第11話
「本当にこの辺りか?」
「おかしいね」
メニラは辺りを見渡した。右手には大きな池がありそれに沿って道ができている。道と言ってもポルデレルのように整備されているわけではなく、ただ土を均しただけのものだ。その横にはこじんまりとした民家がいくつか身を寄せるようにして建てられていたが、その風景ももうメニラのうんと後ろの方に見える。
今は脇に何かの畑らしいものが広がっていた。
「騙されたんじゃないか?」
メニラは唸った。
二人は、ポルデレルから少し離れた山の裾に来ている。大通り沿いの店先から声をかけてきた女に頼まれたからだ。女は薬屋の主人で、東の国の医学に精通しているらしい。依頼というのは「プラプラ」を採ってくることなのだと説明された。報酬として提示された金額はかなりのものだったので、二人は橋づくりが休みの日を充てることにした。
「プラプラ」は女が勝手にそう言っているだけで、正式な名前ではないらしい。秋になると楕円形の薄桃色の果実が蔓にぶら下がるのでそう呼んでいるようだ。
「しかし、騙したところで薬屋に何のメリットがあるのか謎だな。ただこちらが労力を無駄にするだけだ」
そう自己完結したラナロロは、少し上の方を見上げた。
「あ」
ラナロロの声につられて同じ方向を見ると、道沿いに生えた木に蔓が絡まっているのがわかる。
「きっとこれだよ」
近づいたメニラは三本あった木をそれぞれ見た。一番手前にあったそれは実が全くなく、奥にある二つにはまばらに長細い実がなっている。
手を伸ばした時、子どもの声が聞こえた。
「だめ!それどうするつもり?」
顔を下の方に向けると、髪を二つに結んだ女の子が二人の元に走ってくる。先程までは背の高い草で見えていなかったようだ。
「これうちの畑。他所の人がみーんな持って行っちまうってお婆が困ってるんだから」
木は道に生えているので、この蔓の植物も含めて自然に生えたものなのかと思っていたが、どうやらこの女の子の家族が世話をしているらしい。手前の蔓に実がないのも「他所の人」が採ってしまったからなのだろう。
「ごめんね。知らなかったんだ」
メニラは手を引っ込めた。
すると、ラナロロはメニラに耳打ちした。
「子どもだ」
メニラはラナロロの言いたいことがよくわからなかった。相手が子どもなのは見ればわかる。
「『プラプラ』は恐らく自生してない。だから態々世話をしてるし、ここに来るまで見つけられなかった。報酬がいいのも頷ける」
そこまで説明されて初めてメニラはラナロロの言わんとすることを察し、同時に唖然とした。
「ラナロロ」
「交通費が大分かかった。労力も無駄にしたくない」
そうして木に近づけた手をメニラは掴んだ。
「何だ?」
「本気で言ってるの……?」
メニラの命を二度も救ってくれた。恩も着せない。そんな人がどうしてこういう行動をとろうとするのか。なぜメニラを睨みつけているのか。
「メニラはお人好しが過ぎる。それか平和ボケしてる。私には理解できない。そんなに何度も被害に遭っているなら警備でもさせればいいんだ。それができないなら奪われても仕方ない」
ラナロロはついに声を潜めるのを忘れて、メニラの手を振り払った。
「私はそうやって生きてきた」
ギプタでの生活は略奪をせねばならないほど困窮していただろうか。いや、そんなことはなかった。だったらもっと前の話をしている?
メニラは湧き上がりそうになる嫌悪感から目を背けた。
「でも、今は……。今はそんなことしなくても生きていける。そうでしょ?確かに今日は赤字だけど、街に戻れば誰も傷付けずに稼げる。そんなことしないでよ」
ラナロロは何か言いたげに顔を歪めた。
しかし、何か言う前に女の子がメニラの服の裾を引っ張った。
「ねえ、そんなに揉められると気まずい」
すっかり周りのことが目に入らなくなっていたと気づき、メニラは息を吐いた。仲裁してくれたらしい女の子の方が余程大人びて見えて、自分が恥ずかしい。
「メニラとラナロロ?私、セリヌ。ちょっと来なよ」
セリヌに連れられた先は、斜面の少し下の方にあった民家のうちの一つだった。裏手に回ると、テラスのような形式で庭へ飛び出している場所に腰の曲がった老年の女が腰かけていた。足元にはバケツが置かれている。
「お婆!この人たちが手伝ってくれるって」
そんなことは言っていないのだが、盗みを働こうとしていたと大声で触れ回らないだけ感謝した方がいいのかもしれない。
「ええ、珍しいこともあるもんだねえ。どれ、このザクロから皮と実を分けとくれ。皮は風邪の時なんかに使えるからね。実は家で食うんだよ」
そう言って老女は手本を見せた。果実の先を果物ナイフで切り落とし、皮の表面に切り込みをいくつか入れる。その後はバケツに溜めた水の中で実をほぐしながら皮を取っていく。手際よく進められるそれにメニラは感嘆した。
「メニラがやってくれ」
ラナロロの口からぽつりと聞こえたその言葉に、思わず顔を凝視した。メニラの行動が気に食わないのかもしれなかったが、ずるずるといつまでも引き摺られると少し反発心を抱いてしまう。
けれど、ラナロロはさっきみたいにメニラを睨むわけではなくバケツをじっと見ていた。
「違う。やりたくないんじゃなくて……できない」
「なんで?ナイフ使えないの?」
セリヌの問いに、ラナロロは曖昧な笑みを浮かべた。
老女は不思議そうにはしていたが、そのまま他のバケツを引き寄せた。
「じゃああんたにゃこっちをやってもらおうかね。この莢から豆取り分けるんだ。それならできるかい」
ラナロロはほっとしたように頷いて、メニラに背を向ける格好でしゃがみ込んだ。
メニラは袖を肘まで折り、老女に渡されたナイフとザクロに向かい合う。けれど考えているのは後ろに座っている人のことだ。
ラナロロがナイフを使えないというのはあり得ない。ギルドの男たちは獲物の解体もしていたし、ラナロロ自身もついこの前、ブロックの加工肉を切り分けていた。
疑いたくはない。しかし、違和感を覚えないのには無理がある。
ラナロロは時折、何か探るようにメニラを見る。それは、メニラが何か隠し事をしていないか警戒しているからなのだろうかと考えていた。しかし、もしかしたら、後ろめたいことがあるのはラナロロの方なのかもしれない。
メニラは頭の中の雲を振り払った。
バケツを見つめて凍り付いたような表情をしていた姿と、背を向ける前に見えた安堵した顔。それを思うと、一瞬でも苛立ちを見せてしまったことが苦々しかった。そして、興味本位で踏み込むことは暴力と同じだということを意識した。
二人の作業が終わると、老女は休憩にしようと言って、二人にカップを差し出した。中身は、鮮やかな赤色だ。メニラが今しがた取り分けたザクロで作ったようだ。
「労働の後だから一層美味しいんだろうな」
横に座るラナロロの言葉に、むず痒いような申し訳ないような気持ちにさせられる。
メニラはどういう反応をしていいか困った。
そこにセリヌが駆けてくる。
「見て見て!」
セリヌは自信たっぷりに木の板を二人に掲げて見せた。その板には、一生懸命畑の手入れをしていることや、この実がないとどんなに困るかということが白い塗料で書かれている。その字は不揃いで不格好だが、どこか微笑ましい。
「看板!うちの畑の前にこれ置いて、それから、私が毎日パトロールするの」
「いい案だね」
メニラは少し考えた後に、一番最後の一文字を指差した。
「ここ、棒が足りないんじゃない?」
メニラの指摘を受けて、セリヌは首を捻ってラナロロの顔を見る。しかし、小さく頷かれてしまうと仁王立ちになった。
「私もう六歳なの。とってもお姉さんなんだから間違えないわ。あなたたち何歳?」
思わず二人は顔を見合わせ、吹き出しそうになった。セリヌには自分より年下に見えているのだろうか。
「二十二歳だよ」
「二十二?」
尋ね返したのは、ラナロロだ。成人になると旅を始めるという風習の話をした時に年齢の話をしたのから覚えていたのかもしれない。
「出会った時は二十一だったけど、誕生日が来たから」
「ああ」
納得したように頷いたラナロロは、自分の年齢を言った。
「二十だ」
メニラは初めてラナロロの年齢を知って驚いた。たった二歳ではあるが、纏う雰囲気のせいで年下だと思っていなかった。
「二十って十より大きいのよ。本当に?本当なら、あなたたちうんと年上ね。きっと私より少し賢いわ」
セリヌは筆を持ってくると、板の上の線を一本増やした。それを見守るラナロロの目は優しい。
彼の中で、無情さと優しさは両方存在する。それがどういうバランスで行き来するのか。しばらくはその問いがメニラの頭から離れなかった。
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