第21話
翌朝、小さな窓から差し込む光が目元を照らしだすのと同時にメニラは目を覚ました。
一番に目に入ったのは、手を伸ばす必要もないほど近くで穏やかな寝顔を見せているラナロロの姿だった。何も纏っていない滑らかな肌が朝日で浮かび上がっている。少し気恥ずかしいような、それでいて宝物を手にしたような、そんな気持ちだった。
一人分のスペースに二人で身を寄せ合って眠ったからか、あるいは数時間前の出来事のせいか、身体には少し倦怠感が残っている。けれど、それがなんとなく心地よかった。
ベッドサイドに置かれた時計の指し示している時刻は、朝食にはまだ少し早い。もう少しだけ、この様子を眺めていたい。そんな風に思った時、睫毛がふるりと震えた。
「メニラ……?」
やや掠れた声で呟いたラナロロは、まだ眠たそうではあったが、緩く笑みを浮かべた。
「おはよう。ラナロロ」
「うん、おはよう」
ラナロロはメニラの頬に小鳥が突っつくみたいなキスをした。
「まだ下に降りなくていいのか?」
「うん。起こすから、それまで寝ててもいいよ」
「ううん、起きてる」
メニラが微笑むと、ラナロロは今更恥ずかしくなったのか身体をうつ伏せた。代わりに曝された背中には細かく彫られた刺青があるが、ラナロロはもうそれを慌てて隠すこともなくそのままにしている。
ラナロロの絹糸のような髪を横に除けて、刺青の真上に一つ柔らかい口づけをした。
「この刺青に込められた意味を聞いてもいい?」
「意味……。難しいな。私にもよくわからないんだ。モチーフはあるんだが」
「モチーフ?」
「流れる水と、ガマ」
三角の形状に模様が集まっているそこには、ガマはともかくとして、水面が波打っている様子を表しているのであろう形があった。
「イエヴィンには海はないよね?大きな川があったり、ガマがそこら中に生えてたりしたんだったら、民族を象徴するものなのかも」
メニラの住んでいた辺りには刺青の文化はあまりなかったので詳しくはないが、例えば国旗に描かれるものは、その国の人間にとって身近なものがモデルになっている場合が多い。
しかし、ラナロロは首を小さく横に動かした。
「川はあったが大きくはないし、ガマも一部に生えていただけで、よく目にしたわけじゃない。だから、成人の儀を終えた時に入れるということしか……」
その言葉をメニラは少し疑問に思った。ラナロロは故郷を離れた時まだ十三歳だ。成人の儀は終えていないはずだった。
「生き残りの中に彫れる人が?」
「いや、少し説明を間違えた。この刺青は、十二の時に入れるものなんだ。言ってみれば、まあ半人前みたいな感じだろうか。十六歳になると成人の儀をして、そこでさらに模様を加える」
「となると、やっぱりもう彫れる人はいないのかな」
ラナロロはそういうことだと頷いた。
「こういった通過儀礼で刺青を彫るのはとても名誉なこととされていて、熟練の、それこそ武器商人みたいな長く生きた彫師に任されていたんだ。もちろんその技を学ぶ後継者はいたが、いずれにせよ生き残りたちは若すぎて誰も刺青の彫り方は知らなかった。だから、もう本来の刺青を完成させることはできない」
その口調は、ただ穏やかなだけだ。
これまでイエヴィンのことを隠し通したかったラナロロにとって、刺青はどこまで行っても絡みつく鎖のように煩わしいものだったにちがいない。
けれど同時に、故郷で過ごしていたころのラナロロと今のラナロロを繋ぐ細い糸でもある。
「少し残念」
メニラが迷いつつも素直な感想を漏らすと、ラナロロは驚いた表情の後に眉を下げて笑った。
「ああ、今朝は私もそう思う。イエヴィンの文化はほとんどが消えてしまったし、残されたものも生き残りたちと共に死んでいくだろう。そう思うとなんだか惜しい」
メニラはラナロロの刺青の中で隙間ができている部分を指先でなぞった。
「そこに、確かトネリコとかいう植物が入るはずなんだ」
「トネリコ?」
「うん」
「イエヴィンにはなかったの?」
トネリコは可愛らしい花をつける木だ。春になると小さな白い花が咲き、芳しい香りを漂わせる。
「なかったはずだが……。メニラは見たことがあるのか?」
「うん。ザサムでは結構あったかな。とても綺麗なんだ。ラナロロにも頭に浮かんでるイメージをそのまま伝えられたらなあ」
ラナロロは、ちょうど小さな花が咲く時のような笑みを見せた。
「いつか見たい。本物を、メニラと一緒に」
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