六章 呪術の人形は誰を呪う?

第十九話 呪術で人を殺す

 呪術で人を呪い殺すことが信じられている――ここ、第七階層第八エリアでは。

 第一階層の住人であった月姫つきひめには、それは馬鹿ばかしいことだと思えた。しかし、問題は、そのような悪意が存在することだとも思っている。


 月姫は夜更けであったが、梨壺なしつぼから、清涼殿せいりょうでん桂城帝かつらぎていの御寝所に急いだ。

「月姫……来てくださったのですか」

 桂城帝かつらぎていが憔悴しきった様子で、孝真こうまやその他の側近のものたちに取り囲まれていた。

「はい。……呪術の人形ひとがたを見せてくださいませんか?」

「これだよ。――気をつけて」

「大丈夫です」

 月姫は木製の人形を受け取った。

 墨で、髪や目が書き込んであり、呪詛らしき文字も書かれていた。


 ……馬鹿ばかしいわ。

 こんなもので、人は殺せない。

 でも、帝を殺そうとする悪意が赦せない。


 月姫は少し考え、その呪術の人形ひとがたに〔魅了チャーム〕を使ってみようと思った。

 人間以外のものに使ったことはないけれど、もしかして、この呪術の人形ひとがたがよく出来たものであれば、呪術者にも繋がって、届くかもしれない。

 ……その場合、呪術者は異能力を使っているということになるのかしら?

 第七階層の住人に異能力はないはずだけど。

 或いは、異能力らしきものなのかしら? 異能力ほど強いものではなく、その残り香的な何か?

 ……まあいいわ。

 ともかく、〔魅了チャーム〕! 帝にあだすのは止めなさい!


 月姫が念じると、呪術の人柄は月の光のようなものに包まれた。それは、月姫がこの世界に来たときと、同じような美しい輝きだった。


 ――何、これ。

 周りの者も驚いていたが、能力を使った月姫本人が一番驚いていた。

 呪術の人形ひとがたは光に包まれ、くるくると回って少し宙に浮くと、ぱっと消えた。

 床には、微かな木片が落ちているばかりだった。

 ……〔魅了チャーム〕にこんな力があるなんて。

 あたし、これまでかなり間違った使い方をしてきたのだわ。


 大伴保長おおとものやすながに〔魅了チャーム〕を使ったとき、そして伊吹に使ったときのことを思い返す。

魅了チャーム〕には、ただあたしのことを好きにさせるだけの力じゃなくて、もっと深い、重要な使い方があるに違いないわ。……これだけじゃないのかもしれない。

 もしかして、あたしが第七階層まで落とされたのには、この能力の潜在的な可能性が関係していた……?


「月姫、ありがとう! 驚いたよ、呪術を解呪することも出来るんだね」

 いつの間にか桂城帝かつらぎていがそばに来て、そう言った。

「月姫、俺も驚いたよ。……月姫は本当に、神さまの使いなんだね。つい、小さな女の子だと思って、ただのかわいい妹のよう接していたけれど」

 今度は孝真こうまが言い、そして周りにいた者たちはひれ伏した。

 神さの使いの月光る姫さま、ありがとうございます! という声がそこここから聞こえる。


 ……神さまの使いっていうわけじゃなくて、これは〔魅了チャーム〕という異能力で、異能力は第一階層の住人なら皆持っているもので……

 などと月姫は考えていたけれど、実際、今、目の前で起こったことと言えば、呪術の人形ひとがたを月姫が月の光とともに消してしまったという事実なので、第七階層の住人ならばこうなってしまうのも仕方がないと思われた。

 何しろ、科学技術も発達しておらず、第一階層のような異能力の認知もないのである。


桂城帝かつらぎていがご無事でよかったです」

 月姫はそう言って、にっこりと微笑んだ。

「姫!」

 気づけば月姫は桂城帝かつらぎていに抱き締められていた。

 ああ、桂城帝かつらぎていこうのよい香りがする。

 月姫は桂城帝かつらぎていの香りと力強さとを感じて、涙が出そうになった。

 この人をお守りしたい、と強く思った。


「帝……」

 あたしの全てを懸けても、帝をお守りしたい。

 大丈夫。

魅了チャーム〕の力は様々に使えることが分かった。他にもまだ、あたしが使いこなせていない力があるかもしれない。ともかく、第七階層にはない、この異能力を駆使してでも、あたしは帝を助けたい。


「月姫……すまない、急に抱き締めたりして」

 しばらくして月姫から身体を離すと、帝は照れくさそうにそう言った。

「いえ」

 月姫は頬を染めて、帝を見上げた。

 もっと抱き締めていて欲しかったです。

 ――それは恥ずかしくてとても言えなかった。



 月光る姫が呪術の人形ひとがたを月の光で解呪したという噂は瞬く間に広まった。

 月光る姫への賛辞は惜しみなく注がれ、同時に桂城帝かつらぎていとの婚姻を望む声も広がった。

 何しろ、月光る姫は月の光とともにこの世界に現れた神さまの使いであり、輝くばかりに美しいうえに内面も素晴らしく、呪術も解呪出来るのである。このような方が帝の妻として迎え入れられ、お子が出来たらどんなに安泰であろう、と皆囁き合った。


 しかし、当然橘大納言たちばなのだいなごんはおもしろくない。

「いったい、どういうことだ⁉ 月姫にそのような力があるなどとは、知らなんだわ!」

「それは私もです、父上」

 橘大納言たちばなのだいなごんは、また手当たり次第に辺りにあるものを投げつけた。


 ……全く、この癇癪はどうにかならないものか。

 この性情が、出世を妨げているとは思わないのか。……どうしようもない。

 雅為まさなり橘大納言たちばなのだいなごんには分からないように、ため息をついた。

 そもそも、鈴子すずこがもう少し人並みであったらよかったんだ。しかし、あれでは寵愛どころではない。もうどうしようもない。よくぞ結婚させたもんだ。

 ……父上の血のせいではないだろうか。鈴子の愚鈍さは。

 橘大納言たちばなのだいなごんのヒステリーの中、雅為まさなりの黒い物思いは続く。


 そもそも、兄二人も暗愚だ。

 鈴子のようなことこそないが、物事を見極める力もなく人間関係の機微を知る力もなく。

 あれでは出世しない。

 つまりは、橘家たちばなけはこれでおしまいということだ。

 右大臣の位が回ってくるのはいつになることやら。

 高齢のお祖父さまが亡くなったとしても、右大臣の席に父上が座れるとは限らない。


 雅為まさなりは東宮の顔を思い浮かべた。

 父治為はるなりの妹、藍子あいこさまがお産みになった泰明やすあき親王。

 ……多少ぼんやりしているが、彼に懸けるしかない。

 雅為まさなりは手を握りしめ、橘大納言たちばなのだいなごんの発する嵐が過ぎ去るのを待った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る