第十八話 愛は温かくて

 朝扉あさと伊吹いぶき三日みかもちいを食べ、露顕ところあらわしの儀式を行った。


 二人を見ていたら、月姫つきひめは胸の辺りがとても温かくなった。

朝扉あさと、よかったわね」

「はい! 月姫さまのおかげです。ありがとうございます!」

「お前は俺をもっと信じろよ」

 伊吹が言って、朝扉あさとは「だって」と上目遣いで伊吹を見る。


「だって、あたしは伊吹一人がいいって思っていて、伊吹にもあたしだけでいて欲しいって思っていたけど、世の中、本当は何人も妻を持っていいんだもん。だから、伊吹があたし以外の人に興味を持っても仕方がないかも、と思っちゃったのよ。――だけど、あたし、どうしてもそれが受け入れられなくて……」

「そこはちゃんと話しただろ?」

「うん」

「俺は朝扉あさとだけだよ」

「……うん」

「ずっと、朝扉あさとだけ。他に女は要らないよ」

「うん……ありがとう、伊吹」

 寄り添い合う二人。


 ……いいなあ。

 あたしもあんなふうになりたい。

 ――帝と?

 桂城帝かつらぎていの顔を思い出したら、月姫は顔が熱くなるのを感じた。


「月姫さま?」

「あ、ううん、何でもないのよ」

 月姫が顔を赤くしてもじもじしていると、孝真こうまがやってきた。

「月姫、いるかい?」

「はい」

「今度行う管弦の宴について、少し話したくて」

 孝真と共に、桂城帝かつらぎていが入ってきて、月姫の胸は高鳴った。

 帝……!

「月姫、久しぶりだね」

「は、はい、帝」


 月姫は、御簾みす越しに帝を見た。

 あまりにかっこよくて、息が止まりそうになった。

 白皙の顔に切れ長の瞳。瞳の色は青みがかって見える。整った顔立ち。

 ……なんて美しい方なんだろう。


「月姫は、楽器はきんが得意なのだとか?」

「は、はい。でも、和琴わごんも弾けますし、そうも弾けます」

 久しぶりに耳にする帝の深く落ち着いた声は、月姫の心の中に入り込んで心を揺すった。

 きんは、支柱を使わず七本の弦を左手で押さえて高低を決めて右手で弾く楽器で、和琴わごんそうよりも小ぶりな楽器だ。和琴わごんそうには支柱がある。和琴わごんは六本の弦、そうは十三本の弦の楽器だ。

 月姫はこのどの楽器も弾きこなすことが出来た。

 第一階層でギターを弾いていたのがよかったかも! と月姫は思う。

 仕事で歌をうたっていたし、もともと音楽が好きだった。


「そうか。……実はね、今度の管弦の宴で、私も楽器を演奏しようかと思っていてね。月姫もいっしょにどうかと思って訊いたのだよ」

「帝は何の楽器が得意でいらっしゃいますか?」

「私はやはりきんが得意だね」

 帝は微笑みを浮かべながら言った。

 支柱を使わない七本の弦のきんは、高貴な人の聖なる楽器とされている。


「では、帝はきんをお弾きになってください。あたしは、和琴わごんそうを弾きます」

「実は、母上は――寧子宮やすこのみやは、和琴わごんが得意でね。だからあなたにはそうを弾いてもらいたいと思っていたんだよ。どうかな?」

「ええ! 大丈夫ですし、大変光栄です」

「これからしばらく、練習で忙しくなるけれど」

「頑張ります!」

 ということは、あたし、桂城帝かつらぎていと頻繁に会えるってことよね?

 そう思うと、月姫は力が沸いてくるのを感じた。

 嬉しい。

 頑張ろう!



 細々とした打ち合わせをして、桂城帝かつらぎてい孝真こうまは月姫の部屋を出た。

 帝は孝真こうまに言った。

「ありがとう、孝真こうま。おかげで素晴らしい管弦の宴となりそうだ。――私は管弦の宴が終わったら、月姫に結婚の申し込みをしようと思っている」

「はい。――月姫も喜ぶと思います」

 孝真こうまは自分の喜びは抑えて言った。

「月姫が『竜の首の宝玉』を持って来た人と会う、と宣言したときはどうなることかと思ったが」

 帝はくすくすと楽しそうに笑った。過ぎ去ってみれば、どうということもなかった。

 しかし。


「だが、孝真こうま。あの折は、よく働いてくれた。大伴保長おおとものやすながが『竜王の首の宝玉』を持ち帰ったと言ったときは、正直なところどうしようかと慌てたぞ」

「……偽物でよろしゅうございました」

「本当だ。それも、孝真こうまが調べてくれていたからこそ、分かったことだ。礼を言う」

「帝の御為おんためですから」

 孝真こうまはにこりと笑う。


「しかし、あれは保長やすながが自分で考えたことであろうか? どう思う、孝真」

「――恐らくは橘大納言たちばなのだいなごんが絡んでいると思われます。山荘にいた職人たちの多くは、橘大納言たちばなのだいなごんの口利きでした」

「なるほどな。……用心せねばなるまいな」

「ええ」

「ところで、月姫が恋文での『会う』をよく理解していなかったのは……大変かわいらしいことだったね」

「……三月で成人したとは言え、やはり生まれて数ヶ月ですから。時折、そのようにかわいらしい様子を見せるのです」

「なんて清らかな姫なんだろうと思ったよ。……そう。私の手のひらに在った、光る月の球のように」


 桂城帝かつらぎていは自分の手のひらをじっと見つめた。

 きっと、月姫が現れたときのことを思い出しているに違いないと、孝真こうまは思った。


朝扉あさとも無事、伊吹と結婚出来てよかったです」

 孝真こうまが言う。

「そうだな」

朝扉あさとは、月姫を支える大事な人間です。朝扉あさとがいなかったら、月姫の宮中での生活は大変なものとなります。ですから、朝扉あさとの恋が破れ、精神的に不安定になってしまっていたら、少なくとも朝扉あさとが落ち着くまでは月姫の生活は不安定になったことでしょう」

「もしかして、あの騒動も橘大納言たちばなのだいなごんが仕組んだとか?」

「――分かりません。ただ、気をつけるに越したことはありません」


 桂城帝かつらぎていは長い間見ていない、鈴子すずこの顔を思い浮かべようとした。もう薄らぼんやりとか思い浮かばない顔と、橘大納言たちばなのだいなごんの顔をと思い比べた。それから、異母弟の東宮泰明やすあき親王の顔を思い浮かべた。


「私が鈴子との間に子をもうけなかったからいけなかったのかな」

「……桂城帝かつらぎてい……。あなたは何一つ悪くないですよ」

 風が吹き過ぎた。

 季節はいつの間にか廻っており、風は春のかおりを運んできた。



『そんなわけで、今度帝といっしょにそうを弾くのよ』

『月姫、楽しそうだね』

『はい!』

『この間言っていた、愛とはどのようなものか、については分かったのかな?』

『……それはよく分かりません。ただ、帝はあたしには、とても特別な方なんです』

『なるほど。――第一階層に戻る日も近そうだな』

『でもまだ、一年も経っておりません』

『今お前が第一階層に戻ったら、魂のよき管理者になれることだろう。魂を扱う者の心構えというものが大事なのだよ』

『でも、まだ管弦の宴がありますし、それに典侍としての仕事もあります』

『そんなもの、どうとでもなるよ、月姫――いや、凛月。よき管理者として戻ってくるのを待っているよ』

月白つきしろさま!』



 月姫が月白との交信を終えて、ほうっと息をついたところに、朝扉あさとが来た。

「月姫さま、こちらにいらしたのですか」

「ええ。月が見たくて」

「……橘雅為たちばなのまさなりさまからの文です」

雅為まさなりさま?」




 ゆふぐれに月の光ぞ清かなる君を思ひて歎き寝せむと


(夕暮れの空の月の光が清らかに美しく輝いています。月光る姫、あなたを思わずにいられません。お会い出来ないので、悲しみにくれて眠るのです。)




 なぜだろう?

 月姫は、雅為まさなりの恋文に、黒いものを感じた。

 恋する気持ちを歌っているようでいて、それは表面だけのことで、内面がなぜかどろりとした禍々しいものが潜んで、牙を研いでいるように思えたのである。

 月姫がそんなことを考えていたとき、「大変です、月姫さま!」という声が聞こえた。

朝扉あさと、どうしたの?」

「今、伊吹が来て――帝の御寝所から、呪術の人形ひとがたが見つかったって!」

「え?」

 呪術の人形ひとがた? ――桂城帝かつらぎていを殺そうとしたってこと?


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