第17話

「近くで見ると圧巻だね」

 城下町の入口でメニラが言うと、ラナロロも感慨深げにその中央にそびえ立つ建造物を上から下に眺めた。二人はたった今車から降りたばかりだ。宿の主人に古城まで行きたいと言うとかなり嫌な顔をされたが、城下町まで連れて行ったら降ろすとの条件付きで運んでもらったのだった。

 ゼヴァーリの街から少し北に行ったところにあるこの古城は、街中の民家と同じように土を塗り固めた煉瓦で作ったもののようだった。ただ、時代の違いなのか、街中にあったのは角ばった形状のものが多かったが、こちらは柱自体が円筒形であったり、城の上に見える棟も丸い形をしていたりというように、カーブが多い。

 その城の大きな入口からは、階段が伸びていて、その延長線上に舗装された一本の太い道があり、最終的にメニラたちの足元へと繋がっている。両脇にはおそらく店だったのだと思われる建物がずらりと並んでいた。

「もっと崩れかかっているのを想像していたが、案外丈夫なんだな」

 メニラは確かにそうだと頷いた。例えば今横にある店は、塗装されていたらしい部分はほとんど色が剥げてしまっているが、旗を下げていたらしい金属製の棒なんかはそのままだし、壁の一部にはひびがあるが、住むのには全く問題がなさそうな形状を保っている。

 ラナロロが静かに歩き出す。

 いつ盗賊が姿を現すかわからない。今この瞬間、建物の陰から飛び出してくるかもしれない。メニラは腰に差した剣の存在を意識した。

褐色のマントの下に隠したそれは柄のデザインが繊細で美しく、刃は少し青みのある色をしている。昨夜ラナロロがメニラに預けたものだ。

「自分のは瘴気の森でオオトカゲにあげてしまっただろ」

 少し懐かしそうに言ったラナロロは、剣を二本持っているからとメニラに片方差し出した。

「そんな、申し訳ないよ。こんな立派なもの」

 古城に行く以上身を守るためには武器が必要なのは確かだが、そこら辺で調達すれば十分だ。そう言うと、ラナロロはいつもの薄い表情の上に薄ら笑みを浮かべた。

「別にただの予備の剣だ。何の伝説付きでもない。ただでさえ今は財布が寂しいんだし、こだわりがないなら使えばいい」

 ラナロロの言う通り、メニラは剣に関して素人だし特にこだわりはない。ポルデレルで少し稼いだだけで、あとは宿泊と移動を繰り返しているだけの二人の財布がすっからかんなのも事実だ。

 そういうわけで、メニラはこの剣を受け取った。せっかく貸してもらったからには、これを持っていながら盗賊の攻撃で間抜けに怪我をすることは避けたい。

 緊張しながら道の中間辺りまで来た時、脇に男が三人潜んでいるのが見えた。飛び出してくるわけではなく、様子を見ているようだった。

「この男は腕が立つ。相手になるか?」

 ラナロロがはっきりと言うと、男たちは一言二言話し合ってからあっさりと姿を消した。

 メニラはラナロロが随分堂々と嘘を言ってのけたのに驚いた。

「こういう場所にいる連中はだいたい小者だろ。はったりでどうにかなる」

 確かに城の内部にはトラップがあると聞くし、そこまで入る気はない者たちが城下町に居座り、仕留められそうな獲物を探しているのかもしれない。

 城の階段を上りきると、正面には重厚な扉が構えていた。

「これは数人がかりじゃないと開かないだろうね」

 メニラたちは外を一周ぐるりと見て回ったが、入れそうな箇所がない。一度階段を下りて城の周囲を観察する。入口の階段とは正反対の位置に来た時、壁の一部が妙なことに気づいた。

「見て、ラナロロ。ここ」

「確かに変だな」

 メニラが指し示したのは壁面と接している地面の方だ。舗装されたそこと壁面の間にはネズミくらいなら通れそうな隙間がある。普通なら、壁はもう少し地中に入るように作るだろう。地面にそのまま置いただけのような作りでは強度に問題がある。

「この上の部分が扉になっているのかも」

 溝に手を入れて少し引いてみると、人一人分の横幅の壁が浮いた。

「当たりだ」

 もう少し力を込めると、地面から二メートルくらいの高さまでの壁が斜めに持ち上がり、中に空間が現れた。

「敵に攻め入られた時の非常口だったのかもな」

ラナロロは言いながら、オリーブ油のランプに火をつけた。

「ちょっと待って。ラナロロから行くの?」

「何かあるのか?」

「罠だったら嫌だよ。後から来てよ」

「罠なもんか」

 どこからそんな自信が湧いてくるのかそうやって言い切ったラナロロは、扉を支えているメニラの前をさっさと潜って薄暗い中に一歩踏み入れた。何も起こる気配はない。

「ほら」

 メニラは安堵のため息を吐いて、後からそこに入りゆっくりと扉を閉めた。

 中は緩やかな斜面になっている。しばらくそのまま真っすぐ進んでいくうちに、地面と平行な空間に出た。半地下のそこはおそらく正面の入口から入れる場所の階下ということになるだろう。

 先はずっと一直線に続いており、壁の横に部屋への入口があるわけでもない。やたら広い廊下のような印象を受けた。馬車が三台くらいは横に並べそうだ。壁の少し高い位置には溝がある。今は何も置かれていないが、過去にはそこに火を灯していたのではないかとメニラは考えた。

「ここからもう既にトラップがあると思うか?」

 トラックに同乗したゼヴァーリ人は、城のトラップはある程度内部に入ったところからあると言っていたはずだ。しかし、それを鵜呑みにするのも少し恐ろしい。

「ラナロロが言うようにこれが王族の避難ルートだとしたら……。俺が王族なら、敵の侵入はできるだけ手前で食い止めたいかな」

「同感だ」

「慎重に行こう」

 石橋を叩いて渡るつもりで床や壁、天井を注意深く観察しながら、一歩一歩進む。

「どんなトラップがあるんだろう。床の一部を踏んだら串刺しになるとか、そういうのしか思いつかない」

「そうだね。あとは、壁を触ったら針が出てくるとかね。何かを仕掛けを動かすと安全に通れたり、逆にトラップが出現したりする仕組みになっているのかなって思ったけど」

 そうやって身構えながら進んでいくと、T字路が現れた。分かれ道の先をランプで照らすが、見える範囲は僅かで、様子はよくわからない。

「これがトラップ一号か?」

「そうかも」

 メニラは今更ながら、街で情報屋を探してから来ればよかったと後悔した。そうすれば、トラップについても多少のことは知れたのではないか。――いや、確実に知れたはずだ。もしそうした情報源もないというなら、訪れた人間の半分はトラップの犠牲になってしまう。

 ラナロロは膝を突いて、地面に顔を近づけると、そこに手を触れた。

「どうしたの」

「こっちには泥が乾いた跡がいくつかある。誰か通ったんだ。もちろんその誰かがトラップに引っかかったという可能性はあるが、勝手を知ってる盗賊の通った跡だという可能性の方が高くないか?」

 メニラは唸った。確かに、城の中で待ち構えている盗賊なら、何度か外と行き来しているはずだ。足跡がより残っている道が正しい道だと予想できる。

 二人は意を決して、右の通路に進んだ。もう一度T字路に当たって、同じ要領で道を選ぶ。そうして少ししたころ、曲がり角が見えてきた。

「嫌だな。絶対何か用意されてる」

 その時、向こう側の壁が少し白っぽくなった。そのまま、光はゆらゆらと揺れる。

「誰か来る……!」

 二人は慌ててランプの光を消し、柱の陰に身を潜めた。

 しかし、分岐がない以上、こちらに来るのは時間の問題だ。ごくりと唾をのむ。

 角から姿を現したのは、五人。いずれも体格のいい男たちだ。……いや。メニラは目を凝らした。

 一人は小柄で他の者と様子が違う。腕を掴まれているようだった。ラナロロも気づいたのか、驚いたような顔をしている。

「おい、そこにいるな?」

 大きな声が響き渡った。どうやらこちらの存在はばれていたらしい。

 メニラはラナロロと目を合わせると、二人で男たちの前に姿を見せた。

 ところが、一番に声を上げたのはその小柄な人物だった。

「いたいた!探しておったわい」

 近くで改めてみると、その男は年寄りだった。少し癖のある髪は真っ白で、口元をわさわさと覆っている髭も同様に真っ白だ。その顔には、話を合わせろと書いてある。

「あれが武器商人のお爺さんかな?」

「多分そうだろ。古城に乗り込む命知らずな老人がそう何人もいるわけがない」

 メニラと同じように小声で答えたラナロロは、武器商人の要望通り顔見知りのふりをした。

「爺さん、どこ行ってたんだ。探してたのはこっちの方だ」

 それを聞くと、武器商人の連れだということを信じたのか、四人の中からリーダーらしき男が武器商人に尋ねた。

「こいつらがお前の言う最強の戦士とやらか?」

「そうじゃ」

「ほう」

 リーダーの男はメニラとラナロロを上から下までじろじろと眺めた。

 メニラは否定したい気持ちでいっぱいだった。最強でもなければ戦士でもない。全くとんでもないことを言う老人だ。

 ラナロロは男に混じって狩りをしたり、力仕事もこなしたりするが、逞しいわけではないし、メニラだって、細身であって世辞にも屈強には見えない。同じことを思っているのか、男の顔には余裕そうな笑みが浮かんでいる。

 武器商人としては、もう少し筋肉が隆々している男が通りかかってくれることを願っていたのだろう。そしたらブラフをかけることができたかもしれない。

「この爺さんを開放してほしいか?」

「そのために来た」

 ラナロロが間を置かずに答えると、男は嘲笑うような表情をした。

「金目のものは置いていけ。爺さんと交換だ」

「見ての通り金はない」

 男は話にならないというように、両手を広げて首を振っている。

 いかにも人を馬鹿にしたような態度に、ラナロロは顔色一つ変えない。白いマントをさっと外し、荷物を丁寧に下ろした。

 一体何をする気だ。メニラの心臓はバクバクと音を立てた。

「一対一で決闘してくれ。勝ったら爺さんは解放してもらう」

「負けたら?」

「その時は、三人揃ってお前の子分になる」

 男は何が面白いのか大きな笑い声を上げた。

「いいぜ。受けてやる」

 メニラは大きく目を開いた。城下町でははったりが効いたが、今度は本当に剣を交えることになってしまう。

 メニラの焦りをよそに、ラナロロは少しも動揺していない。

 ごくり。唾を飲み込んだ。彼は本気だ。さっきみたいな嘘ではなく、本当に戦うつもりなんだ。

「待ってよ、ラナロロ」

 目の前に立っている男の身長はラナロロより頭一つ分高い。身体の厚みだって二倍くらいある。そんな男に勝てっこない。

「他に方法がない」

 その口調はあまりに淡々としている。

「嫌だよ。それだったら俺がやるよ」

 メニラはラナロロの肩を掴んで、縋るようにして訴えた。今まで見せた姿の中でもとびきり情けない様だとは思っているが、とにかく必死だった。

 メニラの腕に、指の長い手が優しく乗せられる。

「馬鹿だな。メニラはド素人じゃないか」

「……ラナロロは強いの?」

 ラナロロが剣をまともに扱っているのは見たことがない。ただ、剣を二本持ち歩いていたくらいだから、普段見せ場がなかっただけで腕が立つという可能性はある。それを期待して、じっと目を見つめた。

 ラナロロは少し考えて答えた。

「素人にちょっと毛が生えた程度だ」

「それ本当?よしてよ、死んじゃうよ」

 メニラは本気で心配しているのに、ラナロロは声を上げて笑った。

 ラナロロが笑い声を上げるのは珍しい。あってせいぜい微笑むくらいであって、基本的に表情の変化に乏しいのが彼だ。こんな時に普段と違う様子を見せないでほしい。

 不吉な未来が頭に浮かんで、離れない。

「どっちが死ぬか決まったか?怖気づいたなら勝負なしで子分に加えてやってもいいぞ」

「私がやる」

 ラナロロははっきりと言って、メニラの手を離させた。

「大丈夫だ。死にはしない」

 去り際に、頬にそっと手が添えられて、メニラは泣きたい気持ちになった。こんなことをされたのはやっぱり初めてで、ラナロロはフラグばかり立てている。

「開始の合図は俺の仲間がする。相手に負けを認めさせるか殺したら勝ちだ」

「わかった」

 リーダーの男と向かい合って、剣の柄に手をかけるラナロロは綺麗だった。マントを外したことで均整の取れたすらりとした体躯がよくわかる。背中には、橙色の長い髪がさらりと揺れていた。戦うためには作られていない。美術品みたいな姿だ。

 それを見つめることしかできないメニラの気持ちは絶望そのものだった。さっき頬に触れられた時の、ラナロロの緑がかった青い目。あれは強い意志の籠った目だった。どれだけ劣勢になっても負けを認めないだろう。

 もうラナロロを危険な目に遭わせたくないと思ったのに、どうしてこんなことになっているのだろう。

 メニラは欲張りだ。ラナロロの病気を治したいし、武器商人も見捨てたくない。だけど、それを実現するにはあまりに非力だ。非力だから、何度もラナロロに守られてしまう。もっと自分に力があれば、そしたら、もう彼を傷付けずに済むのだろうか。

 メニラのメニラの懊悩をよそに、残酷にも開始の合図が響く。

「はじめ!」

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