第3話:海辺のヘリコプター

キャンディーズの解散は1978年

ピンクレディーの解散は1981年

解散を知らせるそのどちらのニュースも、三浦海岸の家で聞いたと思う。

夏、三浦海岸には、キャンディーズやピンクレディーが来た。

不確かな記憶ではあるが、浜辺のステージにはヘリコプターで降りてきたような覚えがある。

夏の海岸は一面の人だかりだった。


昔、夏の浜には「海の家」がたくさん立ち並んだ。

母がまだ独身で実家にいた頃、海辺から近い祖父母の家は、海水浴に来たお客さんを受け入れる「海の家(保養所)」を、夏の間だけ自宅で開いていたらしい。

鯵のたたきや魚の煮つけなど、祖母や娘だった母がお料理を作ってお出しする。

あの神経質で人見知りの塊のような祖母が!?…と信じられない思いだった。

あの頃、このあたりの家の人はみんなやっていたんだよ、と母から聞いた。

海水浴に来るお客さんの数と、サービスを提供できる施設の供給数が見合わず、普通のお宅が民宿や保養所のように、お客さんを受け入れていた時代があったようだ。


昨年、祖母を三浦海岸の自宅で看取ることができた。

祖母の意識がまだ少しあったある日の午後、家の片づけをしていた母が思わぬものを見つけてきた。

昭和30年代に祖母が取得した調理師免許の合格証書と教科書。

「おかあちゃん、こんなのでてきたよ。もう使わないよね。捨てていい?」

「あぁ、もう使わないね。捨てな。」

自宅で開いた海の家でお客さんにお食事を出すために取得したらしい。

祖母が調理師免許を持っていることを、祖母の死の間際まで知らなかった。


そんなことより、それ今捨てるのか…。そりゃもう使わないだろうけれど。

ふたりともあっさりしたものだ。


そういえば、祖母の料理はとてもおいしかった。

派手な料理ではないけれど、食べ飽きないよい味付けのおかず。

ガス窯で炊いたふっくらとしたおいしいご飯。

ほうれん草の胡麻和えや金時豆の甘い煮豆。小鯵の酢の物。

鰤大根やカマスの塩焼き。わかめの御御御付。


祖母が90歳に近くなった頃からだっただろうか。

あんなにおいしかった祖母のお料理が、いつの日か「特別においしい味」にキマらなくなっていった。


一日の多くの時間をベッドで横になって過ごすことが多くなった頃、時々、祖母の隣に座ってふたりで静かにお話をした。

「わたし、家事が嫌いなんだ。お料理も全然好きになれない。」

そう祖母に打ち明けたことがある。

そんなこと言わないで女なんだからがんばりな、そういわれると思った。

「おばあちゃんも家事は大嫌いだよ。料理なんて一番嫌いだよ。」


目からうろこだった。なんだ、遺伝じゃん。

祖母はお掃除もお料理も全部が得意で、家事が大好きな人だと思っていた。

「でも洗濯はわりと嫌いじゃないよ。」

そう言って祖母はちょっと悪い女の顔をした。

ふたりでくすくす笑った。わたしもお洗濯だけはかろうじて嫌いではない。


祖母はよく「免状を取って本雇いになりなさい」と言っていた。

実はお料理の嫌いだった祖母が取得した調理師の国家資格。

三浦海岸から海水浴客が減り、海の家をしなくなった祖母は、近所にあった大きな企業の保養所に正社員として雇用され、60歳の定年退職日まで丁寧に働いた。


免状を取って本雇になりなさい。

その言葉の中に、私の知らない祖母がたくさんいるように思う。


今年「三浦海岸海水浴場」は、海水浴場組合員の高齢化や後継者不足によって、開設されなかった。

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