第18話

 瞬間、両者は剣を抜いた。

 ほとんど同時に、二つがぶつかり合い、キンと高い音がした。力が拮抗する。が、やはり腕力で劣るラナロロは押され、後ろに一歩、二歩と飛んだ。

 しかし、男は退くことを許さなかった。続く攻撃の間隔は一秒とない。少しでも構えるのが遅れれば、それは死を意味した。

 ガンッ。殴りつけるような一撃。

 一際重たいそれを受け止め、ラナロロが僅かに剣を構える角度を変えるのが見えた。金属同士が擦れ合う不快な音が響く。滑った剣先。それが突き出され、男の肩を狙った。しかし、瞬時に弾かれる。

 一瞬、男の目が光った気がした。その眼光の先にあるのは、ラナロロの肩口。意趣返しだ。鋭い一突きが迫る。

 ラナロロは身を捩り、防御の姿勢をとった。が、間に合わない。鈍く光る切っ先。それが左腕を抉った。

「っ……!」

「ラナロロ!」

 メニラは思わず悲鳴じみた声を上げた。

 しかし、その目はメニラに向かなかった。正確には向ける間がなかった。

 痛みで判断が鈍るラナロロの足元を、男の剣が薙ぐ。ブン、ブンという風の音はメニラの耳にまで届いた。

 メニラは汗で手足が冷えていくのを感じた。

ラナロロは間一髪で躱しているが、肉食獣の檻に入れられた哀れな生き物のようで見るに堪えない。

「どうした。逃げたくなったか?」

 触発されたラナロロは、一撃を避けた直後、男の間合いに自ら飛び込んだ。地面とほとんど平行に構え直されたラナロロの剣は、男の喉元を目掛けて鋭い音を立てる。

 ヒュッ。目を大きく開いたのは、ラナロロの方だった。剣は空気を切り裂いている。想定した反動は手元にない。

 男はぎりぎりで体重を左に傾けていたのだ。

 一瞬。されど、致命的なミスだ。ラナロロは、男の頭の横で腕を伸ばしたまま無防備になっている。それを見逃してくれるような相手ではなかった。

 ラナロロの細腕を、男の右手ががしりと掴む。

 直後、ラナロロの身体は宙に浮いた。

「ぁ……」

「ラナロロ!」

 メニラは叫んだ。けれど、そんなの何の効力もない。

 背を床に強く打ち付けたラナロロの口からは悲鳴ですらない音が漏れた。

「――っ!かはっ」

 そこに容赦なく男の剣が振り翳される。

 ガッ。ラナロロは手から離れかけていた剣を握りしめなおし、両腕を使って、男の一撃を受け止めた。

 しかし、体勢は圧倒的に不利だ。男は腕の筋肉に加え、体重を使って仰向けになったままのラナロロを追い詰める。

「っ……」

 限界まで力の込もった腕は、なんとか持ちこたえようと細かく震えている。左の袖の赤がじわりと広がっていくのが見えた。

 男の顔には勝利を確信した笑みが浮かぶ。

「おまえさん……もう……」

 武器商人が言いかけたその時、男が後ろによろめいた。ラナロロが腹を蹴り上げたのだ。

 ラナロロはその勢いのまま身体を起こし、男が咳き込んだその隙に、距離を取った。

「ちっ。死にかけの虫みてえにしぶとい奴だな」

 腹を左手で押さえた男は、眉根を寄せて吐き捨てた。

 ラナロロはそれを睨みつける気力を残していない。肩は激しく上下し、その額は汗でびっしょりと濡れていた。

「はっ……はぁ、……っ」

 その顎から汗が落ちる瞬間、メニラははっとした。

 震えている。ラナロロの腕が震えていた。今度は力を込めているからではない。

 メニラの元を去る時、ラナロロは気丈に振る舞っていた。笑顔を見せて、メニラに大丈夫だと。けれど、きっとあの時も、そうだった。怖くないはずがなかったのに。

「もういいよ、ラナロロ!」

 けれど、ラナロロは首を縦に振らない。

 汗を拭うと、もう一度距離を詰めた。強烈な一突きに男が後退する。

 それを追ってまた剣が合わさる。力がせめぎ合って、離れる。単調な攻撃には焦りが見えた。

 キンッ。数度目の攻撃を受け止めた男は、力を横に逃した。

 あっけなく体勢が崩れる。ラナロロは勢いのまま、一歩踏み出してしまうことを止められなかった。その瞬間、頬を切っ先が掠めた。

「ぐっ……!」

 痛みに端正な顔が歪む。が、それは一瞬のことだった。すぐに表情が引き締まる。

 そのままぐっと姿勢を低くすると、男の懐に入り込んだ。その動きは身軽で素早い。まるで狩りをする猛禽類だ。

 しまった。そう思ったのか、男の動きが僅かに遅れる。構え直すにも間に合わない。

 男の左胸に刃が迫る。

「――っ」

 メニラは思わず目を背けた。

 しかし、耳を塞ぎたくなるような声は聞こえない。

 恐る恐る再び目を向けた時、そこにあったのは尻餅をついた男の姿だった。喉元に剣先を向けられてはいるが、血は一滴も流れていない。

 メニラが目を逸らしたあの瞬間、ラナロロは男を突き飛ばしていたのだ。

 この場にいる全員が身動き一つしない。数分とも思える静寂の後、男の喉から呻き近い声が聞こえた。

「……俺の、負けだ」

 それでも、男の顔からは信じられないという思いが伝わってくる。負けたことだけではない。「死にかけの虫」だと思ったラナロロに情けをかけられたことが、信じられないのだ。

「なぜ止めた」

 低く、暗い声だ。

 ラナロロは、その問いには答えずに緩慢な動作で剣を納めた。

 男は口を歪めていたが、それでも約束を守る気はあるらしく、仲間を振り返ると武器商人を自由にさせるよう言った。そう言われた彼らは苦々しい顔をしている。

 盗賊たちに背を向けたラナロロは、おもむろにメニラの方へと歩いてきた。

「ラナロロ……!」

 メニラは溢れる感情をそのままにラナロロに駆け寄って抱き着いた。

 たたらを踏んだラナロロは、それでもしっかりとメニラを受け止める。同じくらい強く抱きしめ返してくれる。

「メニラ」

 心配したとか、無茶をしないでほしいとか、ごめんだとか、いろいろと思い浮かぶが、視界が滲んで声にならない。ラナロロが生きていることを実感したくて、体温や息遣いを意識した。

「何度も……」

「うん」

「名前、呼んでくれたから。だから、その度、メニラを泣かせたくないって思って……」

 メニラは瞼のうちで熱いものを押しとどめようとしたが、できなかった。

「でも、やっぱり泣かせてしまった」

 そう言って、ラナロロはメニラの肩に頬を寄せた。動物が慰める様子にも似たそれに、メニラは目元を拭って笑う。

「涙が出るのは、嬉しいからだよ」

 ラナロロは腕を解くと、目を丸くしてメニラを見つめた。そしてもう一度、短い時間抱きしめた。

 その後には何もなかったようにさっと離れ、白いマントを羽織ってから荷物を持ち上げた。元通りの、いつもの姿だ。さっきまでの激しい決闘も幻だったかのように思えてくる。

「腕、大丈夫?」

「ああ。深くないから」

「街で医者に診せよう」

 ラナロロは頷いて、今更思い出したようにマントの下で腕を押さえ止血を試みた。瘴気の森でオオトカゲに引っ掻かれた傷と比べればはるかに軽傷だが、少し縫わないといけないかもしれない。

 二人で武器商人の元に行くと、ちょうど縄を解かれたところだった。二人を見上げた目は、少し赤くなっている。礼を言おうとしたのか口元が動くが、嗚咽に塗れて聞き取れない。そのまま二人の手を片方ずつ固く握ると、鼻をすすった。

 メニラが武器商人に怪我がないか確認する横で、ラナロロは少し考えて、壁際に立ったままの盗賊のリーダーをちらっと見た。

「多分、お前たちが思っているより、他人を傷つけずに生きる方法がある。私はこの男からそれを学んだ。それが、さっきのお前の質問の答えだ」

 メニラは目を見張った。ラナロロは、薬屋の依頼で老女から「プラプラ」を譲ってもらった時のことを言っている。そう思った。

 あの時のことをラナロロがどう受け止めているのか、メニラはよくわからないままでいた。ラナロロのように略奪をせねば生きられなかった時期などメニラにはない。メニラが現実を知らず、甘ったれたことを言っているだけなのだろうかと悩んだ。自分の考えを押し付け自己満足に浸っているだけなのかとも思った。

 けれど、ラナロロは自分の中で消化しこうして受け止めてくれていた。胸がじんわりと温かくなる。

「ラナロロ」

 名前を呼ぶと、ラナロロは眉を下げて少し照れ臭そうにした。

「街に帰ろう」

 大きく頷く。とても幸せな響きだった。

差し出された手を握ろうとした。

 しかし、指が触れるその時、ラナロロの身体からがくんと力が抜けた。

「っ!ラナロロ?」

 前に傾く身体を反射的に支える。腕がぴくりと動いたが瞼は既に閉ざされていた。

 何度も何度も名前を呼んで揺さぶるが、答える気配はない。

「嘘。嘘だよね……?なんで」

 熱がある様子はない。赤斑もない。だったらこれまでの症状とは違う。

 メニラの呼吸はどんどん浅くなっていった。

 その様子を渋い顔をしたまま黙って見ていた盗賊のリーダーは、やがて罪を告白するように重々しく言った。

「刃に毒が塗ってあった」

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