第10話
ポルデレルの街並みは、ギルドのあったギプタのヒュードフとは様子が異なる。家ごとに異なる形に組まれた木枠。その空白には漆喰が使われていて、屋根には赤茶色の瓦が乗っている。色彩としてはどの家も似たようなものだが、木枠で作られた模様のせいなのか、それぞれに個性があるように見えた。
その漆喰の白も、今は一様に赤みを帯びている。
「流石に疲れたね」
「四日連続となるとなかなか辛いな。足が棒になりそうだし腕も棒になりそうだ」
歩きながら肩をほぐしているラナロロは、メニラが足を止めたことに気付かず少し先を行った。
「ラナロロ、こっちだよ」
メニラは灰褐色の煉瓦で覆われた道の途中で呼び止め、横に伸びる細い道を指差した。
「ああ、朝と違う風に見えてわからなかった」
行きよりも長くなった影を連れながら戻ってきたラナロロと肩を並べて歩く。
ポルデレルの川で古い橋の代わりに新しい橋を作っていると聞いた二人は、そこに行って煉瓦の運搬を手伝っている。今はその帰り道だった。
「明日も行く約束をしてしまった。いつまで続ける?」
「力作業は嫌だった?」
メニラはおずおずと尋ねた。ラナロロは狩猟を生業としてたから、体力の必要な仕事であってもこなせるのではないかと思ったが、考えてみれば狩猟にここまでの筋力はいらないのかもしれない。
「いや、そういうわけではないんだが、橋は完成したらそれで終わりだ。継続的な収入にならないんじゃないか?」
「うん、橋自体は。でもしばらく行ってればそこにいる人と親しくなるから、そしたら正式に雇ってくれたり他の仕事を紹介してくれたりするよ」
「なるほど。賢いな」
メニラは笑った。別に頭がいいわけではなく、経験でそう思うだけだ。
いきなりどこかの店に雇ってくれと出向いたところで信頼のない状態では難しい。ポルデレルに来てからというもの、二人は節約のためにぼろぼろの安宿に泊まり、日雇いの職をいくつか点々としてきた。
「危ない。夕食を逃すところだった」
「え?」
「店を閉める時間だ。パンと豆のスープかソーセージとか、そんなんでいいだろ?買ってくるから先行っててくれ」
そう言い残してラナロロが走っていった先は、店のドアに吊り下がったプレートを裏返そうとしている老婦人のところだ。昨日も買いに来たことを老婦人は覚えていたようで、にこやかに笑って店の中に入っていくのが見えた。横顔だけ見えるラナロロも柔らかい表情をしている。
オランビエのポルデレルに来て一か月、ラナロロは相変わらずあまり愛想はないが、それでもギプタにいた時よりは他の人と話そうという意志が見えるような気がしている。
メニラに対しても喜怒哀楽を薄くでも見せるようになったと感じているが、それは単に共に過ごす時間に伴ってメニラの方が細かい変化に注意を払うようになっただけなのだろうか。
どちらにせよ、ほのかに酔っていた時のような饒舌さはない。
多少気を許してくれているだけで嬉しいはずなのに、またあの無邪気な笑い方が見たい。そんな風に思ってしまう。
そんなことを考えながら、ラナロロに言われた通りにしばらく歩いていると、後ろから声がかかった。
「お兄さん」
振り向こうとした時、メニラの腕に白い腕が絡んだ。
「えっ」
「ちょっとそこで休憩していかない?」
含みを持たせてそう言う女は、ルージュで強調した唇に蠱惑的な笑みを浮かべている。柔らかい身体をぴったりと押し付けられると、メニラは狼狽えた。
「あの」
「他所から来たんでしょ?恰好が違うもの」
腕を引こうとするが、どこから出ているのかと思うほど強い力で押さえられて離れられない。先程の反応で完全にターゲットにされてしまったようだった。
これが都会か。メニラは思う。正確に言えば、ポルデレルはそこまで発展した街というわけではないのだろうが、少なくともメニラの故郷の農村とは別世界だ。メニラの村にはそういう店はなく、街にはあるらしいと噂に聞く程度だった。
「あなた結構タイプよ。可愛いお兄さん」
頬に女のすらっとした手が伸びる。
メニラは戸惑った。その腕を掴んで退けていいのかさえわからない。
「困ります。そういうのは興味がないので……」
必死に顔を背けると、視界の端にちらりと白いものが入った。少し後ろを歩いていたはずのラナロロは、メニラが立ち止まったことで追いついたらしい。
メニラは一気に生きている心地がしなくなった。
「私の連れなんだが」
不機嫌そうな声に心臓を飛び跳ねさせたのはメニラだった。一方女の方はというと、気にした様子もなくまた微笑を浮かべている。
ラナロロは女の手首を掴んでメニラから退かすと、すぐにぱっと離した。代わりにメニラの腕を引っ張って、足早にそこを去る。
振り返ると、女は手を振っていた。随分強かな女だ。そうでなければ商売が成り立たないというのもあるのだろうが。
「ラナロロ。俺、着いていこうとしたわけじゃないよ」
「ああ」
ラナロロの短い返事を聞いて、メニラは態々弁解するようなことを口にしてしまったのを後悔した。ラナロロが止めたのは、仕事仲間のそういう事情をダイレクトに見せられるのが気まずかったからだ。メニラにその気があったか否かなんていうのは、極めてどうでもいいことだろう。
「断るつもりなら立ち止らない方がいい」
「なるほど、そうだよね。慣れてなくてどうしていいかわからなかったから。だから、ラナロロが来てくれて助かった。ありがとう」
情けないと思いつつそう言うと、ラナロロは掴みっぱなしになっていたメニラの手を離した。
「ああ、それで。ギルドのあったヒュードフにはああいう店が結構あるんだ。だからいちいちあんな丁寧に相手をしていたら家に辿り着けない。向こうもそれはわかっているから、あしらっても根に持ちはしないさ」
存外普通の声の調子で答えたラナロロは、横に並ぶと、抱えていた布の塊をメニラに手渡した。布の中にはさっき買ってきたものが包まれているようだ。
布が退けられた後のラナロロの腕には、持ち手のついた缶が引っ掛けられている。
缶の中身が一体何かという説明を聞きながら、頭では少し別のことを考えていた。ラナロロが止めに入ってくれた時の不機嫌な態度。ほんの僅かに、期待したいと思ってしまう自分がいる。違うとわかっているのに。
ぽつぽつと言葉を交わしながら大通りまで来た時だった。
「ちょっと、そこのお兄さんたち」
またか。メニラは半ばうんざりした。帰る時間がいつもより遅くなってしまったのが悪かったのだろうか。
「あの、結構ですから……」
言いながら振り返ると仏頂面の女が建物の窓からこちらを見ていた。ウエーブのかかった黒髪に、唇も黒っぽく塗られている。
「なんだい。まだ何も言ってないよ。ちょっとこっちに来な」
女はハスキーな声で言い、手招きした。
メニラはラナロロと顔を見合わせた。どうも客引きではなさそうに見える。
屋根の下に入ると、女は窓の木枠からさらにテーブル状に伸びている板へと身を乗り出した。じろじろと顔を眺められ、ラナロロが少し眉を動かしたのが横目に見えた。
「あんたたち、他所からここに来て仕事探してるって二人組かい?」
「ああ、まあそうですけど……」
仕事を探していると聞いて回ったわけではないが、今まで雇ってくれた人を通じて女がそのことを知っていたとしても不思議ではない。
しかし、メニラは少し胡乱な目で建物の様子を窺った。大通りに面しているので何らかの店なのだろうが、看板すら出ておらず、女の後ろに見える店内は薄暗い。
女は口の端をにっと吊り上げて言った。
「うちも依頼があるのさ」
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