第3話
可愛らしい鳥の声で目が覚めると、ベッドの上だった。カーテンの隙間から光が漏れこんでいる。覗くとすぐそこに別の建物が見え、屋根の上には青い空が広がっていた。小さな雲が点々と並んでいる。それを見て、メニラは自分が生きていることを実感した。起こした身体には少しだけだるさが残っているが、あとはもうほとんどいつも通りだった。
メニラはゆったりとした麻の服を着ていた。汚れのない、清潔なものだ。枕元には元々纏っていた服が綺麗に畳まれて置かれている。部屋には他に、小さなテーブルと椅子、棚などがあるが、細々とした物はなく、生活感は感じられない。
扉の向こうは廊下になっているのだろうか。他の者が看病を受けているのかはわからなかった。
あの人は無事なんだろうか。あの白いマントの男。酷い出血だった。
思っているうちに、ちょうど扉が開いた。現れたのはあの男ではなく若い女だった。起き上がったメニラに気づいて、水を汲んだ桶を抱えたままこちらにやって来る。
「目が覚めたのね。どう、具合は」
「すっかり良くなりました。あなたが看病を?」
「そうよ。けど、たった二日だから大したことはないわ」
礼を言うメニラに、女はにこりと笑みを見せ、自分はフィグというのだと名乗った。メニラも慌てて自分の名を伝えた。
フィグは、癖のある茶髪を後ろで一つにまとめている。ノースリーブのワンピースから健康的に日に焼けた腕が伸びていた。
「さあ何から説明しようかしら」
フィグは桶を床に下ろして、ベッドの脇にあった椅子に腰かけた。
聞きたいことは山ほどある。しかし、一番に確認したいことは決まっていた。
「あの、一緒に人がいませんでしたか?」
「ラナロロのこと?」
「ラナロロ……。その人、俺を助けてくれたんです。でも、そのせいで酷い怪我を……。今、どこに?ちゃんと生きてますよね?」
フィグはその肩に自分の手をそっと置いた。
「安心して。まだ絶対安静みたいだけど、ちゃんと生きてるわ」
「よかった。でも俺のせいで……。どうにかお詫びができればいいんだけど」
彼は元のように回復するだろうか。助けてもらったメニラの方が、健康状態がいいというのがなんとも皮肉だった。
「そのうち自然に顔を合わせることになるでしょうし、そう焦らなくていいわ」
メニラはフィグの言葉に頷いた。怪我に苦しんでいるところによく知らない人物が訪問するのはストレスに感じるかもしれないし、いずれ会えるというのなら、回復まではおとなしく待つべきだろう。
「ところで、ここは一体……」
「ヒュードフの『鷹』っていうギルドの寮よ。私、ギルドマスターの娘なの。だから寮の運営を手伝ってるってわけ」
「ええと、地名は」
尋ねると、元々大きな目が更に開かれた。
「ギプタよ。ギプタのヒュードフ。第二都市よ」
メニラは納得した。森に迷い込む前には、大国ギプタより南に位置する村に滞在していたのだ。確かヒュードフはそこから少し離れていたと思うが、「鷹」というのがラナロロの所属するギルドなのだろう。
「あなた、他所の人なのね。道理であんなところに防毒マスクなしでいるわけだわ」
メニラは「防毒マスク」というワードにラナロロが身に付けていた奇妙な仮面を思い出した。あれは毒を防ぐための代物だったらしい。
「あの森に毒が?」
「そうよ。皆、『瘴気の森』って言って恐れているわ。あの森には有毒な気体が満ちていて、それを周辺国の人は老人から子供まで皆知っているの。だからね防毒マスクなしでうろつく馬鹿はまずいないのよ」
その「馬鹿」で申し訳ないと思いメニラは内心で落ち込んだ。自分が情報に疎いせいでラナロロに迷惑をかけてしまった。
「ここら辺の人じゃないなら仕方ないわ」
フィグは、メニラのじめじめした気持ちを吹き飛ばすくらい大きな声で笑った。
ラナロロはメニラに防毒マスクを貸してくれた。それは出会った時点で、メニラが既に長時間瘴気を吸い込んでいそうだと判断したからかもしれない。
「うちのギルドの人がね、あなたをここに運んできたの。あんまりぐったりしてるもんだから心配したけど、あなた運がいいわね。ラナロロが解毒剤持っていたんでしょう?それなかったら今頃きっと土の下よ」
「本当に死ぬところでした。あの時はもう指一本動かせませんでしたから」
ラナロロが偶然居合わせなければメニラは確実に命を落としていただろう。それに、見ず知らずの人間をあれほどまでに献身的に助けてくれるような人と出会えたということも、かなりの幸運だったと言える。
フィグは付け加えて、メニラに投与されたのは試作品だったことを話した。あの透明な液体には、メニラたちを襲ったオオトカゲの毒に対する抗体が含まれていたらしい。
「運んできてくれた人たちにもお礼が言いたいな」
あの暑い中だ。メニラは己の身一つでやっとだったから、成人男性一人抱えて移動するのはかなり骨が折れただろう。そういえば、ラナロロの笛の音はやはり助けを呼ぶためのものだったのだろうか。
「あなたが元気になったらギルドに顔を出したらいいわ。皆あなたの話を聞きたがってる」
「俺の話を?薬の効果を聞きたいのかな」
「それもあるでしょうけど、単にお客に興味があるのよ。珍しい話が聞けることもあるし。私も楽しみにしてるわ」
メニラは苦笑した。助けてくれた恩があるからそのくらいのことは喜んでする。しかし、期待されているような面白い話などあるだろうか。
「時間はいくらでもあるんだもの。その間に思い出してちょうだいな」
その言葉に頷くとフィグはタオルを差し出した。足元に置かれた桶とそれを使って身体を拭くようにということだろう。礼を言うと、フィグはにこりと微笑んで部屋を後にした。
メニラは水に浸したタオルを絞りながらこれまでのことを考えた。メニラはこの二年くらいずっと旅をしてきた。ギルドの人たちに話すのはきっとその話がいい。
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