第三十一話 都鳥

 白っぽい鳥が羽ばたいて幾羽も幾羽も飛んで行った。

 月姫つきひめが海辺を散歩しているときのことだ。

 あれは都鳥(ユリカモメ)……




 都鳥思ひを告げよかの人に空高く飛びけふに消えゆき


(都鳥よ。あたしの思いをあの人――桂城帝かつらぎていに届けて欲しい。都鳥は空高く飛んで、すぐに京に着いてしまうのだろう、もう姿も見えない。同じようにあたしも、今日、あの人の元に行きたい。)




「帝……」

 都鳥となって、飛んで行けたらどんなにいいだろうか。

 月姫は歌を口ずさみながら、そのように思った。そして、都鳥が行った方を見ながら、しばらく海を眺めていた。

 すると、後ろから名を呼ばれた。

「月姫さま」

朝扉あさと

 振り向くと、朝扉あさとがいた。


「風邪を引いてしまいますよ、寒いですから。今、京では疫病が流行っているとのことですし。お身体には気をつけてください」

「うん。……ごめんね、朝扉あさと。こんな遠くまで、あたしのために」

「いいんですよ。月姫さまのためですもの!」

「でも、伊吹いぶきと離れ離れになって、さみしいわよね」

「……それはまあ。……でも、それは月姫さまも同じでしょう?」

「だけど――あのね、あたしの方がなんだか、弱々しく落ち込んでいる気がしてしまうの。離れ離れでさみしいのは同じなのに、朝扉あさとはあたしよりもずっと強く思えるのよ」

「ふふふふ。それは、あたしが伊吹と夫婦だからですわ! 夫婦の絆があるんです」

「……そうなの?」

「そうですとも。――月姫さまは、帝とまだ正式に結婚したわけではないでしょう?」

「……うん」


 月姫は管弦の宴の日のことを思い出していた。

 あのとき、「……月姫、私と結婚してくれる?」と桂城帝かつらぎていは言った。

 なんて幸せな時間だったのだろう?

 あのあと、建春門けんしゅんもんが焼けて噂話が広がって――今は伊予いよの国(愛媛)にいる。帝のいる都から遠く離れて。


「月姫さまは、まだ、その、帝とあのその」

 朝扉あさとは何か言いかけて、顔を赤くしてごにょごにょと口の中何かを言っただけで、言葉を切った。

「なあに、朝扉あさと。はっきり言って」

 月姫がそう言うと、朝扉あさとは思い切ったように顔を上げて、月姫の目を見て言った。

「……月姫さまは、帝と接吻せっぷん(キス)したこと、ありますか?」

「は⁉ な、な、何言ってんのっ、あさとっ!」

 月姫は真っ赤になって叫んだ。

 その様子を見て、朝扉あさとはくすくす笑いながら言う。

「だって、月姫さまがはっきり言えって言ったんじゃないですか。……やっぱりなあ」

「……やっぱりって何よ」

「やっぱり、ですよ」

 朝扉あさとはなおもくすくす笑っている。

「だから、やっぱり、って何よ!」

「――月姫さまは清らかなお姫さまってことですよ」

朝扉あさとっ!」

 月姫は真っ赤になったまま叫ぶ。


 朝扉あさとったら朝扉あさとったら、何を言っているのかしらっ。

 そんなことは、結婚してからするものなんだもんっ。

 あ、ここは三日続けて会ってから――つまり、まあそのいろいろしてから、「結婚しました!」ってお披露目するんだったっけ?

 きゃん、よく考えると、なんて恥ずかしいしきたりなの⁉


 ――第一階層では、役所での手続きが大事だったわ。

 月姫は久しぶりに第一階層のことを思い返していた。

 第一階層では、赤子は「出現」する。親から生まれるものではない。

 ゆえに、結婚も子どものためではなく、お互いの絆の確認のためにするものであった。したがって、結婚の組み合わせは男女に限らなかった。男同士の場合も女同士の場合も、当たり前にあった。

 ずっと、結婚なんてどうしてするんだろうなあって思っていた。

 ……でも、今、絆の意味がよく分かった気がする。

 朝扉あさとは伊吹との間に確かな絆があるんだ。だから、あたしよりも落ち着いていられる。

 ……羨ましいな。

 あ。でも、そう言えば。


「ねえ、朝扉あさと

「何ですか?」

朝扉あさと、いつ赤子が出来るの?」

「は? 何をおっしゃっているんですか、月姫さま!」

「だってだって!」

「……赤子は神さまからの授かりものですよ。……伊吹とすごく仲良くなって、そうしたら、あたしのお腹にやって来るんです」

「お腹に……」

 月姫は朝扉のお腹をじっと見た。

「今はいませんよ。……伊吹と離れていますから。でも、きっとそのうち神さまが授けてくださるんです。とても楽しみです」

 朝扉あさとはにっこりと笑った。


 月姫はとても不思議な感じがした。

 第七階層の妊娠・出産に関しては、知識としては脳内にあった。

 だから、月姫が蒼真そうまと子を身ごもったという噂にも本気で腹を立てた。

 だけど、もし、実際に朝扉あさとのお腹の中に赤子が出来たら、本当にどんな感じなんだろう? 朝扉あさとは「お母さん」になるのだ。淑子としこのような。


 第一階層で、魂の管理者をしていたときのことを思い出す。

 第一階層の、あの魂がどこかの階層で、母親のお腹に宿る。新しい生命として。

 今こうしているときも第一階層では、零点源ゼロポイントから来た魂は集められ、祝福され歓びの歌をうたってもらい、そしてさまざまな階層へと振り分けられている。その中に、いつか朝扉あさとのお腹の中に来る魂もあるのだ。


 月姫は朝扉あさとのお腹をそっと撫でた。

「月姫さま! 赤子はいませんよ」

「うん。だけど、いつか来る子のために」

 朝扉あさとと伊吹の赤ちゃんが、授けられますように。

 月姫が朝扉あさとのお腹を優しく見ながら、そう願ったときだった。

 海の方に目をやった朝扉あさとが、興奮したように大きな声で言った。


「月姫さま! 船が見えます!」

 朝扉あさとは期待で頬を紅潮させながら、海の方を指さした。月姫もそちらを見た。

 ――確かに船が見える。漁船とは違う。

「あの船はもしかして……!」

 朝扉あさとは波打ち際まで駆けて行った。

「月姫さま、都からの船です!」

 船は次第に大きくなり、海岸に辿りついた。そして、船から人が下りて来るのが見えた。服装を見るに、都からの一行のようだった。


「――伊吹っ」

 朝扉あさとは船から下りて来た伊吹に駆け寄り、ひしと抱き合った。

朝扉あさと、会いたかった」

 伊吹は朝扉あさとを愛おしそうに抱き締め、朝扉あさとは涙を流しながら伊吹を抱き締め返していた。

 その二人の姿を見ていたら、月姫もある期待に心臓が高鳴った。

 もしかして――


「――月姫」

 懐かしいその姿、そして声。

桂城帝かつらぎてい……!」

 夢にまで見た、その人がそこにいた。


 如月きさらぎ(二月)のまだ寒い冬の日のことだった。


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