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わたしは大学の研究棟の下のカフェで頬杖をつきながら、ボーっと外の様子を見てた。


どこのサークルも、サークル名の入ったおそろいのウインドブレーカーを着て、新入生の勧誘にやっきになっている。


わたしも一応、サークル名の入ったウインブレは着ている。


黒地にオレンジ色の文字でK.UNIV ORANGE.K大オレンジ。


それがわたしたちのサークル名だ。


それで、どうして一番下っ端のわたしがサークルのたまり場で、こんなに悠長にしてられるのか。


うちのサークルはあんまり勧誘はしない。


わざわざ勧誘しなくても、それなりにテニスの強い子がちゃんとくるのだ。



うちのサークルは全国レベルではないけど、関東ではそこそこ名前が通ってる。


別にお高く留まっているわけではないから、常識範囲内の最低限条件さえクリアできれば初心者でも入会は歓迎。


でも実際は初心者で、うちを選ぶ子はいない。


強いところでテニスがしたい、でも上下関係や規律が厳しい部はもういいや、って子が集まってくる。


それなりにうちの大学では名前の知れているサークルなのだ。


だから、ちょっとだけズに乗って、特別待遇を享受しちゃっているようなところは確かにある。


たとえば今いる研究棟下の決して広いとはいえないカフェを占拠すること。


他のサークルはいくつかある学食のどこかにタムロっている。


「あのー、オレンジ、の皆さんですよね。えっと…自分は……」


こうやって自分のこと、僕とか俺、じゃなくて自分って言っちゃうとこが、絶対、体育会系部活、九分九厘テニス部の出身なんだ。


「あ、新入生の方ですか? どうぞどうぞ、こちらに。テニスはやったことあります?」


笑顔で応対する百合にぼーっと見とれる一年生。


百合が目当てで来たんじゃないことは、わかっているけど、無駄な努力はしないほうがいいと思うよ。


キミはそれなりにイケメン、いやぎりぎりイケメン……。


百合を前にうっすら頬を染める一年生の背後、ガラス貼りのカフェの向こうにわたしの注意はひきつけられた。


「あ……」



小さくつぶやいてガラスのほうに身を乗り出したわたしに、隣に座ってた千夏がいぶかしげな声をかける。


「どうしたの? 菜々子?」


「千夏っ。ちょっと来て」


わたしは千夏の手首を握ると、反対の手で新歓コンパのビラを掴み、カフェの、中庭側の入り口めざして駆け出した。


「いった、痛いなあ、なんなの菜々子?」

「勧誘」


「え?」

「勧誘しに行くからついてきて」


「かんゆうー?」



わたしはどこかから沸いて出たんじゃないかと思うほど人の多い中庭の芝生をつっきって、研究棟の真正面に位置する三つの卵形のオブジェがある場所まで走った。


通称タマゴ岩と言われている一メートル以上あるこのオブジェに、七、八人の新入生がもたれかかってしゃべっていた。


みんな、今風の着くずした格好にシルバーのネックレス。


髪の色はいろいろな種類の茶色や金髪、それに黒。


耳にピアスをやってる子もいる。


服装はどの子も似た感じだ。


派手目ではあるけど、今時、どこにでもいるような、卒なく洗練された男の子たちだ。


でも、なぜか彼らには華がある。オーラが出ている。


タマゴ岩の周辺だけ、テレビの中のような異空間。



「あのっ!!」


わたしは真ん中に陣取ってる、くせっ毛だかパーマだかわからないくらいのゆるいウェーブをワックスでオシャレに遊ばせた黒髪の男の子に話しかけた。


わざとシワ感をだしたような生成りのTシャツにカーキのカーゴパンツを上手くくずして履き、上から半そでシャツを無造作に羽織っている。


正面から彼の顔を見る。


二重の切れ長で、黒目が勝った引き込まれそうな深く真っ黒な瞳。


通った鼻筋。

厚くも薄くもない唇。


近くで見るとかなり整った顔立ちをしている。なんていうか、配置のバランスが完璧なんだ。


わたしはたっぷり三秒くらい見とれていて、変な間が開いてしまった。


は! とわれに返り、慌てて口を開いたら思いのほか大きな声がでてしまった。



「うちのサークル、入りませんかっ?」


「ああ、勧誘っすね? んー、なんの? あ、オレンジって有名っすよね? 俺ら、テニスの経験なんてありませんけど、いいんすか?」


そう応えたのはわたしが話しかけた黒髪クンのすぐ隣にいた金色の髪の人だった。


「俺ら、中学高校と結構ハードなスポーツやってたから、大学では可愛い女の子のいるサークルで楽しく大学生活エンジョイしようかなーなんて」


そう言ったのはそのまたとなりの、耳に三つピアスやってる人だ。


「いるよ。ほら、すごっい可愛い子。オレンジ、可愛い子多いって評判聞かない?」


そう言って、わたしは千夏を男の子たちの前に、ぐいっと押し出した。


「え……?」


いきなりのわたしのアクションに目を白黒させる千夏。


ごめん千夏、このためにあんた連れてきたの。



ホントは百合も一緒に連れてくれば百人力だと思ったけど、あの子を餌にしたら、あとで彼女のカレシ様になんて言われるかわからない。


その点千夏なら今彼氏いないし、基本的にこういうことは嫌いな彼女ではない。


「ほんとだー。かっわいいー。お姉さん、何年?」


「二年だけど、えっと、あの」


「こっちの積極的なお姉さんもすげえ綺麗……。モデルとか? にしちゃ背、そこまでないか」


そう言って今度は薄い茶髪の男の子が、わたしの長い髪の束をそっと掴んだ。


掴むとき、胸に手が触れちゃうんじゃないかと一瞬恐くなって体をひいたから、わたしの髪は、茶髪の手をするっとぬけて、もとのとおり鎖骨の上にかかった。


でも、誰も仲間のそのいきすぎの行為を止めようとしてくれない。


それどころか薄笑いを浮かべてみんなわたしを見てる。


わたし、一応先輩なんですけど。 


この子達……あんまり素行はよくないかもしれない。


「新歓コンパ、新入生は五百円、飲み放題なんですよ?」


横からそう言ったのは千夏だった。


ちょっとぼんやりとしていたわたしの手から、ビラをもぎ取ると、近くにいた、金髪クンに手渡した。



「五百円かー。さっき勧誘にきたとこ、ただだったよな?」


そんな憎たらしいこと言うのはピアス三つの人だった。


「ただにしてよ? そしたら行ってやってもいいよ」


畳み掛けるようにさらに憎たらしいことを爽やかな笑みとともに言ったのは……わたしが最初に声をかけた、黒髪の男の子だった。


……やっぱり性格悪い、かも。


でも。


「いいよただで。でも先輩たちには内緒にしてね?」


わたしは気づくと、そう言っていた。





「菜々子、あの子達の新歓コンパ代、自分でかぶる気? 入るわけないじゃん。ていうか、入ったところで、テニスやったことないんじゃ、いられないと思うよ?」



四号館から五号館に渡る廊下はガラス貼りになっていて、両側の植え込みから伸びる新緑が触れそうなほど近くまでせり出していた。



花の季節も好きだけど、この若葉の季節がわたしは一番好きだった。


「うん…」


「八人もいたよ? 全部で四千円だよ」


「わかってるよ」



「バイトばっかしてる貧乏学生のあんたがなんで……?」


そこで千夏はふふんっと、笑って続けた。


「いいけどね? 男の子にまったく無関心だったあんたが、自分から動いたなんて、奇跡だしね。それほどビビッとくるものがあったんだ? あの子たちに。違うな。あの子たちのどれかに」


わたしは下を向く。


ビビッとねぇ。うーんどうなんだろ? 

ビビッときたのは確かかもしれないけど……。


でもこの直感にしたがって、無理無理に動いてるところはある。


「千夏前に言ってたよね?」


わたしはガラス越しの力強い新緑を見ながら黒アイアンの手すりに両腕を乗せた。



「ん?」


「ほら、恋なんて狙いを定めて、こいつを好きになろーと思ったらできるって」


「あー、うん。そんなもんじゃない?」


「ちょっとそれ、やってみようと思って」


そこで千夏は歯をみせてニカリと笑った。


「やー、菜々子、失恋から一年。言い寄る男をけちらし続けて一年。ようやくその気になったかー」


「まぁ、うん、別に全く蹴散らしてはないけどね」


疲れる。いまさら恋をするって正直、面倒くさい。


まだしてもいないけどさ。恋に踏み切るって力いるよ。



恋は落ちるもんじゃなくて、自分から飛び込むもんなんだよね?


「それで? どれなの? みんなカッコよかったよね? あんだけカッコいい子がそろってる集団ってなんなんだろね? あたしだったらねー。あ、あたしも今彼氏いないじゃん。あんなかのどれかつかまえちゃお」


千夏は一月前くらいに、半年付き合った男の子をフッている。


単なるケンカに見えたんけど、そうではなかったらしい。


千夏の別れる理由はいつも一緒で性格の不一致だ。


そんなに性格がぴったりあっている子なんて自分以外にいないと思う。


でもそのあっけらかんとした性格や、いつも明るくてひたすら前向きな彼女は、純粋にわたしの憧れだったりする。



「……あれ。あのあたしが最初に声かけた子」


「あー……。あの黒い髪の子。なんか生意気そーなガキだよね? あーよかった。あたしとはかぶんないわ。確かに顔は良かったけど、あたしああいう、性格悪そうなのダメ」


千夏ははっきり言うな、あいかわらず。


確かにあの『ただにして』発言はひどいかもしれない。


性格悪いの? 大丈夫かな―あれに狙いをさだめて。


いきなり不安になってきたよ。


わたしは今年で十九になるこの歳まで、一人しかつき合ったことがない。


言ってみれば、恋愛初心者だ。でも若葉マークとは言えないんじゃないかな。


同じ人だけど、十八年もいれこんできたんだからさ。


そのベクトルを今、わたしは無理やりねじまげようとしている。


ガラス貼りの向こうの新緑の下に見え隠れする研究棟のカフェを、挑むように見つめた。


「でも菜々子、マジでなんなの? いきなりのその超ポジティブへの転向? ただのイジケネガティブ少女だったのに。少年Aのなにが菜々子を動かしたの?」


「少年Aはやめようよ。それじゃ犯罪者だよ」


「名前が判明するまでだよ」


千夏はそう言って、明るく笑った。


でもどうやってお近づきになればいいかな、どうやってアプローチってするんだろ? 


「どうやってアプローチしたらいいかわかんないんでしょう?」


「うん」


「菜々子は黙ってると、かわいいっていうより、どっちかっていうとクールビューティーに見られちゃうのよ」


「クールビューティーねぇ」


「でも、笑うとその巨大な八重歯で印象すごい変わるんだよ、可愛いってほうにね」


「ほー」


「男は上目づかいに弱いの。少年A、背ぇ高いから見上げるだけで上目づかいになるよ? そこでね? 今度、どっか遊びにいきましょう? ってかるーい態度で。いい? ここポイントよ? かるーい態度で笑って誘ってみ? あの手の男はまず断わんないよ」



そうかなるほど。かるーい態度ね。


かるーい。かるーい。


わたしは今日の新歓コンパまでに、トイレの鏡でひたすらかるーい態度を練習した。


鏡に向かって、かるーい笑顔を浮かべるわたしは、後ろにうつる女の子のけげんな表情で急に現実にひきもどされた。


振り向くと、わたしと目をあわせずこそこそとトイレを出て行く三、四人の集団がいた。


……はずかしすぎる。なにやってんだろわたし。


別にいいし。


断られたってなんとも思ってない男の子なんだから、傷つくこともない。




でも悲しいかな気合が知らず知らずのうちに、メイクにも現れちゃってたらしい。


千夏に無駄に濃すぎ!と言われたわたしのメイクはその場でちゃかちゃか彼女に全部やり直された。


すごくいい化粧品を使っている千夏はメイクの腕もけっこうなもので、わたしがやらないことをいくつもやっているくせに、超ナチュラルな仕上がりになる。


だいたい千夏、これだけの化粧品、クレンジングまでもち歩いているってどういうこと?


ビューラーなんて形がちがうのが三本もあるよ。





新歓コンパの会場は、大学から歩いて十分の小汚い居酒屋だった。


勧誘してないのに、なぜだか相当の人数の一年生が集まっている。


こいつ絶対テニスやんないな、って装いのパンクなお兄さんもいる。


可愛い女の子もいっぱいで、たぶん、それは男の子が勧誘してきたんだ。


入らなくても、あわよくば仲良くなってお付き合いを、って魂胆が見え見えだ。


あ、人のことは言えないな。


早く少年Aのとなりを確保しなくっちゃ、と思って気持ちばかり焦って様子を伺う。


……ダメだ。わたしが勧誘した八人で、車座になって飲みに入っている。


新歓コンパはおつまみ異常にすくないかわりに、やっすいお酒が、飲み放題なのだ。



入る気ぜんぜんないな、あの子達。

タダ飲みに来ただけなんだ。


どうしよう。どうやって近づいたらいいだろう・……。


そう思っているうちに刻々と時間は過ぎていく。


俺らは俺らだけで飲みたいんですよ、このサークルに興味はありません、なポーズは、円陣ですか、ってくらいがっちり組んだ車座が物語っている。


入り込む余地がない。


まあ仕方がないか。わたしも飲もう。


わたしはそんなにお酒が強くない。


でもこうやってみんなでわいわい飲むのは好きだ。


おいしくもない焼酎だけど、飲めば、一瞬でも現実から離れられる気がするから。










































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