第十七話 伊吹の本心と〔魅了〕の力

 月姫つきひめは秘密裏に伊吹いぶきを部屋に呼んだ。

 朝扉あさとには用事を言いつけて、その場にはいないようにしていた。


「月姫さま」

「伊吹、あたし、朝扉あさとのことであなたに話があるのよ」

 月姫はそう言い、〔魅了チャーム〕を伊吹にかけた。

 ごめん、朝扉あさと

 でも大丈夫。あたし、解除も出来るから。


「……伊吹。本当のことを答えてくれる?」

「はい、月姫さま」

 伊吹は人形のように答える。

「あなた、お母さまのところの女官、雪音ゆきねと仲がいいの?」

「はい」

「それは、恋人として?」

「いいえ。雪音とはそのような関係ではございません」

「本当?」

「本当でございます」

後朝きぬぎぬの歌を送ったと聞いたわ」

「そのような歌を送った覚えはありません。だって、私が好きなのは、私が愛しているのは」

「それは誰?」

「もちろん、つきひ……いや、違う! あさ、……いえ、すみません、つき、……違う! そうじゃない! あさと……‼ いえ! 申し訳ございません! あああああ‼」

 伊吹は頭を抱えてうずくまった。

 月姫はすぐに〔魅了チャーム〕を解除した。――ごめんなさい、朝扉あさと、伊吹。


「伊吹、気分はどうかしら?」

「……はい」

 伊吹は脂汗を額に浮かべながら、顔を上げた。少々視点が定まらない。

「伊吹、聞かせてくれる? あなたが後朝きぬぎぬの歌を送る相手は誰なの?」

朝扉あさとです。朝扉あさとしかおりません」

「雪音に後朝きぬぎぬの歌を送ったという噂があるのよ」

「嘘です! 私は、朝扉あさとにしか送りません‼」

「……どうしてそのような噂が立ったか、分かる?」

「……分かりません。ただ、もしかすると」

「もしかすると?」

「練習で書き散らしたものを、誰かが持って行ったのかもしれません」

「なるほどね」


 ここでは筆跡がとても重要な意味を持つ。つまり、筆跡で誰が書いたかがだいたい分かるのだ。

「しかし、雪音とはそのような関係ではなかったので、彼女も戸惑ったことだと思います。返歌も当然受け取っておりません」

「きっと、伊吹が雪音に後朝きぬぎぬの歌を送った、という『事実』があればよかったのだわ」

「……なぜ?」

 なぜ。

 そうね、なぜかしら。


 伊吹が退出したあと、月姫は考えを巡らせていた。

 いずれにせよ、これで朝扉あさとは伊吹と仲直りをして、すぐにでも結婚するだろう。

 朝扉あさとが泣き濡れていると、実際仕事にならず、困った事態になっていた。朝扉あさとは非常に有能で、宮中での月姫の暮らしを取りまとめる立場にあった。また、月姫自身もいろいろな相談を朝扉あさとにしていたので、よき参謀という立場でもあった。

 でもまあ、仕事云々よりも、朝扉あさとが元気になるのが一番なんだけどね。


 月姫は朝扉あさとに真実を伝えるのが楽しみだった。

 同時に、なぜそのようなことが起こったのかも一緒に考えて欲しかった。

 孝真こうまお兄さまにも相談しなくては。

 月姫は先ほどの伊吹の様子を思い出していた。


魅了チャーム〕がかかっていてもなお、朝扉あさとの名前を口にした。

 ……あれが愛なのかしら。

 愛というものは、〔魅了チャーム〕を上回る強い感情なのかしら。

 月姫は第一階層にいたときから、むろん〔魅了チャーム〕の解除方法を知っていた。しかし、騒ぎが大きくなっても解除しなかったのは、たくさんの人から好かれている感覚がふわふわとしていて、心地よかったからだ。


 でも、あたし、分かったわ。

魅了チャーム〕で好きになってもらっているのは、まやかしなんだって。そして〔魅了チャーム〕の力は、第一階層にいたときのように使うものじゃない。もっと違う使い方をするといい。

 本当に好きっていうのは、〔魅了チャーム〕では得られない。

 愛するってことも。

魅了チャーム〕では、人の心は縛れない。本当の意味では。


 帝、と月姫は桂城帝の姿を思い浮かべた。

 会いたいです、とても。

 離れていても、いつも思ってしまう。

 帝の気持ちが知りたい、と月姫は思った。



雅為まさなり! また失敗したぞ!」

 橘大納言たちばなのだいなごんの怒声が響いた。

「父上、落ち着いてください」

 雅為まさなりは冷静に返す。


「これが落ち着けるか! あの女官を月光る姫から引き離すつもりが、結局、逆の方向に向いたではないか。すぐにでも結婚するそうだぞ」

「いいじゃないですか、女官のことくらい」

「……お前が、月姫の側近の心を折ればいいと言ったのだぞ」

「ええ、それがうまく行けば、と思っておりました。さすれば、月姫は打撃を受けましょう。随分頼っている様子でしたから。あの女官がいなければ、私が忍び込んで行くことも出来るやもしれぬと思っておりました」

「そうだな。そうして実力行使で月姫を得ることが出来ればよかったのう」

「……相変わらず警備は固いですから。また別の方法を考えましょう」

「別の方法があるのか?」

 橘大納言たちばなのだいなごんの目が怪しく光った。

「ええ。そもそも、桂城帝かつらぎていを中心に考えるからいけないのです、父上。我らには、泰明やすあき親王がいらっしゃるではないですか。此度、東宮になられました、叔母上の息子が」

「おうおう、そうだの」

「ですから……」

 


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