Nanako 2.consonance
◇
何人もの一年生の相手をしながら、少年Aをちらちら伺うという忙しいことをしているうちに、一次会はあっという間に終わってしまった。
「二次会は一年生にも二千円ほど払っていただきますが、お店決まってるので、行きまーす」
部長の高宮さんが言う。
だいたいここで、入る気のない一年は二次会へはこないらしい。
一次会でサークルの雰囲気見てもらって、ホントに興味のある人は二次会へ。
ここで八割方一年生は消える。
あの子達も……きっと。
おぼろに酔った頭でそんなこと考えていたら、八人そろってわたしのとこへ来た。
なんで? ああそうか、わたしこの子たちにお金払わなきゃならいんだ。
上級生はただでさえ、新歓コンパ代として、別口徴収があったのにな。
仕方がない。自分で言ったことだ。
「先輩」
わたしが最初に声をかけた少年Aが口を開いた。
「はい」
「今日は、ありがとうございました」
「わかってるよ、お金ね」
「いや、金はいいっすよ」
「え?」
「たった五百円で、楽しく飲ませてもらいましたから」
「え? だってあんたたち、仲間うちでしかしゃべってないじゃない。たまに一年の女の子がきたりとか? うちのサークルに興味ないんでしょ? だったらなんで、ただんとこにいかなかったの?」
「先輩が一番綺麗だったから。勧誘にきたなかで」
へえ、そう。
そういうことサラっと言えちゃうんだ? 軽いね。
でもなんだかすごく嬉しいよ。
わたし酔ってるのかな? そうか酔ってるんだ。
「じゃ、俺らこれで。会費、部長さん? だと思われる人に渡しときましたから」
部長さん? じゃないでしょ、疑問符じゃ!
ちゃんと飲み会始まる前に、紹介あったでしょ?
ちっとも聞いてない、つまりは興味ないんだね。
八人はぞろぞろと二次会会場の居酒屋とは反対方向に歩いていく。
待って、と声にならない声が喉に張り付く。
もう八人とも完全に背中見せてる。
この機会をのがしたら、次はいつ会えるかわからない。
千夏にしてもらったこのメイクは? わたしの気合はどうなるの?
わたしは知らず知らずのうちに駆け出してた。
足がもつれて追いつけない。
八人の中で真っ黒の髪はあの子だけだから、簡単に見分けがついた。
前のほう、歩いてる。
待って。待って。待って。わたしは何人かの男の子を両手でかきわけた……。
がしっと手のひらに確かな衝撃を感じる。
「は?」
わたしは黒い髪の少年Aの腕をがっつり掴んでいた。
掴んでから酔った頭で一生懸命考える。
えーと……。かるーく……。なんだっけ?
「なんすか? 先輩?」
かるーく……。
「えと……かるーく」
「は?」
「わたしと、つきあわない?」
あってる? なんか違わなくない?
ぎゃはははは、とまわりの男の子が笑い出す。
わたし、今、なんか変なこと言ったっけ?
すげーなナツ、こんな逆ナン、初めて見たよ。
おいおい役得だろ? なんでお前なんだよ?
なんか、まわりで言ってる。
でも、見上げたわたしの顔から目をそらすことなく、ちょっと唇の端を持ち上げるような笑い方したあと、少年Aは言った。
「いいっすよ」
なにがいいっすよ、なんだっけ?
少年Aはわたしの腕を引っ張ると道路の脇につれていった。
「俺、抜けるわ」
仲間にそう言っている。
仲間は口笛をふいたり、なんか下品な単語言ったりして、先を歩き出した。
そうだわたし、二次会行かなくちゃ。
上級生は最後までいないと。
「あ、行って? わたし、上級生だから、二次会……」
少年Aは腰をかがめてわたしの真正面に自分の顔を持ってくると、柔らかいようないやらしいような、よくわかんない顔で笑った。
「つきあうんでしょ? 俺たち」
わ? 話はやっ。
いつの間にそうなって……。
あ、わたしさっき、もしかしてつきあって、って言った?
いきなりそう言った?
それでこの子は、ぜんぜん知らないわたしとの交際をOKしたんだ。
「……うん」
彼はわたしの耳元に口を近づけると、そっと言った。
「このあと、二人でどっか行っちゃう?」
理解不能なほど艶めいた目でわたしを見る。
男くさいというか、獣くさい。
そんな目をされると恐くなる。
だいたいこの時間からどっかってどこ?
飲みなおすとか、お茶してお互いの連絡先を交換するとか?
だめだよわたし、二次会行かないと。
「ごめん。わたし、上級生だから飲み会最後までいないといけないの。だから、あの少年A……じゃなくて、名前、なんて言うの?」
「なんだよその少年Aって。それ犯罪者じゃん。夏哉だよ。一之瀬夏哉」
夏哉くんはちょっとシラけた顔になって、目からさっきの艶がスッとひいた。
「ごめんね、また連絡する」
「どうやって?」
えーと、それはラインかなんかで……、あ、交換がまだ……。
フっとため息をついて夏哉くんは自分のスマホを取り出した。
なんだか、すごい冷静だな。あれだけ飲んでたのに酔ってないのかな?
ついこの間まで高校生だったんでしょ?
「ほら」
「あー、はい」
わたしも自分のスマホを取り出す。
えっと、どうしよう。連絡先はどうしたら……。
だめだ。頭が働かない。
わたしがもたもたしてると、ヒョイっとスマホを取り上げられた。
「解除して。彼女になるならラインとアドレスどっちもな」
「は……はい」
画面をわたしのほうに向けてくるから、指で解除した。
両手のスマホに視線を落とした夏哉くんは、その2つを勝手にしゅるしゅる操作して、最後にわたしに聞いた。
「アドレスに名前入ってないよ、なんての?」
「……佐倉菜々子」
夏哉くんは、また少し操作してから、自分のスマホの画面をわたしに見せて、言った。
「この字?」
そこには漢字で当たりのわたしの字。
「そう」
「はい」
わたしにぽいっとスマホを返した。
スマホをしょってた鞄に入れると、軽く手をあげ、仲間たちが歩いていったほうに早足で歩き出した。
「じゃーまたね、彼女になった菜々子さん。連絡待ってる」
そんな夏哉くんをわたしはボーっと見送った。
はっ、そうだ二次会! とわたしはみんなのいるほうを振り返った。
居酒屋の前では、上級生がつぶれた一年を介抱してたりで、まだみんな、移動を開始してなかった。
わたしはさりげなくみんなのところにもどった。
◇
その日、結局、十一人がサークル入会を決めた。
例年より、だいぶ少ないみたいで、部長はなげいてた。
とりあえず、入会金だけでも徴収したいらしい。
夏哉くんと、ついでにその友達、入会してくれないかな。
土日はほとんど、テニスの練習だ。
電車で大学から離れた公園のテニスコートまで行く。
入ってくれないと土日にデートなんてできないよ。
一人のアパートに帰って、アドレスを確認する。
……あった。一之瀬夏哉。
わたしはこの人と恋をすることに決めたんだ。
なんだかトントン拍子すぎるところが逆に怖いけど、早くもおつきあいのスタートラインに立たせてもらったんだよね。
でも何をしたらいいんだろう?
あたりまえだけど、夏哉くんだってまだわたしのことを好きなわけじゃない。
だけど交際をOKしてくれたってことは、少なくとも嫌いなタイプではないんだよね?
好きになってもらえるように努力しなきゃ。
……それから、わたしが好きになる努力も。
あー、恋は大変だ。恋は疲れる。
でも、夏哉くんは優しい。優しい人だ。だから大丈夫。絶対に大丈夫。
わたしは次の日、夜、かっきり十時に夏哉くんに電話して、その次の日の三時に大学の沿線上にある大きな駅で会う約束をとりつけた。
◇
駅の改札で夏哉くんはダルそうに壁によりかかってスマホをいじっていたけど、わたしの姿を認めると、笑顔になって近づいてきた。
夏哉くんが入っていったのは、ヤシの木がふんだんに置かれた白っぽい内装のオシャレなカフェ。
一年生はまだ本格的な講義が始まっていないらしくて、これから始まる一年間の講義をスケジュール調整して登録しなければいけない期間らしい。
「菜々子さん、手伝ってよ。どの先生が単位とりやすい?」
アイスコーヒーの氷をからから回しながら、夏哉くんが聞く。
こういうこと聞くのはやっぱり夏哉くんがおぼちゃまなんだと思う。
自分のやりたいことじゃなくて、単位のとりやすさで、講義を決める。
好きな人を追ってこの大学まできたわたしには、人のことを言えた義理じゃないか。
夏哉君は大学の膨大な講義名が書いてある長ーい水色の紙をべらべら、何箇所かの折り筋にあわせてめくったり閉じたりしている。
「こんなのどこ見りゃいいのかわかんねぇよ。意味わかんねぇ講義ばっかだし。なにこのサンスクリット語って」
「なんか昔の東南アジアあたりの公用語? 夏哉くん、何学部なの?」
「経済。ナツでいいよ。友達、みんなそう呼ぶからさ」
「パンキョーは一緒のあるから、少しは力になれるけど。わたしは英文科だからあんまり教えてあげらんないなあ」
「パンキョーって何?」
「ああ、一般教養のこと。一、二年でそれ、とれるだけとると、あとが楽だよ」
んー……と呟いて、めんどくさそうに夏哉……ナツはテーブルに片肘をついて持ってたペンをくるくる回した。
わかるわかる。こんなのなんの説明もなく見せられたって、わかんないって。
ナツ達の経済の選択講義なんてもっとわかんない。
マネジメントに関するなんだか。
経営論の……? 読めない。
「こいつなんてひどい教授だと思うぜ? 噂だとPC登録の後、教科書登録とかいうのがあってさ、自分の書いた本にマジックで学生が名前書いて、それ見せにいくんだぜ? 自分の本、学生に買わせてるだけじゃん。しかもその本、異常に高い」
「ねぇナツ、うちのサークル最初だけでも入ろうよ? どっか他、きめたの?」
「あー……」
「みんな一年はだいたいサークルの先輩からどの講義が楽だとか、この教授は単位が取りやすいとかおしえてもらうんだって。うちのサークル、経済の先輩いっぱいいるよ?」
「んー、だけど菜々子さんのサークル、強いんだろ? 名前だけ入ってればいいようなサークルじゃないんだろ?」
「…そ、うん。それはそうなんだけど…。でも、やっぱり名前だけでも最初は入ってほしいなー。ナツがやりたいこともう決めてるなら仕方ないけど。高校ん時、何やってたの?」
「ラグビー。あいつら…、こないだ一緒にいた奴ら、全部、ラグビー時代の仲間」
ふうん、どうりでデカくていかつい人ばっかだったよ。
「ラグビーって筋骨隆々ってイメージがあるけど、ナツはそうでもないね」
「俺は、ウイングだったからね。スクラム組まないし、走るのが仕事みたいなポジションなんだよ。んでもほら見ろよ腹筋割れてんぞ」
そう言っていきなり着ていたシャツをまくりあげようとするから、慌てて両手を前でフリフリし、やらなくていいって、ポーズをして話題を他に振った。
「だ大学でもやるの? ラグビー」
真っ赤になってどもるわたしに、ナツは涼しい顔をむけTシャツから手をはなした。
「いや」
ナツはつぶやいて、カランと一回、アイスコーヒーをかき混ぜた。
「俺高校の部、引退してから、内部で大学決まって、それからボクシングのジム通いだしたんだよ。今それにはまっててさー」
「そうなんだ」
「あ、でもなんだかんだ言って部に入るのが決まってる奴、多い。一人、ラグビーの推薦で違う大学いった」
またカランと、ほとんど氷だけになったグラスをストローで回すと、
「高校ん時な、あいつらと――……」
そう言って、高校時代のラグビーの話を面白おかしく話しはじめた。
ナツは自分で気づいているんだろうか。
わたしが聞かなくても、どんどん仲間のことを話題にする。
仲間のことを喋ってる時が一番、キラキラしている。
たまにナツの話には家族も登場し、一つ違いの弟がいることも判明した。
それから、わたしは頬づえをついて、ナツの仲間の話や高校時代の話をずーっと聞き続けていた。
柔らかいテノールがつむぐ人のぬくもりを感じられる内容が耳に心地いい。
いいな。こういう明るい男の子。
友達や家族に囲まれて、幸せに幸せにここまで育ってきたんだろうな、この人は。
「悪い。俺自分の話ばっか」
頬づえをついて、楽しそうに喋るナツの、形のいい口元ばかり見ていたわたしに、彼が突然言った。
「そんなことないよ。ナツの話、もっと聞きたい。あったかいよ」
「あったかい?」
「うん、だからもっといろいろ話して」
「なにがあったかいの?」
わたしはちょっと考えて言葉を選んだ。
「たぶん、ナツの話には不協和音がないから」
「フキョウワオン? なにそれ?」
「不協和音っていうのはね。 曲を作るとき、次の音をより綺麗に響かせるためにわざと合わない音同士を組み合わせて濁った音をつくるの。曲を作るときのテクニックだね。ナツは人を悪く言わないでしょ? 自慢もしないでしょ? 自分を飾るための不協和音がナツの話の中にはないんだよ。誰かの話で笑いをとる時でもちゃんと愛がある」
「意味がよくわかんねえ」
それは意識の外で成されていることなんだね。
「まあいいじゃん。わかんなくても。わたしがナツの話、好きなんだから」
いくら仲間だって十人以上いれば、主義主張の合わない子だっているはずだ。
でもナツはそういう子の話をあえてしたりはしない。
きれいな和音だけでできたナツの世界はシンプルで、でもひとつひとつの音がとても大事にされているように思えた。
一音一音に愛がある。
「好きだなそういうの」
ナツがいきなり真顔になって黙り込む。
「どうしたの?」
「いや……。そんなこと言われたの初めて。俺、相手の話も聞かないで喋りすぎるじゃん。女の子、退屈させること多いと思うんだよね」
「ぜんぜん退屈じゃない」
そう言ってちょっと首を傾げて笑ってみた。
ナツが固まった。
「ナツ?」
わたしを射すくめるみたいな目で凝視している。
「ナツってば」
「ああ、うん」
でも、それからナツはもう話をしてくれなくて、さらりと伝表を取り上げてしまった。
「でよっか」
「う、うん……」
なにか、気に障ったのかな……。
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