Nanako 3.the contrary
◇
「俺さ、車できてるんだ。あっちのコインパーキングにとめてあるから、一緒にきて」
車!! 入学したてでもう車!! さすがおぼっちゃま。
「ナツの?」
「うーん。まあそうかな。弟が免許とったら共同になる」
「お金持ちだね」
「別に普通」
じゃないって。内部進学の金持ち集団の中では普通なだけなんだって。
わたしはかなり勇気をだして、ナツの腕に自分の腕をからませた。
いきなり嫌がられるかな、と思ったけど、ナツは別に気にする風もなく、ポケットに手を引っかけて、わたしが腕を組みやすいようにちょっと肘が曲げるようなカタチを作ってくれた。
すごく……、慣れている。
スポーツカーみたいのを予想していたらナツの車は、黒いランドクルーザーだった。
大人数のれるだろ? って言う。
デート仕様じゃないその車の選択が、なんだかわたしを安心させた。
「どこ行きたい?」
ぜんぜん考えていないし、この時間からじゃたいしたところにはいけないよね。
「特に思い浮かばないなぁ」
「俺んちにくる?」
まるで当然のように言われた。
またあの、新歓コンパで、このあとどっか行っちゃう、と言われた時と同じ艶めいた男の目。
でもナツ、一人暮らしなんだよね?
さっきそう言っていた。
一人暮らしの男の子の部屋に入るって、すごく抵抗がある。
いや、信用はしている。
ナツは優しい人だから、わたしの嫌がることなんてしないと思う。
だけど、一応彼女なわたしが彼氏の部屋にいったら、なんかそういうことをするのが前提というか……。
前の彼氏のときは……わたし、そういうこと覚悟で、っていうか、この人とならいいと思って部屋に入った。
でも、ナツとは、まだふんぎりがつかない。
まあ、最初のデートでいきなりそういうつもりで誘っているわけではないとは思うけど。
「今日は、やめとく」
ナツの顔をみないで、自分のひざの上で組んだ指に視線を落とし、そう呟いた。
たっぷり三秒くらいの沈黙のあと、明るいナツの声が降ってきた。
「そっか。んじゃ、お台場の海でも見て送ってくよ。夕方の海、綺麗だかんな」
わたしたちはそれからお台場に行った。
今ので、嫌われたんじゃないかと恐くなったわたしは、ナツの腕にそっと手を伸ばした。
そうすると、ナツは今度もわたしが腕を組みやすいように、ポケットに手を入れてくれる。
優しくて、明るい笑顔で、ビーチを歩きながら喋ってくれた。
春の太陽光線みたいに、じわじわわたしの心にしみいるような笑顔だ。
そして、ナツはわたしのとても綺麗とはいえない古いアパートの前まで車で送ってくれた。
ナツのマンションは、ここと比べ物にならないくらい綺麗なんだろうな、と思いながら、彼の車を見送った。
◇
次の日もわたしたちは、大学が終わったあと、待ち合わせをして会った。
わたしがまた夜の十時ぴったりに電話して、約束をとりつけた。
ナツは八時くらいまではボクシングジムにいることが多いらしい。
だったら、十時なら話せるかな、と思ってその時間に電話をかけることにした。
ナツは今度は改札で待つのはダルい、とか言って、昨日待ち合わせをしたお店で会うことになった。
しばらく喋ったあと、ナツの車で表参道まで行った。
両側から張り出す新緑の巨大なトンネルの外側に、高級ブランド店が軒を連ねている。
好きな店があるからつき合って、とナツは言い、ブランド店とブランド店の間の道を入って行った。
さらに横道に折れたところにある、めだたない半地下のアクセサリーを扱うらしい店に二人で入った。
こんな小さい店なのに値段が異常に高い。
男ものの、シルバーのブレスとか、ネックレスが並んでいて、どれも一万円以上する。
ナツはさんざん迷ったあげく、わたしに二本のブレスを見せて、どっちがいい? って聞いてきた。
編んだ革とシルバーの組み合わせのものと、シルバーだけのものだ。
わたしがこっち!、ってコンビのほうを指さしたら、じゃこっちにしよう、と即決した。
一万二千円だった。
すごいな、こんなのがすぐに買えちゃうんだ。
ナツがお会計している間、わたしも店のなかをもう一度見てまわる。
「……あ」
すみのほうに少しだけ、女もののジュエリーが置いてあった。
「超可愛いい……」
男物のごっつさとは対照的な、繊細なつくりのネックレス。
たぶん、全部プラチナだ。
細い細いチェーンの先にわざといびつにしたハート。クローバー。時計。うさぎ。
チャームにはどれもパヴェダイヤがその形に埋めこまれている。
アリスの世界? ホントにすごくすごくかわいい。
でも値段を見て、ひっくりかえりそうになった。
一番安くても十万円以上……。
欲しいけど、買うのを考える余地のない値段だ。
わたしがショーケースをのぞいてため息をついていたら、お会計をすませたナツが来た。
「何見てんの?」
わたしのうしろから、ナツが覗き込んだ。
こんな女もの、ナツには関係ない。
「行こ」
わたしはナツの腕をつかんで、出口のほうに歩き出した。
ひっぱったけど動かないから振り返ってみたら、ナツは首だけを捻じ曲げて、ショーケースの中をのぞきこんでいた。
「ほら!! もう終わったでしょ」
「ああ」
ナツもやっと動き出した。
そのあと、オープンカフェの店で、行き交う人を見ながら、お茶をした。
ちらちらと舞う木漏れ日は宝石みたいに綺麗だった。
歩いている人がみんなが幸せそうに見える。
それはこの人の持つ魔法かもしれないと、わたしはアイスのカフェラテにストローを刺しながら、正面のナツを伺うように見つめる。
でもやっぱりちょっと悔しくて、わざとふくれてみせた。
「ナツはやっぱ、おぼっちゃまだなー。あんな簡単に一万以上するアクセ、買っちゃうんだもん。わたし、服もアクセもセール以外で買ったことないよ」
「俺だって、ほとんどセールの時しか買わねーよ? でもあの店、値段、下げねえんだよ。夫婦でデザイナーやってるみたいでさ、女ものもちょっとあったろ?」
「うん。かわいかったけど値段が半端じゃなかった」
「ああいうのが好きなんだ?」
「大好き」
わたしは下を向いて少しだけ笑みをこぼした。
グラスの中で氷が解けて位置を代え、それがコロンと楽器みたいな音をたてた。
音の響きが完全に消えた頃に、ようやくナツが反応した。
「へぇー」
「アリスのモチーフだったの。わたし、子供のときから、アリスが大好きでね、最初に出版されたときの挿絵はジョン・テニエルって人のなの。その人が描いたアリスや猫やうさぎ、今でもすごく人気で、いろんなモチーフにつかわれてるんだよ」
「ふうん」
つまんないよねこんな話。
アリスなんて、男の子はきっと読んだこともないもん。
「そのブレス、やっぱそっちにして正解!! 素敵だよ」
話題を変えようと、ナツが買ったばかりのシルバーと革のブレスを指差した。
「なぁ、アリスってどんな話だっけ? 俺、読んだ、てか読まされたかもしんないけど、おぼえてねーや」
「女の子が不思議の国に行く話。でも、それは全部夢だったの」
ぶ、っとナツが吹きだす。
「簡単すぎるだろ、その説明。冒頭からいきなり結末かよ?」
「あれは説明しても面白くないんだよ。なんていうか、すごく感覚的な話でさ」
そこでまた、今度はやわらかくナツが笑った。
わたし、なにかおかしいことを言ったかな。
「菜々子さんさ、自分の話、ほとんどしないの気づいてた? やっと菜々子さんが好きなもの、ひとつ知ったよ」
ドキン、と心臓がはねる。
それ、どういう意味だろう。
わたしのことを知りたいって、少しは思ってくれているのかな。
「女の子ってさ、流行のモンが大好きじゃん? 菜々子さんもかなりおしゃれだし。興味あるんだろ? そういう話、しないの?」
だって女の子のそんな話、つまらないでしょう?
おしゃれをするのは確かに好きだけど、ナツみたいな高い服は買えない。
ナツからすれば話にならないくらい安いところで服を買っている。
話題がかみ合わないよ。
つまらない女だと、思われたくない。
「ナツの話、聞いてるほうが楽しいの!!」
そのとき、ナツの手がスっと伸びてきて、え……、と思っている間にわたしの髪を耳にかけられた。
「髪、グラスに入りそうだよ、そんな下むくと」
ナツの手が頬に触れた。思いのほか、熱い手だった。
ドクドクと心臓が血液を送り出し、触れた場所だけが、焼け付くように熱い。
上が向けない。自分の顔がどんどんほてっていくのがよくわかる。恥ずかしすぎる。
「ナツ、出……出ようか。この前、おごってもらったから、今度はおごるね」
「……わいいな」
「えっ?」
わたしはあんまりびっくりして、勢いよく顔をあげてしまった。
今、かわいいって言わなかった?
綺麗だね、とか、黙っていると歳のわりに大人びている、とかはたまに言われる。
でも、かわいいってわたし、あんまり言われたことがなくて、そんなことを言われると仰天してしまう。
今度はナツが黙る。
ナツの頬がかすかに紅潮してるような気がした。
光のかげん?
確かめたくて、わたしはちょっと身を乗り出してナツをじっと見つめた。
そうするとふいっとナツが横をむく。
もしかしてかわいい、なんて言っちゃったこと、照れてるとか?
それはないか。
ナツ、そんなの言いなれているような気がするよ。
結局、今日もナツがおごってくれた。
店を出て、表参道を腕を組んで歩く。身体を密着させるような事はできなくて、手首だけを引っけるような控えめな腕組みだ。
もう夕方だけど、西日も暖かいぽかぽか陽気で、絶好のおさんぽ日和。
道行く人は、きっとわたしたちを恋人同士だと思ってるんだろうな。(実際、そうなんだけど)
楽しい。
ナツといると、ただこうやって歩いているだけで、どうしてだかすごく楽しい。
道路沿いのコインパーキングから車を出して、わたしが乗り込む。
シートベルトをしめて、しばらくしても、なぜか車は動く気配がない。
ナツのほうを見ると、ハンドルの上に両腕を組んで乗せていて、前を見据えてる。
見据えているというよりは、眉間にしわを寄せて睨んでいる。
エンジンもかけていない。
「ナツ……?」
「ん?」
こっちをむいたナツの目が艶っぽく光ってる。
「どうしたの?」
なにかをためらうように瞳が揺れる。
言いたいことがあるのに、言いにくい時みたいに、その真っ黒い虹彩が揺れる。
「このあとさ」
この前と同じことを言われるんじゃないかと、とたんに身構える。
どうしよう。
車のなかに不自然な沈黙が流れる。
わたしは何を言ったらいいかわからない。
でもたぶん、わたしが身構えたことははっきりと伝わったはずだ。
だからきっと、ナツはこの先の言葉は――……。
「時間あったら俺んち――……」
口にしないと思ったのに……沈黙を強引に突き破るような唐突な早口が落とされる。
その早口に負けないくらいの勢いでわたしは話を遮った。
「わたしっ!! このあと、家庭教師のバイトなの。高校二年の女の子でね。もう、受験の準備、始めたほうがいいとか言って。まだ早いよねー」
わたしの無理無理に軽くした口調とは裏腹の……さっきとは微妙に質の違う重い沈黙が車内に立ち込める。
実際はそこから、たぶん一秒くらいしかたってはいない。
だけどものすごく長く感じた沈黙の後、ナツの明るい声が降って来た。
「そっか。じゃ、そこの近くまで送ってくわ。時間、調整しなくて平気?」
わたしは表参道から三つ離れた駅の近くで降ろしてもらう。
本当は……今日は家庭教師のバイトはないって、ナツは気づいちゃっただろうか。
その日から三日間、毎日、定刻の十時にナツに電話をかけた。
でも、呼び出し音が虚しく響くだけ。ナツは電話にでなかった。
楽しいのに……一緒にいるのはすごく心地がいいのに、ナツの部屋に行く勇気はない。
行かないことは心と裏腹な行動なのか、それとも素直な行動なのか、わたしにはわからない。
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