Natsuya 3.loss
◇
タマゴ岩の陰で両手を枕にしてひっくりかえる。
半そでからのびる素肌を芝がちくちくと刺す。
日差しの暑さに、中庭に出ている人はまばらだった。
ここの岩の陰からちらっと顔を研究棟のほうに向けると、カフェで昼飯を食っている菜々子さんの姿が小さく見えた。
三人で食っている。
英文のいつも一緒にいる千夏さんと、もう一人は、確か百合って名前だった。
オレンジで英文なのはあの三人だけらしく、あの三人はよく一緒にいる。
突然バコっと俺の頭に鞄らしきものがあたった。
「痛えな健司」
「何ふててんだよ」
健司は俺が寝転がっている横に腰を下ろした。
「振られた」
「そっか」
俺は腹筋を使って起き上がり、あぐらをかいた。
「俺どうしたらいいよ?」
「どうしたらって、振られたもんはどうしようもねえじゃん」
「健司、振られたこと……あるよな。飛鳥の前につき合ってたマキちゃんだっけ? アキちゃんだっけ?」
「マキだよ」
「お前、モテるのに真面目なつき合いしてきたよな。あの子のこともちゃんと好きだったんだろ?」
「ちゃんと好きじゃない女とつき合ってるヒマなんかねえよ」
俺はため息をついた。
健司はマキちゃんのこともすごく大事にしていた。
でも、ラグビーの練習がほとんど毎日あって、彼女のための時間があんまりつくれなかった。
その結果振られたわけだ。
「俺、いままで何やってたんだろうな」
目の前の芝の上を蝶が二ひき、絡み合うように飛んでいる。
昨日も一昨日も一年前も二年前も、ずっとかわらないようなのどかな風景を見ながら、それでも、俺の世界は昨日を境に百八十度変わってしまったような気がする。
菜々子さんがいた昨日までと、彼女と他人になった今日。
いままで女は適当でいいと思っていた。
お互いがお互いを欲しいと思ったとき、その欲望をぶつけ合う相手であれば。
でも、今、俺は女が欲しくない。
欲しいのは女じゃなく、菜々子さんだけだった。
「ナツは、あの人をきっかけになんかが変わったんだろうな」
「いつか本当の恋愛ができるよ、とか言われた」
「できるんじゃん。今のお前なら」
「もうがっつりしてんだけど」
「……でも、振られたんだろ?」
「振られた」
俺はもう一度、芝の上にごろっと横になった。
「なあ健司、振られた時ってどうやってあきらめんの?」
「ひたすら体動かして、食って寝る」
俺は健司に背を向けて横向きになった。
「そっか」
「五限、行かねえの?」
「やめとく。代返して」
健司は腰を上げると、了解と呟いた。
歩きかけた健司に声をかける。
「なあ、菜々子さん、なんで俺にいきなりつき合って、なんて言ったんだと思う?」
健司は振り向いて答えた。
「ひとめぼれでもしたんじゃん」
「かなあ」
「簡単に納得すんなよ。ムカつく奴」
早く復活しろよ、と言葉を残し、健司は俺から遠ざかって行った。
健司の後ろ姿を見ながら思う。
ホントに俺、いままで何をやっていたんだろう。
まともな恋愛をしている奴がすぐ側にいて、それでも自分の女関係に塵ひとつの疑問も感じなかった。
ただラグビーに熱中して、勝敗の涙をともにする仲間がいて、そんな俺を無条件に応援してくれるあったかい家族がいる。
それだけで充分だった。
女が入り込む余地がないほどに満たされていた俺の世界に、突然、ねじ込むように入ってきた人。
俺の世界の色を塗り替えた人。
決して多くはないあなたについて知っていることを反芻しては、もっと知りたかった、もっと聞けばよかったと後悔している。
ラケットのグリップを握るから爪を伸ばせないというあなたの指は、細くて滑らかですごく綺麗だ。
本も映画もアドベンチャー系が好きで、ブラックのコーヒーは飲めなくて、カフェラテが好き。
長野が出身の一人っ子。
テニスは中学からずっと続けていて、高校の時は、県大会のベスト八まで残った。
海が好き。
青が好き。
語学が好き。
華奢なアクセサリーが好き。
恥ずかしがると、赤く染まる耳には小さなターコイズのピアスが光ってる。
俺の腕に手をまわす時、いつまでたってもこわごわと触れる。
ちょっと冷たくて、優しい感触の唇をしている。
俺の話に愛情があると言って、嬉しそうに何時間でも聞いてくれた人。
佐倉。
菜々子。
一月十日生まれの十九歳。
俺は砂浜に散らばったダイアモンドをかき集めるように、彼女の面影を必死で追いかけては抱きしめる。
違うだろう。
俺が今しなきゃならないことは、思い出すことじゃなくて、忘れることだ。
健司が言ったように、がむしゃらに体を動かして、食って寝る。
そうやって月日が流れていくのをただ待つことだ。
俺は次の日から、授業にでてひたすらノートをとり、ボクシングジムで汗を流し、駆け込みでプールまで行って、がつがつに泳いだ。
時にはそのあと飲みにいく。
何も考えず、ただ泥のように眠るために。
あの人の面影から逃げるために。
あの人のことを考える時間をつくらないために……。
三日たち、一週間たち、十日がたった。
結果は惨敗。
どんなに強くサンドバックを打ちつけてみても、がむしゃらに水をかきわけてみても、仲間とどんちゃんさわぎをしてみても、あの人の面影が脳裏から去らない。
いつでも俺はあの人のことを考えていた。
そんな自分に心底びっくりする。
俺はいったい、どうなってしまったんだ。
会いたい。
声が聞きたい。
顔が見たい。
……もう限界だった。
十八にもなって、俺は自分の感情の始末のつけ方もわからない。
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