第二十四話 黒く陰湿な視線

 橘大納言たちばなのだいなごんは全くおもしろくなかった。


 宴の中ずっと、桂城帝かつらぎてい月姫つきひめを目で追いかけていた。

 いっしょに演奏をすませると、二人は同じ部屋の中に入ったまま出てこなかった。

 ……二人きりで何をやっているんだ! 出てくるがいい。

 橘大納言たちばなのだいなごんはお酒を飲みながらずっと、ぐるぐる渦巻く感情に身を浸していた。


 帝の妻は鈴子すずこのはずだ。

 ないがしろにしおって!

 当の鈴子は、女房たちになだめられながら、お人形を持ってとりあえず宴に参加したようだが、途中で眠くなってしまい、今では眠りこけてしまっているとのことだった。

 鈴子がもう少し、ふつうのおなごだったら……!

 いや、違う。

 そもそも、先帝である桂城帝かつらぎていの父の椙原帝すぎはらてい寧子宮やすこのみやを愛したからいけないのである。

 右大臣家出身で宮家の血筋のおなご。……中宮の位まで授けおって。

 確かに、垣間見た姿は、桂城帝かつらぎていに似た美女だったし、立ち居振る舞いも賢く聡明な女性だった。


 だけど、私の妹藍子あいこだって、そんなに悪くはなかったはずだ。

 なぜ、藍子ではいけなかったのか?

 椙原帝すぎはらてい寧子宮やすこのみや寵愛ちょうあいした。

 救いは、数回のお渡りで藍子が妊娠し、無事に男子を出産したことだ。これで藍子に子どもがおらなんだら、目も当てられなかったわ。


 寧子宮やすこのみやの子どもは三人。

 桂城帝かつらぎていとあとは豊子とよこ内親王、綾子あやこ内親王の二人の姫。

 男子でなくてよかった。

 おかげで、皇太子となり東宮になったのは、藍子の息子泰明やすあき親王だ。


 ――しかし、このままではいけない。

 もし、桂城帝かつらぎていと月姫が結婚し、子どもをもうけることがあったら、その子が皇太子になりゆくゆくは帝になるに決まっている。

 今、月姫の評判はとても高い。

 もともと人気が高かったが、この間、呪術の人形ひとがたを解呪したことで、一気に人気が高まった。……全く、あれは逆効果であったわ!

 橘大納言たちばなのだいなごんは自分のおこないも忘れてそう思った。


 いまいましい。

 ……いっそ、殺してしまえばいいのに……


 そう、黒い思いを抱いたとき、橘大納言たちばなのだいなごんは「飲み過ぎですよ、父上」と盃を取り上げられた。

雅為まさなり

「父上、目の焦点が合っていません。……それに」

 雅為まさなりは声を潜めて言う。

「それに、心の中の声が外に出ていますよ、父上」

「……そうか……」

「そうですよ。今日はもう、屋敷に戻られてはいかがでしょう?」

「だけど、帝と月姫が」

「その件は、私が何とかしておきますから」

「そうか?」

「そうですよ。雅為まさなりにお任せください」


 雅為まさなりは足取りの覚束ない橘大納言たちばなのだいなごん牛車ぎっしゃに乗せ、ふうと大きく息を吐いた。

 ――全く。

 ぶつぶつと危ないことを口走るなよ。冷や汗が出たよ。

 幸い、周りが煩かったから聞き取れた者はいないだろうし、万が一聞こえたとしても、意味はよく分からなかったであろう。それにしても「殺してしまえばいいのに」はまずい。まずすぎる。


 雅為まさなりは、先ほど自分の父親が見ていた方を見やった。

 月姫め。

 雅為まさなりは月姫に暗い思いを抱いていた。

 何しろ、彼女に和歌を送っても文を送ってもつれない返事しか返ってこないのである。

 雅為まさなりは自分のはかりごとが相手に漏れているとは、露も疑っていなかった。


 何が、月光る姫だ。

 氷のように冷たい女ではないか。

 私が籠絡出来れば、最も無難にことが運ぶかと思ったけれど、駄目ならば仕方がない。

 雅為まさなりは、再度、月姫と帝がいっしょにいるであろう御簾みすを睨みつけた。


 もう、手段を選んでいる暇はないのだ。

 雅為まさなりの目は、暗く怪しく光っていた。


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