第三十二話 二人の時間と都からの使者

「ようやく二人きりだね」

「は、はい」

 月姫つきひめはどきどきしながら、桂城帝かつらぎていの横に座っていた。

 これと言うのも、朝扉あさとが清らかな姫だとかなんとか、変なことを言うから緊張するのよ!

 月姫は、桂城帝かつらぎていと少し距離を置いて座っていた。緊張して、そばには座れなかったのである。


「……月がきれいだね」

 帝は、月を見るために開けた半蔀はじとみ(窓)から外を見て言った。

「はい」

 月は白銀に光り、虹の輪を作っていた。

「ねえ、……もう少し、そばに行ってもいい?」

 帝は青みがかった瞳で、月姫をじっと見た。白皙はくせきの整った顔。……なんて美しいのかしら。ああ、やはり帝の顔、好きだ。とても。……好きなのは顔だけじゃないけれど。

 月姫が帝の目から視線を逸らせないまま答えられずにいると、桂城帝かつらぎていはにっこり笑って月姫のすぐ隣にまで移動した。


「……会いたかったよ」

 桂城帝かつらぎていは月姫の手をとると、手にそっと口づけをした。

「あ、あの!」

「……ずっとこうして、あなたの手をとりたかった、月姫」

「帝……!」

 桂城帝かつらぎていは月姫の手をぐいと引っ張り、月姫を自分の元に引き寄せた。

「本当に会いたかったんだ」

 懐かしい香りだ。

 帝のこう

 薫物たきもの合わせのときのことが、月姫には懐かしく思い出された。

 そして、抱き締められながら月姫は涙を流していた。

「あたしも、本当にお会いしたかったです……」



 桂城帝かつらぎてい一行が到着し、小さな宴が設けられた。

 桂城帝かつらぎてい一行は旅の疲れを癒したかったし、充真みつざねたちは都の様子を聞きたかった。

 宴は小さいながらもとてもよい雰囲気だった。

 桂城帝かつらぎていたちは海の幸に舌鼓を打ったし、充真みつざねたちは酒を飲みながら現在宮中がどのような状況かを聞いて、何かを考えているようだった。


 朝扉あさとは途中で伊吹と二人きりになったようだ。

 少し頬を赤らめて、月姫に頭を下げて伊吹とともにどこかに行った。

 ……いいな。

 桂城帝かつらぎてい充真みつざね蒼真そうま慶真けいまと長く話し込んでいたので、月姫がこうして桂城帝かつらぎていと二人で会えたのは、夜も更けてからだった。


 月が、とても美しかった。

 丸い月の周りには虹が出来ていて、白銀と虹の光の粒が降り注ぐようだった。月明かりだけで、とても明るい夜だった。

 二人でいろいろな話をした。寄り添って。

 離れていた間のこと、さみしかったこと。

 お互いの和歌の感想。

 話は尽きることがないように見えた。


 月姫は、青みがかった帝の目を見て、なんて懐かしくて愛しいのだろうと思い、桂城帝かつらぎていは月姫を見て、どうしてこんなに美しい人を放っておけたのだろうかと思った。

「月姫。結婚して欲しいって言ったこと、覚えている?」

「はい、もちろんです」

「――今すぐとはいかないけれど、待っていて欲しい。私と結婚して欲しい」

「……はい……!」

 月姫と桂城帝かつらぎていはまた、見つめ合った。

 ――そのときである。


 屋敷が急に慌ただしくなった。

「何だ?」

「使者が来たみたいだわ」

 月姫が帝と様子を伺っていると、蒼真そうまが現れた。

「帝、都より使者が参りました!」

「……私はいま着いたところだぞ」

「帝が出発されて数日後、恐ろしいことが起こり、急ぎ使者が遣わされたのです」

「何があった?」


「右大臣が――橘右大臣治為たちばなのうだいじんはるなりさまが疫病のため、危篤だということです!」

「何⁉」

「高熱が出て意識もないようです。使者がこちらへ遣わされるときは、あと数日の命だということでしたので、恐らく今頃は……。どうやら、治為はるなりさまの父親である、先の右大臣と同じ症状のようです」


 疫病……!

 そう言えば、朝扉がそんなことを言っていたわ。疫病が流行していると。

 先の右大臣って、治為はるなりさまの父親の守為もりなりさま? 守為もりなりさまが亡くなったから、右大臣の席が空いて、治為はるなりさまが右大臣になったと聞いたけど、疫病だったの⁉

 ……疫病って、インフルエンザとか? ウィルスが原因で起こるのよね、確か。

 月姫は第一階層にいたときの知識を思い出していた。

 第一階層には病は存在しなかったし、疫病も、ある階層以下でしか発現しないものだったが、知識としては持っていた。疫病で死を迎えて第一階層に来る魂も多くあった。


 月姫が考え込んでいると、桂城帝かつらぎていがつぶやくように言った。

「年末から疫病が流行り出していたが……そうか、橘治為たちばなのはるなりが倒れたか」

「さようでございます。実は、治為はるなりさまのご長男である橘彰為たちばなのあきなりさま、そして末の息子でいらっしゃる雅為まさなりさまも同じ症状だということでして。お二人とも高熱を出しているようです」

「何っ⁉」と帝が言い、月姫は「えっ」と小さく声を上げた。


 雅為まさなりが――恐らく、この一連の事件の黒幕が――病に倒れた?


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