第三十四話 月姫の歌声

 久しぶりの都。

 久しぶりの家、そして。


月姫つきひめ! お帰りなさい」

「お母さま!」

 月姫は淑子としこと再会を喜びあった。

 懐かしい。

「月姫、よく帰還した」

孝真こうま兄さま! お久しぶりです」

 孝真こうまの顔を見たら、月姫は胸がいっぱいになった。

 ああ、やっと帰って来たのだ……!


「……都はどのような状況ですか? 右大臣家は?」

 月姫が問うと、孝真こうまは厳しい顔になって言った。

「――疫病が猛威をふるっている。なかなか収まる兆しはない。祈祷はしているのだが。……右大臣治為はるなりさまは――死んだ。桂城帝かつらぎていが戻る前に」

「……そう」

 月姫は目を伏せた。そして、顔を上げて孝真こうまの顔を見て、訊いた。


雅為まさなりさまは?」

「……橘雅為たちばなのはるなりさまも彰為あきなりさまも高熱が続いている。だが、死んではいない。……まさか、こんなことになるとはな」

 建春門けんしゅんもん焼失、噂話、そして配流。

 その裏で糸を引いていた、雅為まさなり


治為はるなりさまが右大臣となり、宮中を我が物顔で歩き――帝が不在になったら何かを仕掛けてくるであろうから、そこで敵対勢力を一網打尽にする計画であったのだが。……なんとも後味の悪い、結果となった」

「そもそも、先の右大臣も疫病で亡くなっていたのよね」

「そうだ。恐らく、そこから感染が広がったものと思われる」

「……雅為まさなりさまは……快復するかしら」

「分からない」

 月姫は建春門が焼けた日の雅為まさなりを思い出していた。

 あの雅為まさなりさまが……死ぬ?

 野心を冷たい目の中に隠していた。でも、死んでいいとは思えなかった。

 自分を酷い目に遭わせた張本人であっても。


「そういえば、もう一つ、月姫に報告することがある」

「なんですか?」

「――鈴子すずこさまが出家された」

「え?」

「……まあ、本人の意志というよりも、周りに勧められて、という状況だが。祖父が亡くなり父が亡くなり、兄たちまでも疫病に罹り――恐怖で怯えた橘家の人々が出家させたらしい」

「そうなの。……鈴子さまが……」


「……鈴子さまはいつまでも童女のようで。もう十六歳になられるのですが、中身は五歳の女の子だ。そして、自分の意志というものがあるかどうかも疑わしい。出家に関しても、嫌だとかそういう反応もなかったようだ。……かわいそうな人なのかもしれない。家の思惑に左右されるだけの人生だ。――月姫」

「はい」

桂城帝かつらぎていと鈴子さまの結婚は、形式だけのものだったよ、月姫。……前にも言ったことかもしれないが。あのお二人の間には何もなかった、と思う。――月姫、心配いらないよ」

 孝真はにこりとした。


「お兄さまっ」

 話が思わぬ方向に行き、月姫は赤くなった顔を手で覆った。

「だからお前は何も気にせず、帝と結婚すればよいのだよ。皆、それを望んでいる」

「……お兄さま……」

 でも。

 あたしは帰らなくてはいけないのです、いずれ。

 第一階層に。

 ……桂城帝かつらぎてい……



月白つきしろさま、都に戻ったわ』

『月姫、いや、もう凛月りると呼ぼう。凛月りるよ。早く第一階層に戻ってきなさい』

『……月白さま。あたし、第一階層に帰ります。でも、その前にまずは疫病を――裁きを止めたいのです。都に戻ったら、具体的にどのようにすればよいか教えてくれるって言っていたわ』

凛月りる。第一階層で、魂にうたっていた歓びの歌を覚えているか?』

『もちろんです。仕事でしたから』

 魂が生まれ出るとき、歓びで溢れているように願ってうたった歌を月姫は思い出していた。

『それを今度の満月のとき、月に向かってうたえ。歌声は月を中継し第一階層に届き、そしてそこから、歌の効果が第七階層第八エリアに行き渡るだろう。お前は〔魅了チャーム〕を歌声に込めろ。ウィルスが消滅するように』

『〔魅了チャーム〕を?』

『そう。〔魅了チャーム〕は奥深い異能力なんだよ』



 望月(満月)の夜が来た。

 藍色の空に、望月の丸い月は大きく、白く銀色に輝いていた。

 月光の光は夜空に滲み、辺りを明るく照らす。

 月姫は立ち上がり、息を大きく吸った。

 うたう。

 第一階層の言語は、不思議な音色となって辺りに響き渡る。

 空気に溶けて広がるような、そして天に伸びていくような、流れるような歌声。

 高く澄んでいて、人の心に入り込む音色。

 ピアニシモは細くしっとりと響き、フォルテシモは力強く心を揺さぶった。

 まるで音が光となって夜空に撒き散らされているかのよう。

 望月の月光と歌声のきらめきが、夜の空を美しく輝かせていた。

 天の川の星々が降って来るような錯覚があった。

 誰のうえにも月と星のきらめきが降り注ぎ、皆、身動きも取れずに美しい夜空を見上げたのだった。



『これで裁きは止まるだろう』

 うたい終わったとき、月白の声が月姫の中に落ちてきた。

『帰還の準備をしなさい』

 月姫の頬に涙がひとすじ流れた。


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