第三十六話 恋死なましを

 桂城帝かつらぎていに抱き締められながら、月姫つきひめは、それはかなわないことだと分かっていた。だけど、帝の気持ちが嬉しくて、帝の腕の中でその温もりを感じていた。


 帝は月姫の耳元で優しく囁く。

「月姫。訊いてもいいかい? 罪を犯した、とはどのようなことをしたのだ?」

「……それは、あたしがあまりに子どもで――誰かを大切に思う気持ちが分かっていなくて、そのため、色々な人に不快な思いをさせたということなんです」

 月姫はそこで顔を上げて、帝を見つめた。

 そう、こんな気持ちを知らなかった。

魅了チャーム〕で操られた好意と、本当の愛情の区別がまるでついていなかった。

 愛する人を奪われた人の気持ちも分からなかった。

 ……本当に、子どもだった。

 月姫は、自分の過去の行いに胸が痛んで、また涙が、美し目からこぼれ落ちた。


「でも、今では分かっているよね? 大切に思う気持ちを」

 帝はそう言って、月姫の頬をそっと撫でた。

「はい」

 月姫は、自分の頬を撫でる帝の手に自分の手をそって重ねて答えた。

「……都に戻って来たのに、なかなか会いに来てくれなかったのは、帰らなくてはならなかったからかい?」

「……はい」

「――さみしかったよ、月姫。私は本当にあなたに会いたかったのだ。あなたに会って、あなたの声を聞いて、あなたを抱き締めて――こうして」

「帝」

「あなたの香のにおいだ。……とても心が落ち着くよ。あなたとの文のやりとりはとても好きだけど、やはりこうして触れていたい」

「あたしも」

「ねえ、月姫。私は本当にあなたが好きなんだよ。……愛しい人。私にはあなただけだ」

「あたしも。……あたしも、あなただけです。あなただけを愛しています……!」


 二人はお互いの温もりと腕の力を感じていた。そして、いっそ一つになってしまえたらいいというような気持ちが芽生えて、抱き締める腕の力を強くする。

 このまま。

 このまま、帝の腕の中で溶けてしまえばいいのに。

 月姫は、帝の香と自分の香が溶け合ってよいにおいが辺りに漂っているように、帝と自分も身体の境界を失くして、溶け合って一つになってしまいたいと思った。

 桂城帝かつらぎてい……。


「帰らせないよ。決して」

 桂城帝かつらぎていは月姫を抱き寄せ、きつくきつく抱き締めた。

「帝……!」


 でも、桂城帝かつらぎてい

 あたし、月白つきしろさまと約束してしまったんです。

 疫病を収めるために、第一階層に帰ると。

 ……きっと、それからは逃れることは出来ない。

 月白さまは約束を守って、疫病を止めてくれた。……だから、あたしは帰らなくてはいけない。第一階層に。

 こんなに愛しいのに――

 月姫は桂城帝に包まれながら、本当はずっとこの人といっしょにいたい、と強く思った。


 こんな気持ち、初めて知った。

 自分よりも大切でそして世界の中で、何よりも特別な人。

 最初は顔が好きだと思っていた。

 だけど、今では顔だけではなくて、桂城帝かつらぎていの何もかもが、月姫には愛しいものだった。和歌もその文字も、話し方も声も、香のにおいも佇まいも――そして物事を見通す目を持っているところも――優しいところも、気遣いがあるところも。

 抱き締める腕も。

 伝わる温もりも。

 息遣いも。

 ……この人と離れたら、生きていけないような気さえ、してしまう。




 天ゆけば恋死なましを 君なくて逢はで過ぐせる我にあらねば


(ここから天に昇って上の世界に行ったら、きっと恋しくて死んでしまいます。あなたがいない世界なんて……。あなたに会わないで過ごすことが出来るあたしではなくなってしまったのです。)




 かた糸を君と我とによりかけむ 玉の緒までも絶ゆることなし


(固い片糸をあなたと私にかけて結んでしまおう。固く決して解けぬように。そうして、魂も繫がって二人が決して離れ離れにならないように。)




「離さないよ、月姫」

「帝……」


  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る