第四十話 残された人々のかなしみ

 月姫つきひめを包み込んだ光る球体が月に吸い込まれてしまうと、辺りには暗闇が立ち込めた。

 十五夜の月は美しく輝いていたが、それは昼間のような明るさではなく、夜の月のきらめきであり、藍色の夜空に静かに白銀の光を滲ませるにとどまっていた。

 左大臣邸に集まった人々はようやく呪縛が解け、少しずつ動くことができるようになっていた。


「月姫……!」

 一人、凍り付くことなく光る球体に向かっていた桂城帝かつらぎていは、月姫が光る球体に包まれて天に昇って行くのを見て、床にうずくまり涙を流した。

 呪縛から解かれた孝真こうまは帝に寄り添い、充真みつざねたちは帝を気にかけつつも、呆然と立ち尽くし、残った者同士で肩を寄せ合った。


 しばらくするとすすり泣きが聞こえて来た。

 淑子としこが袖を目にあてて、静かに泣いていた。

 すると、朝扉あさとも泣き、充真みつざね孝真こうまたちも涙を流した。


「月姫……」

 帝の呟く声が細く聞こえた。

 冷たい月の白い光と、そこここに落ちている暗闇と、人々のすすり泣きが屋敷中で聞こえて、悲しみがまるで光の粒のように切なく満ち満ちているようだった。

 すすり泣く声はいつ止むとも知れなかった。



 月姫が光る球体に包まれて天に昇っていた、という噂は瞬く間に広がった。

 やはり、神さまの使いだったのだ、と皆は噂し合い、いろいろな揉めごとが解決されたから帰っていったんだ、という話にも発展していた。


 月姫と近くで接していた者たちは、物事がうまく手につかないこともあった。

 ただ、そのような中でも時は過ぎ、朝扉あさとのお腹はどんどん大きくなっていった。

 最初は月姫がいなくなった悲しみにくれていた朝扉あさとだったが、変化する自分の身体と母親になる意識とともに、背筋を伸ばして生活するようになっていった。もちろん、夫である伊吹いぶきも同様であった。

 その様を見ていた孝真こうまも、目を細めつつ、自分がしっかりしないといけないと思ったし、淑子や充真みつざねたちも、命の誕生を前にして立ち直っていっていた。


 ただ一人、桂城帝かつらぎていだけはそうは出来ないでいた。

 政務は行う。

 その際は、きちんと切り替えて悲しみの欠片も出さないで動く。

 しかし、一人になると、どうしても月姫のことを考えないではいられなかった。

 夜空の月を見るたびに、月姫のことを思った。

 ……どうしてもっと強い力が出なかったのだろう?

 桂城帝かつらぎていはそう思い、自分の手のひらを見た。

 あの、不思議な風の力は、その後発動しなかった。あのときだけ、出来たことだった。

 あのような力が出た、はっきりとした理由は分からなかった。しかし帝はこう解釈していた。月姫を守ろうとして奇跡的に出た力なのだと。……もっと強く願えばよかったのだ……。



 ――月姫が去って、三月みつきになろうとしていた。

 霜月しもつき(十一月)の初め、朝扉あさとに赤子が生まれた。

 美しい、女の子だった。

「月姫さま、赤子が生まれましたよ」

 朝扉あさとは月に向かって言う。


 月は、少し揺れて金と銀の粒をこぼしたように見えた。

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