Nanako 8.sayonara


ナツと一緒に中庭を歩いていると、男の子が二人が近づいてきた。


「ナツ!」

「おー。健司。ヨシやん」


「噂の彼女? 綺麗なヒトですねー噂どおり。ナツが飲み会連れてこないってみんな文句言ってんぞ」


たぶん金髪のほうが健司。村上健司くんだ。

ナツの親友で一番話に出てくる。



そっちじゃない人のほうが、わたしにむかって、そう声をかけてきて、さらに続ける。


「俺、吉田タク。こっちは村上健司。俺ら、ナツのラグビー仲間なんだけどさー、飲み会、今日、蔵であるんだけど、こない? 彼女いる奴は結構連れてくるから、女の子もそれなりにいるよ」


行きたい、と思った。


ナツからよく話を聞いてるフォルガのメンバーだ。

そんなにしょっちゅう集まっていたんだ。


彼女連もいっぱい来るのなら、どうしてナツはいままでわたしを誘ってくれなかったのかな。


健司くんのほうはあんまり友好的な態度をとってくれなくて、吉田って人の腕をひいて、もう歩き出していた。


「じゃあな、ナツあとでな」


そう村上健司くんは言って、わたしにもちょっと頭をさげた。



「今日、フォルガの飲み会なんだ?」

「……うん」

「わたしも行く」


「……つまんねえよ。ほら男ばっかだし。自分らの世界に入っちゃうからさー」


「行く。他の人も彼女連れてくるって言ってたじゃない」


「女の子はあんまりいない。ホントつまんねぇよ」


「いいの! わたし、さっきの吉田くんに誘われたんだから、勝手に行っちゃうからね! 蔵って学校の裏のあの居酒屋でしょ?」


「……なんでこういう時だけ強情なんだよ」


「じゃあどうしてナツはわたしを連れて行きたがらないの?」


わたしは彼女として、君の中で認められていないわけ? だったらさっきのあのキスは何?


ナツがわたしを連れて行くのをしぶる理由がわからない。


わからないと、何かあるんじゃないかと疑ってしまい、よけいに行きたくなる。


「別に深い意味とかないんだけど、ホントつまんねぇんだって」


「いいって言ったらいいの! 連れて行くの行かないのどっち? どっちにしてもわたし行くから」


「…わかったよ…」


ナツがげんなりした顔で言う。


わたしとナツは七時に校門の前で待ち合わせをした。


ナツはジムに行ってから来るから、ちょっと遅れるらしい。


絶対に一人で行くなって念を押された。


「七時にこなかったら一人で行くからね!!」


そう言うわたしに、ナツは困ったような思案顔になる。


たかだか仲間内の飲み会にわたしを連れていくのに、何をそんなに困ることがあるんだろう。



七時ぴったりに校門に行くと、ナツは校門にもたれかかって腕組みをしていた。


「マジ疲れた」


この後におよんでもまだ飲み会にいくのをしぶってる模様だ。


「じゃ、わたしだけで行ってくるね」


居酒屋方面に歩き出したわたしの背後から、小さいため息が聞こえて、わたしの手にナツの手がからまった。


キスをしてから、ナツはこうして、手をつないでくる。


「ぜってぇ俺の側から離れるなよ?」

「え? なんで?」

「なんでも!!」


居酒屋、蔵、につくと、むっとするほどの熱気。


この居酒屋はほとんどうちの大学の学生で占められている。

あちこちで一気だのなんかのゲームだのを大声でやっている。


不機嫌なままのナツは一番奥の個室っぽく隔離されたスペースにまっすぐにすすんだ。


迷いのなさに、慣れているってことがわかる。


「おーナツ、噂の長続きしてる彼女?」


どうして長続きなの? まだ二ヶ月だよ?


ナツの舌打ちが小さく聞こえる。


一番近くのブースに椅子を二つあけてもらって、わたしたちはそこに座った。


みんなすでにけっこう酔ってるみたいだった。


「キレイっすねー。ナツより一つ上なんすよね?」


だれかが言った。


「佐倉菜々子です。一コ上だけど、普通に話してくださいね? 部でもサークルでもないから」


「すでに菜々子さんが普通じゃないよ。俺、村上健司」


金髪で、かっこいいけど気性のあらそうな顔立ちの人だ。

めだつからすぐに覚えられる。


それから、わたしとナツはビールを頼み、そのあたりの人と大学の話なんかをしてた。


来た時から多少雑然とした配置だったけど、だんだんみんな席を移動しはじめ、もっとぐちゃぐちゃになる。


誰が誰だかもうわからない。


ビールを飲むとトイレに行きたくなる体質のわたしは、一時間くらいして席を立った。


隣のナツが怪訝な顔を向けてくる。


「なに?」

「トイレ」

「かならずここに戻ってこいよ?」


なんだかナツがピリピリしている。


「うん……」


そう答えるとトイレにむかった。


あんまりナツは友達を紹介してくれないし、席もうつらない。


ずっと、健司くんの近くにいる。


フォルガの話や昔のナツの話をもっと聞けると思ったのに。



わたしがトイレから出て席にもどると、ナツがいなかった。

トイレにでも行ったのかな。


そんなに長い時間じゃなかったけど、席はさらにぐちゃぐちゃになっていて、前にわたしが座っていた席もナツが座っていた席ももうなかった。


健司くんもいなかった。



「ナツのカノジョ、カノジョー」


そう言って酔っ払った男の子がわたしの手首をつかんだ。


「こっち!! 席空いてるからこっち来て話そ?」


ナツもいないし、仕方ないよね?


わたしはその男の子に手を引かれるまま、奥の席についた。


そこには三人くらいの男の子が座っていて、みんなかなりの泥酔状態に見える。


「あー!! 噂の逆ナンカノジョだ!! いまだに続いてるってよっぽど、いいんだなー」


「ねぇねぇ、どんな技、持ってんの?」


言われている意味が、ぜんぜんわからなかった。


「しんないだろうけど、ナツの女でこんなに長続きしてんの、あんただけなんだよ、いままで十五、六人はつき合ったんじゃねぇの?」


じゅ、じゅうご、ろく にんー? 


「あ、でもさー、あんたも逆ナンするくらいだから、そんくらいつき合ってんの? まぁあいつ、そういう女としかつき合わねえしな」


酔ってるんだ。

この子達、相当酔っているだけなんだ。


「即効、ヤったんだろ?」


わたしは自分の声が震えていることに気づいた。


「ナ、ナツがそう言ったの?」


「あぁ、言ったよ。一昨日だか聞いた時。まあいつものことだし?」


あぁ言ったよ? 

な、んで? 

そんなことわたし達ぜんぜん……。


「あいつ、ふられたことねぇんだよ。てか、基本、男友達重視だし? スポーツやってっと、そっちに重点置いちゃって、彼女とかおざなりになるじゃん」


「………」


「ま、自然消滅か、次のが出てくるかだな。マジなつき合いしたことねぇからな。あんたもカラダふるにつかって飽きられないようにしたほうがいいぜ? あ、あんたのほうが先に飽きるかも?」


そこで、誰かがぎゃははと笑った。


ふいに最初に言われたことの意味を理解する。


――よっぽどいい――

――技、持ってる――……。


ナツはいつも、飲み会で酒の肴にわたしとのこと、あることないこと、喋りまくっていたんだ。


その場で受けるいやらしくて下品な……、男の子たちを沸かせるシモネタ……。


それからのわたしは、目の前の酔っ払いたちが口にするセクハラまるだしの言葉をあびせられながら、ただ固まっていた。


意味がよくわかんないほどすごいシモネタだ。

そのうちわたしの耳が拒絶しはじめる。


ピーピーピーピー。


全部、わたしにむけられる放送禁止用語の槍。

侮辱の剣。







ナンデ、ワタシ、コンナ、トコロニ、イルノ?




カエロウ。



お財布から、五千円札を出して、テーブルの上に置くと、わたしはヨロヨロと立ち上がった。


よろけそうになる腕を誰かにつかまれた。


「……ナツ……」


「俺の側から離れるなっつっただろうが!!」


すごい剣幕。こんな人だったの?







アナタハ、ダレ、デスカ?





睨みあげるわたしの両目からパタパタと涙が落ちた。


息をのんで、一瞬、手をゆるめたナツの腕を乱暴に払いのける。


きびすをかえして、目の前のビールのジョッキーをたくさん持った店員さんのおぼんの下をするりとくぐりぬけて走る。


後ろでガラガラと何かがひっくり返る音やガラスが割れる音がしたけれど、かまわずに店を出た。


外のもわっとした空気に吐き気がした。


「菜々子さんっ」


駅に向かって走るわたしの肩がいきなりつかまれる。


「違うっ。あれは」


ナツの言葉をさえぎった。


「何が違うの? 彼女がいままでに十五人いたこと? わたしとのことあることないこと喋ってたこと?」


ナツの目が明らかにやべぇ、って語っている。次の言葉を捜している。




「さよなら」




ナツをまっすぐに見据えて搾り出した声は、小さいけれどはっきりしていた。


ナツに背を向け、早足で歩くわたしを、彼はもう追ってきたりはしなかった。


アパートの階段を上る足が自分のものじゃないみたいに重い。


鍵を開け、1Kしかない粗末な部屋に入る。

わたしはお風呂場に直行する。


シャワーを浴びていると、いままでのナツとの数少ない思い出が全部流されていくようだった。



パジャマを着て、部屋の真ん中にぽつんとあるローテーブルに肘をつく。


スマホを手にとり、そっとなでる。

わたしとナツをつないでいたもの。


違う、わたしが一方的にナツを繋ぎとめていたもの。


画面を開く。


悪いことばかりだったわけじゃない……と無理に思ってみる。


明るい笑顔。

あったかくて筋張った大きな手。


でも君は、春の光線なんかじゃなくて、わたしには真夏の直射日光だったよ。


眩しすぎた。激しすぎた。翻弄されすぎた。


ねぇ高志。


わたし、今ならあなたがどうしてわたしじゃダメだったのか、よくわかるよ。


人は、自分の持っていないものにあこがれるんだよね?


わたしたちの持っていないものを、ナツも百合も持っている。


努力しなくても得られる絶対的な愛情だ。


親のそういう愛につつまれて育った人間は、伸びやかだ。

溌剌としている。



ただ、伸びやかすぎて、時には自分本位になりすぎてしまうだけ。


わたしは、愛されていなかっただけ。

ただそれだけ……。


……ナツが悪いわけじゃない。



まずナツのラインをブロックした。


それからアドレスだ。留守録をするために、こっちを使って電話をかけていた。


一之瀬夏哉。


――削除しますか?――


その文字を見た時、表参道の木漏れ日の揺れるカフェで、わたしに向けられたあの屈託のない笑顔が脳裏に浮かんだ。


――削除しますか?――



ナツから一度も電話のなかったこの機械。わたしたちをつなぐ糸はこの文字枠ひとつで簡単に消える。



――削除しますか?――



「バイバイ、ナツ」




わたし、がんばったよね? せいいっぱいがんばったよね?

悔いはないよ。


涙が溢れてとまらないのは、きっと酔っているせいだ………。



















































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