十章 帰京――そして、帰還へ

第三十三話 月姫、帰京する

 第一階層には、老いも病もなかった。

 魂の管理をする特別な階層だったから。

「死」の概念すら遠く、肉体の使用期限が近づくと、新しい肉体を用意し、また第一階層に赤子としてするのだった。そのようにして、管理者たちはずっと、第一階層に留まり、そこで魂をさまざまな階層へ送る仕事をしているのである。

 ただ、ときおり第一階層から別の階層へ生まれることを望むものがいて、そうなると別の階層の魂が第一階層に加わることとなる。

 月姫つきひめもそうして第一階層に出現した。


 あたしはどうやって、死を迎えたのかしら? 別の階層で。……もしかして、疫病で、ということもあるのかもしれない。

 月姫は記憶のない、に思いを馳せた。

 都での疫病は猛威をふるっており、死者の数も尋常ではないらしい。医療技術も発達していない現状では、どこまで死者が増えるのか見当もつかなかった。

桂城帝かつらぎてい……」

 大丈夫かしら……。


 桂城帝かつらぎていは、橘右大臣治為たちばなのうだいじんはるなりの危篤と、そして彰為あきなり雅為まさなりの発病の報を受けた後、充真みつざね蒼真そうま慶真けいまと長い間話し合いをしていた。それはとても長い話し合いだった。そして、その後すぐに都に戻ることになったのである。ほとんどとんぼ返りだった。


 帝一行が帰京する日、月姫は桂城帝かつらぎていと短い別れをした。

「月姫、すまない。もう少し長く逗留する予定であったが……。宮中がひどく混乱しているから、私は戻らねばならい」

「……桂城帝かつらぎてい。どうか、お気をつけてください」

「月姫、大丈夫だ」

 桂城帝かつらぎていは月姫の頭を撫でた。

「何もかもうまくいく。――もう少しだけ、待っていてくれ」

「……はい」


 そうして桂城帝かつらぎていは船に乗り込み、都に帰って行った。

 月姫は船が見えなくなるまで見送った。

 月姫は心配をしていた。……桂城帝かつらぎていが疫病に感染したら、どうしよう? と。疫病は誰にでも等しく襲いかかる。感染したら死を覚悟しなくてはいけない。……帝が感染したら? と考えるととても怖かった。同時に、淑子としこ孝真こうまたちのことも心配だった。

 そして同時に思い出していた。――先日の月白つきしろとの会話を。

『すぐに帰って来なさい』

 月白は厳しい口調でそう言った。



『月姫、いい加減に戻って来なさい』

『だけど』

『そもそも流罪の段階で、第一階層に戻って来るべきだったのだ』

『しかし、あたしにはまだやることがあるように思うのです』

『……第七階層第八エリアでは疫病が流行しているだろう? 感染するとお前も死んでしまうよ』

『……はい』

『感染する前に戻って来なさい。お前までが審判による裁きに巻き込まれる必要はない』

『え? 裁き? どういうことですか?』

 月姫は震える声で訊いた。

『どういうことも何もないだろう? 疫病は裁きなのだよ。野蛮な行為には相応の罰が必要だ』

『だけど、皆が野蛮なわけではありません! それに、問題を解決しようともしています』

『――すぐに帰って来なさい』

『月白さま! 無関係のものまで疫病に罹ってしまいます!』

『……お前が、第一階層に戻って来るなら考えてやらないでもない。裁きの停止を』

 あたしが、第一階層に戻るなら?

 疫病が、止まる――?

『……分かりました。どのようにすれば?』

『まずは――』



 月白との約束を実行するためには、早く都に戻らねばならない。

 それまで、どうか桂城帝かつらぎていが、そして淑子が、孝真こうま兄さまや慶真けいま兄さまが、それから伊吹いぶきたちも皆、無事でありますように。

 あたしがきっと何とかしてみせるから。

 月姫は手をぎゅっと握り締めた。



 帝一行が帰京して半月ばかり経ったころ、月姫が部屋に一人でいると、屋敷の気配が慌ただしくなった。

 ――どうやら誰かが来たらしい。……もしかして?

「月姫さま。都から慶真けいまさまがいらっしゃいました」

 ほどなくして、朝扉あさとが、慶真けいまと共にやってきた。

「……慶真けいま兄さま!」

「月姫。迎えに来たよ。もう、都に戻っても大丈夫な状態になった。……帝がそなたを早く呼び寄せたがっている。――都に帰ろう」

 慶真けいまは笑顔で言い、月姫は思わず手で口元を抑え、喜びで叫び出したくなるのを堪えた。

 ……都に帰ることが出来る……!


「月姫さま! ついに帰れます! よかったですね」

 朝扉あさとは涙を流しながら言う。

 月姫は二人と喜びを分かち合いながら、決意を固めていた。

 都に蔓延している疫病。多くの死者が出ているらしい。絶対にあたしが止めてみせる!

 ……あんなに帰りたかった都に帰ることが出来る。嬉しい……桂城帝に会える……!

 月姫は、桂城帝の姿と声を思い出していた、

 疫病は――裁きは、あたしが止める。

 だからもう大丈夫。

 ……大丈夫だから……



 月姫たち一行は帰京の途に着いた。

 皐月さつき(五月)の配流から九カ月。暖かさを感じる弥生やよい(三月)の終わりに、ようやく都へ帰ることが出来たのである。

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