第8話

 メニラの生活が一変したのは、九月に入って少ししてからだった。

 メニラは一つの場所に長く滞在することはない。最長記録を更新し続けながら、いつこの地を離れようか考えていた。ラナロロに恩を返すまではと思っているが、そう長くはかからないだろう。予定より少し西に来てしまったが、このまま北を目指すのもいいかもしれない。

 そんなことを考えていた矢先のことだった。夜、いつものようにギルドで酒の肴になっていると、扉が勢いよく開いた。乱暴に開かれた扉は壁に当たり大きな音を立てると、一瞬だけ、騒然とする。そのままずかずかと入って来たのは、紺色の軍服を身に纏った男たちだった。アリの群れのように、何人も何人も入ってくる。

 なんだと思っているうちに、取り囲まれて銃が向けられた。騒がしかった建物内は一気に静まり返り、異様な雰囲気が漂う。

 メニラは唖然としたままギルドの男たちを見回すが、彼らは初めこそ驚いていたようだが、仕事柄なのかすぐに引き締まった表情をした。喧嘩っ早い連中が何人かいたはずだがさすがに分をわきまえているらしく、我が物顔で居座られても手を出すことはない。

「ザサムの者がいると聞いた」

 軍人の中で一人だけ少し格好の異なる人物が良く通る声で言った。おそらく将校なのだろう。

 ザサムから遥々来た者など他にいない。メニラのことだ。穏やかではない雰囲気に脈が速くなっていくが、警察や軍人の世話になるような理由は思いつかない。誓って犯罪行為はしていない。ならば堂々とするべきだ。ギルドに迷惑をかけないためにも、メニラは名乗り出た。

「武器を」

 差し出される手のひらに、首を振った。そんなものは持っていない。狩りに同行する時さえ、ほぼ素人のメニラが持つのは護身用の剣だけだ。元々自分が持っていたものは瘴気の森で失くしたから、それも借り物だった。

 男は用心深くメニラの顔つきを観察すると、部下に本当に武器を持っていないのか調べさせた。それでようやく満足したのか次の指示を出した。彼の部下が寄ってきて、腕が脇から一本ずつ抱えられる。その力はかなり強い。

「一体何を!」

 メニラはもがいた。そんな囚人みたいな扱いをされる覚えはない。

 助けを求めるようにギルドマスターや口髭の男を見たが、彼らは異様とも言える無表情のまま押し黙っているだけだ。フィグだけは気の毒そうにメニラを見ている。

 メニラはぞっとした。嵌められたのか?でも一体何のために。

「どこへ連れていくつもりだ!」

 叫んでも、両脇の男たちは答えない。将校も一言も喋らない。そのままずるずると入口の方へ引き摺られていく。

「誰か!」

 扉が閉まる寸前に見えたのは、他のギルドの男たちと同じように何の感情も読み取れない顔をしてこちらを見ているラナロロの姿だった。

 ああ、自分は彼との約束を果たせなかったんだな。メニラはぼんやりとそんなことを思った。

 ギルドから連れ出されたメニラは、あまりに暴れるので一発拳を入れられて腕を後ろ手に拘束された。建物に面した大通りには、馬が四頭繋げられた荷車のようなものが停まっていた。荷台は金属製の箱型で、上半分が格子状になっている。中の様子はよくわからない。ぶつかって歪んだような跡や擦れたような跡があった。

「入れ」

 将校は鍵のかかった扉を開けて、顎で指した。街灯の光でぼんやりと照らされた内部は何か蠢くような気配がする。なるほど、先客がいるらしい。

 メニラはギルドと寮の方を少し振り返った。まさかこんな展開でここを去ることになるとは思わなかった。お守りは首から下げているから唯一持ち出せたが、替えの衣服や金銭は寮の部屋の中だ。しかし取りに行かせてくれるわけもない。

 早くしろというように小突かれたメニラは、諦めて中へ足を踏み入れ、三角座りになった。すぐに扉は閉められ、ガシャンと鍵のかかる音がする。しばらくすると馬が走り出した。

「あんた、何やらかしたんだ」

 暗がりから聞こえた声は少ししゃがれたような声だ。姿は全く見えないが、メニラはやせ形の中年男を想像した。

「さあ、身に覚えが……。ザサムから来たか聞かれただけで」

「ああ、そりゃ大問題だな」

 男は言った。

「大問題?」

「そうさ。このお隣さんも……いや、前か?とにかくわかんねえが、同じ理由でここにいる」

「他にザサムの人がいるんですか?」

 メニラが驚きながら言うと、別の男が「ああ……」とため息交じりに答えた。しかし、辟易しているのかそれ以上は説明してくれる様子がない。その気持ちはわからないでもなかった。メニラと同じように、ほとんど理由も聞かされずにここへ放り込まれたというのなら、会話をする気すら失せても仕方ないだろう。むしろ、しゃがれ声の男のどこか楽しむような口調は浮いているとも言える。

「お前さん、知らないのか?」

「何を?」

 しゃがれ声の男は、話したくて待っていたかのように意気揚々と説明を始めた。

 男によると、今ギプタとザサムの関係は最悪らしい。

 ギプタという国は、国土の大部分に養分の少ない土地が広がっているため、畜産はともかくとして農耕はほとんど行っていない。それを補うように工業で発展してきた国だ。質のいい機械類を手に入れようとすると自然にギプタ製になるくらい、その技術力は群を抜いている。

 一方、ザサムは経済的にあまり豊かではないが農業や漁業が盛んだ。ギプタを含めた周辺国に積極的に輸出をすることで機械類の輸入額との差を埋めている。

 こうして今まで、ギプタとザサムは貿易をしてきた。特別友好的な関係が築かれていたわけではないが、ごく普通の交流があった。

 それが覆ったのは、ギプタの軍事侵攻があってからだった。ギプタは、ギプタの北に位置するヴィトネケ公国に戦争を仕掛けた。これが八月の下旬のことらしい。メニラはギルド内で男たちから聞く情報を頼りにしていたので、それは知らなかった。

 ザサムはギプタとも貿易をしているが、ヴィトネケ公国の方がその額は圧倒的に大きい。その背景には、ヴィトネケ公国が百年以上前からザサムの周辺にある島国のいくつかを支配下に置いているということがある。地理的な理由から独立国時代の各地域と結びつきの強かったザサムは、昔の名残のまま今はヴィトネケ公国と強固な関係をもっている。

 今回の侵攻に際し、ザサムはヴィトネケ公国の要請もあってギプタとの貿易を制限した。それが大国ギプタの怒りを買ったのだろうとしゃがれ声の男は言った。

「関係の悪化という事情はわかりましたけど、ザサムの民間人を態々捕まえてどうしようって言うんですか?」

「さあな。良くて強制送還。最悪見せしめにこうじゃないか?」

 男はしゅっという効果音付きで何か身振りを加えた。暗すぎて全く見えないが、予想は付く。自分の首の前で手を横に動かしたのだろう。

 メニラは比喩でも比喩以外の意味でも目の前が真っ暗になった。何歳だろうが死にたくないが、メニラはまだ二十一。やりたいことがたくさんある。異国のこんな場所で死ぬのはごめんだった。

 ギルドに軍人が乗り込んできたとき、もっと抵抗すればよかったのだろうか。そもそも名乗り上げたのが間違いだったのかもしれない。今更のようにそんなことを考えた。

「この馬車はどこに?」

「バーレハウザーの収容所さ」

 バーレハウザーはギプタの首都だ。ヒュードフから馬車でどれくらいかかるのだろう。おそらくずっと走り続けたとしても一日では着かないだろう。

「収容所?」

「刑務所」

「なるほど」

 罪を犯した覚えはないが、ギプタの誰か偉い人からすると犯罪者同然らしい。

「聞きたいか?」

「何を?」

「俺がなんでこの馬車で運ばれてるかさ」

 メニラは少し考えた。別にさして興味はない。そして、他人の話を聞いてやる心の余裕を今は生憎持ち合わせていない。けれど、話を振ってくるくらいだから語りたいのだろう。知りたいことを教えてくれた礼もある。

「ザサムの人間ではないんでしょ?」

「俺の知る限り、俺はギプタ生まれ、ギプタ育ちだ。俺が刑務所に入れられるのはなあ、盗みをしちまったからだ」

「……」

 メニラはこの男がやけにお喋りな理由を察した。要するに、気が動転しているのだ。男の後悔の言葉をひとしきり聞いてやると、精神的な疲れもあってか少し眠気が襲ってきて、うつらうつらしながら、男のとりとめのない話を聞いた。

 それは突然のことだった。がたんと何かに乗り上げたような衝撃があって、その後馬の歩みがぴたりと止まった。格子から僅かに見える外の様子に変化はない。

 少しの間静寂があって、ふいに、かしゃんと鍵の開く音がした。ああ、休憩の時には降ろしてくれるのか。そう思った。

 メニラを放り込んだ時の乱暴さとは反対に、ゆっくりと開いた扉の先には、白い影がぼんやりと浮かび上がって見えた。

 メニラは自分の目を疑った。けれど、何度瞬きをしても、目の前の様子は変わらない。

「ラナロロ……?」

 そこにいるはずのない人だ。ギルドで最後に見た、冷たい表情をしていたその男。

 一体どうして……。

 瘴気の森で初めて会った時のように白いマントを身に着けた男は、防毒マスクこそしていないがよく目立つ明るい髪をフードで隠している。口元に人差し指を立てて静かにするように指示したラナロロはメニラの腕を掴んだ。

 しかし、うまく立ち上がれない。

 メニラの手首が拘束されていることに気づいたラナロロは、苦戦しつつも抱きかかえるみたいにしてメニラを立たせた。

 扉がしっかりと開いたことで、一緒に乗っていた者たちの顔が月明りで僅かに照らされる。そこにいたのはメニラ以外に四人だった。皆騒がないが、一様に驚いた顔をしている。

「早く」

 ラナロロが耳元で声を潜めて言う。メニラは一度彼らを振り返ったが、ラナロロに押されるまま外に出た。

 馬車はいつのまにか随分山の中を走っていたらしい。土の盛り上がったところに道が整備されていて、その下は草が鬱蒼としていた。

 ラナロロはメニラを庇いながらその斜面を滑り降りた。動物が駆け抜けた時のようなザッという音が一瞬上がる。

 下に降り切って草むらに身をかがめた二人は、先ほどまでいた道を見上げた。馬車はまだそこにあって、馬もそのままだ。軍人たちの気配はない。

 メニラはまだばくばくする心臓の音を聞きつつ、手のひらを握りしめた。

 しゃがれ声の男は罪人だからともかくとして、あの中にはメニラと同じように、理不尽に捕らわれている者がいた。どうにか助けてやりたい。

 何も言っていないが、メニラの思うことがわかるのか、ラナロロは静かに首を振った。

「こちらから何かせずとも、逃げたければそうするさ」

 その言葉の通り、ラナロロが開けてそのままにした扉からは二つの影が現れ、そしてすぐに消えた。向かい側に飛び込んだのだろう。一瞬のことだからあまりよくはわからなかったが、その体格はやせ形の中年男らしくはなかった。きっと、しゃがれ声の男は自分の罪を贖うつもりなのだ。メニラは心の中で彼の贖罪が成し遂げられることを祈った。

 メニラはふと思った。

「御者はどうしたの?まさか……」

 自分のことを助けてくれた人間を責めたくはないが、もし手を血に染めたというのならメニラは自分が助け出されたことを素直に喜べない。

「殺してない。殴って気絶させただけだ」

 答えたその声は苛立ちが混ざっていた。

「ごめん。助けてくれたのに……。ありがとう」

「いや、悪い。気が立ってた」

 ラナロロはメニラよりも姿勢を低くすると、手首に触れて、拘束のされ方を確認した。縄でかなりしっかりと縛られている。ラナロロが唇を噛む仕草から、焦りと迷いが伝わってきた。

 解けなければ、移動に支障が出る。その上、もし追手に遭遇してしまったらこのハンデは致命的だ。しかし、こうも頑丈に拘束されているなら、それを解く術は縄の切断しかない。つまり、剣を使ってピンポイントで縄だけを切らねばならないということだ。月の光のみでそれを行うのはかなり厳しい。

「メニラ……」

「大丈夫だよ」

 メニラは言った。そもそもラナロロが拾い上げてくれた命だ。どちらを選んだとしても、メニラはそれを受け入れる。

 ラナロロはおもむろに剣を抜くと、逆手に持ち替えた。美しい刃の模様がきらりと光る。

 メニラはできるだけ姿勢が固定されるように膝立ちになり、背を向けた。手首の間が少しでも空くように調節する。内心では少しくらいの流血は覚悟した。

 縄に当てがわれた剣先が震えているのがわかる。ごくりと喉が動く音が聞こえた。

「もし……」

「いいよ。そんなこと考えないで」

 ああ、この男も人間なんだなとメニラは妙な感想を抱いた。不思議なことに、ラナロロの緊張と反比例するように、メニラの気持ちは凪いでいった。

 ラナロロが大きく息を吸って吐く。ぐっと力を感じるが、それでは足りないと悟ったラナロロがさらに力を乗せた。しかし、勢い余って手首を傷付けるのを恐れたのか、やはり一旦力が弱まった。

 数秒置いて、もう一度剣の重みがやって来る。数センチ沈み込んだと思ったその次の瞬間、ぷつんと縄の切れる感覚がした。

「切れた……?」

 ラナロロが剣を納めて、恐る恐る手首に顔を寄せた。メニラも首を捻って手元を確認する。厳密に言えば縄は最後まで切れていなかったが、メニラが力を込めると最後まで繋がっていた繊維も左右に離れた。一本が切れるとそのままするすると解けていく。

 二人は顔を見合わせた。

 手首は薄皮一枚も切れていない。ラナロロが慎重だったおかげだ。

「よかった……」

 放心したように呟いたラナロロは、そのまま地面に座り込んだ。メニラは、彼が一体どれほどの覚悟と勇気をもって、自分を助けに来てくれたのかを思った。

 メニラは他所者だ。遠くの国からふらりと現れた男など、ギルドの扉が閉まる時に見せたあの無表情で見捨てることもできたはずだ。一緒に酒を飲んだり、栗毛の馬に乗ったりした時間を忘れられることはメニラにとっては悲しいことだったが、ラナロロの立場を考えれば、その方が正しい判断とすら思える。ギルドの男たちはメニラに意図的に情報を伝えなかったように思えるが、保身のためには仕方のないことだ。彼らには彼らの生活があり、守るべきものがある。

 ラナロロがどんな方法でここまで辿り着いたのかは知らない。軍人たちに顔を見られたかも、ギルドの人たちに何か言ってきたのかも知らない。しかし、僅かな荷物を斜め掛けにしているところを見るに、もうあのギルドに戻ることはないのだとわかる。

 自分の国の軍に追われる身になることを承知で、それでもメニラのために来てくれたのだ。全て捨てて、ここへやって来た。

 メニラの胸には、悲しさのような、慕わしさのような、上手く表現できない複雑な感情が渦巻いた。

「そんな顔するな」

 ラナロロは汗を拭って、首を振った。

 瘴気の森では声を出すことができなくて言えなかった。でも今度は言える。

「ありがとう、ラナロロ……」

 メニラは自由になった両腕で、二度も自分の命を救ってくれた彼を強く抱きしめた。躊躇いがちに、けれどしっかりと背中に回る腕の温かさを感じながら、メニラは考える。一体どうすれば、ラナロロのしてくれたことに見合うだけのことを返せるだろう。

 自分の残りの旅の時間で、十分に返せるだろうか。いや、恩を返したと満足できるまではこの人の傍にいよう。メニラは密かに決心した。

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