十一章 月姫の昇天

第三十七話 伊予の国で授かった

凛月りる、そろそろ帰る日にちを決めなさい』

『……もう少し時間が欲しいです』

『審判の裁きは終わったし、憂いはないではないか』

『長くこちらにいたから、ゆっくりとお別れをしたいのです』


 もう桜の時期になっていた。

 去年の管弦の宴のことを月姫つきひめは思い出す。

 ……あの日、あたしはとても幸せだった……。


『どうして、そんなに第七階層にこだわる? 最初は嫌がっていたではないか』


 本当にそうだ。

 月姫は第七階層に落とされた日のことを思い出した。

 絶対に嫌だと思ったし、すぐに帰るのだと思っていた。

 だけど。


『……気持ちは変わるものです、月白つきしろさま』

 愛を知って。


『それでも、第一階層に戻らねばならぬぞ、凛月りるよ。魂の管理者としての、お前の仕事があるのだから』

『分かってます。――葉月(八月)の十五夜まで待ってくれる?』

『……数ヶ月先ではないか。……まあいい。では、葉月(八月)の十五夜に第一階層に帰還せよ』

『はい、月白さま』


 通信を終え、月姫は夜空に輝く月を眺めた。

 望月(満月)を少し過ぎた居待月いまちづきが昇っていた。座って待っているうちに月が昇るから、居待月と言う。

「帝……」

 あたしが会いたいと思って、待っているのはいつでも桂城帝かつらぎていなんだ。



 月白と交信し、帰還を葉月(八月)十五夜と決めた翌日のことだった。

朝扉あさと? 体調悪いの?」

 いつもなら朝早く起きててきぱきと働く朝扉あさとが、いつもより遅い時間に現れ、しかも青い顔をしていた。

「……月姫さま……うっ――す、すみません」

 朝扉あさとは口を押さえてどこかに走って行った。

 しばらくして戻ってきた朝扉あさとはやはり顔色が悪い。


「ねえ、朝扉あさと。体調が悪いなら、休んだらいいと思うわ。風邪かしら? 疫病はもう治まったから、疫病ではないと思うけれど」

「……違うんです。あたし、妊娠したみたいなんです」

「えっ⁉ お腹に赤子がいるの⁉」

「月のもの(生理)が来ていなくて。医師くすしに診ていただいたところ、妊娠しているとのことです。昨日辺りから悪阻が始まったみたいで、気持ち悪くて。――すみません」

「謝ることじゃないわ! すごくおめでたいことよ」


 言いながら月姫は、朝扉あさと伊吹いぶきの赤子には会うことは叶わないであろうと思い、さみしくなった。


「ありがとうございます」

「ねえ、身体を大事にしてね。無理しなくていいのよ」

「月姫さま……」

「……お腹、触っていい?」

「まだぺったんこですよ? ……どうぞ」

「ありがとう」


 月姫は朝扉あさとのお腹をそっと触った。

 この中に、第一階層から降りて来た魂が入っているのだ、と思うと感慨深いものがあった。

 朝扉あさとの赤ちゃん……見たい!

 それに、命を落とす危険もあるという出産のとき、そばにいてあげたい。


「ねえ、いつ生まれるの?」

「霜月(十一月)の初めだと言われました」

「そう。楽しみね」

「はい! ……月姫さま。あの、たぶん、この子は伊予の国(愛媛)で授かったんです」

「え? でも、伊吹はいなくて――あ! 帝といっしょに来た、あのとき?」

「そうです。あたしたち、ずっと会えていませんでした。でも、赤子が出来て……あのときしか考えられないのです」

「そう……嬉しいわ!」

 月姫がそう言うと、朝扉はにっこりと笑って言った。


「伊予で、月姫さまと赤子の話をして……そのときはまだ、赤子はいなくて。でも、そのあとすぐに授かって……不思議ですね」

「本当に、不思議なえにしね」

「そうですね。――月姫さまは、まだ?」

「え?」

「赤子です」

「――まだです! ……だって、まだ結婚していないもの……」

 月姫は、最初は顔を赤くして大きな声で言ったが、最後の方は尻すぼみに声が小さくなってしまった。

「色々ありましたからね」

「うん、そうね」

 でも、桂城帝かつらぎていと結婚することはもう出来ないのだ、という思いが月姫の中に満ちて来て、月姫の目から涙がぽろりとこぼれた。

「月姫さま、大丈夫ですよ。帝がきっとなんとかしてくださいます」

朝扉あさと、ありがとう」


 帝も離さないと言ってくれた。

 でもそれはどうしたって、無理な話だと月姫には分かっていた。

 朝扉あさとの赤ちゃん、見たかったなあ。

 そして、大きくなっていくさまも見たかった。きっととてもかわいいのだろう。

 朝扉あさと、身体を大切にしてね。そして、元気な赤ちゃんを産んで。


「ねえ、もう一度、お腹を撫でていい?」

「いいですよ」


 月姫は朝扉あさとのお腹をそっと撫でながら、口の中で「歓びの歌」をうたった。

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