄な肉なんか1gもない鍛えた身体、それとは対照的な女の子ウケする甘い顔の造作。


オレンジの女の子たちがナツをどんな目で見ているのか、それを目の前で眺めざるをえないわたしが、どんなふうに思っているのかなんて、考えたこともないんだろう。


わたしだって必死だ。

自分でもこんな気持ちになるなんて思ってもいなかった。


好きになんかなっていないはず。

あんな、女にだらしない奴、どうでもいいはず。


ナツ、というモトカレは今は大学内ですれ違うだけの他人。


最近、一之瀬君という季節はずれの下級生が一人、オレンジに入ってきた。


そう思わなきゃ、どうやって心の均衡を保ったらいいのかわからないほど、わたしはある可能性におびえていた。


それがナツの恋だ。


本当の恋をしたことがないナツは、わたしに突然別れを告げられるという特異な経験に、とまどっているだけなんだ。


もしかしたら、それを恋だと勘違いしている?


でも、ナツだっていつかは本当の恋をする。

わたしじゃない、誰かと本当の恋をするのだ。


ナツはこれまで女の子と一緒のスポーツをやったことがないから、ここでその恋愛をするかもしれない。


そうなったらわたしは、また高志と百合の時のように、ナツが誰かに惹かれていくのを目の前で見ていかなくちゃならない。


辛すぎる。

もう勘弁してもらいたい。


どうしてこんな気持ちになっちゃうんだろう。


なんとも思っていない。

なんとも思っていない。

ただの下級生。


そう呪文みたいに唱えて、平静な態度をとることがどんなに気力を使うかなんて、ナツにはわからないんだ。


でもそれは、ある意味わたしにとっては慣れた行動、悲しいことにお手のものだった。


高志と百合の時でもう慣れていた。


ナツ。

君ががきてから、もっと……なんとも思っていないフリばかりがどんどん上手くなっていく。


それでも、ナツのいるカフェに、いままでより頻繁に足を運んでいる自分の行動が自分でも理解できない。




わたしは細い厨房廊下を抜けて、フロアにもどった。

ちょうどカウンターの上で、ナツがマスターに湿布されて包帯まかれてるとこだった。


痛そうだったな。

淹れたてのコーヒーだったし。


「大人ぶって冷静な別れ方したくせに、気になるんだ?」


いつのまにか側に来てた千夏が意地悪な口調で囁く。


ナツのほうなんか見ていないし。


「別に」

「最近の菜々子って、草食動物みたい。目が横についてるんだね」


「ちょっ……。千夏。いいかげんにしてよ。他の人に聞こえるじゃない」

「聞こえちゃまずいの?」


わたしは千夏の手首をつかんで、みんなから遠い、出口付近に引っ張っていった。


声をひそめて囁く。


「だいたいどういうつもりよ? ナ……一之瀬くんに合宿、遅れてきてもOKみたいなこと教えちゃって。あれがなきゃ、あきらめてオレンジ入らなかったかもしれないのに」


「菜々子が来てほしそうな目、してたから」


「もうっ。そんなわけないじゃん。わけわかんないよ千夏。あいつはね、千夏の言うとおりわたしの身体だけが目当てだったんだよ?」


「ほー。こんな面白くなさそうな身体をねー」


なんて失礼な!


わたしは両手で自分を抱きしめるようにして尖った声を出した。


「うるっさいな! 千夏だってつき合うの反対してたじゃない? いまさらわたしの前をうろちょろされるなんて迷惑なんだってばっ」


言うことだけ言うと、わたしは足早に席にもどり、ランチプレートの上にちらかったナフキンをあつめて乗せると立ち上がった。


「先、行ってるね!」

「はーい」


千夏は、にっこりして手をあげた。何あの態度っ。


わたしがナツにどれだけひどいことされて別れたか、事細かく説明したのにっ!


なんだってこんなにやることなすこと裏目にでるんだろう。


ナツ。

もうわたしのことが好きだとかありえないことを言って、心をかき乱さないでほしい。


……あんなかっこいい子が見ず知らずの女からつき合おうって、言われて即OKすること自体、おかしいと、どうしてそういうふうに冷静な判断ができなかったのかな、わたしは。


抱けばもう飽きちゃう。


短期間で振られちゃうようなつき合いかた、わたしにはできないんだってば。


あーむしゃくしゃする。

もう今日は帰ろう。


わたしは千夏に今日は帰ることをラインで告げると校門にむかった。


一度帰って壁打ちにでも行こう。



ナツ………。

手、大丈夫だったかな。


校門を抜ける直前、後ろから声をかけられた。


「菜々子さん? だよね?」


振り向いて固まる。

村上健司くん、だった。ナツの親友だ。


「はい」

「ナツと別れたんだって? あ、ごめん俺は」


「覚えてますよ。村上健司くんでしょ?」


わたしは無意識に教科書類の入ったトートバッグを胸の前できつく抱き合わせていたらしい。


「そんなに警戒しないでよ」

「何の用事ですか?」


「ちょっとそこで話そうよ」


そう言って健司くんは校門を隔てた小道のほうをあごでしゃくった。


その小道にはあんまりきれいじゃない小さい中華料理屋があって、たまに体育会系っぽい男の子が入っていくのをみかける。


そこの事を指しているのかな。


女の子ウケする店じゃなく、わたしも、わたしのまわりの女の子も入ったことはない。


「お腹すいてないんで」


わたしは小さく頭を下げると健司くんに背を向けた。


嫌だなあ。

フォルガの中では、わたしは逆ナンをする淫乱女だってことになっているんでしょ?


ナツと別れたから、今度は自分が……とか考えているんだろうかこの人は。


そんな人にはとても見えなかったし、ナツの話を聞く限りじゃ、ひたすらいい人なんだけどな。


「菜々子さんさあ、ナツのことばっか責められないんじゃないの? つき合うことに、純粋な恋愛とは違う目的を持ってたの、菜々子さんも同じなんじゃないの?」


「え?」


わたしは振り向いた。


健司くんはゴソゴソ、サイフから何かを取り出し、人差し指の先に切手のような小さなものを貼り付けて、わたしに見せた。


それが何かを認識し、わたしは息を飲む。


「話、聞いてくれる気になった?」


……それはプリクラだった。


わたしとナツが水族館に行った時にとったあのプリクラじゃなくて、もっと、もっとずっと昔、高校生の頃、少しだけ高志とつき合っていた頃にとったものだった。


田舎のゲームセンターで、制服を着たわたしと、東京から帰ってきたばかりのグレーのセーターを着た高志。



「なんでこれが……?」


「菜々子さん、ナツに一年の時のドイツ語のノート、貸してたでしょ? 俺も永井教授のドイツ語とってんだけど、ナツと時間が違うんだよ。んで、俺のほうが先に講義あったからさ、学食で、菜々子さんのノート写させてもらってたんだよ。すっげえきっちりノートとってんなってペラペラめくってたら、裏表紙の裏側に、これが貼ってあった」


血の気がひいた。


「そ……それ、ナツは……」


「知らねえ。ナツが菜々子さんからノート受け取って、そのまますぐ俺に流したから。俺、ナツにみつかんねえようにすぐこれひっぺがした。ごめんね。勝手なことして」


わたしの前には細かい泡が立ち上るクリームソーダ。


健司くんは運ばれてきた天津飯をものの5分で食べ終え、お茶をすすっている。


「おじちゃんごめんね、もう店、休憩だろ? もうちょっといい?」


健司くんは新聞を読んでいるおじさんに声をかけた。

わたしたち以外に店にお客はいなかった。


「勝手に奥で休憩してるから、金はそこにおいてけ」


おじさんはそう言って奥の座敷にあがっていった。


「この店、聞かれたくない男女の痴話げんかとかによくつかわれるらしいよ? 知ってた?」


健司くんはニヤっと笑う。


ナツは笑うと幼い印象になるけど、健司くんは逆だった。


わたしは黙って首を横に振った。


「髪、内側に入るストレートにしたんだね? 後姿、間違ったかと思った。ほとんど子供みたいな髪型じゃない?」


「何が目的ですか?」


わたしは健司くんにほとんどつっかかるような言い方をした。


「菜々子さん、勘違いしてるよたぶん。ヤスや小泉にひどいこと言われたんだろ? それでナツとも別れて、俺のこともそんなに警戒してるんだろ?」


「………」


「あんなの、酔った時の戯言で、誰も相手にしてないんだよ。小泉とヤスは酔うとちょっと特殊って言うか……。菜々子さんのこと、乱れた女だなんて誰ひとり思ってないから安心して。ナツ、あのあと、菜々子さんにひどいこと言ったヤスのことなぐりつけて大変だったんだから」


「………」

「清潔でまっすぐ。俺と真逆」

「はい?」


「ナツが菜々子さんのことそう言ってた。あいつ、確かに女の子関係派手だったけど、それなりに女の子、傷つけないルールは持ってたと思うよ? 振られたことがないのもたまたまで、自然消滅ならいくらでもあったよ」


「……もういいんです」

「うん」


「そのプリクラ、返してください」

「条件がある」

「え?」


「確かに、最初、ナツはあなたの身体が目的だったかもしれない。でもあなたにも目的があった。あいつも言ってた。なんで、菜々子さんは俺とつき合おうって言ったんだろうなって」


「それは……」


「あいつ、バカだからさ、ひとめぼれでもしたんじゃん、って言ったらそっか、とか納得してやんの。でもあなたの目的は、こいつ、だったんだよな?」


そう言って、健司くんはわたしと高志の写っているプリクラを見せた。


「こいつオレンジの三年だよな? そんで、菜々子さんがよく一緒にいる友達の一人とつき合ってる」


「どうしてそれ……」


「ナツがしょっちゅう、カフェのほう見てるから俺もなんとなく見てて、気がついたんだ。ナツはあなたしか見てないから、誰と誰がどうとか知らないだろうけど」


「………」


「あなたはこいつを忘れるために、ナツを利用しようとしたんじゃないの?」


「違う!! 利用とかそんなこと考えてなかったよ。ただ単純に、恋がしたかっただけ。わたしがいつまでも一人でいると、高志が……」


わたしはいつのまにか立ち上がっていて、前のめりになった体がテーブルに激突する。


こぼれそうになったコップを健司くんが抑えながら問う。


「高志が?」

「あ、えーと、………」



「こいつのために新しい恋をしようと思ったんだ?」


「真面目な恋愛をしようと思ったのよ。ちゃんと、わたしを見てくれる人がほしかった」


「もうしてるように思えるけどな。俺には」


「え?」


「プリクラ、返す代わりに、今から俺が渡すもの、受け取ってほしい。受け取ったら破るなりなんなり、していいよ。あ、俺の前ではやらないでね? 俺、結構方向音痴でさ、それ書くの、苦労したんだわ」


健司くんはプリクラと一緒に、二つ折りにした、メモ帳みたいなものを渡してきた。


メモを開いてそこに視線を落とす。


「ナツの家までの地図? いらないよ。わたしたちもう別れてるんだよ」


「条件。いらないと思ったら、捨てていい。今、受け取らないと、ナツに高志先輩のこと、言うよ」


「やめて!!」


「嘘だよ。そんなムキんなんなくても、俺、そんなせけー男じゃないよ? んじゃ、お先に」


そう言って、健司くんはテーブルの上に、自分の天津飯とわたしのクリームソーダのお金を置いて立ち上がった。


「あ、わたしのぶん、払いますから」

「いいよ。俺が無理に誘ったんじゃん」


そこでぷっと健司くんはふき出した。



「……?」


「端整な顔に子供みたいな髪型。あたふたしたり、年下の俺に敬語使ったり……、菜々子さん、年上とは思えねえよ。見た目は綺麗なおねえさんなのにほっとけないカンジ? そのギャップにナツもやられたのかねー」


「失礼ね!」


健司くんは柔らかい表情になって告げた。


「菜々子さんさ、そのプリクラ、一年の頃のドイツ語のノートに貼ったの忘れてたんだろ? だから中身確かめもせず、ナツに渡したんだろ? もうその男のことはあなたの中でとっくにカタついてるんじゃないの?」















































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