第2章

第4話

 メニラがギルドに顔を出そうと決めたのは、それから五日後だった。

 フィグに連れられて寮の外に出ると、目の前には石畳で舗装された広い道があった。そこを質のよさそうな服を纏った人々が行き交い、時折馬車が通る。向かい側には服飾関係の店や食品を扱う店がずらりと並んでいた。ウインドウには所狭しと色とりどりの商品が置かれており、それに釣られて一人、また一人と客が吸い込まれていく。

 メニラが今まで目にした土地は舗装がされていないことすら多く、ここまで栄えているところを訪れるのは初めてだった。メニラは、ここが大国ギプタの第二都市だという説明に納得をした。

 寮の横には、縦にも横にもかなりの幅がある建物がどっしりと構えていた。石造りで、重厚感のある建物だ。これがギルドらしい。オオトカゲもくぐれるであろう大きな入口まで来ると、ちょうど中から体格の良い男が二人出てきた。

 メニラはそれをさりげなく目で追いながら、なるほどと思った。「鷹」は狩人のギルドだと前にフィグが言っていたのだ。少し緊張した面持ちで建物内に足を踏み入れた。

 入ってすぐ目についたのは、十脚ほどある丸いテーブルだ。それぞれに、数人がかけている。情報交換や交渉なんかをしているのだろうか。大声で話し合っていて、こちらを特別気にするそぶりはない。そのうちの数人の格好は、メニラの記憶にあるものだった。あの森で見たラナロロと同じように、マントを羽織っている。

 メニラは内装をぐるりと見渡した。真正面には「鷹」を示しているのであろう、わかりやすい意匠の旗が掲げられていた。その脇にはボードが置かれていて、そこには連絡事項らしいものが書かれた紙が乱雑に貼られている。

「どうせ誰もちゃんと読んでいやしないわ」

 横でフィグが笑った。

 窓ガラスは一枚一枚が大きく、何か加工がされているのか、ぼこぼこと波打っている。高い天井にはやけに凝ったデザインの照明が吊り下がっており、これまたメニラを驚かせた。

 そうして夢中になっているうちに、いつの間にかフィグはメニラを置いて奥へ進んでいた。ちょうど、壮年の男に声をかけているところだ。後を慌てて追う。

 するとその男の顔がこちらを向いた。眉が凛々しく、角ばった輪郭が力強い印象を生んでいる。短く整えた髪には少し白髪が混じっているが、半袖から伸びている腕はたくましい。健康的な男子であるメニラの二倍はあるだろうか。

「俺はギルドマスターのジルターだ」

 すると、この男がフィグの父親らしい。

「メニラです。なんてお礼を言ったらいいか……。本当に助かりました」

 フィグとは違って表情は大して変化がない。良いように言い換えれば、威厳があるという表現が相応しいだろうか。

 血管の浮き出た大きな手が差し伸べられるので、メニラはおっかなびっくり手を伸ばした。内心で握りつぶされはしないかと心配していたが、そんなこともなく、痛くない程度にがっしりと握手される。

「フィグからも話は少し聞いたが、皆、あんたと直接話したがってるんだ。ちっと付き合ってやってくれ」

 低くもはっきりとした声で言われ、背中をバシンと活気のある様子で叩かれた。そのやりとりで少し注目を集めたらしい。

「若いの!」

 威勢よく近くのテーブルから呼ばれる。声をかけたのは、ギルドマスターよりは若い、けれどメニラからするとうんと年上の男だ。薄い頭頂部に、口元には立派な髭を貯えている。目元を覆うサングラスは少し威圧感があるが、よく動く口から楽しげな笑い声が響くと緊張が解れていく。

「あんた、他所から来たんだろ?瘴気の森を知らないなんてよお」

「ずっと旅をしていたんですが、この国に来るのは初めてだったので」

「旅か。そりゃいいな。一体どこから来たんだ?」

 身を乗り出して尋ねたのは、また別の男だ。

「ザサムです。その中の小さな村から北西に向かって」

「随分遠くから来たもんだ」

 唸るような男の声に、メニラも自分自身が随分遠くまで来てしまったということをしみじみと感じた。

 メニラは、島国であるザサムの南部に位置する小さな村の出身だ。国自体には通貨があるが、村での生活は物々交換が主流で、メニラの家では釣った魚や自家製のジャムや菓子が近所の人たちとの交渉材料だった。腕のいい技師が作った機械類や最新の書物を手に入れるためには、馬に乗って二日ほどかかる隣街に出ていかねばならなかったが、そうした不便さがあってもメニラは故郷が好きだった。

 本当に小さな村だったから皆知り合いのようなもので、距離が近く家族同然だった。メニラは旅に出る前夜の集いで隣人がふるまってくれた料理の数々や自分のために歌を披露してくれた三歳になる甥っ子を思って、恋しくなった。

 メニラは両親を事故で亡くしていて小さいころから年の離れた兄と祖母の三人暮らしだったが、そうした境遇であっても、周りの人たちのおかげでさみしいと感じたことはほとんどなかった。それほどいい村だった。

 そんな生まれ故郷は、今は海を挟んで国をいくつも隔てた先にある。

「そんなに村が恋しいってんならなんでまた旅なんてしてんだい」

 メニラはもっともな指摘だと笑いながら説明をした。

「そういう習わしがあるんです」

 村には、子どもが二十歳になると成人だと認めて旅に出す風習がある。狭いコミュニティの中で生きてきた子どもたちが、凝り固まった考えの大人にならないようにそうしているのだろうか。メニラは勝手にそう解釈しているが、ただ伝統というだけで実のところ意味などないのかもしれない。

 出発した後は、西へ行くもよし東に行くもよしでとにかく自由だ。二、三年かけて食事へのありつき方や危険を回避する方法といった原始的なものから、他の地で生きる人々の宗教、娯楽、知恵などといったものまでを知っていくのだとメニラの兄は言っていた。そうして、明確な基準はないが遅くても二十五歳になるころには村へと戻る。

 メニラは今年の秋で二十二歳になる。今は八月だからもうほとんど二年も旅をしてきたということになる。

 年齢の話が入ると、ここぞとばかりに男たちは酒を勧めた。

「仕事終わりはやっぱり酒だ!」

 まだ日が沈みかけているという程度の時間なのに、ふんぞり返って泡を口元に付けている口髭の男は少しコミカルだ。笑いがこぼれる。

「俺、何にも労働してませんよ」

「大丈夫だ、坊主。このじじいだって仕事前だろうが後だろうが構わず飲んだくれてるんだから」

 隣のテーブルから椅子を引いてきた男が、グラスに並々と酒を注いで、メニラの前に差し出した。それを「じじい」呼ばわりされた口髭の男が一気に飲み干す。

「今日はきちんと一仕事したさ。いいか、すげえ大物だ」

 メニラは思わず身を乗り出した。一体なんだろう。頭の中には、二メートルある大きな熊が浮かび上がった。

 男はもったいぶるように口髭を撫で、皆の視線が集まっていることを確認してからようやく口を開いた。

「とんでもねえ美人のハートを射止めた」

「酔っぱらいすぎて現実が見えてないらしい」

 横に座る男の呆れたような口ぶりに、どっと笑いが起きる。口髭の男も一緒になって笑っているが半分は本気らしく、その射止めた女性がどんな美女だったかということや、いかに気がありそうだったかということを熱心に語っている。

 初対面のメニラはどこまで同調しても失礼にならないか迷ったが、居心地の悪さは全くなかった。注ぎなおしてくれた酒をちびちびと飲みながら、明るくて仲の良さそうなギルドだと思った。

話しているうちに、洞窟からここまで自分たちを運んできてくれたという男も加わる。

「びっくりしたよ。救援を呼んだらしいラナロロ本人は血まみれで意識ないわ、防毒マスクはあんたが着けてるわで」

 メニラは礼を言った後で、少し不安になった。それは、防毒マスクについて口にする時、男の表情がぐっと硬くなったからだ。フィグに話を聞いた時はそこまで深刻なことだとは思わなかったが違ったのかもしれない。

「瘴気を吸うとどうなるんですか」

 メニラ自身、瘴気をかなり吸った覚えがあるし、何よりも倒れてから救援が来るまでの間防毒マスクをメニラに貸したままだったラナロロが心配だった。

 ところが明確な答えは返ってこなかった。なんでも一般の人間はあの森に立ち入らないのが当然であり、狩猟目的で入る場合は防毒マスクをするのが鉄則なので、長時間に渡って瘴気を身体に取り込んだという例は最近ではほとんどなく、あまり詳しいことはわからないのだと言う。

 防毒マスク自体も万能ではなく、使用していても僅かに瘴気の毒性を残すので体内に蓄積はするようだが、そうして積み重なったところで発症するほどの量にはなかなかならないらしい。

 ただ、言い伝えでは、瘴気を吸いこむと初めのうちには高熱が出たり咳き込んだりといった風邪のような症状が現れ、とにかく最終的には治療の甲斐なく死に至ると言われているのだと、男の一人が話した。

「お前さんは普段からあそこに行ってるわけでもないし、森にいた時間もそう長くないんだろ?だったら、そこまで気にする必要はないんじゃないか?」

 励ますように肩に手が置かれるが、メニラの口からは沈んだ声が漏れた。

「ラナロロは無事でしょうか……」

「まあ、怪我の方は案外悪くないみたいだし、ラナロロなら瘴気の方は大丈夫だと思うが……。なあ?」

 周りの男たちは、顔を見合わせて頷きあっている。どうやらラナロロは共通認識としてかなり丈夫な人物らしい。確かに自分を助けてくれた状況からすると、かなり精神の強い人だという気はしてくる。男たちの言葉を信じてメニラは頷いた。

それと同時に言っておかねばならないことを思い出した。

「その、図々しいお願いなのは百も承知なんですが、ラナロロが回復するまで、このギルドで働かせてもらえませんか?看病のお礼も含めて一生懸命働きますから」

 メニラは今まで日雇いの仕事をしたことは何度もあるが、あまり長期的に一つの場所に滞在したことはない。けれどラナロロに直接礼が言いたい。会って、怪我が癒えたかどうか、この目で確認したい。そう思っておずおずと申し出ると、話の内容を聞いていたらしいギルドマスターが力強い声で言った。

「願ってもない話だ。若い力は大助かりさ。回復するまでと言わず、ずっといてくれたっていいんだぜ」

 メニラはぱっと表情を明るくした。

 ヒュードフには食料品を扱う店はもちろんのこと、毛皮を欲する服飾関係の店も軒を連ねている。その分客も多いが同業者も多く、他のギルドに負けないように必死なのだと説明された。

 メニラは今度は自分から手を伸ばし、ギルドマスターと固く握手をした。

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2024年10月13日 18:00
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咲かないトネリコ U原もみじ @u-hara_196

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