第15話
結局四日間で得られたのは、武器商人についてのことばかりだった。背は小さく、真っ白い髭を蓄えているとか、行動力があるのかしばしば他国を行き来するだとか。他の人物が瘴気の病の治療法を知っているという話は一度も聞けなかった。
仕方なしに隣国へと向かい、国境近くのトラックの乗り場を訪れた二人は、既にその場に停まっていた乗り物を見て、肩を落とした。
「これに乗るのか?」
「そうらしいね」
トラックというのは渾名としてそう呼ばれていたわけではなく、本当に単なるトラックだった。明らかに人の乗るようにはできていない。塗装の剝げかけた車体には、泥と砂に塗れた車輪が付いている。後ろに荷台があって、しかし腰より上の高さであるそこには、階段さえ用意されていなかった。
年代のバラバラな十人くらいが乗り込んだそれは、出発の時刻を小一時間超えてようやく走り出した。その中には、エジュジャに帰るという人間もいる。
エンジンがかった後の荷台上では、不安が確信へと変わっていった。やはりとんでもない乗り物だ。足元には申し訳程度に布が敷かれているが、クッション性のあるものではなく、直に振動が伝わってくる。おまけに屋根がないので、照り付ける日差しはそのまま。もっと最悪なことに、雨が降るとそのまま打たれ、荷台の中には敷布が吸いきれない雨水が溢れて小さな池ができた。
「格安な理由がわかった」
悪態をつくラナロロだったが、一方のメニラは慣れているのか、単に我慢強い性格なのか苦笑していた。
「でもこれ買っておいてよかったよ」
メニラはそう言って、腕を少し広げた。「これ」というのは、今メニラが羽織っている褐色のマントだ。ラナロロやギプタのギルドの男たちの一部が着ているような作りのそれは、赤道に近い国特有のじりじりと刺すような日光でも少しは和らげてくれそうだ。ラナロロがマントを身に着けていたのは、武器を持っていることを隠すためと狩りの際に瘴気の毒を軽減するためだったが、確かにこのマントがあるのとないのでは感じる暑さが違うだろう。
エジュジャには三日か四日かかると言われ、ラナロロは小さくため息を吐いた。
こんな思いをしているのだから、乗っている間に少しでも情報を集めたい。ラナロロは隣に腰を下ろしているエジュジャ人の若い男に声をかけ、武器商人と剣の話をした。
「その爺さんは知らねえが、その剣については覚えがある」
「本当か」
男は、その剣の話はエジュジャの人間だったら皆知っていると言って、特に対価を要求するわけでもなく教えてくれた。
「多分だが、その剣はザルファールだ」
ザルファールにまつわる話は、その昔、エジュジャがまだエジュジャという名前ではなかった時代に遡ると言う。その時代にその地域を治めていた王族の、バイラムという王子の剣らしい。
バイラムは十五人兄弟の末っ子で、剣術や馬術では兄たちに勝てるわけもなく、肩身の狭い思いをしていた。しかし、心の優しさは誰にも勝っていて、王族だからといって驕ることはなく、民衆が病で命を落としたと聞けば涙を流し、赤子が無事に生まれたと聞けば自分のことのように喜ぶような人柄だった。
ある年、ひどい干ばつが起きて民衆は飢え苦しんだ。雨はもう何か月も降っていない。バイラムは心を痛め、どうにかできないものかと必死になった。そこへ家臣が一つの情報を届けた。砂漠を越えた先に雨を司る老婆がいると言う。それを聞いたバイラムは、皆の制止を振り切り家臣も引き連れず自らそこへと向かった。あまりの過酷さに砂漠の途中で力尽きてしまうが、再び意識を取り戻した時目の前の砂山に一本の美しい剣が刺さっていた。
「それが、ザルファール?」
少しわくわくしたようにメニラが尋ねると、男は気をよくしたのか大きく頷いた。
ザルファールを持ち帰ったバイラムは、天にその美しい剣を振り翳す。すると、ひび割れた地面にぽつぽつと雨が降り始め、干上がった湖も元の姿を取り戻した。民衆はバイラムの勇気に感動し、圧倒的な支持を得たバイラムは国王から王位を譲られ、生涯善政を施した。
それが、ザルファールの言い伝えらしい。
ラナロロは剣で雨が降るものかと思ったが、メニラの目が輝いているのを横目で見て黙った。
「エジュジャの気候ならではの伝説だね」
なるほど、そういう見方もあるのか。ラナロロは閉じた唇を少し噛んだ。メニラは何も少年のような純真さで話を信じていたわけじゃない。作り話とわかった上で、地域性に関心をもって話を聞いていたのだろう。
そういう風に言われてみると、なるほど降水量の十分なギプタでは生まれそうもない物語で、なかなか面白く感じる。
「そのザルファールは今どこに?」
「ゼヴァーリの古城にあるって言われてるが」
「が?」
歯切れの悪い言い方に、ラナロロは聞き返した。
「行かない方が身のためだ」
「なぜ?」
「あそこにはザルファールを含め、昔の王族が蓄えた宝がわんさか眠ってる。まだ盗られずにあるってことは、わかるだろ」
ラナロロは無意識に少し顔を顰めた。
「トラップでもあるって言うのか?」
「あるどころか、トラップだらけだと思った方がいい」
男の言葉に、一気に不安になってくる。ラナロロはメニラと顔を見合わせた。
「武器商人は無事なんだろうか」
「まだゼヴァーリの街にいるといいんだけど……」
男が言うように、この話がエジュジャ人にとって広く知られたものならば、武器商人はほぼ百パーセントゼヴァーリに向かっただろう。古城が危険だと悟ってゼヴァーリの街中に留まっていてくれればいいが、相当意気込んでいたと聞くし古城に行かないとも限らない。
男はさらに悪い話を付け加えた。
「トラップ以外にも危険があるんだ。というか、トラップはある程度城の内部に入らないと遭遇しない分、こっちの方が心配だな」
「宝を狙った血気の多い連中がいる?」
「さらに、そいつらを狙ったもっと質の悪い盗賊もいる」
ラナロロは額を押さえた。その横で、メニラが真面目に質問を続ける。
「ゼヴァーリにはどうすれば行けるの?」
「トラックは首都が最終目的地だろ。ゼヴァーリは途中で通るから、そこで降りればいい」
「なるほど。ありがとう」
「ああ。だが、古城には絶対近づくなよ」
男はいかにも大ごとだというような顔つきで、念押しした。
三日目の午前中にエジュジャへの国境を越えると、そこからは本格的な砂漠地帯だった。砂漠というのはやたらに熱いイメージがあるが、それは日の出ている間の話であって、夜間には恐ろしく冷えた。
エジュジャ人は慣れているのか持参した毛布に包まっておとなしくしていたが、ラナロロはそんな話は聞いていない。そもそもエジュジャに入る前までは何度か休憩があり、夜も掘っ立て小屋みたいな宿泊施設で過ごしたが、砂漠にそんな建物はないのだと鼻で笑われた。
「参ったね」
呑気にそんなことを言っているメニラに身を寄せて、凍えながら夜を耐えた。
ほとんど眠れないまま、それでもうとうとしつつ朝を迎えると、タイヤがパンクしたとかで、トラックは停車していた。交換用のタイヤは積んであると言うからただ待っていればいいだけの話ではあるが、ラナロロの気はすっかり滅入っていた。
ゼヴァーリまでそうかからないとエジュジャ人が教えてくれるが、もはや永遠に着かないような気がしてくる。
「寒い」
暑さに地面がゆらゆらと揺れているのにそんなことを言い出すラナロロに、メニラは首を捻った。
「暑いよ。かなり」
フードに隠れたラナロロの顔を覗き込んだメニラはぎょっとした。ラナロロの額に手を当てて、自分の温度と比べると、またあの罪悪感を抱えたような表情になる。
ラナロロは自分の袖を少しだけ捲って腕を確認し、膝に顔を埋めた。疲労が溜まると熱なんかが出る。町医者の言葉を思い出していた。
「ゼヴァーリより前で停まる?」
「メニラ、いい。耐えられる」
メニラが乗客に尋ねようとするのを、ラナロロは止めた。
ゼヴァーリより前で降りたらまた足を探さなくてはいけなくなる。それに、一日でも遅れれば武器商人が手遅れになる可能性もある。そしたらこの男はどれほど胸を痛めるか。
この前お荷物になったばかりなのに、また足を引っ張りたくない。
ラナロロは少し考えて、付け加えた。
「武器商人が心配なんだ。休憩するのはゼヴァーリでいい。それなら、その間にメニラだけでもゼヴァーリの街に出て行って、武器商人がいるか確かめられる」
その言葉は半分嘘だ。ラナロロ自身は、そこまで武器商人の身を案じているわけではない。もちろん無事に越したことはないが、頭の隅には自己責任というワードがある。
それに、薬のこともデマだと思っているので、そんなに熱心に追いたいわけではない。
メニラの横でこんなことを考えていると思うと自己嫌悪を誘うが、どちらも本当の考えだった。
おまけに、メニラだけに行動させる気なんて少しもない。つまり、半分どころかほとんど嘘だ。ただ、こう言えばメニラは絶対に首を横に振れないと思った。
「……ずるいよ、ラナロロ」
メニラは俯いたままそう言った。
ラナロロは驚いてメニラを見つめると、その後身体を小さくした。まさか自分の考えを読まれているなんて思わなかった。この男は思っているよりずっとラナロロのことを理解しているのかもしれない。
ずるい。確かにそうだ。ラナロロはいつも打算的だ。返す言葉もない。
「ゼヴァーリで降りよう」
そう言ったメニラの声は、努めて穏やかなものにしているとわかる。強く責めるつもりはないのだと、伝えてくれているようだ。
ラナロロは自分の膝を腕で抱えたまま、メニラの方に身体を預けた。肩と頭が触れる。
メニラは驚いたようだったが、身体がだるいからだと思ったのか、ラナロロの好きにさせてくれた。あるいは、これも見破られているのだろうか。
車体ががたんと大きく揺れ、メニラの腕がラナロロの肩を抱いて支えた。
「……何か話をしてくれ。何でもいいから、声が聞きたい」
「いいよ」
メニラは、夜の間星を見ていたと言った。
「視界いっぱいに広がってて、綺麗だったよ。多分、砂ばっかりで他に光がないからよく見えるんだろうね」
「見たかった……」
寒さでそれどころじゃなかったラナロロには、空を見上げるなんて発想がなかった。本当に残念そうに聞こえたのか、メニラが小さく笑う気配がした。
「ペガサス座、どれだろうって考えてたんだ。頑張って星を繋げてみたけど、羽の生えた馬は作れそうもなくて……」
ラナロロは驚いた。八月に、ギプタのギルドの寮で酒を飲みながら話したこと。あの一瞬だけ話題に出したことを、メニラはずっと覚えていたらしい。
「でもしばらく眺めてたら、馬の形だけはかなり再現できたんだ」
それで思わずラナロロに呼びかけてしまったが、その時ちょうど眠り始めたようだったので慌てて口を押さえたとメニラは続けた。
ラナロロは、瞼を閉じたまま隣から伝わる体温を意識した。
「旅はいいな……。ずっとこうしていられたらいいのに」
このままずっと旅が続けばいい。そう思う。
「ええ、皮肉?」
メニラは楽しげに笑った。トラックに乗って以来、時々悪態をついているラナロロを見ているから、言葉通りには聞こえないのだろう。
ラナロロは少し考え直して、もう一言加えた。
「ずっと砂漠はごめんだが、一度くらいならいい」
「ふうん。意外だな」
「そうか?」
「うん」
ラナロロは、瘴気の病を治す方法に辿り着いた時のことを想像した。
メニラはとても喜ぶだろう。胸を撫で下ろし、ポルデレルの大通りでしそびれた握手をする。
もうラナロロに恩を感じなくていいし、罪悪感も抱かなくていい。晴れた空みたいな笑顔を見せて、去っていく。元の自由な旅に戻っていく。
あるいは、故郷に帰るのかもしれない。メニラはこの前二十二になった。村の風習では旅は二、三年くらいと言っていただろうか。
いずれにせよ、延長していた別れがやって来る。それを思うと胸を鈍い痛みが襲う。
薬なんて見つからなければいい。この優しい男なら、病気のラナロロを置いて他の地に移ったり故郷に戻ったりしない。
「ラナロロ、寝られそうなら少し寝たら?ゼヴァーリで起こすよ」
「ああ……」
必死になって治療法を探してくれている男の横で、こうも勝手なことを考えられる自分が恐ろしい。
「ちゃんと、起こしてくれ。置き去りにはしないでくれ……」
「置き去りにするわけないでしょ。干乾びちゃうよ」
あの大通りで別れ損ねたラナロロにとって、再び独りになるのは耐えられないことになってしまった。この男の温かさに触れてしまった今となってはもう失えない。それならば、この病で死ぬとしても残された数年をメニラの傍で生きたい。
ラナロロはメニラには間違っても言えないそれに顔を歪めながら、それでも今は逃がしようがないほど近くにメニラがいることで心が落ち着いたのか、気づけば眠っていた。
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