万聖節前夜祭

大出春江

万聖節前夜祭

「心霊写真館ってのはどうでしょう?」




 会話は数十分前にさかのぼる。


 都内某所にあるK高等学校、通称「K高」では例年十月末に文化祭を執り行っている。一般の生徒は自クラスの出し物に青春の汗を流すのだが、一部の物好きな生徒は部活単位での出し物を両立することになる。

 もちろん、私は「一部の生徒」ではない——はずだったのだが。


「せっかくだし今年は写真部でも何かやんねぇ? ほら、俺ら三年だし」


 埃が厚く被るほど古びた写真部の部室で、部長の森和也モリ カズキはいかにも今まさに閃いたように振舞って見せた。


「なるほど。だからここ数日、部長様は浮かれ気味だったってこと——」

「ヘックショイ!」


 私の渾身の皮肉が舞い散る埃に消えていった。


「ハァ、提出するアタシの身にもなってほしいわよ。まったく……」


 ため息をつくと、副部長の三枝美穂サエグサ ミホはアンケート用紙をパンパンと叩く。

 ……広がる沈黙。


 さて、どうしたものか。和也は当然として美穂も意外と乗り気に見える。――しかし、来年卒業しようという私たちのために新入生を巻き込むのも……。

 そう思い口を開いた瞬間、教室の隅から声が聞こえた。


「心霊写真館ってのはどうでしょう?」

「心霊写真!?」


 今年からの新入生、桐生健人キリュウ ケント

 普段無口な彼が話を切り出したことに正直驚いたが、それ以上の勢いで食いついた和也を前につっこむことはできなかった。


「ここの棚を見ていて思ったんです。新しく撮った写真とこの棚にある写真、混ぜ合わせてそれっぽく展示すればらしくならないか、と」

「たしかに、それならあと二週間でなんとかなりそうね。当日はハロウィンだし」


 時間も残り少ないということで、なあなあの流れで決まることになった。




 翌日から心霊写真の撮影が始まった。もっとも、幽霊の皆々様をカメラに写すのは難しいので私たちは2つのグループに別れることにした。

 一つは和也と美穂が担当する''コスプレ写真班"。本格的なものからコミカルなものまで、コスプレや小道具を利用して心霊写真を作り上げる。


 もう一つは私と健人が担当する"加工写真班"。

 健人が機械の扱いに富んでいることもあって、私の撮る写真を加工してそれっぽく見せるらしい。

 美穂は仕事量が偏ることを心配していたのだが、健人自身がやりたいというので任せることにした。


 仕事が決まってからは早かった。

 コスプレ班は『K高七不思議!』と銘打って学校のあらゆるところに、あらゆる時間に撮影を行った。実のところ、和也は勢い任せな性格もあって心配だったのだが、美穂の真面目さと相まって写真のクオリティが日に日に上がるのがわかった。


 一方、我々の加工写真班というと――




「まあ、こんなところですかね」

「そ、そうなのか……?」


 写真の加工が作業の大部分を占めるということで、私の作業量は健人や残りの二人と比べてもかなり少なかった。


「先輩は写真を撮るのが上手いですからね。今日が二十三日、今しがた先輩に撮って頂いた七枚の写真を一日一枚加工していけば充分でしょう」

「……わかった。他に手伝えることはない?」


 健人は腕を組み、それから顎に手を当てる。


「そうですね。それでは少しついてきてください」


 やや足早に前を行く健人になんとか食らいついていると、旧校舎の一階、教室脇の廊下に到着した。


「午後三時、ここでいいでしょう」

「……? えっと、何を撮ればいいかな」

「先輩はそこに立っていてください」


 そういうと健人は五、六メートルほど離れていき、ポケットから取り出したカメラで私を撮影した。


「これはどういうこと?」

「…………ああ。失礼しました。明日から文化祭前日の三十日まで、先輩には被写体になってもらおうと思いまして」

「……?」


 そうこう話していると健人の持っているカメラから音が聞こえた。


「あ、それもしかして」

「ええ、ポラロイドです。味があるでしょう?」


 健人は印刷された写真を見ると私に手渡した。


「明日から一週間、先輩にはこの写真と同じ場所、同じ時間に同じポーズでカメラに写ってもらいます。それを僕が加工。一週間分の写真に徐々に変化が……というのも面白いかもしれません」

「そんなことでいいならいくらでも手伝うけど、余計に健人の仕事が増えるんじゃ」

「そう思ってくれるなら。今差し上げた写真、大切に生徒手帳にでも挟んでおいてください」


 後輩の提案を無碍に扱う理由もなく、写真は大切にしまい込んだ。







 ——目が覚めると真っ暗な教室に一人だった。

 時を刻む壁掛け時計の秒針がうるさく響いていた。


 あたりを見渡すと教室のいたるところに写真が貼ってある。

 思い出した。ここは心霊写真館に割り当てられた教室だ。明日の文化祭を前に出来上がった写真を飾っていたところ、うたた寝してしまったらしい。

 時計は十七時を指している。


 教室から出ようとしたその時、廊下から声が聞こえた。和也と美穂の話声、察するにこの教室が目当てだろう。

 しめたとばかりに物陰に隠れる。


 しばらくするとガチャリと音がして教室のドアが開く。


「――だから何でもないって」

「ンなこと言ったって心配なもんは心配なんだよ」


 妙に殺気立った会話が聞こえる。


「そんなに言われてもないものは証明できないわよ」

「……頼むぜ美穂、俺に信じさせてくれよ」

「……ハァ、無理なものは無理、諦めて」


 驚かせてやろうと思ったが、どうやらそんな雰囲気でもなさそうだ。ちらりと物陰から様子を覗く。

 美穂は教室を歩きながら写真を眺めている。彼女のことだから、きっと前日のうちに教室の最終チェックをしたかったのだろう。

 和也は不服そうな顔でその後ろをついていく。

 美穂の表情を見るに、写真の配置は問題なさそうだ。


 ほっと胸をなでおろしたその時、二人の足が止まる。


「あら、こんな風景写真もあるのね。このどこかにお化けでも映り込んでるのかしら?」


 美穂は健人の加工した写真に食いついたようで、数枚の写真たちと本気のにらめっこを始めた。

 副部長の目に留まるほどの写真に仕上がったのなら、それを撮影した私も写真家冥利に尽きるというものだ。




 その時だった。


 和也の右手に何かが握りこまれている。あれは、カッターだろうか。

 一瞬で私の頭は真っ白になった。まさか、想像したくもないが、もしもその想像通りのことを和也がしてしまったら。

 そう考えると体が強張った。


 和也の右腕が振りあがる。


 まずい、身を乗り出して止めなくては。

 物陰から出ていこうとした瞬間、和也の身体がピクリと動き、静止した。

 キョロキョロとあたりを見渡す。一瞬、目が合ったような気がした。


「うーん……、あまりよくわからないわね。そろそろ帰りましょうか」

「ん、ああ。そうだな」


 一瞬の出来事に動揺しながらも、物陰に隠れて二人が出ていくのを待った。

 ガチャリと扉の閉まる音がして、それから音の立たないように物陰を出た。




 先ほどまで人がいたとは思えないほどシンと静まり返る教室にどこか恐怖を覚えた私は、一目散にその場を後にした。

 文化祭前日とはいえ先生方が下校を促していたせいか、廊下にも教室にもほとんど生徒の姿はなかった。


「あれ、どうしたんですか先輩」


 背後から呼び止められる。


「びっくりした! 健人か、そっちこそどうしてここに?」

「教室に用があって。その前にお手洗いにと……それで、先輩は?」


 動揺していた私は自分が見た光景の一部始終を伝えた。

 健人は最後まで表情を変えず、淡々と事態を飲み込んでいるようだった。


「……なるほど、わかりました。僕も気がかりなことがあるので、明日朝に部長と話してみようと思います。よければ先輩も、明日の朝一番に部室へ来てください」

「了解。それじゃ、また明日」







 ——翌朝、部室へと向かっていた。

 和也と話をしてみると言っていたが、具体的に何を話すのだろうか。そうこう考えているうちに部室前に到着する。


 ドアノブに手をかけた時だった。

 ガタン、と何かが倒れる音がした。


 急いで扉を開ける。


「大丈夫!?」


 目の前に健人が倒れこんでいた。


「あ、先輩。おはようございます」

「本当に大丈夫なことがあるか!」


 想像以上に明るい返事だったためついツッコミを入れてしまった。


「和也は?」

「もう少しで来るかと……。それよりも先輩、これを被ってください」


 そういうと健人は机の上に丸めてあったシーツのようなものを投げつけた。

 いわれるままに被って見せる。


「……これは?」

「ハロウィンの仮装ですよ——というのは表向きの理由で、先輩にはこの後の部長との会話にそれを被って参加してほしいんです。あと、何があっても声を出さないでくださいね」


 どういうことか説明を聞こうとした時、廊下から足音が聞こえた。


「ほら、来ますよ」


 健人がよく頭の回る人だということは充分理解していた。きっと理由があるのだろう、そう考え口をつぐんだ。




「おはよっす……って、だれこの人」

「僕の友人のお化けくんですよ。まあ、そんなことよりも部長と話したいことがありまして、よろしいですか?」

「お、おう。別にいいぜ?」


 そういうと和也はそこらの椅子に腰かけた。


「単刀直入に言いますね。昨日の夕方、教室で副部長にカッターを向けたというのは本当ですか?」


 和也はぎょっとした目で動揺する。


「それどこで! もしかして美穂が?」

「いえ、隣にいるお化けくんが」

「見られてたってわけか……」

「廊下からチラッと見えたようで、写真部のことだからと僕のもとへ。――それで、本当ですか?」


 和也の表情に動揺はなくなっていた。どちらかといえば覚悟を決めたような、そんな顔だった。


「事実だよ。ついカッとなっちまってな……。正直、自分でも驚きだ」

「なぜそんなことを?」

「……それは……まあ、話しとくべきだよな」


 言いずらそうに首をかしげてから口を開いた。


「健人、おまえ美穂と放課後なにしてるんだ?」

「最近は副部長に勉強を教わってます」

「本当に?」

「ええ、自分でいうのもアレですが、僕って見た目以上に勉強が苦手なんですよ。副部長は学年トップの成績ですし、最近時間があれば要点だけでも教えてもらっていたんです」


 それを聞いた和也は腕を組み、ギュッと縮こまった。


「実はな、美穂がここ最近ふらっとどこかに行くもんだから浮気か何かしてるんじゃと思ってな……。だが、そうか。お前の言うことなら信じるよ」

「昨日の事件はそれが原因で……?」


 和也は静かにうなずいた。


「それは、すみませんでした。部長と副部長は付き合っているのに、僕がひとこと部長に伝えるべきでした」

「いや、それはいいんだ。事情が分かればそれで」


 わずかに沈黙が流れる。

 まさか二人が付き合っていただなんて、同じ部活にいながら気づけなかった自分が恥ずかしくて仕方がない。


「それで……その。話ってのはこれだけなのか?」

「ええ、部長と副部長の話はこれ以上しません。――ただ、昨日の事について少しだけ聞きたいことがあるんです」

「ここまで来たら何でも話すぜ」


 健人は私に向かってちらりと目くばせをした。


「昨日の十七時ごろ、お二人は何をしていたんですか?」

「ああ、美穂が教室を確認したいってんで職員室で鍵を借りて……それでさっきの話があって、教室を後にして。そういや昨日廊下で会ったろ? あれが丁度その帰り道だよ」

「――言われて思い出しました。その時に部長から教室の鍵を受け取りました。それで、一つ質問なんですが。部長が教室に入るとき鍵は閉まってましたか?」

「そりゃもちろん。てか、開いてたら俺が先生にどやされちまう」

「そうですよね。失礼しました、話は以上です」







 気が付くと和也はいなくなっていた。


「先輩、話があるんです」


 私は促されるまま椅子に腰かけた。




「昨日、先輩はどうやって教室に入ったんですか?」


 どうやって……って、扉から普通に。


「鍵の掛かっている教室に?」


 閉まってなかったんじゃないかな。


「曖昧ですね。そもそも、開いてるはずはないんです」


 なんで?


「僕が閉めたからです」


 閉め忘れたんじゃ?


「そんなことはないはずですが。では、先輩はいつから教室にいたんですか」


 ……さあ。


「そうですよね。わからないはずです。基本的に記憶は脳に残るものであって魂には残りません。特別に印象的に感じたもの以外は」


 意味がわからないな。


「先輩、あなたは二週間前に写真部の部室で出し物を決めたあの瞬間を覚えていますか?」


 忘れるはずないよ。


「では昨日の午後、先輩は教室に入る前に何をしましたか?」


 それは……パッとは思い出せないけど。


「それが全てですよ」







「あなたはもう死んでるんですから」







「先輩、あなたはこの世のものではないんです」


 どうしてそうなる。


「今のあなたには短期間で得た印象的な記憶しか残っていない。例えば、僕があなたをポラロイドで撮った初日、これは覚えているでしょう。でも、昨日撮ったことは覚えていない」


 そんなことは——。


「先ほど答えられなかったじゃないですか。――まぁもっとも、嘘ですが」


 ほらやっぱり、記憶にないわけだ。やってないことは記憶にないよ。


「…………」


 ……まさか。


「そういうことです。信じていただけましたか?」


 信じられるはずない、自分が死んでるなんて。


「そうですか……。あまり使いたくはなかったんですが」


 内ポケットから写真……? 何を……。


「これはこの一週間、同じ場所、同じ時間、同じポーズで毎日撮った写真です。先輩も初日は覚えているんじゃないですか?」


 それは、そうだけど。それがどうかした?


「この写真は正真正銘の心霊写真なんですよ。日付順に並べてよく見てください。先輩から延びる影が徐々に濃くなっている」


 ……たしかにそうだね。でも、健人ならそんな加工くらい簡単なことでしょ?


「おっしゃる通りです。僕にとってこの写真を加工することは造作もありません。――が、もしもこの写真が『本物』だとしたら? それを裏付ける証拠があるはずなんです」


 証拠って刑事ドラマじゃないんだから。なに、指さして。…………。


「お気付きのようですが、その通りです。――生徒手帳。先輩を撮影したのは正確には一週間、七日間じゃありません。八枚目の写真があるはず、いやゼロ枚目といったほうがでしょうか」


 …………。


「先輩は賢い人です。先ほど部長が教室の鍵が閉まっていたと話した時点で、なんとなく察してはいたのでしょう?」


 さあ、どうだろうね。


「今の僕は先輩の魂と直接会話しているような状態です。先輩の身体は先ほどから口を動かしてませんよ」


 ……私が幽霊だっていつ気付いたの?


「いわゆる霊感です。こう見えて寺生まれ寺育ちなんです」


 そっか。それにしても、なんで化けて出ちゃったんだろうね。自分の知らない未練か何かがあったのかな?


「それはわかりませんが、今日はハロウィンですから。あの世との境目が薄くなるらしいですし、きっとそれでしょう」


 まさか、化けて出た人間がお化けの仮装をするだなんてね。こればっかりは忘れられないな。


「……、どうかされましたか」


 いやぁ、私が化けて出た意味ってあるのかな、なんて思ってね。


「化けて出るのに意味なんて基本ありませんよ。――でも、それで救われた人がいるんですから、よくやったほうでしょう」


 ——よくやったほう、か。


「……そろそろ時間のようですね。霊は自分の死を理解すると消えるパターンが多いですから」


 なるほどね。

 ——ありがとう




 それじゃあまた、次の万聖節前夜祭ハロウィンで。

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