第5話

 ギルドの手伝いをし始めたメニラは、昼間は男たちと一緒になって狩りの様子を学ばせてもらったり、キッチンに入って食用部位がどんな料理に変身するのかを見たりした。一度頼まれて異国風の味付けのスープを作った時にはかなり喜ばれて、また作ってくれとせがまれるようになった。

 狩猟は日が昇ってから落ちるまでという決まりらしく、空が暗くなると、ギルドのテーブルでは必ずと言っていいほど酒が入って、にぎやかな声が響いた。旅の話を聞きたがる男たちに、海を渡ってすぐにブロンドの髪の美しい女に騙されて有り金を全部奪われかけた話や、カエルを食べるというのには抵抗があったが、口にしてみれば案外美味かったことなんかを話してやると、大盛り上がりだった。

 初めは一つのテーブルで話しているだけなのだが、横のテーブルから茶々が入ったり絡まれたりして、気づくとかなりの大人数で話し込んでいるなんてこともしょっちゅうだ。基本的にここのギルドには話好きな人が多いらしい。今まで訪れた国の中では年長者に対しては畏怖に近い態度で敬うところもあったので、それと比べると年齢に関わらず軽口を言い合っているこの場所はかなりアットホームだと言える。

 一方で、話に加わらずに壁際のテーブルに座っている者も十人ほどいた。会話自体がないわけではなく、その者たち同士では少し話をして時折頷いているのが見える。しかし、こちらのように、笑い転げたり唾を飛ばして罵倒しあったりということもなく静かなものだった。

 その顔ぶれを何気なく見ているうちに、メニラははっとした。

 頬杖をついてこちらを見ている人物。柑橘類を思わせる橙色の長い髪が肩に垂れている。同じ色をした形の良い眉の下に収まっているのは、緑がかった青い目だ。エメラルドみたいな色。きっとラナロロだ。メニラは思った。

 瘴気の森では、ラナロロがフードを被っていた上に、メニラ自身視界がぼやけていたので、特徴はそれくらいしか知らない。しかし、神秘的ともいえる目の色は、メニラの記憶にしっかりと留められていた。

 歳はメニラとさほど変わらないようにも見えるが、それにしては纏う雰囲気があまりに落ち着いている。盛り上がっているメニラたちを、冷めた目つきで見ている気がした。喧噪が遠のく。

 その時間は数秒にも、数分にも感じた。

 向こうから送られる視線は、好意的ではない。瘴気の森では微笑んですらいたのに。違和感と、不安と、それから否定しようのない興味。それらが胸に渦巻く。

 話したい。メニラは思った。

 けれど、ふいに彼は目を逸らして席を立った。そのまま出口の方へと向かっていってしまう。

メニラも立ち上がりかけたが、そこでちょうど話が振られる。それに気をとられているうちに、彼は姿を消していた。

 まるで、幻覚を見ていたみたいだ。メニラは、瞼の裏に今目にした容貌をもう一度思い起こし、そっと目を開けた。

「どうかしたか?」

「……いえ。なんでも」

 その日はもう、彼の姿は見つけられなかった。


 その後、メニラは少し焦れていた。

 ラナロロとはそのうち自然に顔を合わせることになるとフィグが言っていた割に、結局一言すら会話できないまま、一日一日と過ぎていく。

 こうなってくると、この前の視線も相まって、避けられているとすら思えた。ここに来てから嫌われるようなことをした覚えはない。しかし、そもそもメニラのせいで大迷惑を被っていることを考えれば、助けなければよかったという後悔が治療中に湧いてきてもおかしくはないのではないか。

 悶々と頭を悩ませるメニラがようやく機会を得たのは、半月経ったある日だった。罠の設置をするという集団に混ざって郊外の山に入ったのが三日前。午後になってギルドに戻ってきたとき、入口付近で仲間の一人が大きな声を上げた。

「ラナロロじゃねえか。死にかけたんだって?」

 そう声をかけた相手は、やはりあの橙色の長い髪に緑がかった青い目をもつ男だ。メニラの予感は間違っていなかった。

「どうもお騒がせしたようで」

 ラナロロは表情薄く答えた。親し気な呼びかけに対するものとしてはやや違和感のあるそれは、しかし、以前メニラたちの話を遠巻きに見ていた姿と重なる。

 あの時はメニラのことが気に入らないのだと思い込んだが、そういうわけではないのかもしれない。あまり、他人とつるむのは好まないようだった。

 ちらりと視線がこちらを向くが、一瞬後にはもう逸らされ、ラナロロはこちらに背を向けていた。

 メニラは慌ててラナロロの後を追った。仕事の方はもう解散だろうから、メニラが抜けても問題はないはずだ。

「あの!」

 大きな声で呼びかけると、ラナロロはそのままの無表情でこちらを振り返った。

 露骨に嫌悪感を示されたら。そんなことが頭に過るが、メニラは思い切って言った。

「助けてくれてありがとう」

「ああ……」

 礼に対する返事なのか、それとも自分の目の前にいる男が自分の救出した男だったということに対しての納得なのか、どちらともつかない音を漏らしたラナロロは、身体の向きを変えてメニラを正面から見つめ返すと、上から下までを眺めた。

 一方で、メニラは初めて間近でその容姿を目にして、それとわからないように少し目を見張った。整った顔立ちだとは思っていたが、こうして改めて見ると吞まれそうな魅力がある。

 印象的な瞳は、陽の光がよく当たった海のような澄んだ色。胸のあたりまである真っすぐな髪は艶があって美しく、白い肌と対照的な、鮮やかな橙色が映えている。控えめな唇やほっそりとした顎のラインは繊細だが、かといってひ弱な印象はない。

「怪我は?」

 ラナロロの声に、メニラははっとした。随分とラナロロの容姿に見入っていたことを知り、自分で驚く。

 どうやらラナロロは、メニラの身体の具合を見ていたらしく、その視線の先には特に注意を向けていなかったようだ。

 メニラは安心した。好意的であるにしても、じろじろと観察されて気分のいい人間はいないだろう。

「抗体を打ってくれたおかげですっかりよくなったよ。それより、君は?君の方がひどい怪我だったから、後遺症なんかがないか心配で……」

「心配しなくていい。まだ激しい動きはできないが、時間が経てば元に戻る」

 その言葉に、メニラは胸を撫で下ろした。もしメニラを救ってくれたあの腕や足がもう満足に動かないと言われてしまったら、まるでどん底にいるような気分になるところだった。

 それと同時に、あれほどの怪我を何でもないことのように扱うことに、遠い存在であることを意識した。彼は線が細いが、それでもやはり屈強な男たちの集うギルドの一員なのだ。

「何か、俺にできることあるかな。何でもするよ。何かお礼をさせてほしいんだ」

 メニラはおずおずと言った。ラナロロはギルドの中でも腕が立つと聞くし、そんな人のために自分ができることは果たしてあるだろうか。そんな不安がひっそりと胸にある。しかし、役に立ちたいというのは本心だった。自分のことを命がけで助けてくれた恩に、どうにか報いたい。

 ラナロロは少しも考えることなく、淡々とした口調で答えた。

「いや、気にするな。私が勝手にやったことだ」

「そういうわけにもいかないよ。だって、君みたいな親切な人が来てくれなかったら、俺は絶対に死んでたと思う。本当に感謝してるんだ」

「いいや……」

 ラナロロは言いかけたが、メニラの目に込もる熱意に圧されたのか黙った。地面に視線を落として、少しの間考えている。

 メニラはその顔を眺めながら、迷惑に思っていやしないかと心配した。ラナロロの発する言葉には棘こそないが、近寄りがたい雰囲気はそのままだ。しつこいメニラをどう撃退しようか思案しているのかもしれない。思っているうちに、その薄い唇が再び開いた。

「私の名前はラナロロ。君は、メニラだろ」

 突然何を言い出すんだろう。思いながら、メニラは頷いた。

「まだ互いの名前しか知らない。得意なこともわからないし、第一そんなにすぐしてほしいことも思いつかない。しばらく考えさせてほしい」

「話しかけても構わないってこと……?」

「話さないとメニラのことがわからない」

 メニラは目を大きく見開いた。他人への興味が薄そうな彼が、どういう理由にしろ他所者であるメニラのことを知りたがったのはあまりに意外だった。意外ではあるが同時に嬉しくもある。

 メニラはラナロロに尋ねたかったことを思い出した。

「どうして瘴気の森で助けてくれたの?オオトカゲの爪からも庇ってくれたよね」

「死にかけてるように見えたんだが。違ったか?」

「いや……」

 メニラはどういう説明をしていいのか困った。聞きたいのは、助ける必要がありそうだったかではなく、ラナロロが身を挺してまでメニラを守ってくれた理由だ。

 けれど、ラナロロはメニラがそれを言う前に思い出したように口を開いた。

「オオトカゲに噛まれたところ、どうなってる?」

「え?瘡蓋になってて、あとは少し腫れてるかな」

「塗り薬をもらった方がいい。治りかけてると思ってもその後痒みが酷いから」

 メニラはラナロロの親切さに感謝した。

「多分、ギルドの誰かは持ってる。メニラになら譲ってくれるだろ」

 普通は譲ってもらえないもののような言い方だ。そんなに高価なものなら、ギルドの人から受け取るのは申し訳ない。尋ねようとしたその時だった。

「ラナロロ!」

 二人は声の方に顔を向けた。ギルドの中から少年が手招きしている。何か用があるらしい。

 年齢は背丈からしてもまだ十代に見える。フィグのようにギルドの人間の子どもなのだろうか。

 すると、尋ねてもいないのにメニラの疑問に答えが返ってくる。

「仕事仲間だ」

「えっ」

 狩りの仕事には何回か連れて行ってもらったが、かなり根気と度胸を要求される。それをメニラより年下の人間もこなしているのだろうか。

 しかし、思い出してみれば、メニラ自身も故郷では兄の仕事を手伝っていたのだった。その年で仕事をするということ自体は普通のことなのかもしれない。

 メニラは心の中で少年を応援した。

「メニラ、じゃあまた」

「うん」

 ラナロロの手が肩に置かれて、すぐに離れていく。

 メニラは少し名残惜しいような気持ちでそのぴんと伸びた背を目で追った。


 後日、寮の照明の電球を取り換えていたメニラは、ラナロロがもう軽い依頼はこなしているということを知って驚いた。

「こっちが馬車馬みたいにこき使ってるわけじゃないのよ」

 非道な集団だと誤解されないようにとフィグは付け加えた。

 別に誰に働けと言われたわけでもなく、自分から働いているらしい。随分ストイックな人だとメニラは思った。

「ねえ、これも手伝いの一環だと思って頼まれてほしいんだけどね、ラナロロのこと少し気にかけてあげてほしいのよ」

「気にかける?俺が、ですか?」

 メニラは思わず聞き返した。

「あなたも話したならわかると思うけど、ラナロロって少し意図的に人を遠ざけてる節があるじゃない?愚痴の言えるような相手もいなくて、なんだか心配なの」

 フィグは手に持った電球をくるくると回して眺め、脚立に乗ったメニラへと差し出した。メニラは代わりに古い電球を手渡す。

 ラナロロの態度については確かにメニラも感じたことだ。メニラにも他のギルドの人にも愛想がなく、好かれようという気がまるでないような気すらする。

「俺、他所者ですよ?余計なお世話だと思われるんじゃ」

 ソケットに目をやったまま振り返らずに言うと、脚立の下でフィグがはっきりとした声で言い切った。

「他所者だからいいのよ」

 そんなものだろうか。しかし考えてみれば、旅先で出会った人たちの中には自分の悩みを吐露する者もいた。長くても一週間程度でその地を去るメニラには、結局のところどこか他人事のように思えてしまい、そうして信頼して話してくれているのにと申し訳なく思うことが多い。けれど、それでいいのだと言う。今後会うこともないかもしれない、そしてこれまで遠い地で育った、そういう接点の少ない人間にだからこそ、胸の内に溜め込んだものを吐き出せるのだと。

 メニラは新しい電球を右に回しながら、ラナロロの少しも変化しない表情を思い浮かべた。彼も旅の途中で会った人たちと同じように、何か苦悩を抱えているのだろうか。

 瘴気の森でオオトカゲを撃った姿や、メニラに抗体を打ってくれた時の様子には一切の迷いがなかった。恐れのようなものも感じなかった。人を近づけないのは、彼が精神的に自立していて、誰の助けも必要としていないからのように思える。

「あら、そんな思いつめないでちょうだいな。ラナロロのこと嫌いなの?」

 脚立を降りたメニラに、フィグの笑い声が注ぐ。

「まさか。そんなことは……」

 ラナロロに近づこうとすれば拒まれるのではないかと思っているだけで、恩人だということを抜いて考えたとしても、嫌いなどということはあり得ない話だった。

「ならいいじゃない。ね、歳も近いみたいだし、きっとすぐに友達になれるわ」

「はあ」

 メニラは苦笑した。そんな子どものように言われても、互いにもう立派な大人なのだが。

 しかし、とりあえずメニラは頷いて見せた。フィグの言う「友達」になれるかはともかくとして、メニラと話をしたいと言ってくれたのはラナロロ本人だ。メニラの方から探りを入れなくても、ごく普通に打ち解けられればそれでいい。もし何か悩みがあって、聞いてほしいと思う時が来れば、その時自ら話してくれるだろう。

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