七章 管弦の宴

第二十三話 重なり合う旋律と心

 不穏な事態の最中ではあったが、管弦の宴は予定通り行われた。


 男性も女性も美しく着飾り、宴に参加した。

 特に女たちの十二単じゅうにひとえの正装は、それぞれ工夫した季節の重ねが美しい彩りを見せ、実に華やかで見る者を楽しませた。歩くたび衣擦れの音がして、微かな音楽のように流れる。

 建物や室内も美しく飾り立てられており、いつもとは異なる華やかさを醸し出していた。


 月姫つきひめは、演奏をするため楽器の前に座りながら、気分まで華やぐわと思った。

 ふと顔を上げると、桂城帝かつらぎていと目が合った。

「準備はいいかい?」

 桂城帝かつらぎていが微笑みながら言い、月姫は頷いた。寧子宮やすこのみやもその様子を見て、目で合図を送った。

 しょうや笛の音が響き、その旋律に合わせて、帝はきんを、寧子宮は和琴わごんを、そして月姫はそうを弾く。


 桜の花びらが揺れる庭園に、音が美しく響いて行く。

 それぞれの楽器の音色が重なりあって、幻想的な調しらべを生み出していた。

 きんを弾いている帝が顔を上げて、月姫を見た。

 月姫は少し笑って、それに応える。

 音は遠くまで飛んでいくようだった。月姫たちの思いを乗せて。

 この旋律が、第一階層にまで届けばいいのに、と月姫は願った。

 第一階層にはなかった、この美しさが、届くといい。

 薄いピンクの花びらが音と絡まるように舞う。

 皆、息をするのも忘れたかのように、聴き入っていた。

 重なり合う旋律に、皆何を思い描くのだろう?

 弦が空気を震わせ音を作り、同時に人々の心も震わせる。


 音楽が終わり、余韻が微かに残った。

 そして拍手が起こる。

「月姫、成功したよ。すばらしい演奏だった」

「ええ、帝も。それから寧子宮やすこのみやさまも」

 桂城帝かつらぎていはにこりと笑い、寧子宮やすこのみやもにこりとした。


「ごいっしょに演奏出来て、光栄でしたわ。月姫さまは何でもお出来になるのね」

「いいえ、寧子宮やすこのみやさま! まだまだですわ」

「ふふふ。ではわたくしは向こうに参りますね。……桂城帝かつらぎていをよろしくお願いします」

 寧子宮やすこのみやはそう艶然と言うと、立ち去って行った。


「え? よろしくお願いしますって?」

 その場所には、いつの間にか桂城帝かつらぎていと月姫だけになっていた。

 もちろん、御簾みす几帳きちょう(しきり)の向こうには朝扉あさと孝真こうまたちが控えているであろう。しかし、この仕切られた空間には、今は二人しかいなかったのだ。


桂城帝かつらぎてい……あたし……」

「そばに座ってくれるかい?」

「はい」

 月姫は緊張しながらも、帝の横に座った。

 そして、他の場所から聞こえて来る雅楽がらくを聴いた。帝とともに。

「美しいな」

「……はい」


 月姫は桂城帝かつらぎていと寄り添うようにして、宴を楽しんだ。

 御簾みす越しに舞楽ぶらくを見たり、和歌を詠み合うさまを見たりした。

「月姫。私はね、月光の中のあなたを見て、神さまの使いだと、思ったのだよ。……私の手のひらにいたことを覚えているかい?」

「はい。とても温かでした」

「……それはよかった。……なんて不思議なのだろう? あの、猫の子ほどの赤子が、このように美しい女性になるとは……」

 桂城帝かつらぎていは青みがかった瞳で月姫を見つめた。


「美しいのは、帝です」

「え?」

「……あたし、帝のことを、最初からずっと、なんて美しい方なのだろうと思っておりました」

「月姫……」

 桂城帝かつらぎていは月姫の名を呼ぶと、そっと月姫の頬を両手で包み込むようにした。

「帝……」

 月姫は桂城帝かつらぎていの目から、視線を逸らすことが出来ないでいた。

 この方はどうしてこんなにあたしを惹きつけるのだろう?


「美しいのは、あなたの方だよ。まるで、月のしずくをまとっているかのように、光り輝いておられる。あなたのように美しい女性は見たことがない。本当だ。――だけど、私があなたに惹かれたのは、美しいからだけではないよ」

「帝?」

「私はね、月姫。あなたの詠む歌が好きだ」

「あたしも、帝の歌、好きです」

「それから、薫物たきもの合わせのときの言葉も素敵だった。なんという感性だろうと」

「あたしは、帝の調合されたこうに心打たれました」

「……ありがとう。あなたは何かにつけて、才があるのを見せてくれる。呪術の人形ひとがたを解呪したときは見事だった」

「……それは」

 それは、異能力があったから。


「そうそう。『竜の首の宝玉』の件に関しては、驚いたな」

「あ、あのことは――忘れてください!」

 月姫は顔を赤くして顔を隠しながら、言った。

「……顔を隠さないで? あなたはどのような顔も美しいのだから」

「帝……」

「あなたは神秘的でありながら、時に大胆で、私に新鮮な驚きをくれるのだよ。呪術の人形ひとがたの折だって、女性があのように駆けつけてくるなんていうことは、ふつうはないよ」

「あのときは必死で。……だって、帝に傷ついて欲しくなかったから。帝をお守りしたくて」

「そういうところだよ、私は惹かれるのは。――朝扉あさと伊吹いぶきのときの活躍も素晴らしかった。もし、二人の仲がこじれていたら、今ごろ私もあなたも、困ったことになっていただろう」


 それは本当にそうだ。

 朝扉あさとも伊吹も、なくてはならない、大切な人間だった。

 桂城帝かつらぎていは月姫をぎゅっと抱き締めた。

 月姫は息が止まりそうになりながら、その抱擁を受け入れていた。


「月姫。あなたのそうも好きだ。いつか、和琴わごんきんも聞かせてほしい」

「はい、帝」

「……月姫、私と結婚してくれる?」


 遠くで雅楽の美しい旋律が流れているのが聞こえた。

 全てが夢の中の出来事のように、月姫には感じられた。

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